愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ミラノ1:双子との再会

ヴェローナ滞在後、陳家は電車に乗ってミラノへ。ミラノまでは電車で2時間弱ぐらい。

中距離列車なので、イギリスの感覚で駅に行ってチケット買えばいいや、と思って向かったものの、いざ券売機でチケットを買おうとすると、3時間先の電車まで席が無いと出て一瞬あせる。

駅員さんが色々英語で助けてくれようとするが、「もっと早くミラノに行きたい」というのが通じないので、ここでGoogle翻訳登場!すると別会社の券売機に行けとのこと。

駅には、赤い色の券売機(ターミナルのようなもの)がいくつか置いてあるんだけれど、色は同じでもよく見るとそれぞれ違う鉄道会社のチケットが売られていた。この駅からは3社の路線が出ており、鈍行列車が別会社から出ていたので、そっちを買った。わかりにくくて、ややこしい。

旅をするって、普段からここで暮らしている人だとわかるちょっとしたことがわからない、ということがちょこちょこある。例えば、スーパーでも無人チェックアウトで支払いを済ませて支払いエリアから出ようとすると、その前のゲートが開かなくて困ったことがあった。無理やりこじ開けて出てしまったのだけれど、レシートについているバーコードをかざさないとゲートが開かないということに、他のお客さんがやっているところをみてようやく気が付いたり(こじ開けて出たのは特に咎められずw)。

何はともあれ、出発まで少し待ったものの、鈍行列車で無事ミラノへ。途中ガルダ湖というちょっとリゾート地も通り、ゴルゴンゾーラという街も通った。時々中国人の若い女の子達が乗ってきたりしていた。学生や観光客だろうか。

到着したのはミラノ中央駅。ゆったりしたヴェローナからミラノに来るとその都会っぷり、混雑っぷりに圧倒されてイヤー!!って感じになる。地下鉄も何もかも人が多い!!



ミラノに行くのは、もう13年ぶりぐらい。宿も以前泊まったホテルに近い場所に取った。今回はホテルではなくAirBnBである。当時はそんなものなかった。時代は変わったものだ。しかし近くを走る路面電車は変わらないし、あそこに大きなスーパーがあったよな、とぼんやり覚えている感覚で行ったら本当にあったのは、なぜかすごくうれしかった。

13年前にイタリアに行ったのはイタリア人の友人Bの結婚式に参列するためであった。ミラノ在住の彼女であるが、結婚式はトッレ・ペリーチェという山奥村で執り行われ、私はそこの教会でフルートを吹いたり、激しく美味しいピエモンテの郷土料理を食べ彼女の親戚や友人と大騒ぎして、本当に心に残る楽しい経験をしたのだった(長年書いているブログなのでその時のことも探せば出てくる)。

友人Bとはもう24年ぐらいの付き合いである。ニューヨークの某機関に丁稚として一緒に同じ部署に配属され、不思議とウマが合ってとても仲良くなった。あまりに一心同体なので同僚から悪魔の双子と呼ばれたぐらいで、それからそれが私達の呼称となっている。

お互いの結婚式に出席したり、新婚旅行にアメリカに来たBだったが、その後私も彼女も出産したりで、イタリアとアメリカと離れて会う機会はなかった。ただ、何しろ双子なのでテレパシーのような感じでお互いの気持ちが通じる部分があり、あまり話さなくても分かり合える部分がある不思議な友人であることには変わりなかった。そんなBの家にも寄ることができたのが、今回の旅の一番のハイライト。

ヴェローナから帰るより、帰路はミラノから飛んだほうが安かったので夫がそういうチケットを取り、月・火曜日をミラノで過ごしてからロンドンに帰る、というスケジュールになったのだが、平日だし大丈夫かなと思いつつ連絡をしたら、奇しくもその日はイタリアは諸聖人の日という連休にあたっていた。

学校も休みだったので、Bはどこか旅行に出かけることも考えたらしいのだが、私からのメッセージを目にする数時間前にやっぱりミラノに残ろう、と気が変わったのだそうだ。テレパシー、まだ健在みたいだねと。嬉しい。



Bの家でキッチンで料理の邪魔をしながら話し込み、夕飯の後はワインを飲みながらチーズをつまみ。

2歳差の子供達、Bの子のほうが年下ではあるのだが、学校で英語を勉強しているとのことで、カタコトで一生懸命話してくれた。あとはGoogle Translateがあるし、ほっておいても2人でわーきゃーと遊んでいた。なんて便利な世の中。

お互いちょっと歳をとったかな、昔の2人の写真を見返すと、若くて無知で先の事なんかわからずに手探りで、でも臆せず色々やっていた時代を思い出す。でも昔の思い出話はそこそこに、今のこと、先の事を色々話せたのが今回はとても良かった。今度はもっと長い休みを一緒に過ごそう。