愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ロンドン秋のイベント3つ。

サマータイムも終わり、日が暮れるのがとんと早くなりました。ベイエリアにいた頃では考えられない寒さ、雨も多いロンドンではありますが、暑いよりは寒いほうが意外と平気、雨の中外に出かけるのも楽しければ、家にこもっていてもあまり罪悪感もないので、意外と平気に暮らしております。

さて秋の祭りといえば山崎秋のパン祭りですが(中川家ネタ)、ロンドンでも色々と年末に向けて様々な行事が加速してやってきました。

ロンドンのハロウィン

ハロウィンの季節になるとどの家もデコレーションを施し、当日には本格的なお化け屋敷まで登場、毎年用意した数百個のお菓子があっという間に無くなる・・とアメリカにいた頃は壮大に祝っていたハロウィン。

そういえば、ハロウィンってもともとケルトのお祭りで、アイルランドスコットランドが起源と言われているらしいけれど、イギリスでは(アメリカに比べると)そこまで浸透していない感じです。

それでも店先には小さなパッケージになったお菓子が売られたり、オレンジカボチャが売られたりはしていましたが、ハロウィン直前になってもどの家の前にもハロウィンのデコレーションは無し。時々カボチャのシールをぺろっと窓に貼っている家がある位。ハロウィン祝ったりするの?と同僚に聞いても、まあ若い人は仮装して夜クラブに行ったりはするかもね~程度でした。

それでも我が家のほうは子供も多い住宅地なので、さすがに当日はトリックオアトリートをやる子供たちがちらほら。小さいさん、今年は「スターウォーズ反乱者たち」のサビーヌ・レンになってクラスの友達と近所を回りました。

お菓子を用意している家は、玄関のところにカボチャを目印に置いてくれています。あるのは1ブロックに2-3軒程度。暗い中友達と歩き回ってハイになった子供達が、かぼちゃのある家を見つけては、まるで警察のガサ入れのようなノックをしてお菓子を要求するのでハラハラ(苦笑)

親としては、ドアをがちゃっと開けたときにそのお宅の中がちょっとチラ見できるのが楽しみでした(人の家の間取りやインテリアを覗くの大好きw)

近所の商店街でも色々用意してくれていて、ピザ屋のおやじさんはコスチュームの子供達を見るとわざわざ出てきて大人にもお菓子をくれました。

しかし夜も7時頃になると外には誰もいなくなり、静寂に。あまりの静かさに、何かこれから悪いことが起きるホラー映画の始まりのようでもあった・・・。

毎年食べないお菓子を100個単位で集めてきたハロウィン、今年の収穫はこの位。親としてはちょうどいい感じ。甘いものに執着が無い小さいさん、毎年大量にお菓子をもらってきては翌日にはその存在を忘れるのが常でしたが、今年もチョコレート以外はほとんど手を付けず。まだちょっと家に残っています。

以前と比べると、ロンドンのハロウィン、だいぶ賑やかになってきたらしいですが、異様に祝うアメリカと比べるととてもおとなしい印象でした。もう翌日のスーパーでは、売れ残って処理に困ったカボチャ、無料ご奉仕品になってました。

ガイ・フォークス・ナイト

これはイギリスならではのお祭り。11月5日前後に、いたるところで花火がバンバンあがります。

これはもともと、1605年、カトリック教徒だったガイフォークスとその仲間たちが、当時の王様を暗殺しようと、議会の爆破テロを企てたものの、直前で見つかり逮捕され、最後には処刑されたという事件にまつわるお祭り。

11月5日は議会が開かれる日で、開会の辞を述べるために王様が議会にやってきたところでドカーンとやったれ、という計画だったらしい。しかし当日になって地下室に隠してあった火薬もろとも全部見つかり捕まったそうで、このお祭りはもともと王様の無事を祝うために始まったんだとか。

最初は火を炊いたり、そこにガイフォークスを模した人形を投げれたりしていたらしいですが、それって元祖バーニングマンじゃないですか。

そしてガイフォークスを模したお面もあるそうで・・と見ればそれはアノニマスが被っている例の仮面でした。なんだ、どっちもオリジナルじゃなかったのか。

今ではただひたすら花火をあげるお祭りみたいになっていて、スーパーでも打ち上げ花火から線香花火的なものまで色々売っていました。基本的に個人が花火をやるのは違法なカリフォルニアから来たので、スーパーのレジで花火も買わない?と勧められたパパは一瞬固まったそうです・・w

