愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子連れスペイン旅④マドリードのマーケットの食べ物を淡々と羅列するよ

スペインといえばタパス。街中にタパスバーばかり一箇所に集めて観光客も集まってるところがあって、我が家もギュウギュウ押されながら食べてきたのでそこで撮った写真をただ羅列するよ。

サン・ミゲル市場、ガイドブックに絶対載っているところ。ここは中世から青空市場だったそうで、このモダンな建物は1910年ぐらいに作られたもの。近年はスーパーなどの影響で市場への客足も減って存続の危機だったところを、10年ほど前にスペイン各地のタパスが食べられるガストロミー・マーケット風に大改装したんだそうです。

カウンターで注文してその場で立ち食いして次の店に移動して・・・を一箇所でできる!

モッツァレラやらチーズの山!

観光地プライスでちょっとお高めだけど、どこも質は高くてちょっとおしゃれ系。

またまた巨大モッツァレラ。

パエリア〜イカスミのもある〜!パエリアはバレンシア料理だそう。

パパが大フィーバーした肉屋のコーナー。ここにある豆と臓物のスープ(カジョス)を注文。これ、作り置きしてあるんだけど、ゼラチン質が固まって固形になっているのを、再度グリルの上に置いて温めてくれます。別のタパスバーに行った時も、大皿に作ったカジョスが置いてあって、注文するとそれをケーキみたいに切って、温め直してました(!)

グツグツ煮えたぎるカジョス。ちょっととろみがついててうまい。

ソーセージとピーマンとか。

せっかくスペインにいるんだからスペイン料理を食べようなんていう気持ちはみじんも起きない8歳児は、スライダー(ハンバーガーの小さいの)を頼みましたが、スペインの牛肉がこれまた意外に美味しかったです。

魚、魚、うおー!

カニ攻撃。

そしてこちら・・・ガレリア地方のシーフード屋さん。子供が大好きなタコと、新鮮なウニも!!

これ全部掴んで食べてしまいたい。でもちょっといいお値段しました。

カニのグラタン風の、そしてこちらはウニも!

コロッケ、そしてヤキトリィ

塩漬けのタラやビーフシチューが入ったコロッケ、そしてウニのもいただきました。コロッケの中身みたいな感じでした。子供はヤキトリィが気に入って、もう一本自分で頼んで買いました。

アイスクリーム屋さん。選んだフレーバーのアイスクリームをブリオッシュに挟んで、ホットサンドイッチみたいにしてくれたり、鼻やダースベーダーの形のアイスキャンディーなど、面白いものが色々ありました。

あーーこういうものがちょこちょこっと食べられるお店がここら辺にもあればいいのになぁぁぁ。

子連れスペイン旅③ マドリードで鉄分補給

チュロスで腹ごしらえをした後は、近所を散策しつつ、メトロの駅へ向かいます。

地中海性(?)の街並みって多分あると思う、ギリシャ、イタリア、イスラエルなどなど、過去に行ったことのある場所と、なんとなく佇まいや空気感が似通った所があるような。でもよく見ると、色々違ったりするんだけれど。

一番最初に思ったのは、マドリード、道が広くて全体的に綺麗で、思ったほどこちゃっとしていない(マドリードに住んでた人に言ったらえーっと言われたけど)。

車道の真ん中には歩道がある場所がところどころあって、そこをゆったりと散策できる。時々そこにカフェが椅子やテーブルを出していたり、バーがあったりするところも。

地下鉄の駅入り口。日本の地下鉄同様一つの駅に何カ所か出入り口あり。ただ、駅に入るには、ビル地下入り口にあるような、ガラスの扉を押して入らないといけません。これ、混雑の時は詰まる原因になりそうだけど、そんなに混まないのかな。

そして場所によっては天井が異様に低い。私でもジャンプしたら頭つきそうな位です。古いところはそうなんだろうか。

初めて乗ったのが日曜日の午前中だからか、街も駅も閑散、駅員さえも見当たらず。誰もいなすぎて、ちょっとSF映画のようでもありました。

プラットフォーム、路線によってはめちゃくちゃ短かったです。多分4−5両編成?プラットフォームの壁に、携帯充電できる場所もありました。

電車がまいりますのアナウンスもなく、地下鉄はすーっと入ってきます。プラットフォームに駅員がいたかどうかも、今となっては記憶にない。

平日に乗ってもそれほどは混んでおらず(路線によるのかもしれないけれど)、マドリードラッシュアワーっていつなんだろう?私たちがよく乗ったのは5号線でしたが、地下鉄のイメージは、全体的に静か目な印象でした。

