愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子連れコペンハーゲン⑨ 夜更けのチボリ

コペンハーゲンで有名な遊園地、チボリガーデン。

チボリってなんだ。

Wikipediaによると、もともとの名前は「チボリ&ヴォクスホール」。パリのチボリ公園と、昔ロンドンにあったヴォクスホール・ガーデンというふたつの遊興施設にちなんでつけられた名前、だそう。って、「浅草富士急後楽園」とか「オランダスペイン村」みたいな感じかいな。

どうして途中でヴォクスホールが抜け落ちたのかは不明だけれど、開業は1843年。日本でいったら天保14年!江戸の時代から続く遊園地。ちなみに水戸の偕楽園が出来たのが天保13年だそう。ここは遊興施設ではないが、それくらい古い。

暑かったりなんだりで、日が暮れかけたころに出かけたが、夜のチボリもなかなか良かった。

施設はアメリカで言ったらカウンティーフェア、イギリスで言ったらファンフェア的な感じのアトラクションが多い。とはいえ、あちこちから絹を引き裂くような悲鳴がわきおこり、見ているだけで三半規管がやられてしまいそうなハードなライドも結構ある。

そういう乗り物に乗って、消化器官に負担をかけたり変な脳内物質を出すのがあまり好きではないので、適度に子供が喜ぶレーシングカーとかボートに乗ったりして過ごす。

だんだんライトアップされてきて、ウロウロ歩いているだけでも楽しい。

欧米ではよく見かける、想像上の世界でしか存在しないような変なオリエンタリズムな感じの施設も、脳がよじれる感じで面白い。まあ日本にある西洋のお城みたいなラブホとか(笑)もこんな感じなのかもしれない。

この中国風味の建物はパントマイムシアターのステージになっている。他にも大きなステージがあって、ぼちぼち有名なパフォーマーが来てコンサートすることもあるみたい。まさにカウンティーフェア。

この仰々しい塔は、なんと寿司レストラン。

そして、公園のあちこちに吊るされているこのデザインの照明。デンマーク照明デザイナー、ポール・ヘニングセンのデザインによるもの。

泊まったAirbnbのお家でも、コペンハーゲンを歩いていてふと窓から見えるよそのお家のリビングルームでも、あちこちでこのデザインの照明を見かけたけれど、ヘニングセンは1940年代に、チボリ公園の照明デザインも手がけたそう。

数あるデザインの中でも、電球の周りに蚊取り線香のようにぐるぐるらせん状のシェードがかかっているデザインは、「ブラックアウト・ランプ」と呼ばれていて、爆撃機からは光が見えないようにしたもの。

って、日本でも戦争中は空襲を避けるために電気の周りに黒い布とか巻いてたんだっけ・・そういうののもっとおしゃれ版と考えるとちょっとウッと来ますね。

でもちょっと欲しいなー

そんな灯火管制デザインの照明から漏れる光はある意味幻想的でもあり、夜更けのチボリはドリーミーな雰囲気でありました。

子連れコペンハーゲン⑧ 塔、ボート、博物館

夏のコペンハーゲンは、熱中症になる!と思うほど日差しが強い日もあったけれど、11月のロンドンがこれほど凍てつくような寒さなので、今コペンハーゲンに行ったらもっとすごいことになっているのだろうか。

寒さと、日照時間の短さにどよーんとなりがちなこの時期。さんさんと太陽が照り付けていたコペンハーゲンの写真をぼんやり見つめながら、終わらない旅日記、行ったところを駆け足で。

救世主教会の塔は、歩いて登ることができ、コペンハーゲンを一望できる絶景スポット。出発前に見た旅番組でも紹介されていたけれど、塔の上のほうはちょっと手すりが付いているだけで、高所恐怖症の人にはかなり恐ろしいスポット・・というのに子供がビビったため、パパだけ登頂。

この教会の近所にはヒッピーのコミューン的な場所、クリスチャニアという場所もある。1000人ぐらいの人達が自分ルールで暮らしているエッジーな場所。キレイで整然としたコペンハーゲン、そして社会保障がえらくしっかりしたデンマークという国の中に、ある意味無法地帯的なそんなエリアがあるのはとても面白い。

カラフルなミュラル(壁画)や独特の雰囲気のあるこの場所は、観光地にもなっていて、ヒップなフードトラックが来る場所にもなっているけれど、基本的に住人達は不法占拠した場所に住んでいる形。ドラッグディーリングもされているので、定期的に警察のガサ入れもある模様。うむ、キレイなジャイアンならぬキレイなオークランドってところか?!

