愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック

村上春樹が書いたこの本、10年以上前にも感想を書いているのだが、久しぶりにまた読んでみた。

  • 本の前半は、フィッツジェラルドや妻ゼルダとゆかりのある土地に関するエッセイ。ニューヨーク、ハリウッド、メリーランド、アラバマにミネソタという5つの全く毛色の違う街が出てくる。40代前半だった村上春樹が、実際に足を運んだり、当時の文献を見つけたりして思いを馳せている。
  • まだ子供だったフィッツジェラルドが初めて訪れたニューヨーク。ここでは、当時のニューヨークの様子を知る手がかりとして、1924年に発行されたガイドブックが紹介されているのだけれど、この本のことが長年気になっている。
  • 何しろこのガイドブック、当時の建物の様子、そこに入っている店やその雑踏の様子が、それこそ1ブロックごとに、写実的に細かく描写されているなど、ちょっとガイドブックの域を超えているらしい。多分それを読めば、映像など無くても、当時のニューヨークの街をタイムスリップして歩いているような疑似体験ができるんじゃないだろうか。ちょっとわくわくする。

  • 調べてみたらこのガイドブック、やはり名作(?)なのか、2018年、2022年と、何回かに渡って再版されていた。ちょっと読んでみたいが、結構お高い。研究用に使われたりしてそう。発行部数もそんなには多くないんじゃないだろうか。うう、気になる・・・。
  • 若くして亡くなったフィッツジェラルドだが、彼は晩年、ハリウッドで映画のシナリオを書いてなんとか生計と生活を立て直そうとしていた。そんな彼はハリウッドで「アラーの園」というずいぶんロマンチックな名前のホテルに逗留していた。
  • このエッセイが発表された1980年代当時、村上さんは既に存在しないこのホテルのことが随分気になって色々調べているが、情報があまり見つからない。その住所さえも、なんとか地図と少ない記録を頼りに、なんとなくここらへんだったのかも、と当たりをつけている。ようやく見つけた1枚の写真や、本のわずかな記述から、彼が過ごしたモロッコ風のホテルと、そこに集まった人達に思いを馳せている。
  • でも今はインターネットの時代(って言い方、古っ!)。ホテルの名前「The Garden of Allah」をちょっと検索するだけで、その歴史、写真やホテルにまつわる色々なエピソードがどわーっと出てくる。当時の住所だってしれっと記載されている。
  • とはいえ、ちょっと調べてしまうとある程度の情報がわかってしまうのも味気ないといえば味気ない。別に正しい情報を発信するためにこのエッセイが書かれたわけでもないし、逆にその情報がなかなか見つからなかったり、一生懸命情報を探そうとするその経緯もまたストーリーになる。情報の少なさは、今ではハリウッドから消えてしまったこのホテルを、より遠い過去の謎めいた、ロマンチックな存在にしている気もした。
  • フィッツジェラルドと妻ゼルダは、メリーランド州ロックビルの墓地に埋葬されている。私達はもう20年以上前にワシントンDCに住んでいたのだが、ロックビルは私が使っていたメトロの路線の終点駅だった。村上さんが訪れた時は、まだロックビルまで地下鉄が通っておらず、それでも先を見越してコンドミニアムなどの建設ラッシュだったというが、まだまだスリーピーな場所であったようだ。ちょっと想像するのが難しい。
  • 私が知っているロックビルはハイウェイがあって、中華スーパーやレストランがあって、そこで台湾料理を食べたことを覚えている。多分臭豆腐を食べたような気がする。フィッツジェラルドの時代とは随分な差だ。その店は今は上海料理の店になっているようだが、名前はそのまま残っているみたい。
  • 妻ゼルダはアラバマ州出身のいわば「サザン・ベル」だった。今の自分にとってアラバマというと、ザ・南部、いわゆるレッドステートというイメージしか無く、行くだけで差別されたり撃たれるんじゃないかぐらいの勢いで、わかりあえないような土地のような気がしてしまう。行ったことないのにそれも随分な偏見かもしれない。なので村上さんが訪れた当時の、眠たそうな街の中にある、人々の礼儀正しさだとか、きちんとした服装をしているとか、異質に見えるであろう日本からの旅行者である村上さんにも、皆結構普通に親切に接しているところが、意外にも感じてしまった。ってこれも偏見ですね、いけないいけない。
  • 一方で村上さんは、アメリカのこういう街のインナーシティ化の様子も、直感的なのかどうか、ちゃんと感じとっている。そういえば昔、司馬遼太郎がアメリカを訪れた際のことを書いた本を読んだことがあるのだが、疑問に思うことやわからない事を、答えを持っていそうな目の前にいる人に直接聞いたり話し合うこともなく、自分で勝手な想像で補ったり拡大解釈して、これはこういうことなんだ、アメリカはこういう所なんだ、とちょっとびっくりするような結論を導き出しているのを読んで、滅茶苦茶気持ち悪くなったことを思い出した。それが何だったか、細かい内容は忘れてしまったが・・。それに比べると、村上さんのアメリカでの経験を書いた様々な文章は、しっくり来るというか、ちゃんと見て理解しているな、という感じがすごくする。まあ司馬遼太郎もアメリカが得意分野ではなかっただけなのかもしれないが、ふとそんなことを思った。
  • 本の中盤は、妻ゼルダの物語。以前はこの部分が一番印象に残った。色々なことが噛み合わなくなり、思ったようには行かなくなり、でも自業自得な部分もあり、傍から見ると自明であるような運命をたどりながら、人はこんな終わり方をするんだな、きっつー、と思ったものだった。
  • 後半は村上春樹が訳したフィッツジェラルドの短編がおさめられている。以前読んだ時はなんとも思わなかったのだが、今読んでみると村上春樹の筆致とフィッツジェラルドの書く話がすごくぴったりしていて、翻訳ものを読んでいる感じがあまりしなくてとても良い。話そのものは、それほど評価されなかったり有名ではないものらしく、おさまりの悪いものもある。でも読んでいると、人の悩みも恋愛事情も、今とたいしてかわらない。遠い時代の人々の生き様をちょっと切り抜いた感じの短編は意外にも新鮮な気持ちで読めたので、今更ながら村上さんの翻訳をもっと読んでみたいなと思ったのだった。

