愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

不実な美女か 貞淑な醜女か 通訳悲喜こもごも

ひとり米原万里まつり。ロシア語通訳第一人者だった米原万里さんの、通訳という仕事に関する流儀、通訳珍プレー好プレー、言葉を伝えること、というコミュニケーションや言語そのものについての話などをまとめた文章を何年かぶりに再読した。


プロで通訳をやっている方とは比べ物にならないが、私も学校を卒業して最初の仕事が日本企業や政府機関を相手にするものだったため、業務の一環として現場に同行して通訳をする、という機会がかなりあった。

とはいっても、通訳の訓練を受けたことは一度もない。初めての現場にはメモ取り係として同行し、上司がサラサラと通訳しているのを眺めていただけ。なのに、次の現場では通訳もお願いね、とほぼムチャぶりをされ、泳いだことが無いのにいきなり海に突き落とされた。上司に言われた唯一のアドバイスというか言葉は、「あなたなら、出来る!」。

そんな精神論にさえならないようなお言葉を頂き、後はとにかく沈まないようにもがき続け、そのうち自分なりに通訳業をこなすというか、やり過ごす方法をほぼ直感的に身につけた感じである。

通っていた大学では、言語科に通訳の授業もあり、生徒達がLL教室で、諜報機関の訓練よろしく、色んな機材を使って学んでいるのを、他学科だった私は横目で見ていたものだったが、そんな特殊訓練も受けず、他の通訳者の仕事ぶりを見て学ぶ機会もないまま、自己流すぎる通訳をやってきたので、自分がやっていたのはちゃんとした通訳だったのかも自信はない。

会議の通訳は、やっている最中はアドレナリンが出て、変な快感もあったりするのだが、会議前は気が重いし、2時間ぐらい喋り続けた後は全身打撲のような疲労が体を襲い動けなくなったりと、やはりあまり好きにはなれない業務ではあった。さらに通訳者として雇われているわけではなく、プロジェクトの一環として通訳をやってるだけなので、その後自分で議事録も作らないといけなかったとか、今考えるとほんと酷い仕事の振り方や・・・。

そんなこんなで、米原万里さんの書く通訳という仕事そのものに関するエッセイは、読んでいて色々フラッシュバックが起きて、初めて読んだ時はちょっとしんどかった記憶がある。がそんな昔の仕事のトラウマ(笑)も薄れて再度読み返してみると、滅茶苦茶自己流の通訳をやっていた私でも「あるある」と共感できる点が多いというか、100%共感しかないのに笑ってしまうばかりだった。

相手が話すことをいちいちノートに取るなんて無理なので絵や記号やフローチャートで効率化してみたり、と思ったら自分のメモが読めなくて意味がわからなくなったり(笑)。要点を得ないであーうーごにょごにょ言っている部分はバッサリ端折ってしまったり、言っていることが分からず慌てるも、文脈から推測してそれがドンピシャで事なきを得たり。

用語がわからなすぎる話は専門用語ではなくて、その用語で説明される事象そのものをペラペラと喋ってごまかしてみたり・・・全部、やったことある。のちのち形に残る「翻訳」ではなく、通訳は言葉は発した先から時間とともに消え去ってしまうこと、通訳をしている時間さえやり過ごせば(笑)なんとかなるというのも実際有難かった。

私の場合は、自分が担当しているプロジェクトの一環で現場に行くので、プロジェクトそのものが通訳の事前勉強みたいな感じになるため、客が資料を出してくれず、内容がわからず困る、という経験はあまりなかった。それでもプレゼン資料が当日いきなり登場することもあり、やはり通訳ができる位にその案件に詳しくならなければいけない、というのは、自分は専門家じゃないのに・・と割に合わない気持ちでいっぱいになることは多々あった。

ある日はITセキュリティ、ある日は核廃棄物の処理方法、ある日はバイオ燃料としてのトウモロコシについて。現場にぱっと行って、自動翻訳機みたいに右から左に言葉が出てくるものではないからいっぱい情報を詰め込む必要がある。でもどこまで知っておけばいいのか、目途がつけにくくて困ったのも、米原さんの文章の通りである。無礼な日本側の発言を、直訳すると大変なことになるので、オブラートに包んで穏便に運ぶために心を砕くし、日米双方の会話を通訳するので数時間自分だけずっと喋りっぱなし。通訳者の労力とストレスは、実は想像を絶するものがある。

