愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

This is London

「イギリス」「ロンドン」と聞いてまずぱっと思い浮かぶ典型的なイメージというと、「ビッグベン」「タワーブリッジ」「ロイヤルファミリー」「バッキンガム宮殿と衛兵」「赤いダブルデッカーバス」「ハロッズ」などなど。そしてそういうところで金髪碧眼のイギリス人紳士淑女がアフタヌーンティー・・ってところだろうか。

スポーツ好きな人はフットボールチームだったり、音楽好きな人はビートルズローリングストーンズだ、色んなミュージシャンもくっついてきたりするかもしれない。

観光客として初めてロンドンに来たのはもうずいぶん前だけれど、やはり印象的だったのがそんなイメージを打ち砕くかのような、ロンドンの多様性だったかもしれない。まず入国審査官からして、ターバン巻いたおっちゃんや、9・11後でピリピリしていた当時のアメリカだったら、見た目だけで警戒リストに入れられてしまいそうな中東系の人達で、私のパスポートにスタンプを押してくれたのが強く印象に残っている。

バスやチューブに乗れば、いわゆる「アングロサクソン」系のイギリス人の割合のほうが、ぐっと少ないことのほうが多い。子供の小学校のクラスメイトの女の子達の場合、見た目が東アジア人なのはわが子ぐらいで、あとはインド人が2人、カリビアン系が1人。残りはみんな白人なんだけれど、100%アングロサクソンだという子は多分1人ぐらいしかいない(男の子は全員知らないのでわからないけど)。

みんな少なくとも片方の親がヨーロッパの別の国出身だったり、他の文化背景を持っていたりして、バイリンガルマルチリンガルの子も随分多い。カリフォルニアの小学校に通っていた時より、多様性国際性は驚くほどあると思う。

そんな移民の街ロンドン、その中には先日大量のベトナム人が亡くなってニュースになったような、コンテナに隠れて命がけで海峡を渡って来る人達もいる。不法移民ではないけれど、他のあまり裕福ではないEU諸国から出稼ぎにやって来る人達もいる。斡旋業者にお金を巻き上げられたり、あてにしていた仕事がなくなって、路頭に迷い帰るに帰れなくなる人もいるらしい(わが町でも、そういう境遇らしいポーランド人が路上で寝泊まりをはじめ、彼を何とか助けられないかと話題になったことがあった)。公的には存在していないことになっているため、政府のレーダーにもひっかからず、ロンドンに暮らしていても、どの統計にも表れない人達も随分いるそうだ。

同じロンドンにいても、普段私達が関わることは無いような様々な人達にインタビューをした興味深い本がこちら。

This Is London: Life and Death in the World City

This Is London: Life and Death in the World City

  • 作者:Ben Judah
  • 出版社/メーカー: Pan Macmillan
  • 発売日: 2017/09/01
  • メディア: ペーパーバック

ルーマニアの貧しい村からやってきて、物乞いをし、ハイドパーク近くにある地下通路で寝泊まりする人達。イギリス人が出ていき、移民が溢れる街で警官になった、ナイジェリア移民の話。アラブのお金持ちのメイドとしてロンドンにやってきて、隙をついてそこから逃げ出すフィリピン人のメイドさん達、そしてそんな彼女たちを匿う駆け込み寺的場所を提供している女性の話。ホワイトシティのギャングになった少年、薬の売人、売春婦・・。

著者はロシア語も話せるとかで、時にはタコ部屋にウクライナ人のふりをして潜入してみたり、地下通路でルーマニア人達と一緒に寝泊まりしてみたり、日陰の存在であるような人達の顔写真や生活ぶりもばっちり写真にとって、本に載せている。色んな環境や人の懐にぐいっと入っていける人のようだ。すごいな。

不法移民に限らず、ロンドン地下鉄の清掃員として、時に人身事故の処理もする人、病院の介護人、イスラム教の納棺師、そして結婚するまで何もしてはいけないと親に行動を制限され、鳥かご状態でナイツブリッジで日々を過ごすアラブのお姫様の話などなど、まさに"The stories you never hear. The people you never see." と本の表紙に書かれているようなストーリーがどんどん語られる。