今年のガイフォークスナイトは月曜日でしたが、ハロウィンが終わった翌日金曜日から至るところで花火が打ち上げられていました。

川沿いの公園で打ち上げられた花火。基本、街の公園では花火と一緒に夜店みたいなものや移動遊園地も出て、日本だったら夏祭り的な感じになります。寒い秋祭りだけど。我が家は川の向こう側から観賞。花火はやっぱり日本だよなぁと思いつつも、テムズ川で練習するボートチームが横切ったり、カヤックから観賞する人がいたりとまた違った風情でした。寒かったけど。

と思うと夜中の11時過ぎとかに、いきなり近所でバンバン花火があがったりもします。これ、誰かの家の裏庭だと思うんだけど・・・。でもこれが一番よく見えた花火だったかも。

週末には地元の教会でも。やはりカトリック教徒の魔の手(?!)からイギリス国教会の長でもある王様を守った、っていうんで教会ベースでもお祝いするんでしょうかね。ミサが終わってから、ここでは焚火&花火のコンビネーションでした。教会といっても花火とともにケイティ・ペリーの花火の曲かけたりしてましたが。

しかし気分があがったのは焚火のほう。人間、火をみると何か原始的なものが呼び覚まされてしまうんでしょうかね。何かちょっとヒャッハーーという気持ちに。しかし教会でこんな火が炊かれると、やはりリンチ感が半端ない・・・(苦笑)人はこういった火を見てテンションあがって暴徒化したりするんだろうか。

教会ではホットドッグやホットワインがふるまわれ、大きな花火の後は、持参した花火でみんなそれぞれ楽しみました。

まあ歴史的な背景はイギリス人でもちょっと忘れて、なにか花火のお祭り、みたいになっている部分もあるらしいです。それに焚火に人形を投げ入れるなんて、やっぱり野蛮じゃないか・・と会社のイギリス人が妙に憤慨していたのが意外でした(なかなかイギリス人の生の声を聞く機会がないですが、最近はイギリスの職場で同僚から色々見解を仕入れられるようになりました。サンプル数少ないですがw)

リメンバランス・デー

アメリカにも退役軍人に感謝するベテランズ・デーがありましたが、イギリスの戦没者記念日は11月11日。これ、何の日だと思います?ポッキーの日じゃないぞ!

そう、終戦記念日

って、8月じゃなくて?と思うかもしれませんが、この終戦記念日は、第一次世界大戦のもの。

この時期になると、街角に寄付をつのるテーブルがあちこちに並び、寄付をすると赤いポピー(けしの花)を模したバッジがもらえます。タクシーや電車の前にも、大きなポピーの花がついていたりと、ポピーは戦没者追悼のシンボル的な花。

年齢関係なく、コートやバックパックにこのポピーのバッジをつけて歩いている人がたくさん。我が家も一つもらいました。

そして今年は第一次大戦終結して100年とのことで、色々行事がありました。朝6時にバグパイプ100台で演奏・・というのもあり、見に行こうかと思ったのですが起きられず・・・。

しかし第一次大戦って日本だったら大正時代の話。第一次大戦にまつわる行事って、そういえば日本でもアメリカでも経験したことはありませんでした。でもなんだかここでは、第一次大戦の記憶がまだ近い、新しい感じがします。

街を歩いていても、あちらこちらに戦争に関係ある銘板や碑を見かけることも多い。どちらかというと第二次大戦のものですが、駅の構内なんかでも、ドイツの空襲で命を落とした従業員の名前が刻まれた板がしれっと壁に貼ってあるので、ドキッとしたりもします。

思えば本土で戦争をしたことがないアメリカ(南北戦争とかは別だけど)とも違い、空襲だなんだと国民全員が何かしら戦争の影響を受けたわけで、そういった点では戦争の記憶や戦争に対する近さや思いはまたちょっと違うだろうな。どちらかというと日本も近いものはあると思うんですが、どちらの戦争も勝った側のイギリスとはまた事情が色々変わってくる部分もあるかな。

