- バカンスの目的地としては、イタリアの廉価版と例えられることもあるクロアチア。ただ最近はその人気があがっているせいか、ものすごくお得感がある感じではなかった。今年1月に、通貨をユーロに切り替えたことも一因にあるのかも。
- まだ通貨の移行期だからか、レストランのメニューなどもユーロとクーナ(以前の通貨)を併記しているところも多かった。現地の人も、ユーロのコインの識別がまだちゃんとついておらず、現金でおつりをもらう時など向こうのほうがまごまごすることも。
- 白と赤の市松模様はサッカーワールドカップですっかりおなじみになった。スプリットの地元サッカーチームはハイドゥク。1911年設立の歴史あるチームだそうで、あちこちにハイドゥクのロゴの壁画があった。1950という数字も併せて描かれているものもあったが、ハイドゥクのサポーターグループが設立された年だそうで、これは欧州のサポーターグループとしては最古のものだそう。
- クロアチアのテレビ、現地の番組もあったが、Netflixの番組を、Netflixのロゴもそのままに放送しているものもあった。人口が少ない国は独自のコンテンツを作っても消費人口が少なくて・・というのは、やはり難しいところですな。
- 水が柔らかい。ロンドンの水が硬すぎるだけかもしれないが、シャワーを浴びただけでも髪の毛がゴワゴワしない。水道の水もそのまま飲んでもおいしい。
- 石畳は歩きやすい。これはリスボンなどを歩いていても思ったが、石畳の石がなんとなく柔らかく、ほどよくあちこちゴツゴツもしているので、硬くて平坦なアスファルトの上を歩いているよりも気持ちがよく、疲れない。
- 旧市街は道が狭いし車は入れるような造りになっていないため、魚市場で見かけるようなターレが大活躍である。モノ以外にも兄ちゃん達がワイワイ運搬されているのも見かけた。
- フロイトがここに来たことがあるらしいが、バカンスに来たのか、患者を診に来たのかなど詳細は不明らしい。意外とそんな昔のことでもないが、記録がないと色々なことなどすぐにわからなくなるものだ。
- 日本だったら平安時代のクロアチアで、カトリック司教だったグレゴリーさん。当時ラテン語で行われていた礼拝を、クロアチア語に変えた人。このラテン語というのはインテリ・エリートの言葉なので、限られた人しかわからない言葉だった。ラテン語を現地の言葉に置き換えることで知識や文化がより広がる話は、欧州各地できく。そして、この巨大像の足の親指を触ると願い事がかなうというので、みんなが触って指はつるつるしている。
- これは遺跡や古い建物が多い地域にあるあるの風景。
- かわいい民族衣装が並ぶ民俗学博物館的なところにも行った。
- 帰りのタクシーはボスニア人のおじさんが運転手だった。ボスニア語もクロアチア語も、微妙な違いはあれど対して変わらないらしい。おじさんの絶え間ないおしゃべりを聴きながら戻った空港はとても新しいが、オフシーズンのせいかガラガラだったが、夏のハイシーズンになると臨時便も出てかなりの混雑になるらしい。