20人以上の様々な人の「物語」を読む中で、一貫して印象に残ったのは、やはりロンドンの様々な地域からいわゆる「コックニー」と呼ばれる生粋のロンドンっ子が消え(エセックスなど郊外に引っ越していってしまうらしい)、街にあったパブは消え、モスクやケバブ屋、移民の店が立ち並ぶ場所になっていく・・・という場所の多いこと。

そして気になったのが、移民の国アメリカにもこういう話は色々あるとは思うが、そんな話の中で時に垣間見える、未来への希望といったものが、ここではあまり感じられなかったこと。

これは結局イギリスという国が100%移民で成り立っている国というわけではない所から来ているのかもしれない。本当に出ていくしかない貧しい村から経済機会を求めてやってきて、それなりの生活を送れるようになったとしても、何かアメリカンドリームをつかんだ的な達成感や、この国に対する希望や夢や憧れ、そしてチャンスをつかんで一攫千金するぞ!といった感じのある意味あっけらかんとしたオプティズムは全くもって出てこない。

とにかく藁にもすがる思いでイギリスにやってきた、ただそれだけ、といった感じがとてもした。

そんなこんなで、読後感はすこしむわ~ん、どよ~んとしたものになるかもしれない。しかしロンドン新参者としては、関わることはないとしても、時に街で見かけることもある様々な人々の背景が少しでも分かったのは良かった。逆に今度は、普段非イギリス人に囲まれて生活しているので(職場でもイギリス人は少ない)、もう少し「アングロ・サクソン」のイギリス人の生態について知りたいかもしれない(イーストエンダーとかを見れば良いのかな?!)。


おまけ:
ツイッターで見つけた、アメリカ人が考えるイギリス人のイメージと、欧州の人が持つイギリス人のイメージの違い。これも引っ越してきてからよくわかった(笑)

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パリで食べたもの

週末弾丸パリ旅行、結局寒すぎたり風邪で移動が面倒になったりで、事前に調べたお店には全く行けず、近場の店に飛び込んでばかりだったけれど、パリで食べたものを羅列するよ。

Chez Casimir

金曜夜8時過ぎに北駅に到着、近くにあるブルターニュの料理を出すお店に行きたかったものの、予約で満杯。仕方なくその近くにあったお店へ。

コースメニューのみのお店。3コース+チーズで35ユーロ位。コースはそれぞれ4-5種類の中から選べる。英語とフランス語でメニューが書かれた黒板みたいなのがあって、ウェイターの兄ちゃんがそれを抱えて持ってきてくれた。

カニのスープ。殻などから煮だしたエキスが濃い~!ただちょっとしょっぱすぎて、食べきれず。

ちょっと値段追加で、私はホタテ!オーブンで焼かれて殻は熱々、しかし貝はぬるめ。こっちは塩気が足りず。

パパは煮込み料理。子供はコースは無理なので、ケイポンというチキンをお願いした。

そしてフランスというと食後にチーズ!この盛り合わせをドン!と持ってきてくれるので、好きなものだけ取っていただく。

昔フランスの家庭に滞在した時も、たとえそれが冷凍食品をチンしただけのものだったとしても、野菜、肉、デザート・・とコース形式でご飯が出ていたなあ。そして最後には必ずチーズかダノンのヨーグルトが出てきてた。

デザートはパリブレと、チョコのムース。乳糖不耐症なので覚悟して、乳製品を食べる前に飲む薬を持ってきたけど、ホタテのクリームにチーズ、パリブレのクリームのトリプル攻撃を防御することはできず。ホテルへの道すがら、腸が張ってキツカッタ。ああ加齢・・