子連れベネチア旅⑧ 観光地ベネチアの苦悩

ベネチアに行く前に見た旅番組で、ベネチアには最近大型のクルーズ船が毎日のようにやってきて、お客がたくさん来てウハウハなのかと思えば、逆に大迷惑なのだという話をちょっとしていた。

実際のところ、こじんまりとした小さな島であるベネチアに、巨大都市かと思うほどの大きさのクルーズ船が1日に何台も何台もやってくる。サイズ感も合わないが、これがベネチアの環境にずいぶん悪影響を与えているんだそうだ。

私達が滞在中はクルージングの季節が下火になる頃で、実際に見たのはこの2−3艘だったが、確かにでかい。ああ、これか・・と思って見送った。

こういった船が出す排水による汚染、そして燃料が重油だったりするため大気汚染が酷いらしい。そしてクルーズ客はベネチアに宿泊するわけでもなく、結局は食事だ何だと消費はクルーズ船内に囲われているので、大勢でどやどやとやってきて、つまみ食いしていくような存在のようだ。

こういう旅のスタイルはちょっと理解しがたいのだけれど、クルーズって移動が辛いお年寄りとかにはちょうど良いのだろうなぁ。どうしたものか。

しかしまあ、クルーズ船のサイズ感、ベネチアの混み具合は実際ちょっとえげつない。


ベネチアを観光客から取り戻せ 地元住民の戦い
BBCの2分ちょっとのショートドキュメンタリー(日本語字幕付き)

色々気になって、他のドキュメンタリーなども見ていたが、Aibnbなどを通じて、持ち家がある人は改装して観光客に貸し出す。空き室になっている期間が長くても、地元の人に住居として貸し出すより、観光シーズンだけ稼働させたほうがずいぶん良いお金になるらしい。

実際路地を歩いていても、天気がいいのに雨戸が閉められている建物が良く目に入った。みんな昼間留守にしてるから閉めているのかな?と思っていたけれど、誰も住んでいない空き家の場合もかなりあるみたい。

ベネチアの小さなアパートの家賃は月に1000ユーロもしないようだけれど、地元の人がそういった物件さえなかなか見つけられなかったりするらしい。

民泊に対する規制がないので、1人でベネチアの物件を何十件もリスティングしている人もいて、これはもう個人で貸し出していると言うより、個人を装って組織的にビジネスとしてやってるだろう、と言う例も沢山。

一方でベネチア市内にある低所得者層向けのハウジングなどは、もう何十年も市がメンテナンスするのを放棄してしまっているので、ミュージカルRENTのごとく、そういうところに勝手に入居して自分達で部屋を改装メンテナンスして生活している人も紹介されていた。これだけ観光客が来てるのに、ベネチアの財政は赤字なんだって、市政がだいぶ回っていない。

ベネチアの街そのものも、古い上に暮らすには決して便利な場所と言うわけではない。輸送に手間がかかるから、食料だなんだと値段も張る。最近ではもうここには住めない、と出て行く地元の人も多いとか。

実際に、まだ人の住むアパートの前に車椅子で座っているおじいちゃんを見かけたけれど、何百年も経っていそうな古いアパートにエレベーターはなさそうだし、小さな水路の前にあるこの建物から出かけるにも、階段状になっている小さな橋を渡っていかないといけない。身動きが取れなそうだなあと思って見ていた。何しろ、市民病院に行くのも船だしね。

しかし、普段ベネチアに住民はあまりおらず、周辺から通ってきて観光客相手の仕事をしている、なんてなると本当にここはディズニーランドがラスベガスですか、と言う感じになってしまうなあ。


浸水に備えてあちこちに置いてある足場

浸水の問題もだけれど、ちょっと行ってわーきゃー綺麗と騒ぐ観光客の横でどんどん追いやられる地元民、と言う構図。根本的に市政がいかん部分が多いなあとも思ったが、観光客としては、クルーズで来ない、地元の経済に貢献する、街をリスペクトする・・以外に具体的にはどうしたら良いのだろう。

