愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子供にばなな、英語のばなな

4-5年生になった頃から大人の本もボチボチ読むようになった小さいさん。ただ好きなジャンルが推理小説とちょっと偏り気味なので、折を見て他の世界も見て欲しいなぁとは思っている。いや、好きなものをどんどん掘り進めてくれるのは全く構わないんですが。

しょっちゅう日本に帰れていないし、補習校にも通っていないし、内外でそれほど日本の歴史や文化に多く触れる機会が無いため(アニメ以外は・・・苦笑)、日本やアジアの歴史にしろ文学にしろ、親がちょっとずつ日本語じゃなくてもいいから、差し込んでいかないといけないなぁと思っているところ。

そんな時、本屋にあった吉本ばななのキッチン英訳本。つい掴んで買ってしまった。海外で一番(英語で)手に入りやすい日本文学といえばやはり村上春樹さんで、私も随分彼の作品は英語版で読んだのだが、吉本ばなな東野圭吾、他にも最近では私が知らない最近の小説家の作品が結構英訳されて、アマゾンで買わなくても地元の本屋で売っていることに気が付いた。ハードカバーの新着本みたいな感じで、夏川草介の「本を守ろうとする猫の話」という本も山積みされていた。

そんななかで吉本ばななを選んだのは、私がちょうど中学生の時に読んだからなのだが、当時読んだのは「キッチン」ではなくて「つぐみ」だったことに買ってから気付き、こちらは結局アマゾンで購入。

子供に渡す前に自分でも読んでみた。「つぐみ」を読むのは10代、20代後半、40代とこれで3回目。英語で読むのは初めて。

「つぐみ」を初めて読んだ中学生の時、なぜか病弱なつぐみの破天荒な行動に励まされて、ものすごく元気がでた記憶がある。これは周囲の目を気にせず、自分の好きなようにふるまっているつぐみが羨ましかったのかもしれない、つまりは自分はそうすることはできない抑圧された気持ちを持っていたのかもしれないなあ。

大人になって読んだ時は、そんなつぐみの言動を「痛い」と感じ、さらに中年(!)になって読んだ今回は、特につぐみの言動に関してエクストリームだとも思わず、ああこんな子もいるよな、位にしか感じなかった。

もしかしたら英訳で読んだので、色々なニュアンスがそれこそLost in Translationしてしまったからなのかもしれない。つぐみの荒っぽいもの言いも、英語に訳してしまうとちょっとSassyな感じの女の子にしか感じない。汚い乱暴な日本語って、どっちかというと使う単語というよりも語尾で決まったりしてしまう、それは英語に訳すととたんにスッと消えてしまう感じがする。

当時の東京の雰囲気も、どこかの海辺の小さな町の旅館の感じも、英語になると何かが消える。あとは以前読んだ時の自分の知識と記憶で補完するしかなくなる。何語であれ、翻訳されたものというのはそういう部分があるのは仕方ないのかもしれない。

そのせいなのか、加齢(!)のせいなのかわからないが、今回読んだ吉本ばななは、話の筋は一生懸命追うものの、昔のように何かがぐっと残る感じがあまりしなかった。翻訳のせいなのか、年を取って感受性が擦り切れてしまったのか、今はこの物語を必要とする時期じゃなくなったのか。

でも今回はつぐみ本人よりも、語り手であるいとこのまりあや周囲の人がどこまでも優しいんだなあ、という部分が心に残った。しょうがないなあ、といいながら受け入れてくれる、そんな優しい世界が今は羨ましいのかもしれないかな。

キッチンは初めて読んだ。ここでも、孤独で寂しげな世界の中に、分かり合える人達が出てくる。ちょっと悲しいけれど優しい世界。

11歳の子供はどう読むか、子供部屋に置いてきたけれど、まだまだ他の推理小説に夢中なので、部屋に積み上げてある状態。いつか読んでねー。

Kitchen

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