駅によっては、プラットフォームが電車の両側にあり、両側のドアが開きます。これ、混雑緩和のための方法で、スパニッシュ・ソリューションと呼ばれるとウィキペディアには書いてありましたけど、阪急の駅でもなかったっけ?

CAF社製のかな?ドアはボタンで押して開けるシステム。古い型のは、取っ手みたいなのを上にあげるとドアが開くのですが子供には硬い位でした。

駅の名前も面白い。政治家、軍人や冒険家の名前を冠したものが結構あった、そしてベラスケス駅とゴヤ駅が隣りあっていたり。

そしてカリフォルニアって、思えばスペインの影響も大きいんだよな。サンフランシスコベイエリアにあるストリート名を彷彿とさせるような駅名もいくつかありました。アラメダだってスペイン語だもんね。

電車の中では、カップルがコソコソ会話。彼が何かつぶやくと彼女が間髪入れず「Si, si, si, si」って言い続けているので何かと聞き耳を立てると、地下鉄の駅名全部覚えてるかチャレンジ中でしたwどの国でも似たようなことやるのねw

子連れスペイン旅② チュロスにはまる

スペインにはご存知の通り美味しいものが色々あるけれど、陳家がなぜかはまったのは「チュロス」。

メキシコにもあって、ベイエリアでは道端や野球場なんかでもメキシコ系のチュロスが売っていたけれど、学校給食でみんなが大フィーバーしていた揚げパンが大嫌いだった私は、シナモンと砂糖がガンガンにかかっている揚げ物チュロスにも食指が動かず・・・。

でもスペインで食べてみたら、とてもとてもはまってしまった。

マドリードでの最初の朝、地元のカフェに入ってみたところで頼んでみたのがこれ。

住宅街の中にある店、地元の人達でごった返している。初めての国でちょっと戸惑うのが、お店でのちょっとした動き。テーブルに案内してもらうまで待つのか、勝手に座っていいのかも最初はなかなかわからない(マドリードのこういうお店はだいたい勝手に座るタイプだった)。

言葉もわかんないしなんとなく挙動不審なアジア人一家だが、隣の席に一人座っているおじさんと目があったのでニッコリしたら、「ここの店はチュロスがこの界隈では一番おいしいんだよ」とコソッと教えてくれた。

実際店の奥にはガラス張りのキッチンがあって、そこで丸々としたお腹のおじさんがガンガンチュロスを揚げている。

チュロスと、太目のポラスを注文。お店の人に3、と言ったのだが、いやトータル8のほうがいいとスペイン語でがーっと言われ、なんだかよくわかんないけどそれでと言ってどーんとやって来たのがコレ。一本は2-30円ぐらいだったか。

太いやつは、なんだか中華の油條みたい。スペインポルトガルとアジアの交易の歴史を考えると、つながっていたとしても不思議じゃない。

どちらも甘くなくて良い。ボラスのほうは、もう触ると油がじゅーっと出る。こんなに食べられるのかちょっと心配になる。

子供にはホットチョコレート、私達はカフェ・コン・レッチェエスプレッソに、温めたミルクをだーっと注いでくれる。

ホットチョコレートは、今まで飲んだことのあるホットチョコレートよりもドロッとしていて、これにチュロスなどをディップして食べる。ホットチョコレートそのものもそこまで甘くなくてちょうどいい。

他のお客さんたちも、チュロス以外にも、朝ごはんのパンを自分のコーヒーにちょっと浸して食べている人が多かった。

そしてこんなに食べられるのかとの心配はどこへやら、奪い合うようにしてあっという間に完食。

チュロスの甘すぎず、カリッとした美味しさが忘れられなくなってしまい、後日有名店を通りがかったので入ってみた。

ここはもうガイドブックなどでも絶対おなじみのところだと思う。創業も1894年と古い。なんと昔渋谷に出店してたこともあるんだとか?!日本どんだけー。

狭い路地にものすごい量の観光客が並んで道をふさいでいたが、お待ちの方はこちらでもどうぞ~と団体客の一部はテイクアウト専門の道向かいの二号店に誘導されてごそっといなくなった。

