物理的なオフィスが閉鎖されてしまったので、時々同僚有志でコワーキングスペースに集まり一緒に仕事している。
在宅勤務は通勤がないぶん楽だけれど、やっぱり煮詰まるし、同僚達がどういう状態で仕事をしているのかわからないので、全くお互いの顔を見たりちょっとおしゃべりする機会が無いリモートワークというのも、チーム的にあまり良くないよなと思う。
これについては人それぞれだとは思うけれど、自分は実は文化祭ののりでみんなでワイワイする感じで仕事するのが実は好きなのかもな、ということにここ数年気が付いたのだった。
先日は普段集まるのとは別の場所を試してみようということで、ファリンドン近くのコワーキングスペースで仕事をした。朝のセントラルラインは東京の通勤ラッシュなみの混雑で、到着した地下鉄はもう人が乗り込む隙が無いくらい人でぎっしりしている。
そんな通勤もそれほど苦に思わないのは、これが毎日のことではないのと、乗ると言っても2-3駅で済むのと、ここがロンドンだという変な特別感からくる高揚感(笑)がまだ続いているおかげだろう。
チャンスリー・レーンの駅を出るとチューダー風の建物が目に飛び込んできて一瞬びっくりする。ふと、そういえばロンドンの中心部なんて京都にいるようなもんだよなと変な納得をする。
駅からすぐにあるコワーキングスペースになっているビルも、ネオゴシックの建築で日本だったら明治初期の頃に建てられたものらしい。
外は滅茶苦茶クラシックだが、中はモダンに改装されていて気持ちよく仕事した
このビル、今は建築家の名前をとってウォーターハウス・スクエアと呼ばれているが、もともとはホルボーン・バーと呼ばれる建物だったそうで、金融会社プルデンシャルのために建てられたものだそうな。
この建物が建つ前、ここにはファーニヴァルズ・インというでかい寄宿施設が、日本だったら南北朝時代の頃からあったらしい。チャンスリー・コートと呼ばれる、中世の裁判所的な施設に関わる法曹関係者たちが逗留する場所だったらしい。
そしてそういう施設はここだけに限らず、このエリア一体にいくつもあり、それをまとめてインズ・オブ・チャンスリーと呼んでいたそうな。こういう施設はそのうち法律学校として使われたり、法曹関係者の住居になったり、法曹界の社交施設やレストランも入ったりと、長い歴史の中で色々な形で法律や金融関係者に使われていた模様。
実は駅を出て目の前に現れた古い建物は、そんなインズ・オブ・チャンスリーの中で唯一現存する建物だったらしい。写真を撮らなかったのが残念だが、Wikipediaの写真はこんな感じである
ステープル・インと呼ばれるこの建物は1585年、日本だったら天正13年、豊臣秀吉が関白宣言(違)した年に建てられたものだそう。まさしく京都やなあ。一階はカフェとか入っているが、今でもアクチュアリー(保険数理士)の団体のオフィスとか入っているらしい。
コワーキングの事を書こうと思ったのに結局歴史散歩的な話になってしまった。
帰り道は小雨のハットンガーデンの小路を通り抜ける。ここもまた昔から宝飾店街があるところである。ロンドンは古いところに行けば行くほど、通りの名前がそこにあったビジネス(魚とか絹とか)に関係していたりもして、職業ごとにエリアがわかれていたことがわかって面白い。
そしてエルサレム・パッセージという京都の先斗町と同じぐらいの小路にあるパブで皆で飲んだ。エルサレム・パッセージという意味ありげな名前の小路は、その昔その先に本当にエルサレムの聖ヨハネ騎士団の修道院があったから、らしい。
そしてこのパブの建物も1829年のものらしい。日本だったら文政12年、江戸大火があった年か(なぜか日本史と比べてしまう)
クワックというベルギービールを同僚が頼んだら聞き間違えたお店の人がコークゼロを持ってきて大爆笑。慌てて正しいビールを持ってきて「はい、こっちが本物のコークゼロね」