ベネチアの街を市民の手に取り戻そう、と言う運動も起きているそうで、そういう人がやっている、本来の街の姿を見せるツアーと言うのもあり、話を聞いてみたいとすごく気になったのだが、今回の旅行ではタイミングが合わずにちょっと残念だった。

子連れベネチア旅⑦ ベネチア色々覚書き

毎回、旅先で気になったことやちょっとしたことを箇条書きにするシリーズです。


  • 今回の旅ほど、世界特にふれあわない街歩きだったことはなかったかもしれない。一大観光地だからしょうがないのかもしれないけれど、街中に溢れてるのはたいがい観光客だし、お店の人もたいがいビジネスライクに英語を話すので、あまりイタリアに来たー!と言う感じがしなかったのも正直なところ。ある意味、テーマパークっぽい感じが全くなかったといえば嘘になるかも・・・。(ちなみに意外にも一番人がフレンドリーだったのはローマ)


  • ただひたすら街をウロウロ歩き回り、小路があれば入って見ると行き止まりだったり、広場に出たり、後で見返すと橋と運河と建物と洗濯物と似たような感じの写真ばかり撮っていたり・・。でもちょっと途中迷いながらそうやってふらふらボケーっとひたすら歩く旅でした。子供もよく文句言わなかったものだ。


  • ジェラート屋さんでもカタコトのイタリア語で注文してみたり、グラッチェと言ってみたりするも、返事はThank youと全部英語で返ってきたりもww 全てきっちり外語対応にするのは旅情を削がれる、と言うのは銭衝さん(id:QianChong)もおっしゃってましたけど、確かにちょっと、こっちがまるで努力しないのもつまらなく感じてしまうのは事実かも。


  • 15年ぐらい前、そんなに英語が通じないサルディニアの田舎に住む友人の結婚式に参列した時には、イタリア語教室に2ヶ月ぐらい通ってから行きました。その時は脳フル回転だったんでしょうね、ものすごいカタコトのイタリア語だったにもかかわらず、ホテルだかどこかに電話して何かを問い合わせると言うことまでやってしまったことがありました。あの時は、未知の世界にグイグイ無理やり入り込んでいく感がなんともいえず快感だった記憶が。しかし、脳みそって残酷で、短期集中付け焼き刃で覚えた多少のイタリア語、今となっては全然思い出せません。昔のノートを見てはヘェェ???と思うばかりです。


  • しかし一方英語ばかり喋って申し訳ない・・と思っているのはこっちばかりで、お店の人は1人でしれっと多言語対応しているのはさすがヨーロッパやなぁとも思ったり。あるお土産屋さんに入ったら普通に英語対応してくれた店員さん、私達のあとに入ってきたお客さんにはフランス語で普通に対応していました。またそのフランス人のお客さんも、店員さんがフランス語喋るかなど確認せずにいきなりフランス語で話しかけてた。

  • ちなみに空港も何もかも、だいたいイタリア語英語中国語の表示になっていました。中国人の観光客もかなりな数。
  • 日本語も、ロンドンを含め今まで行ったヨーロッパの都市の中では一番聞こえて来たかも。客引きに引っかかってたけど。「やべえ迷った遅れる間に合わない」みたいなこと言ってたけど。大丈夫だったかな。

  • ヨーロッパの街はロンドンもアテネベネチアも、いく先々でインスタ映えする景色が多いからか、見ていてこっちが恥ずかしくなるようなポーズで写真撮ってるお姉ちゃん達が山ほどいます。周りは汚い感じのところでも、うまいこと場所を切り取ってモデル立ち、そして携帯を構えるボーイフレンドにこういうアングルで撮れだなんだと結構口うるさく指示しているのが笑えます。中には、自分のお母さん(おばあちゃん?)にそんなショットを撮ってもらっている人も。逆にそういう構図で写真撮っている人達を写真に撮ってみたいw