私と子供は今回足を踏み入れなかったけれど、塔に上るために別行動をとったパパはちょっと後で見に行っていた。

ボート

とっても観光客的行動ではあるけれど、コペンハーゲンのボートツアーは、面白かったしやってよかった。おススメです。

運河がたくさんあるコペンハーゲンを、ずいぶんテンションの高いデンマーク人のガイドのお姉さんと、無口なスウェーデン人のキャプテンが案内してくれる。

コペンハーゲンの近代建築を海から眺めてみたり、

頭がぶちあたってしまいそうなくらい低い橋の下を通ったり、

間違って大砲を打ってしまい、市民の夏の別荘地に着弾して家を破壊しちゃった軍艦や、王様の見えるところだけキレイだったらいいや、と、王宮に面している側とその反対側の外壁や窓の感じがまるでびんぼっちゃま君的になっている建物やらを眺めたり、

例の世界3大がっかりの人魚像、と、それにむらがる観光客を海のほうから遠巻きに冷やかしてみたり。

ガイドのお姉さんは、客のデモグラフィーに併せて英語とドイツ語でペラペラペラペラとしゃべり続けていた。

狭い運河を通過するときには、たいてい橋の上にいる人達や、運河沿いに座ってぼーっとしたりサンドイッチを食べているような人達が、わ~っと手を振ってくれる。時には運河沿いの家の窓をばっ!と開けて、中から盛大に手を振ってくれたおばあちゃんもいた。一瞬仕込みなんじゃないかと疑うほどのフレンドリーさ。

前に座っていた観光客はそれを見て「人寂しいのかしら・・」。そうなのか?!

博物館

パパが高い塔に一人で登ってワキャワキャしている間、私は子供を連れて国立博物館へ。

デンマークといえばバイキング。子供は学校でバイキングに関するプロジェクトをしたりして、随分とバイキング文化に興味を持っていたのでちょうど良かった。

バイキングというと、角の生えたヘルメットをかぶって・・というイメージがあるけれど、あれはそれこそワーグナーのオペラの衣装のデザインで後から勝手についたイメージらしい。

バイキングの当時の衣装は、劣化してあまり残っていない部分もあるらしいが、出土したものや、色々想像をたくましくした再現写真はこんなかんじ

角、あるっちゃある。これは夏の装い・・?

展示は興味深かったがなにしろ冷房があまり効いておらず、長時間逗留するにはちょっと辛い感じであった。

この博物館は子供むけ展示コーナーが充実していて、海賊船や、昔の学校の教室や、インドの雑貨屋のセットのようなところで子供達が遊べるようになっている。子供がハマってしまい、結局そこで数時間つぶすことに。

結構イギリスから遊びに来ている観光客や、ニューヨークに住んでいて里帰り中だというデンマーク人一家など英語を話す子供がたくさんいたので、子供は相手をとっかえひっかえ、えんえんと楽しく遊んでいた。まあ、子供にとっては、観光よりもこうやって遊ぶ方が楽しいに決まってるか。いや、かくゆう私も街をただウロウロするのもいいけれど、やはり何かを実際にやったり、人とコミュニケーションをとれたほうが楽しいもんなあ。

で、このニューヨークから里帰り中の孫の相手を1ヶ月もしてさすがに疲れはてたという、デンマーク人のおじいちゃんと世間話を延々とする羽目になったのであった。だいたい孫や子供の自慢話で終わったけど(笑)

しかしその家族に、この博物館でやっているチンギスハーンの展示がとても良いというのを聞いたので、デンマークでモンゴルもあるまいとスルーしようとしていた展示が見れたのはとても良かった。展示場全体がモンゴル仕様になっていて、モンゴルの大草原の様子がプロジェクションされたり、バーチャルな焚火を囲んでテムジンの物語を聞いたりすることもできる。

最近の博物館の展示はバーチャルなものがたくさんあったり、インタラクティブですごく良いですね。

リスボンの美味しいもの集

リスボンの街はほとんど見れず、大きな広場とか海辺を車の窓から見ただけだったけれど、夜は宿から歩いて行けるところで美味しいディナーをたくさん頂いた。リスボンの飯、予想以上に、良かった。

