愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

Flickrとデータ保存問題とデジタル考古学の妄想

2TBまで無料だったFlickr、無料ユーザーが保存できる写真は1000枚まで、とサービスが大縮小されてしまった。

期日が来るまでに有料版にアップグレードしなかった場合、1001枚目以降の写真は全削除されるとのこと。

サービス変更のお知らせメールは随分前に来ていたのだが、一瞬見ただけではただの有料版の宣伝にしか見えない。期日になると削除される件も、メールの下の方にものすごい小さい字で書いてある。もしかしたら気づかなかったユーザー、結構いるかもしれない(私もオンラインニュースで知った)。

このメールはアップグレードばかりを全面に推奨せざるをえないマーケティングチームが書いたんだろうな。そしてサポートには期日前後に阿鼻叫喚のユーザーからの問い合わせが殺到するに違いない。そこらへんのコンティンジェンシープランはどこまでできてるのか心配ではある。でもエンジニアリングチームはもうそんなことより明日に向かって走り始めているんだろうな・・ははは、ははは・・

Doomsdayは2月5日。だったが、どうやら3月12日までに延期されたらしい(色々阿鼻叫喚に既になったみたい)。ニュースやツイッターで延期情報は知ったけど、そういえばFlickrからはそのお知らせ、来てないっぽい?

私も無料版のアカウントに8000枚ぐらい写真があったので、1月中にダウンロードは済ませておいたけれど、500枚ずつZipファイルでラップトップに(しかも会社のw)ダウンロードするのは結構大変だった。

これをまた次に別のクラウドにアップロードする作業は滞ったまま。これでマシンに何かあったら一巻の終わりとドギマギしている。

今までGoogleDropboxFlickrに散らばって保存していた写真。Googleのストレージに少しお金を払っているので、この際全部一括でGoogleに保存することにした。リスク分散のためには色んなところに置いておいた方が良いのだろうけど、あちこちに支払いするのもどうも癪で・・。うむむ。

写真や書類やメールや色々のデータ、思えば自分の「手元」にあるものはもうほとんどない。フロッピーに入っていた卒論はもう読み出す術もないので捨てた。CDに保存したデータや写真も、思えばもう自分のマシン自体にCDディスクがついてない。

古いOSのマシンに入ってるデータも同様で、引っ越す時にデータだけ抜いて処分しようとしたらもう立ち上げるのも大変なことになっていた。外付けHDさえ、中に何が入ってるかもうわからなくなってしまって見る気も失せる。

そう考えると、手元におくよりクラウドにあげて置いた方が、ブラウザなり将来は別の方法なり、その時代の最適な方法で検索閲覧できる方法が勝手にアップデートされるからなんぼかましかと思ってそうしている。

しかしオンラインサービスも永遠ではない。G社が終わる日はあまり考えたくないが、それだっていつかは来るかもしれない。会社がなくならなくてもプロダクトのサンセットはいくらでもある(Picasaって昔あったよな・・)。いつかデジタル写真という媒体や概念そのものが古くなる時代だって来るのかもしれない・・。

世界中のサーバに保存されている情報は、これを半永久的に保守管理する誰かがいるという前提があるからそこにあるけれど、ある時地球の磁波が狂ってその情報が全部破壊されるとか、世の中のエンジニアだけが感染するウィルスが猛威をふるってエンジニアが全員ゾンビになるとか、何かよくわからないけどそういうSFっぽいことが起こったら、自分のデータどころか、世界は機能しなくなるし、文明が終わるのかもしれない。ゾクゾク。

とどんどん妄想してしまうが、そういう点では紙ベースの情報というのは、保存に場所はとるけれども、一度紙に記録されれば、デバイスも充電も何も気にする必要がなく残るのはやっぱりすごい。燃えたり劣化したり色々あるけれど、何百年前の歴史も、こうやって書類だったり石碑だったり、何か使って呼び出さなくても見える方法で残されているものがあるからこそわかるというものだなあ。

経済活動に必要なバイタルな情報は、どんな形であれ脈脈と引き継がれていくかもしれない。でも数百年後、数千年後の世界が今の時代を考古学的に扱うようになった時、私達が生活の中で残していったデータがどういう風になってるのかも気になるなあ。

出土した古い携帯やサーバの情報を復元する技術とか。偉大な作家や哲学者の書簡集というのも、つぶやきの応酬をまとめたものになっちゃったりするんだろうか。

匿名で書かれたものの場合、個人を推測特定する手法とかも必要になりそう。「このつぶやきは、当時有名だったミュージシャン○○のもので、間違いありません(鑑定団)」

ノートに書き記した恥ずかしい日記は後世に発見されて読まれる可能性は高いけど、鍵付きアカウントのブログやツイッター、メールなどはどうなるだろう。サービス終了とともに全て消えて無くなるのか、どこかから発見されたデバイスやサーバの中に、まるで木簡の断片のように、少しだけ見つかったりするのか。

昔書き残されたブログやつぶやきや書き込みを元にその当時の思想や感覚を持つAIを作ってみたり、または本当に人間を再生しちゃったりもできるようになるだろうか(その頃残っているデータが2ちゃんねるのものとかだけだったらそれも怖いw)。

それとももう、土にまみれ錆びついたデバイスはただの塊でしかなくなり、それを通じて繰り広げられていたあんなことやこんなことは、諸行無常に塵となり消え去るのみ、なのかなあ・・

アテネの博物館で見た「アンティキシラの機械」というオーパーツ的なものを思い出してしまった。海底で見つかった2000年前の歯車のかたまり。からくり仕掛けの何かと思われたが実はとても精巧な計算機械らしい、でもサビサビの鉄の塊みたいになってしまっていて、今となっては正確なことはわからない、と・・・。

とまあ、妄想はここまでにして、とりあえずは、2歳の時点で止まってしまっている子供の写真アルバムを作って製本に出すのと、このブログもどっかにバックアップとっておくぐらいはしておこうかな。っていうかまずはダウンロードした8000枚の写真をアップロードせねば、あああめんどくさい・・・