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Boulangerie Bo

リヨン駅にもほど近い、宿泊先の近所にあったパン屋さん。

とってもクラシックな外観、中は人が一列で入れる位の狭さだけれど、地元の人がバゲットなど買いに入れ替わり立ち代わりやってくる。

気が付いたのだけれど、パリの皆さんの話し声はとてもひそひそしていて穏やか。挨拶の声も何もかも、腹から声を出すというよりは、コショコショと結構声が小さい。カヒミカリィの歌声があんな感じだったのもあながち間違ってなかったのか。これだけお客さんが並んでいるのに店内がなんだか静かなのが不思議だった。

何を頼もうか相談していたら、前に立っていた人が振り返ってこれがおススメ最高よ、といきなり英語で教えてくれたのにも驚いた。

チョコとピスタチオのクロワッサン。

パパは塩気のものが食べたい、と玉ねぎとチーズが載ったこちらを注文。温めて出してくれた。台がサクッとしていて、なかなか美味!ここのケーキも美味しそうだったな~

Blé Sucré

ちょっとモダンな感じのお店。

そういえばなぜフランスに行ったのにモンブラン食べなかったんだろう・・・

朝からケーキを食べるのも気が引けて、こちらでもクロワッサンを頼んでみた。そしてガトー・ブレトン。でもしばらくして地元のおっちゃんが朝からコーヒーと一緒にパリブレを注文して、そのまま手掴みでガブリと食べていた。うーむ次回は躊躇しないで行ってみよう。

クロワッサンについては、他に色々行ってみたいお店があったのに行けずじまいだったし、結局2軒で食べただけの結論でアレなのだが、意外とサンフランシスコやロンドンにもレベル高い店結構あるんだな~というのが感想だった。

このお店、実はマドレーヌが美味しいらしくて、パリのマドレーヌランキング1位!というのが窓に貼ってあったのに後で気がついた。パウンドケーキ1個分ぐらいの巨大なマドレーヌも売っていた。

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Bistrot Café Barjot - Gare de Lyon

土曜日のディナー。子供も私もズルズルゴホゴホ、もうメトロやタクシーに乗ってご飯に食べに行くのも辛い・・でも近所の評判の良いお店はどこも予約でいっぱい。ホテルから徒歩5分のここは大丈夫そうだったので、取り急ぎオンラインで予約して向かったビストロ。

行ったら夜8時だけどだーれもいなかった。大丈夫か?でもオンラインで予約したらアラカルトメニューが50%オフのキャンペーン中だった!(ポルトガルでご飯が安く食べられたのもこのおかげだったらしい。The Forkというトリップアドバイザー系列の予約サイト、使えます)


カルヴァドスで燃えてるチーズディップ・・・!

そうこうしている間に、お客さんもぼちぼち入ってきた。思えば20年前は人の家でばかりご飯を食べていたので、外食をほぼしなかったのだけれど、パリの外食の時間、なんとなく遅い。お店も7時過ぎから開くところが多い。子連れ家族連れはうちぐらい。

ブフ・ブルギニョン。量もちょうど良かった。

フランスに来たからフランスらしいものが食べたい、とはならない9歳児は、メニューに「ポケボウル」を見つけて喜んで注文。なんだかすごく不思議なものが出てきた。お米はちょこっとで、ほぼ野菜だった模様。

デザートはIle Flottanteと呼ばれるものを。食べてみると、おおこれはウフアラネージュ!こんもり丸めた卵白を茹でるとあら不思議、ふわっとしているけれど、弾力があって壊れない、不思議なメレンゲ菓子になるのです。これがそんなに甘くないカスタードソースの中に浮いている。英語ではFloating island、浮島。レシピ本ではよく見ていたけれど食べるのは初めて、これは大満足。家でも作ってみたい。

今回もう少し新しいっぽい感じのフレンチを食べてみたい、と思っていたのだけれど、結局かなり伝統的なずしっとした感じのお店にばかり行ってしまった。それでも色々頼んでも半額キャンペーンのおかげでお会計は60ユーロ位で済んだ。また行きたいかといわれると行かないとは思うけれども。

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フランスでPho

最終日の昼は風邪でグダグダすぎて、近場のベトナム料理屋へ。我が家は風邪をひくと食べるのがPho。ラーメンよりPho。そうめんよりPho。チキンスープが身に染みる。

