滞在先から数分のところに、旧正月になると中華系家族の間で激しく流通するチョコボールのようなものが屋根に乗った美術館がある。
我が家では勝手にフェレロ・ロシェの建物、と呼んでいたが、正解はウィーン分離派のアートが展示されている「セセッション館」。
(ちなみにヘーゼルナッツクリームが入ったこのイタリアのチョコボールは美味しい上に、黄金なところが好まれて、縁起物として少なくとも在米華僑の間では、人気の商品である。旧正月などの祝い事になると中華スーパーに山積みになり、我が家でも必ず親がどーんとくれる)
分離派と言うからには何かに反抗したグループであることは明らかで、オーストリアの芸術家組合を離脱した、古くさいアートの世界はまっぴらだぜ!といった感じの芸術家のみなさんの集団である。
有名どころで言うと、このおじちゃん
クリムトってこんな人だったんだ。100年前の芸術家も猫をモフっていたと思うと微笑ましい。写真をとる間に猫が逃げないように羽交い締めにしているようにも見えなくはない。分離派の初代会長でもある。
展示フロアそれほど広くはないので、さっと見て回れてしまう。
特に解説などが書かれているわけでもないので、これなんだろうね、これどういうことだろうね・・と子供と一つ一つ見て回った。それはそれでまた面白い。
と言っても深い芸術の話をするわけでもなく「なんでライオンが街角にいるんだろうね」的な話だったりするが(笑
地下に行くとクリムトの「ベートーベンフリーズ」と言う壁画が常設展示されている。タイトルにベートーベンが入っているだけでテンションが上がる。
クリムトさんは有名な「接吻」ぐらいしかあまり作品を知らず、この作品の背景についても後から知ったぐらいだけれど、逆に先入観なく見ることができたのは良かったかもしれない。
第九がモチーフになっているというこの壁画、第九のどの部分だろう、やはり描くときには蓄音機で第九のレコードガンガン流しながら描いたりしていたのだろうか・・などとぼんやりと眺めた。
音楽を聞きながらそれに受けた印象を絵にする、というのはちょうど子供も小学校の授業でやったらしい。第九と言う音楽が芸術家によってこう解釈されてこういう作品になった、という過程を想像したり、ベートーベンの音楽を頭の中で流してみるのもまた面白く。
2階部分はまた時期によって違う展示がされている。狭いフロアでの展示だが、この時は確かアメリカの現代アーティストの作品が展示されていた。
妙に印象に残ったのは、本当にこれはアートの展示なの?と一瞬思うような、壁に沿って設置されている、ベニヤで作ってペンキを塗ったような、文化祭の大道具にも見えるようなただのからっぽの棚。
最初はここは物置なのかとも思ってしまったが、実はこれはアーティストが働いていたか通っていたらしい、昔のレコードショップのレイアウトを簡単に再現したものだった。実際天井のスピーカーからは音楽が流れていた。
これもアートか〜とも思ったが、もう今ではそんなに見ることがないレコードショップ、それもアーティストの体験と記憶の中に残ってる場所が不思議なフォーマットで再現されていて、自分もその中にいる・・と考えたら何かちょっとわかったような気もした。
そしてなぜか今はもう無い、祖父母の家のことを思い出したりもした。適当な板や資材で祖父母の家の応接間や茶の間のレイアウトを再現したところを想像した。実在したものとは程遠いものでも、空間的なものを再現したらそこに何か投影されそうな気もした。
モダンアートってよくわからないことが多いが、作者も意図があったり、あるようでなかったりするものもあるだろうなあ。絵画でも音楽でも文章でも食事でも旅行でさえそうだと思うけれど、それをどう受け止めて処理するかは、受け手側の内面やその時の体調や状況も色々影響しそうだ。そんな中でわからん、とスルーするものもあったり、自分の心の中に残ったりするものもあったり。それもまた刻々と変わっていくから面白い。