愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子連れベネチア旅④ベネチアで、雨に降られる:デュカーレ宮殿

ベネチア到着翌日は、雨模様。午後からぽつぽつと雨が降ってきた。

ベネチアの街は、小さな小路をひたすら歩いていると、しゅぽっと教会がある広場に出る、の繰り返し。

聖ロクスを祀った教会。ペストの守護聖人だそう。

Ribalta-san roque.jpg
By Francisco Ribalta - [2], Public Domain, Link

聖ロクスの絵を検索してみると、だいたいこんな感じで片方の生足出してポーズ。ちょっとだけよ~ん

サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂、通称フラーリ。14世紀に建てられたもの。同じ頃遠い日本では、足利尊氏征夷大将軍に任命されていたそう・・そう考えると本当に古いなぁ。

やはり歴史の浅いアメリカから来ると、ヨーロッパの歴史の層の厚さをひしひしと感じる。

さらにこの教会、アサシンクリードIIの舞台になっているとの知らんしいらん情報も入ってきた。

入口近くにあるのは、1700年代後半から1800年代前半に活躍した彫刻家アントニオ・カノヴァの碑。このピラミッドの中に彼の心臓が入ってるそう。「カノヴァ」って思い切りでかく刻印してあるが、これが「山田」とかだとちょっとパッとしない。

実はカトリック大国イタリアまで来て何なのだが、私どうもキリスト教美術がちょっと苦手で、ずっと見ていると圧迫感を感じでモゾモゾしてくる。

バチカンに行ったときも、それこそエルサレムに行ったときも教会に入ってはモゾモゾモヤモヤ、コソコソ退散を繰り返し。お前が悪魔だからだ!などとも言われたが、ここでも何となくうっとなったので、この先には入らずフラーリと退散。

サン・モーリッツォ広場。ここらへんに到達したところで、雨足が強くなってきた。広場に面した洋品店やアイスクリーム屋が並ぶ店先で他の観光客と雨宿りしていたら、洋品店の親父が出てきて、店先の雨よけをクルクル巻いて雨宿りできないようにしやがった!寒さに震える私たちをよそに、親父は店の中のカウチでぬくぬく携帯を見ておる・・祈・商売繁盛。

ゴンドラも雨対応。10月の雨は結構冷たい。

降ったりやんだりの中向かったのは、サンマルコ広場。サンマルコ寺院があり、ドュカーレ宮殿がある美しい広場、そしてここは究極の観光地。

サンマルコ広場周辺のカフェに入るとコーヒーだけで50ユーロするから避けろ、食事もとにかく広場から離れた店に行け、多言語で写真付きのメニューがある店は観光客向けの店だからこれも避けろ云々、色々きいていたので、ここらへんのものは身構えて完全にスルー・・。

そして向かったのは、デュカーレ宮殿。

これは海のほうからアプローチした図。どうもこの建物の見掛けに見覚えがあるのだが・・もしかしてディズニーとかがパクったかな?

そして御覧の通り、観光客がものすごく並んでいる。チケットを取るのにも随分並ぶときもあるようだけれど、我が家は例のUnicaパスを買ったときに水上バスとこの宮殿+博物館のチケットを事前購入してあったので、サッサと入れてラッキー。

宮殿といっても王様が住んでいたわけではなく、商業国家ベネチアは総督が国を治めていて、そのお屋敷兼政治をつかさどる場所だったそう。総督のことを英語ではdogeと呼ぶので、ドージェ・パレスと旦那は呼んでいた。

これはそんなドージェさん達が乗ったらしいゴンドラ。

宮殿にたどり着いたとたん、雨がざんざん降ってきて、びちゃびちゃ中庭に打ちつける。そして観光客が行きかう足音や話し声。数百年前は、商人や役人やいろんなベネチアの人たちが行きかう音がここに飛び交っていたのだろうだな・・。そしてやはり同じように雨が降り、同じように水が跳ねる音もしていただろうか。

中庭回廊にあるツインテール風なライオンの口。これ、実は告げ口ボックスなんだそうです。お上に隠れて富を得ているものやルール違反しているものを密告する紙をいれるらしい。ちょっと気持ち悪くて触らなかったけど、中に紙詰め込んであった・・。

階段をのぼり宮殿の内部見学へ。黄金の階段、と呼ばれているそうで、天井にも金色の細かい装飾が前面に。あんまりじっとみていると神経がやられそうな位ぎっしり。

宮殿の中は、色々評議をしたり、その待合室など色々に分かれており、とにかくどこも壁の装飾がものすごかった。確かにこれ、他の国からやってきて、ここでお待ちくださいなどといわれてどーんと豪華絢爛な絵画装飾がなされている部屋に通されたら、それは圧倒される・・。

ここはその中でも一番広い部屋。右手はステージ上になっていて、そこに総督以下権力者が並び色々評議をしたらしい。

とにかく壁中に人、人、人でちょっと気持ち悪い。お腹がいっぱいになりながらも、気になったのがこの絵。ルネサンス期の画家、ティントレットの作品。ティントレットとは「染物屋の息子」という意味だそうで、ベネチアの染物屋の息子さんだったらしい。本名はJacopo Comin、言うなら染屋のジャコやん、といったところだろうか。そしてこの絵は1177年にベネチア共和国と神聖ローマ帝国の間であったSalvoreの海戦を題材にしたものらしい。今でいうと、対岸のクロアチアのほうであった戦争のよう。日本で言うと平家がわーきゃーやっていた時代。その頃の出来事を、江戸前期の絵師が書いたぐらいの計算。って、わざわざ日本に当てはめる必要もないんだけれど・・。

染屋のジャコやん、実は少し笑いを取ろうとした?

一人だけヘルメットも帽子もかぶらず、ドンピシャで頭皮にささっている人・・・。

こんな豪華絢爛な部屋をちょっと通り過ぎて階段を降りると、そこはもう地下牢。石造りで、かなり頑丈な檻、ドアがあり、中は真っ暗。そんな地下牢がかなりの数あり、また雨がひどいときなどは浸水もしたらしい。そうでなくても、雷がなり、冷たい雨がざんざん降っていたこの日。当時の陰惨な様子を想像して、ため息の一つや二つもつきたくなるというものであった。

サンマルコ広場を含め、雨などで浸水したとき用に足場と板が道端のあちこちにおかれていたベネチア。私達が訪れた時はそこまでひどく雨が降らなかったので良かったけれど、その1週間ちょっと後に、歴史的な大浸水のニュース。でもこうやって、日常を続けちゃうところがすごいベネチア