  • 街中で困るのはトイレ、ホテルも小さなブティックホテルのようなところが多いので、ロビーにしれっと入ってトイレを借りることができず。小銭を払って入る公衆トイレを使ったりしましたが、なんと私、用を足し終わって出ようと思ったら、内側からかけた鍵が硬くて開かず。どんなにガチャガチャどんどんやっても開かず。アメリカと違って、上下きっちりドアなので隙間もなく、パニックに。ここで大声をあげて助けを呼ぶべきなのか、もっと自分で頑張って開ける努力をするべきなのか少し迷ってしまいました。ドアの少し向こうでは、入り口を管理している係員の話し声もするのに、どんなにhelp! I'm stuck!と叫んでも届かず。これってイタリア語でなんて言うんだろう、携帯取り出して翻訳機にかけるべきか・・と悩みながらも叫び続けること2−30秒、向こうからイギリス英語で「今ひとを呼んでくるから待ってて」と言う声がして、無事係員のおじさんが開けてくれました。ドアが開いておじさん一言「マンマミーア」・・・ってこっちのセリフだよ!

  • 地元のスーパーでシチリア産のミニトマトを買ってみたけど、なんとあんまり美味しくなかった。スーパーだったのがいけなかったのかもしれないけれど、ミニトマトに関しては今の処イギリスが勝ち。
  • イタリアのいけてる中年オヤジはだいたいスキンヘッド。
  • イタリアのおばあちゃんは力が強い。バスでもフェリーの中でもグイグイやられた。
  • ピザ屋だと思ってパパが近づいて行ったお店は中華料理屋で、そこにはちゃんとピザもパスタもあった。入らなかったけど。中華はどこにでもある、たくましい。結構中国人の客が入っていた。


  • 他にも昔の裕福な商人の御屋敷だったところを見たり、ドゥカーレ宮殿についている別の博物館にも入ってみたり。相変わらずキリスト教美術には軽く引き、子供はどう思って見てるんだろうとちょっと心配になったり、昔この窓から見えていた風景も同じようなものだったろうと思うと不思議な気持ちになったり(ってでかでかと広告とか看板はなかったと思うけど!)


  • 街中で見かけた猫がカメラを向けたらポーズしたのには驚いたが、リアルト橋にいるカモメもカメラを向けると近づいて来てじーっと・・・。動物までみんな観光客対応かーい!


  • リアルトマーケットはとても小さいが色々な海産物を売っており、うなぎっぽいものも。Airbnbとか借りてたら、こういうところで買い物して自分で料理するのも楽しそう。まあ、ベネチアにおける民泊系のことについてはまた別に書こうかと思いますが・・。


  • サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂。目の前にあるフェリーの駅がそのまんま「Salute」。健康、ぐらいの意味で、黒死病が流行った時にどうにかすんべと建てられたらしい。日本で行ったら、薬師如来みたいなもんですか。ちょうどミサをやってて、お坊さん?神父さん?が「アベマリアごにょごにょごにょごにょ」っていうのをみんなが後について言っていました。全て「アベマリア」から始まっていましたが何て言ってたんだろう。


  • 古いもの、歴史の上に住み続ける人達。ここは博物館だったけど、中のレンガはしっかりしているので、外だけ削ってペイントし直して・・と言う感じの建物があちこちに。


  • ベネチア島は車の乗り入れ禁止ですが、私たちの泊まったリド島はもう少し大きく、車もバスも走っていて、家も大きく、昭和のマンション風な建物もたくさんあります。うなぎのように細長い島で、土台は砂っぽい。地震があったらまず一巻の終わりでしょう・・。


  • この季節は完全に閉まっていましたがリド島はビーチリゾート。ベネチア映画祭もこっちでやってるんだそうです。そういう時期に行けばセレブがいるのか?!夏は賑やかなのかもしれませんが、この時期は静かでひなびた感じで、住むならここに住みたいとパパが気に入っていました。いや、住まんけど。


  • 泊まったホテルはここ。Expediaでフライトとだきあわせでものすごく安かった。ちょっとひなびた昭和のホテルの匂い。でもバスルームなんて家のより清潔でとても綺麗でした。朝食付き。その朝食の様子をじーっと見つめる猫付き。週末は、聞きなれないヨーロッパの言語を話すお客さんが4−5組いましたが、平日は我が家ともうひと組ぐらいしか泊まっていなかったかも。道を挟んで海なので、夜も波の音が少し聞こえます。バス停にも近いしフェリー乗り場まで歩いても15分。そこまで寝る場所にこだわらない陳家にはちょうど良かったです。