私は風邪をひかないと自慢しようとしたら風邪をひいた

去年1年、私は全く風邪をひかなかった。今年もまだまだ大丈夫・・、という日記を書こうと思ったところで、ちょっとダウンしてしまった。ほぼ1週間、剣道もせず、外出もせず棒にふってしまった。トホホ。

原因はたぶん、出稽古。あまりしょっちゅう行かない道場なのだが、行くとほぼ100%の確率で数日後に調子が悪くなる。試合の応援などでそこに行くには平気なのだが、自分がそこで稽古すると百発百中である。

むさくるしい兄ちゃんばかりなのがいけないのか、人が多いわりに換気がいまいちな場所なのが原因なのか、久しぶりに行ったらやっぱり寝込むことになってしまった。トホホ。

今回の不調は胃が気持ち悪くなり、頭痛がし、ちょっと咳が出る感じだった。熱は出なかったが、すべてがイヤーな感じで仕方がなかったので、仕事も2日にわたり、半日ずつ休んだ。後はひたすら水分をたくさんとって、電子レンジで温めるヒートパッチで背中や首やお腹周りを温めて寝ていた。

咳は実は大して出なかったけれど、最初はなんとなく喉がムズムズ、しばらくすると空咳、次は喘息みたいにカンカン胸に響く咳に変わっていった。1日に出る咳の回数は3-4回ととても少ないのに、数日の間にそんな進化を一気に遂げていったのは不思議だった。咳がたくさん出て体力を削がれなかったのは良かった。

風邪やインフルで医者にかかることは、アメリカでもイギリスでもまず無い。だいたいウィルス性のものは、抗生物質が効くわけでも無いし、バイキンが出ていくまで水分を取って暖かくして、大人しくしているに限るからである。頭が痛ければパラセタモールという痛み止めを飲む。

今回は胃腸の調子が悪かったのだが、夫が薬局で薬剤師さんに相談して色々買ってきてくれた。どうもお腹にくる風邪がロンドンで流行っているらしい。

胃腸の不調には、シリコル・ジェルというのがよく勧められる。白いボトルに入った、半透明のジェルのようなものを、大さじ一杯飲む。無味無臭だが、ドロドロしたプラスチックのような感じである。Silicic acidが入っているとのことだが日本語だとケイ酸。

これは薬、というよりは、空腹時にこれをお腹に入れることで胃の粘膜を保護、ついでにお腹の中の病原体とか、不調の原因になっているものやガスを吸収して体内に出すのを手伝ってくれるんだそうで、結構効く。

あとはプロバイオティクス(善玉酵母菌)を摂ることも勧められた。これも、有害な細菌を分解したり、毒素に付着して体外へ排出する作用があるんだとか。お腹の急降下には・・ってやつと同じとは思うが、普通の薬局で、結構こうゆう自然に毒素を体から出すようなものを勧められるのは、興味深い。おすすめは、Optibacというもの。