フランスにはベトナム移民も多いし、美味しいベトナム料理があるんじゃないかと期待して行ったら、お店の人はチャイニーズだった!(笑)これはあるあるで、サンフランシスコでも、マレーシアやベトナム料理屋、時に四川や台湾料理屋に行っても裏から聞こえてくるのは広東語、なんてことはよくあった。実際ベトナムの華僑もいるので一概には言えないが、ここのお店の人は北京語を話していたので、英語よりも北京語が通じて便利であった。

そういえばスペインでもイタリアでも、雑貨屋とかちょっとしたお店が中国人経営だったりして、中国語がよく通じたりする。

今回もこのお店の他に、パパが朝ジョギングついでに寄ったカフェがそんな感じで、英語が通じずお互い苦戦していたら、お店の人達が「この兄ちゃんに中国語で話してみれば!」と冗談交じりで言うのを聞いて、おお・・と北京語にスイッチしたりしたそうな。聞けば浙江省からの移民だったそうな。

予定になかったベトナム飯だったが、風邪の身体には重いビストロ料理よりホッとする味だった。

結局最終日の晩御飯は、パリ北駅の爆弾騒ぎの影響でイミグレーションに長時間並ぶことになり、並んでいる間に列から外れて慌てて買って立ち食いしたハムサンドイッチのみ。色々思い残したことが多いので(食べ物の恨み?)またすぐに戻ってこなければ。

ちなみにユーロスターは1時間3分の遅延。電車や飛行機、EUのルールで一定の時間遅れると返金があるのだが、今回は3人で30ユーロ弱だけ返ってきた(苦笑)。

それにしても健康第一!結局帰ってきた翌日は子供も学校を休み、家族3人家にいることになってしまった。トホホ~

おおパリ

感謝祭の週末(イギリスでは全然関係ないけれど)、約20年ぶりのパリ。パパと子供は初めてのフランス。ロンドンからはユーロスターで2時間ちょっとと、思ったよりもあっという間に着いてしまった。夜の到着だったため、外の景色も真っ暗でトンネルに入ったことさえ気づかず、しれっと到着。フランスってこんなに近いんだ。

あまり思い出話をするのは年寄りくさくてアレだけど、20年前はパリ郊外にあるゴッホ自死したので有名な美しい村と、ベルギー国境の小さな村に住むフランス人友人家族それぞれの家に1ヶ月弱滞在して、クリスマスを過ごしたり美味しい思いをしたりしたのだった。

まだ携帯もない時代、多分地球の歩き方は持ってたとは思うのだが、一人でパリに出て遊びに行ったり、友達の大学に潜入したりクラブに行ったり・・今となっては何もわからないままなんであんなに動けてたのか、不思議でならない。携帯に脳みその一部を取られちゃったような気もするし、若いってすごいなぁなんて思ったりもする。そんな思い出の場所ではある。

あの当時も寒かったが、今回は仕事のストレスと風邪を引きずったまま来てしまったので、さらに寒かった。矢野あっこちゃんの曲「おおパリ」はパリに来たのに熱が出てしまう歌だが、まさしくそうなってしまうのではないかとドギマギしたが何とか持ちこたえた。しかしもともとはパパが家庭に持ち込んだ風邪は、私から子供にも移り、2人でゴホゴホズルズル。寒いし外をうろつくのが辛い。

パリで食い倒れよう!と、色々調べていたのに、お目当てのお店にもほとんど行けず。泊った11区近辺をブラブラして、見つけた店に出たり入ったり。

どうしても昔と比べてしまうけれど、週末ちょっとウロウロした限りでは、パリの街はとてもキレイになっていた。昔はエスカレーターの上さえタバコの吸い殻が散らばっていたのに、道に何も落ちていない。というか、タバコを吸う人をほとんど見かけない(寒かったから??)。タバコの煙も吸い殻のゴミも、ロンドンのほうが酷いくらい。

地下鉄も、乗った路線の違いかもしれないけれど、駅の感じも電車の感じも随分変わっていた。何しろ多言語でのアナウンスがあったりする(スリに注意)!改札口は、よく切符を通さずにみんなで飛び越えたりしていたけれど、それももう無い(というかできないようになっている)。

