愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子連れウィーン旅⑫ ウィーン観察雑感その2

公園の隅っこにたたずむおじさん。誰かと思えば、フランツ・ヨーセフ皇帝。

塚本哲也さんのハプスブルグエッセイ本にも、

「ややうつむき加減に、いつもの軍服を着て軍帽をかぶり、たった一人でなにか物思いに耽っているよう」

「あ、こんな所にいたのかという思いがけなさとともに、一人立つ姿は孤影悄然という言葉がぴったり・・」と書かれていた銅像

携帯のズームを使って撮ったが、ちょうどこの時周辺でちょっと工事をしていたので、銅像がある芝生には立ち入り禁止の柵があり、余計に公園の隅で小さく、寂しく孤立しているようにも見えた。それが逆に妙に気になった。旅から帰ってエッセイを読み返し、あ、この銅像のことだったかと再確認した。

エリザベートやマリアテレジア、ヨハンシュトラウスモーツァルトなど、街のあちこちに堂々と、大きく建つ銅像に比べ、「同じ王宮公園でも目立たない一隅の、うっかりすると見逃してしまうような寂しい場所に建てられている。大ハプスブルグ帝国の末期に六十八年も君臨した皇帝とも思えないほど、地味な寂寥感のただよう銅像で、いかにも滅びてしまった帝国の哀れさを感じさせる」

後世の私達が勝手にそんなイメージを持っているだけなのかもしれないが、実際すごくぽつねんとしているのが気になって、つい写真を撮ってしまった。

分離派の皆さんの楽しそうな写真。これを見て、つい最初に頭をよぎったのは「おじさんばっかりだな」だったけれど(苦笑)保守的硬直的だったというフランツヨーセフだが、文化に関しては「豪華絢爛たる世紀末文化が花開いた時代」であり「人々が勝手に自分の意見を述べられる百花斉放の時代」だったという。

確かにシュンペーターとかハイエクだと、ウィーンというと芸術音楽の他にも、哲学やら経済やらの巨人が生み出された場所というイメージは強い。でもその時代のオーストリアと、今現在のオーストリアはまたベツモノの世界、というイメージもある。いずれハイテク先進国日本、というイメージも、こんな感じで過去のものになっちゃうのだろうか・・とふと思った。

キンダーミュージアムという子供向けに色々インタラクティブなアクティビティができるところにも行った。顕微鏡で虫を見るとか、工作お絵かきしたりできるようなところで、地元の学校からも子供達が遠足みたいな感じで沢山来ていた。

団体で来た子供達の荷物は、こんな感じで預かってくれる。こーれーはー盗難紛失防げてとても良い!

遠足の子供達にはもちろんスタッフがドイツ語(オーストリアのドイツ語と言うべきか)でレクチャーしていたが、うちの子供ひとりのために英語でも別にやってくれた。後は自由に走り回ってアクティビティタイム。ひとり言葉が通じないところで大丈夫かなと思ったが、じゃ行ってくる、と一人でばーっと走って行ってしまった小さいさんであった。

土と種を混ぜて泥団子を作り、持ち帰って水をかけると野菜が育てられる!というものを作ったが、EUの法律でオッケーということで、イギリスにちゃんと持ち帰ることもできた。それにちゃんと水をかけてお世話をする、という点では至らず、あっという間に枯らしてしまったのだが・・(苦笑)


  • 「アイネクライネなんとかかんとか」って喋ってる人がいた。ナハトムジークじゃなかった。
  • ウィーンの緊急車両は「ラーレーラレラレラレラレー」と低↓高↑。でも時々ドーソードーソーと高↑低↓バージョンもある。
  • 帰りの空港、進んでも進んでもセキュリティチェックが無い。えええ?と思ったら、各ゲートごとに金属探知機がついていた。そこに6人ぐらい担当者がやってきて、搭乗前に荷物検査をする。これだとセキュリティが混雑していて飛行機に乗り遅れる、ということも無いし効率的ですごく良い。ゲートを通過すると待合室があり、トイレも各ゲートごとについていた。小ぶりの空港だからできることなのだろうか。
  • 下調べゼロ、腰痛で行ってしまったウィーン、本当はもっと芸術音楽を堪能したかった。次は自分の楽器も担いで、本当に一人でゆっくりのんびり回ってみたい。ヨーロッパで初めてまた訪れたいなと思った場所かもしれない。