愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

2年前のフランス旅行話④:だいせいどう

変な話だが欧州の都市を旅行していて一番記憶がごっちゃになるのが、大聖堂である。

どの大聖堂もそれぞれ特徴があって違うのに、どーん!これでもか!神は偉大だ畏れろ敬え~的なメッセージはどこも変わらない気がして、それが視覚と感覚にガツンと来る。

ましてや数年前の旅の記録を今頃書こうとすると、当時の記憶や印象はもう忘却の彼方・・・。

しかしストラスブールの大聖堂は、やはりその中でもでっかさが際立っていた。それもそのはず、この建物は過去200年間世界一のキリスト教建造物だったそうな(明治7年ごろまで)。

なのでまあどう頑張ってもカメラには収まりきらない

142メートルあるというから、40階ぐらいあるタワマンと変わらない。そんな建物をふもとから写真に収めようとしても無理なのは当然だった

大聖堂の前は広場になっていて、カフェがぐるっと並んでいる。昔はどうだったか知らないが、今では皆に解放された広場的な雰囲気が良い感じであった。

これが建てられた当時、人々は大聖堂に入ってどんな気持ちになっていただろう。ひたすら他よりも高い建物は、それこそ自分の存在を小さなものに感じ、圧倒され、この世にいるとは思えない気持ちになったかもしれない。

ここにどんな人が埋葬されているか、またどんなメモリアルがあるかということも、欧州の宗教施設を訪れる上で興味深い。地元の名士はまあ良いとして、特に戦争の慰霊碑は、この地から各国に送られた部隊のことだったり、この地で戦った部隊のことが書かれていたりする。

ここでは第二次大戦中のアルザス解放に関わったアメリカ軍のことが刻まれていた。1945年1月にあったノルトヴィント作戦、だけでアメリカ軍の犠牲者は1万数千人はあったらしい。

天文時計。時間だけでなく、太陽や月、星の動きがわかるように作られている。中は精巧な時計仕掛け。人間が脳みそを振り絞ったらこういうすごいものが出来る。こういうのを見ると、どうしても自分の脳みそはずいぶん怠けているようにしか思えない。

大聖堂に行くと何百段もある階段を上って上に行くのもお約束である。意外と息切れはしないものであるが、階段が急だったり狭かったりするのがちょっと怖い。あと上りより降りるほうが目が回って意外と怖い。

大聖堂の周辺はたいてい旧市街で、遠くにより近代的な建物が見えるのもお約束である。目の下を小さな人や車がうごめいているのも見える。ふと人間世界や歴史を俯瞰している気持ちになる。

レミゼラブル

シアター・ウィークでウェストエンドのミュージカルやお芝居が安く見られるのを狙って、久しぶりにレミゼラブルを観てきた。自分の中ではレミゼは高校の文化祭で上演したことがある思い出のミュージカル。サンフランシスコで本物を一度見て号泣し、今回は二度目。まだ見た事がなかった夫と子供に見せたかった。

あの心に残るメロディや、登場人物たちの色々な思いが切ないミュージカル、しかも高校の青春の一ページの舞台。今回も目から水がどばどば出るんじゃないかと思ったら、久しぶりに観た感想は、うわ、昔のフランスずいぶんひっどいところだな!というものだった(苦笑)

しかし実際原題の通りで、本当のところは滅茶苦茶みじめで救いようのない話やー!よくあんな歌詞を高校生で歌ったよな、と今は思うのはやはり加齢のせいだろうか。原作は一度手にとってあまりの長さと話の冗長さに読むのを挫折してしまったけれど、何となくちゃんと読まねばならない気もしている。

また、この話はざっくりフランス革命の頃の話・・とつい思っていたけれど、実は六月暴動の話だったというのも今までちゃんと認識していなかった。原作ではなんだかんだいってマリウスは男爵のポジションに落ち着いているし、革命だ平等だ云々掲げていても、ハッピーエンディングの着地点そこかっ!と色々突っ込みたくなったり。

思えばフランスの歴史、共和政と帝政が行ったり来たりしていたことなど、学校で習ったはずなのに詳細をずいぶんと忘れてしまっているなあ。ついでに日本語で覚えていたミュージカルの歌詞もだいぶほとんど忘れてしまっていることにも気が付いて、フランス革命も自分の高校時代もずいぶん遠い昔になりけりだなあと思うなど。

子供は舞台に圧倒されたらしい。それは良かった。

睡眠離婚

我が家もとうとう実現した、睡眠離婚!

