愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

1066

お天気も回復した翌日、電車に乗ってこんな駅に向かいました。

f:id:Marichan:20200918022241j:plain

・・バトル!

さて、ここには何があるでしょうか?

・・ヒントはこちら。

f:id:Marichan:20200918022459j:plain

私の高校の世界史の教科書だか用語集だかのカバーが、まさしくこの図案だったんですが、


そう、ヘイスティングスの戦い!!!


1066年、海の向こうおフランスからやってきたノルマンディー公ウィリアムと、イングランド王ハロルドさんが、ここでチャンチャンバラバラと戦いを繰り広げた、いわゆる「古戦場」があります。

天下分け目のヘイスティングスの戦いに勝ったウィリアムさんが、ウィリアム征服王としてノルマン王朝を開いたのは世界史で習ってなんとなく覚えていたのですが、実はこの「ノルマン」って、バイキングのことだったんですねぇ。

単なるおフランス貴族だと思っていたウィリアムさん、実は生粋の「おフランス人」ではなく、それより150年ぐらい前に北欧から船に乗ってフランスにやってきて、フランス北部を征服した「ノルマン人」、つまりはバイキングの子孫だった!

ノルマン、というのも「北から来た人」みたいな意味だそうで、ノルマン人が支配した土地だからノルマンディーと呼ばれたんだそう。へーへーへー!

バイキングの皆さん、それこそ船とものすごい機動力でもって、それ以前にもイギリス北部を支配していたり、イタリアのほうまで行ってシチリアに王国をたてちゃったり、さらにはコロンブス以前に既にアメリカ大陸にも行っていたりと、随分と活躍していたんですねぇ。「ノルマン人」って歴史では用語として習ったのは覚えてたのに、そんなに重要で面白い部分が、全く記憶から抜け落ちてたよ!

もともとそれまでイングランドには、エドワード懺悔王というひょうきん族を思わせるような名前の王様がいたらしい。それ以前にも、サクソン系の王様は色々いたらしいけれど、懺悔王が即位する前は、デンマークのほうから来た別のバイキングの皆さんがイギリスを支配しちゃっていたりと、イングランドの王朝は結構ヨワヨワだったみたい。

懺悔王自身も、長いこと親戚のいるノルマンディーに亡命していて、おフランス暮らしが長かったそう。なんだかんだいって、イギリスとフランスは海を隔てているとはいえ、近いんですよね。懺悔王とウィリアムさんも実は親戚同士で、ウィリアムさんは懺悔王のいとこの子供なんだとか。つまりは、サザエさんにとっての、イクラちゃん・・・。

この懺悔王には子供がいなかったので、当然のことながら彼が亡くなった後、だれが後を継ぐかで揉めたのが、戦争のきっかけ。「ウィリアムが王様になるのをサポートするよん♥」と約束までしていた、懺悔王の義理兄ハロルドさんが、その約束を破って王様になっちゃったのに激おこしたウィリアムが、わざわざ海を渡って攻め込んできたのが、今から954年前のこと。

・・・とつい前振りが長くなってしまいましたが、バトルはこちらです。

ヘイスティングスの街からは10キロ内陸にあるんですねぇ、上陸して2時間ぐらいは歩くぐらいの距離です。船旅の後、さらに前進したとは、お疲れ様です。

からしばらく歩くと、目的地の古戦場に到着します。道すがら「バトル小学校」「〇〇バトル支店」とか看板が出ていました。「バトル」がそのまんまこの街の地名になってるんですねぇ。

f:id:Marichan:20200826152128j:plain

どーん。古戦場の跡には、大きな教会と修道院が建てられています。戦いに勝ったウィリアム征服王さん、イギリス征服するまでにいっぱい人を殺しちゃったのを償いなさい、とローマ法王に怒られたのもあり、供養のために建てたんだそう。