Timeout Market

フリーペーパーのTimeOutがやっているフードコートなんかがあるんだ!と驚いていたら、ニューヨークとかにもあるみたい。そしてロンドンにも近々できるらしい。隣はリベイラ市場という生鮮食品市場。

マドリッドから飛んできたスペインの同僚達と合流して、ここでお昼ご飯。店名を忘れてしまったけれど、日替わりセットメニューがあるシーフードのお店で、タコ!ドリンクとデザートが選べて、12ユーロぐらいだったか。ロンドンと比べるとずいぶん安い。


オリーブオイルがドボドボかかっているタコと芋、うまい。ポルトガルのオリーブオイル、うまい。オイル、空港で適当につかんでお土産に買ってきたけれど、それもものすごく美味しかった。

デザートで選んだのは、プディム。プリンのことだけどスペルがpudimでかわいい。そして激甘である。

コーラの缶は細く、ポルトガル、と書いてある。

マーケットではかわいいパッケージの魚の缶詰とか、エッグタルトとかも色々売っている。とにかくカンファレンスの参加者でごった返しててものすごい混雑だった。

ESPADA

同僚が予約しておいてくれたレストラン。何かスペシャルで50%オフのクーポンがあったのでみんなで豪勢にオーダー。

モヒートについてきたストローはパスタだった!途中でドロドロになっちゃう紙製よりいいかも。

タルタル。

ツナと、ブラタチーズ。

ホタテとカリフラワー。

魚介とクリーミーなチーズの組み合わせシリーズ、ツナに続いて、エビとブラタチーズ。

サーモンを、中華の皮で挟んだもの。このサーモンがとろけるように美味だった。ちょっとフュージョン入ってますね。そういえばカンファレンス会場にはフードトラックや屋台がたくさん出ていたんだけれど(でも混みすぎてどこも40分待ちとか)、台湾の刈包の店が出店していて、一番長蛇の列ができていた。

リングイニを頼んだらイカスミパスタが出てきた。とにかくリスボンはシーフードが美味しい!あとセビーチェやガーリックライスも超絶の美味しさだった。

写真撮らなかったのもあったと思うしみんなお酒も頼んだけど、割引のおかげで7人で160ユーロとかかなりな破格だった。

http://www.espada.pt/?lang=enwww.espada.pt

エッグタルト

もう少し数キロ先に行くと、すごく有名なお店があるらしいのだけれど、遠くて断念。同僚が夜の散歩がてら買ってきてくれたのが、Manteigariaというお店のエッグタルト、というかパステル・デ・ナタ。

ずしっと重い!そして、結構シナモンの味がきいていて、イギリスで食べるのよりもずいぶん甘い。ポルトガルのスイーツは概して甘め。

DesNorte

ポルトガルオフィスにいるブラジル人の同僚セレクトのお店。同じポルトガル語を話すし、空港でもブラジルからの旅行者が多い印象(フライトの時間が重なっただけかもだけど)。

ツナのタルタル。ライムやアボカドなど自分で混ぜる。

パスタはまたもイカスミだった。ホタテがこれでもかと大量に・・。

こちらはBacalhau à Brásという料理。細かくした干し鱈、細くてカリカリのフライドポテトなどをクリーミーなソースでまとめてある。ここのお店のおススメで、このメニューは太字になってた。

デザートは何人かで「アイボリー・プディング」と英語であるのを注文。ポルトガル語ではPudim de Marfim。アイボリーというからもっと白いかと思ったら、結構普通のプリン。キャラメル味が半端ない劇甘デザートでした。

http://www.desnorte.pt/www.desnorte.pt

おまけ

ポルトガル航空の搭乗ゲート近くにあった、魚の缶詰のお店。



今回ヒースローからポルトガル航空で飛んだけれど、フライトも激安な上に、さすがに国を代表する航空会社なだけあって色々スムーズ、サービスもすごく丁寧で良かった。ポルトガル行くときはまた使うかも。今度は家族と一緒に、街をちゃんと見て回りたい!