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子連れベネチア旅⑥ベネチア美味しいもの集

ベネチアで食べたものの覚書きです。

ベネチア

Ostaria dal Bix

ベネチアンマスクのお店の近く、小さな路地のところにあったお店。ちょっとワインを飲みながら、つまみにチケッティと呼ばれるカナッペ的なものをいただきます。街のいたるところにチケッティを出す小さなお店があって、パパッと立ち食いしたりもできる。お店によっては本当にいろんなチケッティがダーーーッとカウンターに並んでいて、とっても壮観&綺麗です。これとこれ頂戴、と指差して注文。

ここは新し目のお店なのかな、内装もおしゃれで綺麗でした。チケッティ、お店によって材料の組み合わせなど工夫があるみたいだけど、これは家でもやってみたいなー。

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道端でピザ

細い路地にあるピザ屋やワインバーなどのお店は、テーブルを置くスペースも無いので、買ったらその場で立ち食い。立ち食いするか、歩き食いするかが迷うところ。ぺろんぺろんのピザでも美味しく感じるのは雰囲気もあるかもw でも実際うまい。

道端でカヌーリ

今回雨が降ったり寒かったりであまりジェラートを食べる気にならず。代わりにジェラート屋に置いてあったお菓子を買ってみました。一番手前の「カヌーリ」は、生地を筒状にして揚げて、中にクリームを入れたもので、アメリカでもよく売っていた&自分でも作ったことがあるのだけれど、うおーーー本場のやつはやはり違うのか?!(カヌーリ自体はもともとシチリアのお菓子だったとは思いますが)油っこくなく、多少時間が経っているはずだけど、ものすごくパリパリしていて美味しかったです。

アメリカでもイタリアンベイカリー的なお店があったけれど、大甘なのが苦手で・・でもイタリアで食べるイタリア菓子は全然そんなことなかった。もっと甘さ控えようよ、アメリカ!!

Ristorante Rosa Rossa

サンマルコ地区にあるお店。帰りのフライトが夜だったので、空港に向かう前の最後の晩餐。

イタリアのレストラン、ディナーの時間まで閉まっているところも多く、いつでも空いてるところはいかにも観光客相手ぼったくり風なところもあったりして警戒、ちょっと早めのディナーができるところを探してウロウロ。

あと30分でキッチン開けるよ、ということだったのでこのお店に30分後に舞い戻り早めのディナーをいただきました。

タコのサラダ

前菜盛り合わせ的な。これは出来合いのものがカウンターに並んでいて、それを温めて持ってきてくれる。ので、ちょっと揚げ物はカラッとはしていない。

今回ベネチアで食べまくったのが、イカスミ!日本では結構手に入るけれど、アメリカにいた時にはあまりイカスミを出すお店がなく(イカスミを練り込んだパスタはあったけど)、ベネチアではローカル料理と言うこともあり、イカスミがあればつい頼んでしまっていました。お店の兄ちゃん、これにはチーズはかけない方が良いとアドバイス。イタリア訛りのない、ちょっとアメリカっぽい英語を話すウェイターさんでした。

向こうのテーブルには、私たち家族の他に、中国語と英語を混ぜてしゃべる、アジア人男子とアフリカ系女子のカップルがいました。彼らはワインとつまみだけで出て行ってしまったのだけれど、その次に入ってきたのが、これまた英語しゃべるアジア人カップル。なんですかこの店はアジア系に人気なんでしょうか、それともアジア人の夕食時間がちょっと早めなだけなんでしょうか。

このお店、ジョニデがきたことがあるらしくサインがあったり、ジョニデの写真を使ったアートも置いてありました(あんまりどうでもいい)。

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リド島

ベネチア島はやはり観光客プライスでお高めなのに対して、宿泊先のリド島はもう少し安かった。ので、晩御飯はリド島に戻ってから食べていました。ベネチアはやはり水の都だけあって、食品の輸送コストがかかるため、地元で取れない食材はやっぱり高くつくし、地元で取れるシーフードやベネチア料理がおすすめ。実際リド島での食事は一皿10ユーロもしませんでした。