その割に、通訳は軽視され、時にはお使い係のような扱いを受け、その労力の割に感謝されないと感じることが多かったのも、トラウマの一環かも。海外に出張に来るものの、通訳がないと全く機能しない日本のおじさん集団のふるまいや仕事ぶりに、がっかりしたり嫌な気持ちになることも多かったのもトラウマなのかも。思えば当時の仕事でリスペクトできるような仕事相手がいなかったのは不幸すぎた。

知らない世界を垣間見られるのは興味深い部分もあったけど、自分が本当に知っていること、言いたいことを自分の心の底から話しているわけではない、どんなに頑張っても当事者になれないという点も私にはちょっとしんどくて、それ以降は通訳業や日本のおじさんとやり取りが必要な仕事にはつかなくなり、だいぶストレスが軽減されたのも事実(苦笑)

・・・と読書感想というより自分のなんちゃって通訳経験談になってしまったが、それくらいフラッシュバックが凄かった本でした。この本は27年前に書かれているけれど、オリンピックやら何かのイベント毎に通訳無料ボランティア問題が話題になったり、今も通訳という仕事に関する理解はあんまり深まっていないんじゃないかなあという気がする。

また、ノウハウが無いまま通訳をやっていた私も同じような経験をしたり、共感できたり、似たようなことを考えたことがあるなあ、と思いながら読んだ点が多いということは、通訳という技術は実際どれくらい体系だって学べるものなんだろう、という点も疑問に思った。米原さんの文章を読んでいても、通訳という技術は、教科書から学べるものというよりは、ある意味、個人のセンスだったり、人のやり方を見てなんとなく感覚的に覚えたりするような、職人技的技術の域をなかなか超えられていないような気がしてならない。世の中にある通訳スクール的な所ではどんなことが教えられているのかも、ちょっと興味を持ったのだった。

通訳者の壮絶な事前勉強。言葉、文化、ニュアンスに思いを馳せ心を砕くさま。一方で限られた時間に不実な美女(原文に忠実ではないが心地よく聞こえる訳)を生み出すか、貞淑な醜女(原文に忠実だがぎこちない訳)を生み出すか、スピードとアドレナリンラッシュのジェットコースターをある意味叫びながらも楽しむさま。それぞれの仕事にはそれぞれの大変さがあるのは承知だけれど、ちょっとでも通訳をやったことのある者としては、もっと沢山の人に、通訳というのは翻訳機以上のものなのだ、ということを少しでもわかってほしいと願ってしまう。

おまけ:

この本の「師匠の目にも涙」という文章の中で、米原さんは通訳が話者のジェスチャーや言葉の調子、エモーショナルな部分をそのまま再現していくと、笑劇以外のナニモノにもならない、という話を書かれていた。ちょうど最近銭衝さんが、サンシャイン池崎のギャグの「通訳」をするアメリカ人というコントをポストされてたのを思い出して笑ってしまいました。まさにこれは通訳が全てを再現したことが、お笑いになっている!

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一方、同じ文章の中に、被爆者が会議で語る被爆体験を通訳していたベテラン通訳が感極まってしまい、涙で通訳できなくなったエピソードもありましたが、先日ゼレンスキー大統領のヨーロッパ議会での通訳が、やはり感極まって涙声で通訳をしていたのも思い出します。米原さんの文章では、このベテラン通訳者さんが、話し手が訥々と感情を抑えた話し方で辛い話をされたことで自分が逆に感情移入してしまったことを後悔し、抑制された演技で笑いや涙を誘う一流の役者を引き合いに出し、訳者も役者同様、抑制を利かせることが大事、と語っていました。ゼレンスキー大統領の場合は逆に、通訳者の涙が情勢の深刻さ、辛さを引き出したようで、通訳としてこれが正解なのか不正解なのかはわからないですが、聞いた者としてはよりウクライナにより心を寄せることになる、とても印象深い通訳だったとおもいます。

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