私が留守で子供は2日目の晩にしくしくと泣いたらしい。家のドアにはおかえりポスターが貼ってあって、私が帰った日の夜は興奮して喋り倒し夜中まで寝付かなかった。

今回出張に行ったメンバー全員、Airbnbの固いベッドでよく眠れなかったせいか、私も含め帰宅後数日は寝ても寝ても眠く、風邪ひいて休む人も続出。お疲れ様でした。

リスボン

出張でリスボンへ。出張なんて、何年ぶり。1人で海外フライトなんて、さらに何年ぶり(多分10年以上ぶり)。

今回はカンファレンスへの参加だったので、カンファレンス会場とAirbnbとの往復しかできず、街を見ることはほとんど全くできなかったけれど、リスボンは建物はすごくひなびた感じの、でもとても美しい街だった。

結構坂が多い上に路面電車が走っていて、ちょっとサンフランシスコを思い出す。

雨がしとしと降る日もあったが、空港に降り立った時の太陽の眩しかったこと。雨続き、4時過ぎると真っ暗で凍えるロンドンと比べると、コートもいらず、思わず小躍りするくらいだった。やはり太陽って大切。

今回行ったのはこちら。ヨーロッパ最大規模のテクノロジーカンファレンスで、期間中7万人も人が来る。いろんな展示ブースがあり、20分刻みのトークセッションがいくつものステージで繰り広げられる。4日間会場を走り回り、ぼちぼち色々な人にあったりベンダーと話をしたり、気になったトークを聞いたり。

トークは興味深いトピックもあったが、何しろ短いのと、hindsight biasみたいなのが相まって、これは新しい!!と驚くようなものがたくさんあったわけではなかったけど、会社の経営にしろ、提供するサービスやテクノロジーにしろ、顧客のニーズだけじゃなくて社会の声を聞け!social equality, inclusion、ダイバーシティ的なキーワードがいっぱい出てきた。あとはやっぱり温暖化云々も。

これがマーケティングブランディングのためだけに言語化されているのでなければいいなと思いつつ、人々の意識はそういうところに向かっているのね、というか、これが今のトレンドかもしれない。数年後にはどうなっているだろう。

自分がやっている仕事も、10年前には存在しなかったような業務だし、この10年間でのビジネスやテクノロジーマーケティングやサービスの形は、過去20−30年間での変化とはまたものすごい違う形で進化しているんだよなあ、と言うことを実感しつつ、その分今ここで熱っぽく語られているコンセプトが絵空事で終わるのか、確固たるものになるのかわからない流動的な世界の中で、踊らされている渦の中にいるような気分にもなる。技術の繁栄のために実は人間が利用されているんじゃないか、的な。

結構大人数で泊まったAirbnbは、オバケの出現を心配する者が出るくらいシャビーで、ベッドが硬くてよく眠れない人続出だったが、まあそれなりによく飲みよく食べよく騒いだ。子供と離れるのが初めてだったので、初日は子供のビデオを見て涙腺が緩むという現象に悩まされたが、お化け屋敷のような宿も、家族から離れているということも、終わりがあることを知っていると、だいたい2日目ぐらいからは慣れるもんですね。

カンタベリー

週末電車にぱっと乗ってカンタベリーに行ってきた。世界史で習ったカンタベリー大聖堂のある、中世のこじんまりした街だった。

カンタベリーはイギリスのキリスト教の中心地みたいなところ。7世紀ごろ、ローマ法王がここに修道院や教会を作り、カトリック布教のホームベースにしたのがはじまり。

その後わちゃわちゃあって、今はイギリス国教会の総本山になっている。って世界史でやったはずなのだけれど、綺麗さっぱり内容を忘れていた。うーむ詰め込み暗記受験勉強の功罪よ。

世界遺産にもなっている大聖堂は、礼拝の真っ最中で、大聖堂にはそれはそれは美しい歌声が響いていた。パイプオルガンと讃美歌を聞きながら、歴代の大司教やら貴族やら地元の名士やら戦没者やらが壁に埋葬されているのを見て回る。

こういう教会って、教会の地下とか壁にどーんと石の棺が並んでいて、その中に黒王子とか、普通に歴史上の人物が入ってたりするので、ちょっとヒ~っとなる。

戦没者の慰霊碑は、その土地の部隊ごとに作られていることが多いので、その街の部隊がどこで戦ったか、土地の教会に行くとその傾向があったりする。ここでは植民地時代のパンジャブ地方やアフガニスタンでの戦没者慰霊碑がたくさんあった。自転車部隊なんていうのもあった。