片言のフランス語をひねり出してお店で注文しようとすると、頼んでもいないのに相手が英語にスイッチしてくれる。まじか!パン屋に並んでいても、前に並んでたお客さんがこれがおススメよと英語で教えてくれたりした。あれぇ~~

そんなに沢山はいないけれど、ロンドンと比べるとやはり道端でブチュブチュやっているカップルがそれなりにいる。駅で彼女が座り込んで大泣きしてなにやら言い合い??になっているカップルや、メトロの改札でいざこざして喧嘩勃発未遂が発生したりと、短い滞在の間でもなんだか人々の色んなドラマ?を目撃した。

子供は寒空の中、裸足で物乞いをしている人を見て随分心を痛めていた。ただ印象的だったのは、結構そういう人に声をかけたり、お金を渡している人がいたこと。教会の前に座っていた物乞いの人にお金を渡したおじさんは、両手で握手して励ますように話しかけたりしていた。

あのパティスリー、あのブーランジェリー、あの蕎麦屋さん・・・と食べることばかり考えていて、凱旋門シャンゼリゼもエッフェルタワーも興味無し(また、次回にね)。それでもサン・シャペルの美しく掃除されたステンドグラスに驚嘆し、マリーアントワネットが最後に入っていた牢獄を見つつ、最後にここで髪を切られ、ギロチン台に向かう台車に乗るためこの場所から歩いた風景を想像したり、そして今この場所に人がわいわい集まり、ベルばらを含めマリーアントワネットが題材になった大衆文化の展示を見たり、子供達がワイワイクラフトをしたり、さらにはパーティー会場になったりしている様子とのギャップになんともいえない気持ちになったり。

焼けてしまったノートルダム。周りは封鎖しては入れないようになっていた。色んなヨーロッパの国を回って、どこも似たような感じはあるけれど、ここはもっとごちゃっとした感じがする、と子供。電車の高架があったところが遊歩道になっているところを歩いて、なんとなくニューヨークっぽいなと感じたパパ。建物が絶え間なく同じ高さで続く感じや(ブラタモリでも紹介されていたけど)、教会や建物のち密さなどは、やはりパリは違うよなあと思った私。またもう少し過ごしやすく動きやすい気候の時に、風邪もひかずに元気な状態で訪れたい。

ユーロスターは便利だったが、この週末は出発した金曜日にはロンドンブリッジでナイフを使ったテロ事件、そして到着したパリの北駅では不審な荷物騒ぎがあって駅が一時閉鎖してしまい電車が途中で止まってしまい、そんな中オランダハーグでもナイフでの無差別襲撃のニュースが飛び込んできたりて、どぎまぎした。帰りの電車に乗ろうとまた北駅に向かった日曜日も、また爆弾騒ぎで駅には長蛇の列。私達が着く前に避難騒ぎもあったらしい。なんでも、アンティークの爆弾を持ち込んだ人がいたとかなんとか。物騒なご時世にまぎらわしい。結局1時間ほど遅れてロンドンに到着、ぐったり。

アフタヌーンティー2019

せっかくロンドンにいるからアフタヌーンティー三昧!と思っていたけれど、蓋を開けてみれば全然行ってない。

ロンドンに実際住んでみると、アフタヌーンティーって結構割高(外食全般がそうだけど)なので、観光や一時滞在で来ていた時みたいにテンション高くしょっちゅう行けない。炭水化物と糖質が結構お腹にもたまる。今のところ、誰かがロンドンに遊びに来た時に2度行ったきり。

現代アートを展示するサーチ・ギャラリーに併設されたカフェ&レストランでのアフタヌーンティーアメリカから遊びに来たお友達カップルと、そのお友達のロンドンにいるお友達家族の3家族で。

