愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

007のようにはいかない、スパイ救出大作戦とミートボールの謎

1919年、内戦まっただ中のロシア。ボルシェビキの勢力がどんどん強くなるロシアに、たった一人潜入していたイギリス人スパイは、なんとピアニスト。

しかし反革命派を取り締まる、チェカと呼ばれる警察の追及は日に厳しくなり、潜伏はどんどん難しいものに。スパイが無事にロシアから脱出できるよう、救出作戦にMI6が乗り出した!

・・・という、実話をもとにした本「オペレーション・クロンシュタット」を読みました。

スパイとして潜入していたのはポール・デュークスという人。優秀な学生だったけれど、家族とゴタゴタがあったりして家を飛び出し、ピアニストになる夢をかなえるべく、英語を教えながらヨーロッパを少しずつ横断、お金をためてようやくペトログラード音楽学校に入学。語学も堪能だったので、当時、共産党支配が色濃くなり始めていたロシアの状況を、外務省にレポートする仕事をしていたそう。

それに目を付けたのがMI6。今でこそ、諜報機関といえばMI6、MI6といえば007!と有名な機関。でも歴史的には、軍の諜報機関ってMI1からMI19まで、いっぱいあったらしい。その分競争も激しかったようだし、MI6は当時はそれほどイケてない部署だったようで、予算もあまりつかず、もう潰しちゃえば?なんて声もあったそうな。

そんなMI6がポールさんをわざわざロンドンに呼び戻し、今度はうちらのために働いてよねっ!と辞令をだしてロシアに送り返した・・のはいいんだけれど、辞令のためだけに呼び寄せておいて、特にスパイのためのトレーニングも無し。あんまり予算なくて~とスパイ活動に必要なリソースもあまり渡さないままロシアへ送り込んだというから、MI6確かにイケてない。

スパイが国境を超えるのだって大変で、フィンランドから川を渡っていくのだけれど、国境警備隊の目を盗んで雪の中をひたすら進む・・って、なんとなく今だったら中国と北朝鮮の国境越えがこんな感じなんじゃないかと勝手に思った。下手すると見つかって撃たれるか凍死するか。

通信手段もないので、集めた情報は、クーリエと呼ばれる連絡係みたいな人に託す。またはスパイ本人がいちいち国境を越えて直接お届け・・・って、命がいくつあっても足りなそう・・・。実際極寒の中水に落ちたり、道に迷ったり、追手から逃れるため墓地の穴の中で何日も過ごしたり。クーリエに情報を託しても、途中で命を落としたか捕まったかで本国に届かないこともしょっちゅうだったみたい。

それでもスパイになる人は、そんな生きるか死ぬかの状況でアドレナリンが出るのが病みつきになっちゃって、また国境超えて潜入しなきゃ!とかなっちゃうらしく、結局このポールさんもロシアとフィンランドの間を何往復もしている。そ、そんなものなのか・・・。

でもポールさん、何しろスパイの訓練がちゃんとできていなかったので、チェカと通じている怪しい人物の罠にまんまとはまって、必要な情報を相手に渡しちゃったり、食糧難なのでお金があっても食べ物は買えず、配給を受けるにも身分証明が必要な状況なのに、お腹を空かせた道端の子供や老人に手持ちの食糧をついあげてしまい、あとで自分がピンチに陥ったりと、007とはずいぶん程遠いドジを色々とやらかしている。

道を歩いていてもチェカが身分チェック、尋問するのが当たり前になっている中、既にスパイだとバレているポールさんは変装したり身分を偽造したりして逃げ回りつつ、それでもボルシェビキの中枢部分まで入り込んでいく。

潜伏場所や書類の隠し場所を提供してくれるなど、反革命派として彼の活動をサポートした現地の人達の中には、逮捕拷問された人もいる。それで命を落とした人もいれば、何か月も頑張り最後には留置所を脱出した人も。そういう恐ろしい体制が出来ていっている中でも、信念を曲げずにそういう活動をする人がいるというのは、やはりすごい。結局最後は共産党ソビエトになっちゃうわけだけれど、負け試合だとわかっていても最後まで抵抗していた人達もいたのだな・・。

そんな必死なスパイ活動もそろそろ継続するのは危険すぎるので、ポールさんを助けに行こう!と、MI6の命令で送り込まれたのが、当時海軍大佐だったオーガスタス・アガー(Agar)をはじめ海軍選りすぐりのメンバー数名。

まずフィンランドまで船で行くのだが、最初からなんだか悠長。乗った船は客船ではなかったので、航海中アフタヌーンティーが出ないとわかると船長に抗議したりしている(苦笑)

何しろスパイの訓練など何もできてないMI6。道中顔見知りの将校にばったり会っちゃったりしても、なんでこんなところにいるのかうまく取り繕えず、結局秘密だったはずの救出ミッションのことは、各関係者に広く知れ渡ることにw