あとはちょっとでも咳は出るので、ヴィックスヴェポラップを塗ってスースーさせて寝ていた。

もともと風邪ひかない自慢を書こうと思って始めたこのエントリーだが、実際去年は家族がゴホゴホがほがほ言って寝込んでも私はまーったく何もなかった。剣道で体力がついた?でも剣道を始めてもう3年経つので今に始まったことでも無い。

ただ去年は結構動物性タンパク質を結構しっかり採っていたような気がする。これはもう肉が食べたくて仕方ない子供のリクエストに答え続けた結果なのだが、塊の肉をドーン、といくことが多かった。薄切りではいかんのである。チキン、豚肉の順に多かったが、だいたい皮もしっかりついた鶏もも肉、中華で重宝する豚の三枚肉の出番が多かったように思う。

年寄りも朝からがっつりステーキを食べるような人が元気、なんて言う話もあるが、実際この年で激しめの運動をするようになったのもあり、これは本当にそうかも、と思うことも多い。

あとはマルチビタミンのグミを思い出したら食べていたり、そろそろ更年期のことを考えないとなぁ、と日本で買ったエクオールというサプリもたまに採っていた。

こういうやつ

今のところ更年期系の不調はほとんど無い・・ような気がするのは、竹刀を持って大声出して走り回ってさっぱりしているからかもしれないが、朝起きると手の指がこわばってるなぁ(最初は竹刀の握り過ぎかと思ったw)というのが気になったので・・。これは大豆イソフラボンが腸内細菌によって代謝されて作られる成分・・だそうで、女性ホルモンと似た作用があるそうな。効いているのかは正直わからないが、これ以上悪くもなっていないので、まあ良いかと。ただしちょっと高いので、指定量よりちびちびやっている。

私がこのブログを始めたのが20代終わりの年。それが今では50を過ぎてこんなことを書くようになるとはちょっと怖い。気分的にはそんなに変わってないのに!!

在外投票

もう何度目かになる、ロンドンでの在外投票をしてきた。

海外の投票は、日本に送って数えるため期日前投票になる。期間は日本よりずっと短く、今回は5日間ほどだった。ロンドンの大使館まで行かなければならない。私はまだ近い方だが、遠くから来る人は大変だと思う。

でも大使館の中に入るのは、すべてが日本式で処理される空間を体験するという点で、少し楽しい。だから行くのは苦ではない。

「あっ、こちらにお名前を」「あっ、選挙区の変更は大丈夫ですね」「あっ、ではこちらへ」と、腰の低い「あっ」を何度も繰り返す係員のお兄さんに案内される。別のテーブルで用紙の書き方の説明を受ける。もう何十回、何百回と同じ説明をしているのだろうな、お疲れさまですと思いながら、私も聞き慣れた説明を聞いて投票用紙を受け取る。

投票用紙を二重の封筒に入れ、最後に在外選挙登録番号と署名をして終わり。三つの封筒は、私の地元の選挙管理委員会宛ての住所が書かれた封筒にまとめて入れられ、PTAの会費徴収で使いそうな手提げ金庫に、パタン、と入れてもらって終了した。

これからこの投票用紙は飛行機に乗って日本へ向かい、それぞれの地元の選挙管理委員会に送られる。期日までに、ちゃんと届くといいけど。

今回初めて気づいたのだけれど、この二重の封筒には「在外投票」とわざわざ印刷されていた。投票用紙そのものではないとはいえ、封筒に名前を書かなければならないので、少し記名投票っぽいというのにも気がついた。もっとも、日本で郵便投票をする場合も同じだけれど。

今回は急な選挙だったこともあり、日本の政治をそこまでしっかり追っていたわけではなかったので、初めて聞く政党名もあった。候補者や政党について、AIも使いながら慌てて調べる。インターネット黎明期、20歳で初めて投票したとき、調べようにも本当に何も分からず困ったことを思い出す。

今は、自分の意見に近い政党や候補者をマッチングしてくれるサイトもあったりして、便利になった。ただ、○×形式のアンケートの答えを一致させるだけでは、やはりニュアンスは違う。年齢が上がり、守らなければならないものが増えてきたせいか、この点は賛成だけれど、ここはどうだろう、と思う部分もそれなりにあった。候補者に失言や妄言がないかどうかも、つい調べてしまった。