欧米は夫婦が大きなマットレスで一緒に寝るのが一般的で、我が家もずっと疑問を持たずにそうしてきたのだが、何しろ体重差と身長差がかなりある我々。

気が付くとマットレスは夫側のほうが深く沈み、真ん中に変な山ができる。微妙な変形かもしれないが、意外と寝るときにこれが体に来る。なんとなくお互いベッドの端と端に転がって寝ている感じだし、腰や肩に良くない気がする。

シーツも、大きいチャンが寝がえりを打ったりして一定方向のほうにより強い動きが生じると、あっという間にマットレスからはだけてしまう。これ、他のご家庭ではどうなんだろうか。我が家ではもう何年も気が付けばシーツがマットレスからあっという間に外れる問題がはびこっていたのだった(深くマットレスを包み込むシーツを買っても効果無し)。

あとやはり年を取ると睡眠が浅くなるのか、お互いの動きで睡眠が妨げられることがしばしば。

これはどちらかというと大きいチャンのほうだけれど、ちょっと私が寝がえり打ったりするともうダメ。本人は盛大ないびきをかくのに、私の「寝息が大きかった」だけでもうダメ。で、睡眠が足りないと機嫌がとても悪くなる。

私はもともと長く寝られない+出産後睡眠が足りなくてもなんとかなってしまう体質(?)になったせいか、睡眠が足りなくてもそこまで響かないので、ウルサイなあ・・と思っていたけれど、夫の睡眠が足りないと血圧も上がりがちなのが分かったので、健康面からも対処が必要となったのだった。

そんな時、ベイエリアで泊めてもらったお友達のベッドが、シングルベッドとマットレスを二つくっつけて寝る方法で、非常に快適だったので真似をすることにしたら、あらまあ、なんでこれを速くやらなかったのかしら!というくらいすごく良い。

イギリスのベッドのサイズはアメリカのものよりもともと小さいので、クイーンサイズを買ってもなんとなく窮屈だったのだが、以前より寝るスペースが広くなった。どれだけ寝返りをうっても相手に響かない!なんとなくお互いの存在がわからない感覚もあるが、まあよく眠れるようになった。

日本だったら夫婦で寝室別とか、布団だからあんまり関係ないとか、シングルベッド2個使いとか、もっと昔から一般的な気もする。でもこっちでは夫婦は一緒に寝るものだという固定概念が意外とあって、一緒に寝ない=愛情が無いのか?!みたいな感じにもなりがち。

でも睡眠の質向上という点から、一緒に寝ない選択をすることを"sleep divorce"と呼んで、悪いことじゃないよ、とおすすめする動きはよく目にします。最初に見たときはまだ若かったので、えーっと思ったけれど、こればっかりはやはり年と共に変わりゆくものだということも気がついた。

若いころはどんな狭いベッドで一緒に寝ていても平気だったけれど、もう年をとったら快適さと健康第一!

(こういうので隙間を埋めたり、マットレスをずれないように固定したりしてます)

2年前のフランス旅行話③:ストラスブールの美味しいもの

2年前の旅日記のはずが、年をまたいでしまったのですでに3年前の旅日記になってしまったが見なかったことにして続ける。

今読んでいる本でナポレオンの頃の時代、チーズは今のようにデリカシーではなくて貧乏人が肉の代わりに食べるようなものだった、とあってへぇぇと驚いている。

まだコロナで色々規制があったころで、レストランに入るのにアプリの証明書を見せたりしなくてはいけなかった。アプリを読み取るための相手のアプリが正しくアップデートされていないので、うまく読み取れずお店や施設に入れない、という面倒な不具合もたびたびあった記憶。

まあテイクアウトも充実していたし、キッチン付きの部屋を借りていたのでスーパーでめぼしいものを買って自炊もしたりしていた。

ストラスブールはフランスといってもドイツ国境の街なので、食べ物は基本、芋ハムソーセージなどドイツ風であった。

よく食べたのはアルザス地方のピザ、タルト・フランベまたはフラムクーへ。ベースはクレームフレッシュやチーズ、そこにラードンや玉ねぎのトッピング。生地が薄いのでパリッとしていて美味しい。