しかしこの大聖堂に埋葬されている一番の有名人はトーマス・ベケットさん。1100年代にカンタベリー大司教だった人。

当時の王様ヘンリー2世のお友達で、王様は仲良しのベケットさんを大司教にして教会を思い通りにあやつろうとしたのに、たいして信心深いわけでもなかったベケットさん、いざ大司教になったらその使命に燃えてしまったらしい。政治が宗教に口出しするの、やっぱりあきまへん、と王様の要求をことごとく突っぱねるようになっちゃったのだとか。

その後もわちゃわちゃ色々あった後、王様が「ベケットやっぱりあいつムカつくわ」と言っているのを小耳にはさんだ騎士数名が、気を利かせてベケットさんを勝手に殺しちゃったからさあ大変。

ベケットさんはカトリック教会によって聖人になり、ヘンリー2世は彼のお墓の前で、ボロボロの服を身にまとい、そんなつもりじゃなかったんだよゴメンナサイと謝罪を余儀なくされたんだそう。

そんなベケットさんが殺された現場には今もろうそくが立てられている。騎士がやってきた時、広い大聖堂のどこかにうまく隠れていれば殺されることもなかったのに、わざわざ騎士の前に出てきちゃったベケットさん。

今殺されたら聖人になれるチャンス!と思ったとか、やれるもんならやってみな!とチキンゲームよろしく煽ってみたらそれが裏目にでちゃったとか、色々説はあるらしい。いずれにしても、斬られたおかげで大聖堂は聖人スポットとして、巡礼地としても賑わうようになったとか。

チョーサーのカンタベリー物語も、このベケット詣でに行く人達が、旅の途中暇つぶしに披露した色んな話を集めたもの、という体になっている。

古い教会を改造して、中世の街並みと、カンタベリー物語の一部を人形と音声で紹介してくれるようなアトラクションもあった。当時の人になりきったガイドさんが案内してくれるのだが、この教会の中が薄暗いうえに、本当に中世の時代かと思うような臭いがしたりして、なかなか凄みあり。

中世の時代、排泄物は窓から外に投げ捨てたり、風呂も年に1度入るかどうかだったというから、今となっては雰囲気のある中世の街並み、ロマンチックで素敵♥などと言えるものの、当時の悪臭はいかばかりだったかと想像すると、たまらん。


ボートにも乗った。川底が透き通って見えるほどきれいなこの川も、昔はウンコまみれだったそうで、魔女裁判にかけられた者や、軽犯罪を犯したものは、この川に漬け浸しの刑にされたそうな。ボートを漕いでくれた、真冬の天気で寒いのに半そで短パンの若いお兄ちゃんが、カンタベリーの歴史をまるで見て来たかのように色々と教えてくれた。

創業1500年などというパブも残っている。当時の人達の平均身長の低さが想像できるような、傾きかけたような古くて小さな建物も随分残っている。そこに入っているのはチェーンのイタリア料理店だったりするのだが、中世の入れ物は残しつつ、そこに現代が共存している。

大聖堂でも、何百年という歴史に囲まれながら、地元の人達が普通に礼拝に参加していた。礼拝が終わると女性の司祭が出口で皆さんひとりひとりと握手したりハグしたりしながらお見送り。仲良くおしゃべりしながらこの後コーヒーでもどう?などと話していたのがとても印象的だった。

脈々と続く歴史の延長線上にある地元コミュニティ。特に宗教を持たない自分にとって、これまた数千年続くキリスト教という、ある意味任せて安心的な大きな箱の中に、みんなが心地よさげに入っている様子は、なんとも楽そうだなぁ・・・、というと語弊があるけれども、どのコミュニティにも深く根ざさず、好き勝手にフラフラしているわが身と比べると随分対照的な世界に見えたりもしたのだった。

そんな深い歴史の街カンタベリーの駅前にはアジア食品店とインド中東食品店があったので、イギリスではそこまで簡単には手に入らない大根を1本買ってまた電車に乗って帰ってきました。

ヨーロッパはやはり、教科書でしか知らなかったような場所を実際に見て、歴史を感じることができるのがやっぱりいいですね。