うーん、どの政党もどの候補者もピンとこないな、と思いながらも、権利はきちんと行使せねばと投票してきた。

そんな話を友人たちにすると、民主主義が機能していない国から来ている人もいるので、選挙がきちんと選挙として行われ、投票できるということ自体が羨ましい、と言われることがある。

みなさん、ちゃんと選挙には行きましょう。

追記:昔住んでたカリフォルニアでは、選挙管理委員会から200ページにもわたる候補者のスタンスや投票にかける議案に関する参考資料が送られてきていたのね。

marichan.hatenablog.com

ハンガリーの郊外で雪に埋もれながら食べたもの

雪に埋もれ、宿泊施設と体育館との往復でほぼ終わった今回のハンガリー滞在で食べたものを淡々と記録するよ

取り敢えず初日の夜は、宿併設のレストランにて、かんぱーい

大人数だった上に時間も遅かったので、シェア用肉か魚の盛り合わせの二択のみ。

肉盛り合わせはローストした豚肉など。白くて丸いのはカマンベールの丸焼き。施設の数メートル横はドナウ川だったんだけれど(忙しすぎたのと雪で見に行く暇も無かった)、魚介類も川魚のフライとかが結構美味しかったです。普通にご飯もついてました。

雪の中を歩いてスーパーにも買い出し。といっても料理できるような余裕も無かったので、あんまり買えるものが無かった。試合中に食べられるようなチョコレートバーや、パプリカ味のポテトチップス、8Pチーズみたいなものやリンゴジュースなどを調達。一晩雪で冷やして、翌朝暖房のきいた部屋でキンキンに冷えたのを飲むのはなかなか良かったです。パンは質実剛健過ぎて結構パサパサしたのを売ってました。

二日目の晩御飯も、同じところで。今回は人数が少なかったので、アラカルトで頼みました。せっかくハンガリーに来てるから、グーラッシュを頼まなきゃ!

パプリカがすごくしっかり効いていて、今までで食べた中でもスパイシーでしたが、あったまって美味しかったです。そういえばお店の人に、グーラッシュはどれくらいの大きさのが出てくるのか聞いたら、「◯◯デシリットル位」って答えが返ってきた。理科の実験以来耳にすることが無かったので、一瞬どころか考えても1デシリットルがどれくらいなのか思い出せず・・って今思えば0.1リットルやないかい。100ミリリットルやないかい。

スープだけじゃ足りないかもよとのことで、サラダも頼みました。ヤギのチーズと、ブルーベリーが刻んだのが入っています。滞在先が郊外だったので、もちろんメニューはハンガリー語のみ。写真をとって翻訳機にかけたらわかるのは便利でしたが、翻訳機にかけてもわからないものも結構あり(爆)

で、同行者が頼んでみたのがズッキーニの水たまり。要はズッキーニをすりおろして、パンケーキみたいにして焼いた、フリッターのようなものでした。

そしてシュニッツェル。これは間違いない。鶏か豚かで選べます。

ランチも行く所がないので、お弁当のようなものが出たのですが、2日連続、鶏肉とジャガイモをパプリカとトマトソースで炒めたようなものが出ました。あとは大量のピクルスが別皿で来るので、それでたまに味変する感じ。

まあ遠征メインだとこんな感じです。まあアスリートの食事管理云々って、実際見知らぬ土地に行くときは結構大事だな、というのは思いました。

ドン・コルレオーネ

年末から新年にかけて、子どもの希望で『ゴッドファーザー』三部作をすべて観た。

これまで観たことのない映画なのに、知っているシーンがたくさんあった。

観た映画の話やシーンを、観たそばからあっという間に忘れてしまう私だが、やはり名作だからか、頭の中で反芻しているシーンが今もたくさんある。

物語としてはイタリア系アメリカ人の任侠の世界なのだが、主人公が上に上り詰めるにつれて、どんどん孤独になっていくのがなんとも言えない。そういった意味では、あまり評判のよろしくないパート3が、気持ち的には一番えぐられる話だった。良いことをするにしても悪いことをするにしても、人間は仲間がいてこそ、なのかもしれない。

さて、子どもは最近生徒会長になったのだが、その選出が行われる前にこの映画を観始め、マーロン・ブランドの口調やセリフを真似しはじめた(女子ですw)。そして、委員選出パネル(インタビューがあったそうだ)に向けて、どのように「相手が断れない条件を出す」かを考えているなどと言って、ドン・コルレオーネのセリフそのままのことを言い始めた。学校を一体どうするつもりなんだろうか(苦笑)