街中を歩いているとフラムクーへを出す店が山ほどある。ちょっと他のものも食べたいよな、と思うがストラスブールを目指してやってくる観光客向けなのか、結構メニューはどこも似た感じであった。

泊まったアパートは中心から少し離れていたが、近くにあるアルザス料理の店は通りかかったらまだ準備中。しかし出てきたのは台湾人の人だった。なんでもフランス料理を学びにやってきて、もうずっとここに住んでいるそうな。

主に夫と中国語で話が盛り上がっていたが、なんとなく聞き取れる部分は私もふむふむと聞き、英語で私は茶々を入れるという構図になった。思えば日本人でもフランスで料理修行をして現地でお店を出している人がいるわけだから、驚くべきことではないのだけれど、ちょっとだけ不思議な気持ちになった。

marichan.hatenablog.com

ピラネージ・中華街・ハルキさん

2月の読書記録。

2月は長いフライトに乗る機会があったり、仕事の忙しさが少し緩んだりしたので、多少本を読む時間が取れた。

Piranesiは、迷宮のような、広大で当てのない、一部廃墟になり波が押し寄せ、鳥が住み着き、各部屋に彫刻がある不思議な建物に住むピラネージと呼ばれる男の人の話。しばらく彼の日記が続くのだが、この人が一体誰なのか、時代はいつなのか、全くのファンタジーの世界の話なのだがわからないまま日記が続く。

彼の他に、そこにはOtherと呼ばれる人も住んでいるようなのだが、どうも彼は現実の世界とつながりがあるらしい。そんな中、第三の人物が現れて、なぜピラネージがここにいるのか、このOtherは誰なのか、色々な真実が明らかになっていく。

途中から謎が明らかになり始める段になってようやくぐいぐい引き込まれて一気に読んだ。ちょうど家族に不幸があり、アメリカで納骨堂的な所に初めて足を踏み入れる機会があったのだが、そこも迷宮のようにいくつもの広大な部屋がたくさんつながっているような場所で、このピラネージが住む世界(もっと廃墟っぽいけど)を連想させて不思議な気持ちになった。

ニュースやノンフィクション、仕事の文章などはどうしても情報を取りに行くために読んでしまうが、久しぶりにこういう本を読んで、ゆっくり文章やその世界を味わう楽しみを久しぶりに堪能した。

Interior Chinatownは小説なのだが、テレビドラマの脚本のような形で書かれている。チャイナタウンに住むウィルスはテレビドラマに出演する俳優のようなのだが、アメリカあるあるで、もらえる役はほぼセリフのない一般的なアジア人男性だったり、訛りのある英語を話す、ステレオタイプの役ばかりがまわってくる。

彼の両親も俳優だったようで、劇中劇では中華街の風呂などは共同の、混み合ったアパートに住み、中華料理店で働いているのだが、彼らのモノローグを読んでいると、これは本当に劇中劇なのか、アジア人として求められている「役柄」を、家族みんなが演じている話なのか、その境界線がだんだんなんだかよくわからなくなってくる。

日本で生まれて日本人として日本で育った自分にとっては、自分の物語ではないはずなのに、アメリカに移民して中華料理店を営んでいた陳家の一員になったせいか、やはり自分も外国に住むアジア人だからか、移民としてのアイデンティティステレオタイプ、他の人種との相対的な関係から自分の立ち位置が変わることなど、痛いほどよくわかる。と同時に、移民小説としてはもうこのテーマはあるあるすぎて変わり映えはしないよな、とも思ったりするなど。

しかしこの小説はそんなテーマをドラマの脚本として、時に非現実的なセリフやシチュエーションも交えて表現しているところが、フォーマットやフレーミングの妙なのかもしれない。

ちょっと舞台や劇中劇チックな設定が多いウェス・アンダーソン風の映画を、ファンタジー少な目にしてアジア人キャストでやるとこんな感じになるかな・・とこの脚本が実際に映像になったところを想像したりした。

どうやらHuluでドラマ化が進んでいるらしい。ってテレビシリーズにするほどの長さやクライマックスがある気もしないのだが、どうなるのかな。

春樹さんの薄いエッセイはこれくらい短い文章の方が今はイラッとしなくて読めるなと思った。中国語でも目にすることがある「小確幸」は彼の造語だが、引き出しあけると下着が揃っているのが気持ちが良いと言うのがここで挙げられていた小確幸の例だったのに気がついて少し笑ってしまった。