愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

Q

この週末は沢山の在英邦人に混じって、野田秀樹の芝居「Q - A Night At The Kabuki」を家族3人で見に行った。

ロミオとジュリエットの話を、源平合戦を舞台に、BGMはクイーンで。でも中世の日本でありながら、色々な仕掛けや文化や技術や概念は古今東西マッシュアップ、といういかにも日本の演劇にありそうな設定ではあったけれど、なにしろ役者がみんな素晴らしかった。まず松たか子、上川達也、広瀬すず、志尊淳をメインに、竹中直人羽野晶紀橋本さとしといったベテラン勢・・と恐らく日本でトップノッチの役者さんの演技を肉眼で見れたというだけでも素晴らしかった(しかも25£ぽっきりで!)。野田秀樹本人の演技も初めて見た。

観ている時は、話の筋や流れもだが、どうしても役者や舞台そのものの、「見せ方」の技術に気がいってしまったのだが、一番感服したのはそれぞれの役者の体幹や膝や体のバネの強さ。立体的な舞台を登ったり下りたり、最近膝が気になるお年頃な自分にとっては、自分よりもずいぶん年上な役者さん達が高い所から飛び降りたり走り回ったり、長時間にあれだけの長ぜりふを活舌よく劇場に響くように話続けたりを、体を壊すことなく各地を回りながら毎晩やっている、という基本的といえば基本的なことに異様に感動してしまったのだった(元演劇部員としては余計に身につまされる・・)。

松たか子の声の通り方がネットでも絶賛されていたけれど、普段から研鑽を積んでいるとわかる技術は、やはりそれを目の当たりにすると衝撃があった。当たり前だが、みなさん、単にテレビに出ている有名人、ではないのである。そして竹中直人は、テレビでしゃべったりしているのを見ていても、何か薄皮を一枚かぶっているような、絶対本質を見せていないような不思議さを感じるのだけれど、舞台でも清盛という大きな存在を演じている一方で、どこかで力が抜けてる演技が不思議だった。橋本さとしはザ・日本の演劇という感じの面白さを要所要所で出していた(劇団新感線出身なのね)。

話はロミオとジュリエットに出てくる「名を捨てる」というキーワードが色んな形に作者の中で派生発展してこういう感じになったんだろうな、となんとなく物語を作り上げていく思考過程の足跡をたどっていけそうな感じもあるものだった。いがみ合ってる一族同士の名を捨てる、武士として戦う前に名乗りをあげる、そして戦いに勝って名をあげる、匿名書き込みネットの誹謗中傷情報操作、アノニマスとしての名を捨テロリスト、そして最後は流刑地で死ぬ無名兵士。実は後半はうーそう来たか、ちょっと反戦風がクドいかなあと思わないことも無かったのだけれど、最後はしんみりと終わり、泣いて化粧が流れてる英人客もおり、子供も「片目からつーっと涙が出た」そうでした。

ロンドン公演は、全編日本語のセリフに、英訳の字幕をスクリーンに表示する形。英訳で細かい言葉のニュアンスや、語尾や言い方の面白さ、ダジャレなどはどうしても端折られてしまっているところもあったり(これはもう知らない言語のものを見る場合はしょうがない部分もある)、と思ったらセリフを言い終わるまえに字幕を先に読んでる人がウケる、なんていう、外国語公演あるあるな場面もあった。

日本語では平家とか源氏とか言っているのも、翻訳ではわかりやすさを考慮してだと思うが、全てTairaとMinamotoで統一していたので、平家の名前がついた新しいビジネス名、ドンキ平家がタイラバンクスになってたり(平銀行とモデルの名前をかけてある)、色々苦労のあとが見られた(笑)

舞台美術、シェイクスピアっぽさも残した衣装もとても良かった。ちょっと残念だったのが音響で、BGMは全編Queenの楽曲だったのだが、音量調節やフェードアウトの仕方がえっという感じで、そこだけ学校の文化祭ふうな感じでちょっと耳障りに感じてしまった。

つらつらと見た後もしばらく色々考えてみたり、分析してみたりしてしまったが、芝居も小説も絵画も、作者が意図したことしなかったこと、作品にちりばめた色々なオマージュや伏線、メッセージ、そういうものを見つけてみたり、受け取り手自身がその時の感覚や体調や人生観に合わせて自分の中で咀嚼・反芻・解釈・消化、そして昇華していくという過程が楽しいのだと思う。そういう点では、久しぶりに日本の演劇を観れたのはとてもとても良い経験になった。同時に、もし他の国からロンドンに来る劇団公演があったら見に行ってみたいと思った。あと太古の昔演劇部だったものとしては、どうしても第三舞台とか劇団新感線、キャラメルボックスに遊眠社とか、日本の演劇の記憶がそこで止まっているので、もう少し若手の制作する舞台も見てみたいとも思った。