どーん。

冬場の訪問だったので、サンドイッチは暖かい系。

子供用アフタヌーンティーもございます。

わが子の他に、1歳ちょっとの幼児もストローラーで参加。広めの奥のほうの席を用意してもらい、ちょこちょこ子供が歩き回っているところをウェイターのおじさん達が一緒に相手してくれたりして、とてもキッズフレンドリーなところが良かった。

www.saatchigallery.com

The Ivy Tower Bridge

タワーブリッジの近くにあるIvyレストランチェーンのお店のアフタヌーンティー。こちらもアメリカからのお友達訪問に合わせて、子供も一緒に。

このレストランのチェルシーにある支店はお庭付きですごく素敵らしい。アフタヌーンティーも20£弱と、多少お手頃。

この植木鉢はチーズケーキ。上の土みたいなのはチョコレートのクランブル。お茶のお代わりは有料だったような。でも量はちょうど良い感じでした。

theivytowerbridge.com

イギリスに来てから意外と紅茶もそんなに飲んでいないかも。朝飲んだり、外や会社で飲むのはやはりコーヒーだし、家に帰ってからだと夕食後や寝る前となるとハーブティールイボスティーになってしまう。

でも誰かのお宅にお邪魔するとやはり、お茶いかが?とはなる。またアメリカにいるときはおやつや甘いものなど、全く手を付けず、ほとんど買わないので家にもなかった位なのに、イギリスに来てからはパパが事あるごとにスーパーで売っている「ビスケット」を買ってくるようになってしまった。称してビスケットおじさん。そして食後になるといそいそとお茶を淹れてそういうものを食べている。

やはりその土地に行くとその土地で食べられているものをいただくのがしっくりくるというのもあるし、特に冬場など、温かいお茶とビスケットはホッとするのも確か。しかしなー、太るでぇー。

とは言え、機会があれば行ってみたいアフタヌーンティーのお店はいくつかあるので、お友達はどんどん遊びに来てください!!

過去にテンション高く行ったところはこちら:

marichan.hatenablog.com
marichan.hatenablog.com
marichan.hatenablog.com

子連れコペンハーゲン⑩喧嘩してはいけないヴァイキング船・日本から来ました

遠い昔、イギリスを侵略し、コロンブスよりずっと昔にアメリカ大陸にまで到達していたヴァイキングの皆さん。

子供もイギリスの学校でヴァイキングについて色々勉強してずいぶん詳しくなり、Brexitで忙しいイギリス議会に「『ヴァイキングの日』をぜひ作ってください」という嘆願書まで送ったりしていた。

英語にはヴァイキングの言葉が起源の単語が色々あるというのも、子供に教えてもらった。slaughter(屠殺)、ransack(略奪)、die(死)なんていかにもそれっぽいものから、cake(ケーキ)、husband(夫)、happy(幸せ)というのも実はヴァイキングの言葉から。

他にもlaw(法律)、loan(ローン)、ombudsman(オンブズマン)といった、法律やお金に関する言葉もヴァイキングの言葉がルーツだそう。へー!

ヴァイキングというと、つい野蛮人みたいなイメージを持ってしまうけれど、実際は戦争略奪ばかりしていたわけではなく、集団で整然と船を漕ぎ、貿易をし・・他の土地に文明文化をもたらした一面もあったんですねぇ。

そんなヴァイキングの皆さんが実際に乗っていた船を見に、コペンハーゲンから電車で30分の郊外、ロスキレという街へ。

ロスキレのフィヨルドに沈められていた5艘の船を引き上げて再建したものが展示されているこの博物館。

屋内に、海底から引き上げられて再建された船が展示されている。引き上げた時はバラッバラになっていた船を、パズルのごとく組み直したそうで、その過程の説明もあった。

この船、海路の防衛のためにわざと沈めれたんだそう。敵の船が来ても、沈んだ船が底に引っかかって、通れなくする作戦。

石や材木を海底に投げ入れるわけでもなく、船そのものを沈めちゃう、というのは面白いなあ。

この船が沈められたのは1070年ごろ、ちょうど平安時代

展示場にあった落書きコーナー。やっぱりヴァイキングというと「小さなバイキング・ビッケ」!実はスウェーデンのアニメらしいですが。

そして日本から来た人たちもいるな〜とよく見ると、あき&ゆか以外は、絶対日本から来てない人達だった(爆)アルファベットでは無い不思議な文字、真似したくなる心理。そして文字が崩壊して伝わる様も垣間見れる(笑)