ここは観光客慣れしているので日本語メニューさえある、英語も通じる。レジで注文してレシートをもらい、それをウェイターに渡して適当に席に着くと持ってきてくれる。何しろメニューがだいたいチュロスホットチョコレートなので、回転は驚くほどいい。

そして地下、外にも席があるのにウェイターはどうやって把握しているのか、てきぱきと注文の品を持ってきてくれる。それこそ蕎麦の出前のものすごく重ねたやつを運ぶ出前の人みたいに、ホットチョコレートカップをお盆に山積みにして持ってくる。それこそテクノロジーは何も駆使しない、昔ながらの技術みたいな感じがして良い。

この店のチュロスはまっすぐ系。輪っか状になっているのはマドリード風とどこかで読んだ。

混雑にうんざりしたのもあるかもしれないが、最初に行ったお店ほどの感動はなく。

というわけでさらに後日、最初に行った店に舞い戻った。

お店の人もどうやらこの一家を覚えていたようで、前と同じでいいわねー、と言うのでいや今回は・・とポラスはパスして、チュロス大会に。

ここのお店のほうが揚げたてだからかカリッとしてて、とても好みだった。

前回パパがコーヒーの2杯目を注文したことも覚えられていて、もう一杯持ってきてくれようとするのも断らないといけなかったw ここあと2回位通ったら、黙ってても「いつもの」が出てくる店になっていたかもしれない。

チュロスにつけるホットチョコレートがドロッとしているのは、コーンスターチでも入れてとろみをつけてるのかねぇ、と冗談で言ったら実際そうらしい。これだと冷たくなりにくかったりするらしい。チュロスにもよく絡んで良かった。

それにしても朝から揚げ物ばかり食べてて太るなあと思ったが、何しろ毎日10キロぐらいは歩き回っていたので、それほど心配は無用であった。

子連れスペイン旅①:マドリードへGo!

イギリスの学校は休みが多い。学期の中間に中休みみたいな感じでちょこちょことある。ありすぎてちょっと困ってしまうのだが、2月にも1週間の休みがあったので、マドリードに行ってきた。

格安の飛行機に乗って2時間もかからずに着いてしまう。宿もマイルで取ったのでタダ同然だった。海外旅行と考えると贅沢にも聞こえるが、多分日本で新幹線に乗って国内旅行した方が出費はずいぶん重なりそうではある。

夜のマドリード、とても暖かい。そして空港から街までもタクシーで15分ちょっとととても近い。

タクシーの運転手はコロンビア出身のおじちゃんであった。

曰く、コロンビアのスペイン語は、本場スペインのスペイン語よりもわかりやすく綺麗なのだと。

それに比べて、ガリシア地方のスペイン語はほとんどポルトガル語っぽいし、グラナダスペイン語なんかは二度聞きしないとわかんないそうだ。

だからちゃんとしたスペイン語を学びたい人はコロンビアに行くべしとのことであった。

スペインのスペイン語ではこう言うけど、コロンビアのスペイン語では・・と色々説明してくれたが、どっちもよくわからなかったw どうもスペインのスペイン語は時制を変な風に重ねたりするっぽい。

キューバは小さい島なのに方言が3種類あるとか、植民地だったところの方が昔ながらの言葉が残りがちだの、言語学談義的に話は広がっていったが、とりあえずマドリードのことでわかったのは、マドリードの水道水は飲める、ということだけだったw

宿は銀ダラ・・ではなくてギンダレラという、どちらかというと住宅街的な場所にあるアパートホテルをとった。

スペインというと、晩御飯の時間が遅くて、みんな真夜中までご飯を食べている、というイメージだけれど、周辺の店はもうどこも閉まっていて静か〜なものだった。

というわけで、マドリード到着初日の夜の晩御飯は、パパがトルコ人パキスタン人がやっているケバブ屋を見つけて買ってきたケバブを夜の10時すぎにホテルでいただいたw

テレビではスペイン語吹き替えのドラえもん。何を言っているのかわからないものの、ドラえもんひみつ道具を出してくれる前に起こる様々なトラブルを見て「ドラえもん怖い」と半泣きになった小さいさんであった。

