愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

バタシーの思い出

ロンドン到着後しばらくの仮宿は、バタシー(Battersea)というテムズ川の南にあった。仮宿は昔ながらのテラスハウスが整然と立ち並んでいるものの、こちゃっとした感じの場所にあった。

4世帯が入る二階建て。ロンドンの古い住宅は、建物が何かとても低く感じる。アメリカから来ると、スケール感が狂って、ちょっとしたミニチュアの街に住んでいるような気分にもなる。

ゴミはご覧の通り、家の出入り口の前に雑然と置いてある。燃えるゴミと生ゴミをわけないので、いつもちょっとすごい感じになっている。

近くにある高架からは電車がゴトゴト走る音がする。ヒースローに向かう飛行機が上空4000フィートを大きな音を立てて飛んでいる。築何年かももうわからないこの建物は、階段を上がると床はミシミシと軋む。キッチンの窓からは隣家の窓が見え、夕飯の匂いがし、子供達がワイワイ騒ぐ声がする。

色んな音に包まれる、これはあれだ、昔ながらの長屋暮らしだ。

ワールドカップの試合では、薄い壁を伝って聞こえてくる、住人の雄叫びや"Football is coming home"を熱唱する声で、イングランドの勝利を知ったりもした。

インテリアさえ、もう何年もアップデートされていないこの部屋は、なんだかまるで、今はもうない祖父母の家の応接間の匂いがした。

長屋のようだとはいえ、ここは現代のロンドン。住人が顔を合わせることがないのだろう、「郵便がどれが誰のかわからないので、この紙に各自、どの部屋に誰が住んでいるか、名前を書いてください」という張り紙がしてあり、そこに寄せ書き風味に色々な名前が書かれている。イギリス人じゃない人も、多いみたい。

家の裏の建物は、実は住宅ではなくフォトスタジオのようだ。部屋から眺めていると、フロアには衣装が吊るされ、音楽が流れモデルのような人たちがフラッシュライトを浴びてポーズしているのが見える。その前にあるこのアパートの庭では洗濯物のシーツがパタパタとはためいている。いろんなものが小さな空間にぎゅっと詰まっている。

ダイニングテーブルは、ダイニングなんだか玄関に続く廊下の一部なのだかわからないようなところに置いてある。キッチンにはフライパンと小さな鍋が一つ、小さな冷蔵庫が一つ、近所には小さな小さなスーパーが一つ。それでも家族3人、なんとかなるもので、スーツケースだけの身軽な暮らしも悪くないものである。

外に出ると、ブルカをかぶった家族連れ。トルコ人の床屋、ハラルの雑貨屋、あちこちにケバブ屋、イスラムのコミュニティセンターに人が集う。

昔の新宿駅だか銀座にでもありそうな高架下、タバコや排気ガスの匂いが染み付いたトンネルをくぐり抜けると駅に出る。トンネルを通り抜けると急にハイストリートが開け、違う世界にやってきたかのような錯覚に陥るクラパム・ジャンクション、イギリスで一番乗り入れ路線が多い駅。ここから電車に乗り、ロンドンのあちこちに出かけ、手続きに走り回ったり、テリトリーの匂い付けをしたりした。

初夏のロンドンは10時を過ぎてもこの明るさ。子供が寝ないのだけ玉に瑕だった。引っ越し前のつかの間の最初の我が家の思い出。