今は国民遺産になっているこの場所、コロナの影響で入場は事前予約制になっていました。

f:id:Marichan:20200826150118j:plain

でもおかげで中は空いていて安全&快適。

f:id:Marichan:20200826150445j:plain

f:id:Marichan:20200826154240j:plain

修道院や教会といっても、もう廃墟みたいになっているのですが、屋上からの眺め。街並みも昔からあまり変わってないっぽい。

f:id:Marichan:20200826161036j:plain

ベネディクト会の修道院だったこの場所、周囲も修道院の領地として栄えたようですが、その後、イギリス国教会を作ったヘンリー8世宗教改革で解散となり、その後は廃墟になったり、お金もちのお屋敷として再利用されたりしたそう。うーん、栄枯盛衰・・。

f:id:Marichan:20200826164339j:plain

敷地内に、実際の戦場だったところが残っています。古戦場って、日本だったら落ち武者の霊が・・とか、アメリカの南北戦争の戦場跡でさえ、行くと凄惨な雰囲気を感じることがあるのに、こちらはただただ、だたっ広い牧羊地。羊がのーんびりと草をはんでいました。

ちょっとなだらかな高低差があるんですが、ここでサクソン軍とノルマン軍がぶつかり合い、右往左往していたのかと思うと・・・いや、全く想像がつきません。

戦闘中、一時はウィリアムが戦死したといううわさが立ち、動揺した「左側の列にいた兵士たち」がわーっと逃げてしまったので、「ちょ、死んでないし!生きてるよホラ!」とウィリアムがヘルメットから顔出ししてみんなを励まし、逃げたノルマン軍をわーっと追っかけてきたサクソン兵をメタクソにやっつけたとか、

その後も何回か逃げたふりをして、それを追いかけてきたサクソン軍を返討ちにし、最後はハロルドさんを槍やら剣やらで刺したり突いたりして討ち取り、勝利を収めたそう・・・。平家物語のごとく、昔の戦いにしては色々詳細情報が残っているのがヘイスティングスの戦いの特徴のようですが、そんな光景がこののんびりした場所で繰り広げられていたとは、まさに兵どもがなんとかの跡。

しかし討ち取られてしまったハロルドさん、そしてサクソン軍の皆さんもお気の毒で、ウィリアムがフランスからやって来る直前までは、ここから430キロ北のヨークという場所で北から襲ってきたバイキングと戦い、その後5日ほどかけて今度はウィリアムとの戦いに備えるべく、ロンドンまで戻ってきたというから、超疲れてたはず・・・。ちなみに東京から盛岡までが450キロぐらいだそうです。

日々コンピューターのスクリーンばかりを見続けて疲れ果てていた目には、目に緑・・・とばかりに、ただただベンチにすわり、遠くから聞こえる羊の鳴き声を聞きながら、1000年近く前にスプラッタが繰り広げられた現場をぼんやりと見つめつつ時間を過ごしました。

この修道院跡以外は、のんびりした鄙びた田舎なバトル。お店も午後には早々に閉まってしまい、特にすることもないので、電車でまた海風の強いヘイスティングスの街へと戻りました。

f:id:Marichan:20200826145921j:plain

おまけ、BBCの子供チャンネルで放送されている、面白歴史番組「Horrible Histories」。子供がすっかりはまってしまい、イギリスの歴史にとても詳しくなったのですが、その話はまた今度。今回はそこで放送されていたガンナムスタイルのパロディ、ノルマンスタイルをどうぞ。Sexy ladiesのところがSaxon ladiesになってるところがちょっとウケますが、パロディとはいえ、史実に基づいてるので、笑ってみた後で真面目な資料に当たってみると、おお本当だ・・・となる楽しい番組です。

この歌の他にも、ヘイスティングスの戦いをサッカーの試合みたいに中継するコントなんかもありましたw あと、戦いに勝ったあと、ノルマン軍は死体の山の中で「ピクニック」を楽しんだそうです・・。


Norman Style - Horrible Histories Song from George Sawyer on Vimeo.