さらに船を降りて、次の目的地まで電車に乗らないといけないのに、電車の時間を間違えて最終列車に乗り遅れたり、翌日はタクシーの運転手と料金でもめてまた電車の時間に間に合わなかったり・・とほんとあんたたち、MI6の命を受けて来たの?スパイ、助けられるの?と苦笑の連続。

最終的には、ペトログラードにほど近い、当時フィンランド領だったテロキ(今はロシア領、ゼレノゴルスク)という場所にスタンバイ。さらにイギリス海軍からは無理を言ってCMBという魚雷艇を貸してもらい、これでぐわーーーーんと向こう側のロシアまで行って、ポールさんを助けちゃおうという作戦に出る。

ポールさんには、いついつ何時に迎えに行くから、海岸沿いで待っていてとメッセージは届いていたのだが、その約束の日までには時間があったので、その間にもクーリエを載せたりしてロシアとフィンランドの間を何往復かしている。しかしこの魚雷艇が壊れやすい。いざというところでエンジンが止まったり、底をガリガリやっちゃったり。

しかも何を思ったのか、このアガー大佐、ポールさんを迎えに行くという最大のミッションがあったにも関わらず、その約束を果たす前に、上官の命令を無視して、魚雷艇赤軍の軍艦に攻撃を仕掛けて沈没させている。もともと英国と赤軍が戦闘状態に入るというのは望まれた状況ではなかったものの、正義感に駆られてやっちまったアガーさん。失敗したら首が飛ぶけど、行くしかないぜ!と突っ込んでいって、結果奇襲は成功したんだけど・・。

このことは、フォローしているツイッターのアカウント(100年前の今日ニュースをつぶやいてくれる)でもこう紹介されていました

この奇襲攻撃の功績が称えられ、勲章を受け取ることになったアガー大佐。

赤軍の船を沈めちゃったので、ある意味成功ととらえられているっぽいこのミッション。でも、ポールさん救出は実際どうなったかというと、ポールさんを迎えに行った魚雷艇、ロシア側からガンガン攻撃されてポールさんをピックアップできず。ポールさんも、待ち合わせの場所に到達できず。結局、クーリエとして活躍していたロシア人の手引きにより、エストニア経由で自力脱出したそうな。えーーなんだーー全然成功してないじゃん、このミッション!!

と最後の最後までガックリ連続だったこの本。さらにこのポールさん、その後もポーランドなどでのオペレーションで活躍したそうだけれど、人生の後半はヨガにどハマり。なんと西洋にヨガをもたらしたのは、彼だとも言われているらしい。MI6のスパイが、まさかのヨガマスターに転身とは・・!ナマステー

ちなみにこの本の著者も、元MI6の人。曰く、最近そのパフォーマンスの悪さに批判が集中しているMI6ももう100周年。過去の功績を紹介しようと調べ始めたものの、蓋を開けたらこんなんなりました、と言う感じだったらしい。

そういえば映画の世界ではない、本来のMI6のパフォーマンスがどうとか全然知らないんだけれど、どっちかというと007と言うよりジョニー・イングリッシュみたいな感じなんだろうかw

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さてこんなおっちょこちょいのMI6の本を読もうと思ったきっかけは、ベルギーで食べたミートボールでした・・。

ベルギーのリエージュ名物だというミートボールにか蹴られる甘酸っぱいソースの名前が「ラパン・ソース」と言うのですが、その由来は、『リエージュ郊外で税収官をしていたアーネスト・ラパンの奥さん、ジェラルディン・ラパンにちなんだもの』なんだそう。

marichan.hatenablog.com

甘酸っぱいソースをミートボールにかける料理、ユダヤ系のレシピでよく出てくるんですが、このラパンさん一家ももしかしてユダヤ系だったんだろうか、と色々調べだしたら、この「オペレーション・クロンシュタット」の脚注に、「ユダヤ人の金貸しアーネスト・ラパン」と言う記述があるのを見つけたので、読んでみた次第です。

読み進めるうち、当初の目的だったラパンさんのことをすっかり忘れていましたが、遡って確認したところ、ロシア国内で活動資金難に陥ったポールさん、まだロシアに滞在していたイギリス人ビジネスマンの団体に、危険を押してコンタクトを取り、資金提供を受けたようです。しかし資金を用意する側も大変だったようで、ポールさんに貸すお金を、このユダヤ人の金貸し、アーネスト・ラパンから借りた、と言うのが内容でした。

ミートボールのソースの名前になったラパンさんも税収官ということでお金に関係はしていますが・・・、ベルギーとロシアでは、ちと違うかな。ソースのラパンさんは1922年まで存命だったので、時代はかぶるんですが。余計謎が深まってしまいました。