愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

懐かしい場所


色々と所用があって、週末だけワシントンDCに飛んだ。サンフランシスコに引っ越す前、陳家が5年間住んだ場所。学校を卒業して、初めての就職のために引っ越してきて、旦那と出会った場所。最後に訪れたのは、もう3年も前なので、ずいぶんとご無沙汰だったのだなあ・・・。


久しぶりに行ったDCは、とにかく暑かった!これでも涼しいほうなんだそうだが、やはり体が湿気に弱くなってしまったみたいで、だるかった。そして外が暑い分、エアコンが効きすぎていて室内は冷蔵庫のようであった。そしてDCは、私が引っ越す以前よりもとてもとてもとても綺麗になっていた。ちょうど4−5年前、今まであまり治安がよろしいとは言えないなー、といわれていた場所にぼちぼちと新しいコンドミニアムが建ち始めたり、おしゃれなお店が出来始めたり・・・という現象は、私がいた時にもぼちぼちあったけれども、久しぶりにそんなエリアに行ってみたら、もうどこもそこも、ここ、昔ゲットーだったよね?というような場所が、モダンでおしゃれで、すっごいどえりゃあことになっていた。


そうでなくてもDCは街自体がとても綺麗だと思う。首都だから当然かもしれないけど、インフラが本当にしっかりしている。道路はしっかり舗装されているし(ベイエリアの道路は穴だらけ)、車道だけでなく歩道も広い。緑が多い。そして建物が重厚でどっしりしていて、とても落ち着いた感じがする。ベニヤ板のぺらぺら感が否めないサンフランシスコの建築物とはえらい違う。これは気候のせいもあるのかな。DCは一応雪も降るから、ぺらぺらの建物だと壊れちゃうのかも。住環境的には、DCはとても良い。良い学校もたくさんある。土地も平べったい。メトロもとても便利で、車が無くてもあまり困らない。そんな街が、さらにきちんと居住まいを正したような感じになっていて、うわー、どうしちゃったんだ、という感じであった。


昔無かったお店や建物を確認しては、驚きおののく一方で、やはり3年ぐらいでは変わらないもののほうが多い。普段の生活で、ワシントンDCのことを思い出すことなんてほとんど無かったにもかかわらず、昔の生活圏に一歩足を踏み入れたら、DCを離れたのはまだ昨日のことのように、すべての風景が自分にとって当たり前で何も違和感が無いことに、ものすごい違和感を覚えた。


5年間、毎日毎日通勤で乗っていたメトロ。毎日同じエスカレーターに乗り、同じプラットフォームを見ながら、いつかこのルーティーンから抜け出せる日が来るのかなあ、なんてぼんやり考えていたものだけれど、そのルーティーンから抜け出して数年たった今、同じようにメトロに乗っても、特に感慨があるわけでも、風景が変わって見えるわけでもなく。このまま昔住んでいたアパートに普通に戻って、もうそこにあるはずもないカウチに座って、テレビをつけて・・・という、5年前の日常をこのまま当たり前にしてしまいそうな感覚に陥った。


でも同時に、自分の記憶の中にある風景にあったお店や場所がもうなくなっていて、自分の意識の中に残っている景色と微妙に違う。大好きだったベーグル屋も、老夫婦がやっていたイタリア料理屋も、キッシンジャーも食べにきたという中華料理屋もみーんな無くなっちゃっていた。そして何よりも、変わらない景色のほうが多いのに、もう自分が住む場所が無いということが、もう私はこの土地には関係ない人間なんだなあということを思い出させる。


過去の記憶って、そのとき起きた出来事とか、人との記憶よりも、土地とか地形とか風景とか建物とか、どちらかというと「たたずまい」の中に残っている気がする。たまに、自分の記憶の中にあるワシントンDCや、ニューヨークや、大阪に飛んで、記憶の中にある街で自分が買い物をしていたり、ふらふら歩いていたり、電車に乗ったり、日常のルーティーンワークをしているときがある。うーん、これじゃまるで地縛霊だ!でも人の記憶や念が強くその場所に残るというのは本当なのかなぁ。


この10年間でした引越しは6回。その中でDCは一番長くいた場所。居心地はまあ良かったが、いまいち自分の力を発揮できず、冒険もできず、一生ここにはいたくはないとも思った場所。でも自分の土台、陳家の基盤を作った場所。懐かしかったけど、でもやっぱり戻ってくることは・・ないだろうなあ。


SFに戻って、美味しいご飯を食べて(やっぱりご飯はこっちのほうが俄然うまい)、昔では考えられなかった楽しい職場(笑)に戻って、友人たちと会ってほっとした。あとどれくらいここにいられるか、ここにいたいのか、まだわからないけれど、今はやっぱりここがいい、かな。まだまだサンフランシスコでやれることは沢山沢山ありそう。