というわけで、今度はマドリード旅が始まります。

とってもたまらん郵便博物館

先日郵便ポスト巡りをした勢いで、ロンドンのポスタルミュージアムに行ってきたらすごく楽しかった。実は子供の時になりたい職業の一つが郵便屋さんだった。

誰かが紙に書いたメッセージが、どんなに遠くからでも届くというロマン、貼ってある切手の楽しさ。子供の頃は文通やら、もちろん切手収集もしていた。

そして何より小学校低学年の私がはまったのは、毎年100枚単位で父親に届く年賀状を、郵便番号、都道府県、名前やハガキの種類など、いろんなカテゴリー別に分類して統計を取るという作業…w

持っていた図鑑の中に、郵便列車というのがあって、中で電車に揺られながら郵便物の仕分けをする人たちの写真があり、なぜかそれにものすごく憧れたこともあった。流通物流運輸輸送全般が、どうも好きのようだ。

郵便博物館はキングスクロスまたはラッセルスクエアからちょっと歩いたところにある。隣には巨大な郵便局・配送センターもあって、巨大な郵便トレーラーが出入りしていて、こういうのが好きなお子様(大人も)にはたまらないロケーションでもある。

Mail Railに乗れてたまらん

この博物館の目玉は、ロンドンの地下を走っていた郵便用の地下鉄、Mail Railに乗れること。

今に限らずロンドンの渋滞は昔からすごかったので、郵便物を運ぶにもずいぶん時間がかかったらしい。そこで地下トンネルを作り、郵便物輸送専用の地下鉄を引いたのだそう。

1927年から2003年まで使われていたこの路線。今は運転手さんがいるが、当時は電気で走る無人列車だったそう。また郵便物や小包を載せる程度の大きさなので、列車はカプセルに乗ってるみたいにものすごく小さい。閉所恐怖症の人はかなり無理かもしれない(無理な人用に、別に様子を映像で見れるコーナーもちゃんと用意されている)。

パディントンからホワイトチャペルまで、地下路線は10キロちょっと。閉鎖後は、自転車専用道路にするとか、マッシュルーム栽培の場所にするなどの案もあったみたい。自転車の案はいいなと思ったけど、実際トンネルの中、防空壕並みに狭いし、何かあった時の非常口や通気口もないしちょっと無理かな〜残念。

電車に乗るのは正味15分ぐらい。実際にこの列車の運行に関わっていた人が解説してくれる音声ガイドがあり、途中集配所だったところなどに止まって、白い壁にプロジェクションする形で色々な説明があるのを、車内から見る。

ロンドンの博物館は、どこもプレゼンテーションが工夫されていていいなぁと思うのだが、ここもかなり良かった。

そして列車を降りた後にある展示も良い!!なんとこれ・・私が憧れていた郵便列車!!中に入ると実際の電車のようにガタガタと揺れる。揺れた状態で、実際に郵便物の仕分けをする。たまらん!!3回ぐらいやってしまった。

もちろん今はこういう仕事はバーコードだ何だで機械化されている。コンピューターが人間の仕事を奪う云々なんていうけれど、3回ぐらいやるのは楽しいが、やはりこういう仕事を人間が電車に揺られて一日中やってた時代があったのかと思うと、それもゲンナリである。

ふた昔前のウルトラマンとかに出てきそうな、レバーやスイッチを押して電車を操作する司令塔のシュミレーションなどもある。その時々の技術で、効率的に荷物を郵送することを考えたエンジニアリングの世界が色々垣間見れて、もうたまらん。

いろんなポストが見れてたまらん

ロンドンの道端に立っているとつい確認してしまうようになった郵便ポストだが、ここでもいろんな異形・レアなポストを見ることができる。

郵便制度が始まったのはビクトリア時代。最初のポストは赤ではなく緑だったらしい。見つけづらかったり何だったりで、のちに赤に塗り替えられたんだそう。

戦争と郵便の展示もある。郵便局員も動員され、前線で戦った人達もいる。また街が爆撃にあっても、インフラだけは保守しようと、被害を受けた郵便ポストに投函された手紙を救出したり、道端に急作りのテントの郵便局を開設したり、という地道な努力が行われていたそうだ。爆撃を受けた後も、何時間以内に復旧する、というガイドラインというか目標があったらしい。