屋外にはのこぎりやキリ、金づちを使って木材で小さな船を作り、水に浮かべてみようのコーナーもある。色んな危ない道具が置いてあるけれど、特に管理する人も監督する人もおらず、子供たちは好き勝手にガンガン工作をする。安全管理責任うんぬんを気にしがちな昨今、でも本来はみんなこうやって色々覚えていくんだよな。

実際にヴァイキングの船に乗り、自分たちで漕いでフィヨルドをぐるっと回って見た。

帆と、人力だけで動く船。ちょっと年配の船長さんと、若いお兄ちゃんが色々教えてくれる。船長のおじいちゃんの話し方が独特で、ライフジャケットの説明はこんな感じ:

「はい皆さん水に落ちます〜、ここ引っ張りますよ〜、very well〜、他の船が来ますね〜、他の船が聞きますよ、あなたこの船に乗りたいですか?、イエスプリーズ言いますね〜、そして船に乗ります〜very well〜」

しかし航海の知識があるってすごいよな・・・、ロープの結び方、風の読み取り方、帆の向きの変え方。そんな知識と経験を頼りに、ヴァイキングは手漕ぎボートで荒波を超え、ヨーロッパやアメリカに渡って行ったのだから、やはり驚異。

そしてこのvery wellなおじいちゃんも、そのヴァイキングの知識と経験を受け継いでいるわけだ。そしてど素人の私達はこの爺様にある意味命を預け、粛々とオールを漕いで行く。

しかしこのオールを漕ぐという行為がかなり難しい。昔ドラゴンボートやアウトリガーなどを少しやっていたことはあるのだが、漕ぐ行為というより、長いオールを出したり引っ込めたり、そしていきなり集まった素人集団の間でタイミングを合わせるのがすごく難しい。

オールは長いので、前から順番に船内に引き入れ、ボートの端に重ねていかないといけない。重ねるにも、周囲の協力とコーディネーションが必要になる。帆の向きを変えるときなど、しょっちゅうオールを出したり入れたりしなければならなかったのだが、順番通りやらなかったり、扱い方がわからず他の人をオールで突きまくったり。

漕ぐタイミングが合わずに前後の人のオールに自分のオールをガンガン当ててしまう人も続出。特に年配の人、自分がトロイのに他の人に文句言うジジババがいたりして(どの国でも老人はキレやすいのか)、イラッとする。

これは、和を大切にする文化じゃ無いと、狭い船だし、他の土地にたどり着くまでに、すぐに喧嘩になって血の雨が降るんじゃないか・・とふと思った。法律だなんだという言葉がバイキングの言葉なのも・・なんだか船に乗って理解できた気がした。規律を守らないものは〜、海に突き落とすぞ〜!

マストの横に座っていると、帆の向きを変えるときなど、気をつけないと勢いよく向きを変える帆に叩きのめされそうになる。ヒー!!声かけ、コーディネーションもすごい大事。

とはいえ、穏やかな水面、緩やかな風を受けて驚くほど船は進み、暑い中で海風を受けてとても気持ちよかった。しかしこんなベーシックな船で嵐にあった時のことは・・・考えたくない。

用途に合わせて材質を変えて作られているロープ。木の皮から動物の皮まで種類は色々。匂いも独特。壁に干してある木の皮、どうやってこれをロープにするのかというと、いくつか重ねて、左右の端からねじっていく。そうしてねじったものを半分におると、あら不思議くるくるとらせん状に絡まる。

よく日本昔話でも、両手で縄をなう絵があるけれど、実際にやってみるとびっくりする。これもvery wellの爺様がやり方を教えてくれた。

しかしこういう知識を持って、自然に向かっていけるって格好いいなあ。全くそういうサバイバルスキルが欠けている自分も、日本からきました💖