Ristorante Pizzeria Ai Do Mati

リド島のフェリー乗り場前にある目抜き通りにあります。ピザとかの他にハンバーガーとかステーキとか書いてあってマジですか!ここ入るんですか!と思ったのですが、ベネチア料理のメニューもありました。

これはベネチア料理・・というわけではないけれど、パパがフリットミストと言って頼んだらこれが出てきた。シーフードのフライ盛り合わせを期待したらしいんですが・・。フレンチフライ!後モッツァレラとか、野菜を揚げたもの。こりゃ食べるの無理!と思ったのに、これがカラッと上がってて結構いけました。

イカスミ!!!ベネチアでは、パスタではなくてポレンタで食べるのが定番なんだそうです。このイカスミはトマトの風味も効いてて美味しかったなあ。ちょっとポレンタでは物足りなくて、これをパスタにからめて食べたかった。

写真に撮りませんでしたが、パパはこれまた地元名物のレバーの煮込みみたいなのを。

ここはピザ屋さんということで、ピザの種類も豊富。あとハンバーガー?!とか思ったのですが、地元の人が食べに来てる感じでもありました。

小さい男の子2人連れたイタリア人家族は、子供向けに1人には大皿に盛ったフレンチフライをどん!もう1人には、大きなヌテラのピザをどん!と注文してそれぞれ食べていました・・・マジですか・・・w

ベネチアで最初の食事がここだったからか、一番印象に残っているのがここかなぁ。

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Da Tiziano

イタリア、美味しいんだけどそんなに量食べられない、でもせっかくイタリアにいるんだから・・と言って昼も夜もきっちり食べるのが結構辛い。私はもうディナーいらない・・と思った2日目の夜、でも子供には食べさせないとだし、とホテルの近くのピザ屋さんへ。

シーフードの盛り合わせ!!これがかなり新鮮で美味しかったです。

ここも地元の人がたくさん来てる感じのお店だったけれど、働いているお兄ちゃんが多分バングラディッシュ系の人で、英語対応してくれた。

帰り際にはサッカーの試合が始まるので地元の人がどやどややってきて、今日はどことどこの試合だよ、と教えてくれました。聞いたことないチーム名だったけど。

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ムラノ島

Osteria al Duomo

ベネチアのレストラン、間口は狭いけれど奥にだーっと広かったりすることが多し、このレストランは裏庭が広くとってあり、パテオでランチ。日陰はちょっと寒かったですが・・・。

Baccalà Mantecato、塩漬けにした干し鱈を戻してクリーム状にしたもの。塩辛いかなと思ったら全然そんなこともなく。こちらもベネチアの郷土料理で、リド島で食べた盛り合わせにも入っていました。

子供が頼んだトマトのパスタもなんだか美味しかった。

そしてここでもまたイカスミを・・・ということで生地にイカスミが練り込んであるピザをいただきました。まあ、黒いだけでそこまで味に大差はないと思われるのですが。

ここは多分有名なお店なんでしょう、隣のテーブルは日本人女子二人旅で、楽しそうにシーフード盛り合わせをシェアしていました。

その横は台湾系のチャイニーズアメリカンの娘と両親。娘が両親を連れて回ってるみたいで、両親があれはなんだこれはなんだとうるさく聞きまくる様は、ああ、どこも同じなのね・・・と苦笑。

www.osteriaalduomo.com

Murano Gelateria

せっかくイタリアにいるしとムラーノジェラートを。一大観光地と化しているベネチアでは、レストランはぼったくり注意、マスクは中国製に注意、ジェラートも人工的なものに注意、だそうで、例えばピスタチオとか、異様に色が明るい+異様にジェラートを盛り上げてディスプレイしてあるのは注意だとかなんだとか。

そういうのを聞くとまた警戒警報が出てしまい、逆にジェラート屋にいくのも敬遠してしまいましたが(寒かったし)ここのは手作り風、私のはバニラでしたけど、美味しかったです。

昔パパと2人で旅した時はもっと食に固執して、美味しいものを食べるぞーと必死で調べたりしたものですが、何か最近は子供も一緒だと、吟味するより今すぐ食べられるところ!とか、タイミングやフォーカスが変わってしまい、そこまで食に走る旅、はあまりしなくなったというかできなくなってきた気がします。あとそこまでもう食べられない・・というのもあるかも。あぁ加齢。