郵便の他に、電信系も郵便局の管轄だったので、そちらも同様とのこと。

第一次大戦はもう少し「のんびり」していて、郵便で前線の家族に焼いたケーキを送ったり、色々している。それも1−2日で着くようになっていたという。

郵便、電信電話、鉄道といったインフラは戦争災害があってもライフラインとして継続させないといけない、そういえば私の祖母も戦争中交換手(の教官)なんかをやっていたそうだ。原爆があったあとも電車が動いていたというのも思い出した。どちら側だったにせよ、そうやってインフラを守っている人達がいるということなんだよな。

エアメール用のポストは青。あとポストによっては、上にこうやってサインみたいなのがついているのもある。郵便局はこっちです、という矢印だったり。

こちらは変わり種、切手販売機とポストが一緒になっているもの。

横から見るとこんな感じ。

郵便ポストが建てられた時代は、ロイヤル・サイファというその当時の王様女王様の印で見分けることができるけれど、スコットランドのポストは、エリザベス2世のマークが E II R となっていないんだそう。

これはなぜかというと、イギリスではエリザベスは2世だけれど、1558年から1603年まで在位したエリザベス1世スコットランドは統治していないため、スコットランドにとっては今のエリザベス女王が、初めてのエリザベスだから・・・なんだそう。

そんなこんなで、スコットランドではEIIRのマークがついている郵便ポストの破壊が続いたので、スコットランドの王冠のデザインに変えたんだとか。ヒー。

郵便ポスト一つにしても色々ありますねぇ。このくだりはWikipediaのエントリーにもなっていた。

en.wikipedia.org

そしてこれ・・・!在位が1年に満たなかったため、存在そのものがレアアイテムなエドワード8世の郵便ポスト。ちょっとズルだけどここで見られたぞー!

シンプソン夫人との「王冠をかけた恋」なんてもてはやされた話については、まあそんなキレイなお話でもなかったことについては、こちらもどうぞ⬇︎

marichan.hatenablog.com

こちらは黄金のポスト。ロンドンオリンピックで金メダルをとった選手の地元のポストが金色に塗られている。

さらに変わり種として、外に設置されている、電話ボックスと郵便ポスト、切手販売機が一緒になったもの。実際のところ郵便ポストとしてはキャパが小さすぎ、電話する時に切手販売機がガチャガチャうるさいなど色々問題あり広まらなかったみたい。

他にもたまらん

写真は郵便ポストの部分ばかり撮ってしまったが、他にも良展示がたくさんあった。

郵便が始まる以前の民間による郵便サービスや、ハイウェイマンと呼ばれる盗賊の話、ロイヤルメールのロゴデザインやブランディングの話、PR (Public Relations)という概念の導入の話。ターバンを巻いているため、制帽がかぶれないという理由から最初は採用されなかったシーク教徒の話。

カプセルに手紙を入れて、空気圧で反対側に送ってメッセージをやりとりする昔のシステム(あれなんて呼ぶんだっけ?)もあって、子供は多分そこに20分ぐらいは止まっていたと思う。反対側にいる知らない子たちとメッセージのやりとりを延々やっていた。そりゃ面白いよねw

そして、植民地時代のインドから送られてきた手紙の数々。兵士として駐屯して、日々のことを家族に報告するものもあれば、昇進を口約束していた上司が国に帰ってしまい、自分のキャリアが絶たれたことを延々恨みがましくその上司に伝える手紙など・・・。こういうのも、メールやメッセンジャーの時代になって、将来どういう形で保存展示されるようになるんだろうか。

この博物館、開館してまだそれほど経っていない比較的新しい博物館。無料の博物館も多いロンドンで、有料の博物館ではあるけれど、個人的にはとても気に入った。そして何より、久しぶりにちゃんと切手のデザインからレターセットから選んで、誰かにお手紙を書いて送りたくなった。

www.postalmuseum.org