愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

2024 日本滞在記4:同窓の会

滞在が長くなったので、思いがけず多くの旧友と再び顔を合わせる機会があったのは、今回の帰省における大きな収穫だった。

今年、五十歳の節目を迎えるということで、女子高の同期会が催された。卒業以来、何十年も会うことのなかった仲間も多くいたが、変わらぬところもあれば、月日の流れに従い大きく変わったところも見受けられる。特に改めて感じたのは、我が母校の女子というものは、昔からじっとしていることを嫌う性分であったということだ。あの頃の活気と賑やかさは、むしろ時を経てより顕著になっていたように思われた。

シリコンバレー時代の仲間から声をかけられ、職場の同窓会にも顔を出した。本社勤めの私であったが、当時、立ち上がって間もない東京オフィスとのやり取りが頻繁で、東京オフィス黎明期の面々が集まるこの同窓会は、ただ記憶の底に沈んでいた人々との再会だけでなく、画面越しにしか接したことのない人たちと、時を超え、空間を超えて、実際に対面するという不思議な経験であった。当時の職場は、今のように巨大な組織となる前で、どこか学生生活の延長線上にあるかのごとき雰囲気が濃厚であった。自由であり、希望に満ち、何をやっても許される風潮があった。それはそれで苦労もあったが、あれほど楽しい職場に、もう二度と巡り合うことはないだろうと今でも思う。

他に海外から里帰りしている者も加わり、大学時代の仲間たちとも久しぶりに顔を合わせた。あの頃、真夜中の公園をローラーブレードで駆け回り、バスケットに興じていた連中が、今では仕事において中堅以上の立場にあり、親になり、子供の学校や仕事の話などをする。あの頃は皆、ただ夢中に遊んでいただけだったが、気がつけば立派な中年となり、堂々たる大人の顔をしているのを見るのは何か可笑しい。毎度のことながら、居酒屋から帰る時に、男性陣が律儀に靴べらを使って靴を履いている姿を見ると、その中年的仕草になぜか笑いが止まらなくなってしまうのであった。

ワシントン時代の友人の元夫が、子供を連れて日本に来るというので、結婚式以来の再会も果たした。同い年の娘たちをはじめて一緒に遊ばせることもできたのは、とても良かった。また、漢字は違うが、私と同じ名前を自分の娘に付けた同級生がいて、その子供にも今回会う機会があった。私にちなんで名付けたわけではないだろうが、それでも、自分が子供の名前を考えていた時に、あの人と同じ名前からやめようと、リストから外した名前が結構あったことを思い出すと、少なくともその同級生が私のことを悪く思っていなかったのだろうと考えると、嬉しくなるものだ。

ロンドンの剣道仲間とも合流し、共に出稽古に赴き、地元のお祭りにも足を運んだ。そこにさらに、中学時代の地元の友人までもが合流するなど、自分の人生の異なる時期に出会った人々が、同じ場所で交差するのを見るのは、なかなか愉快であった。私が日本で生活していたのは、大学を卒業した21歳までである。それにもかかわらず、今もなお私のことを覚え、声をかけてくれる人々がこれほど多くいることは、実にありがたい限りだ。特に今回の再会は、卒業以来、退職以来といった、長い年月を隔てて会うこともなく、もはや縁が途絶えたかと思われた人たちとのものも多かった。

歳を重ね、様々な経験を経た上での再会というものは、当時とは異なる新たな感覚を引き起こすものである。それは単なる昔の延長ではなく、今の自分と、今の彼らとが新しい関係を築いているかのようであり、その感覚がどこか新鮮で、心地よくもあった。


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さて、今回の日記は下書きしたものをチャットGPTで内田百閒と夏目漱石風味に書き換えてもらい、さらにそれに自分で手を加えてみました。

そして前回のものは同様に村上春樹風味にしてもらったものです。ChatGPTにかけてみると、自分が書く内容や言葉の選び方とさほど変わらないものの、文章の区切り方や句読点が大きく変わって読みやすくなり、それがより文章を明確なものにする気がします(でも次回は自力で校正しよう)