子連れベネチア旅⑤ムラノ、Murano、ムラーノ時間の時間

雨の翌日は綺麗に晴れたベネチア。この日は滞在しているリド島から水上バスベネチア島、そしてそこでまた乗り換えてムラノ島へ。

ずっと日産MURANOは村野さんが開発したからだと思っていたけれど、なんとこの島にちなんで名づけられたんですねぇ。村野じゃなくてムラーノだった。

ムラーノは、ベネチアングラスで有名な島。船から降りるなり、ガラス工場はこっちだよ~と客引き?のおじちゃんの声も。船を降りるとすぐにガラス工芸品を売る店がだーっと並びます。写真撮影禁止のところが多かったのでめんどくさくなってカメラを取り出さず。

サン・ステファノ広場にあるこのガラスの像「青いガラスの流れ星」は、近くに工房を構えるSimone Cenedeseさんという職人の作品で、何百というガラスのパーツは全部吹いて作ったものだそう。

彼の工房は無料で見学もできるとのこと。

www.simonecenedese.it

とても非常に時代を反映していると思いますが彼の工房のウェブサイトはイタリア語・英語、そして中国語対応だ。

実際ベネチアでは、他の観光地に行った時よりも日本語は聞こえてきましたが、だいたいアジア人観光客は中国人だったなぁ。

ムラーノも歩けば水路だらけの小さな島。ただ建物が少しベネチアより低いかな?でもこうやって写真をみると、よりディズニーランド感も否めない・・・でも本物はディズニーじゃなくてこっちですから!!!

日陰に入るとちょっと寒かったけれど、ぽかぽか日を浴びてただひたすらガラス細工を見て回る。意外に子供がきれいなガラス細工にくぎ付けになり、一軒一軒出たり入ったり。

路地に入り込んだところにいた、ムラーノの猫にゃん・・・。にゃーにゃー寄ってきて、カメラを構えたらピタッととまってちゃんとポーズをとった。もしかして、観光客慣れ、している・・・???

ベネチアでは広場の至るところにある、井戸。の跡。今は使われてるか不明だけれど、地下水のないベネチア、雨水をためて、中でうまいこと濾過して使っていたそう。

聖マリアと聖ドナト教会。の前に立っている塔。教会はもともと7世紀に建てられた、ベネチアの中でも一番古い部類に入る教会だそう。

この教会がある広場、カンポ・サンドナートには大きな橋があります。その橋のたもとにはなかなか素敵なアコーディオンを弾くおじいちゃんがいます。なんというか、ちょっとアラビア風な雰囲気のメロディを奏でたりとかなり上手。子供がお金を渡すと、鍵盤触ってみる?とサービスまで。

そしてこのおじいちゃんストリートビューにも写り込んでましたw しかも5年前の写真・・(同じ人なはず)

ガラス工芸の博物館にいくか、実際に作っているところを見るかで迷った末に、実際にガラス工場の見学にいくことにしました。行った場所は、ここ・・

そこらへんのお店に聞いたら連れて行ってくれたのがここの工場だったのだけれど、店がどれだったかは忘れてしまった。ちょっとお金を払わないとでしたが、後から見た感じいろんなブランドの工場がここに集まってる感じもする。

ここで、かっこよくスーツで決めたセールス風のおっちゃんの案内で、職人さんがグオーーーーッと炎を操りながら、ガラスのオウムを作るところを見学。

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Maestro in action

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何かガーガー言ってるのはなんて言ってるんだろうなあ。助手が輪っかのような型に流してるのは台座になります。

気むづかしそうな親方に見えますが、作品が完成してみんなが拍手するとニコニコ。そしてはいてるズボンがピンクで実は可愛らしい。

エルメスハロッズなどもお客さん、だそうで、外には梱包された箱がゴロゴロ無造作に転がっていました。

シャンデリアを作っている工房も。「シャンデリアはひたすら細かいパーツをつなげて作るので、作る過程はあんまり面白くない」んだそうです。なるほど・・

職人さんにしても、ガラスを一気に生成して何か一つの作品を作る方がやっぱり面白いんだろうか。

というわけで、タイトルの意味がわかった方はおしらせくださいw