愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

睡眠離婚

我が家もとうとう実現した、睡眠離婚!

欧米は夫婦が大きなマットレスで一緒に寝るのが一般的で、我が家もずっと疑問を持たずにそうしてきたのだが、何しろ体重差と身長差がかなりある我々。

気が付くとマットレスは夫側のほうが深く沈み、真ん中に変な山ができる。微妙な変形かもしれないが、意外と寝るときにこれが体に来る。なんとなくお互いベッドの端と端に転がって寝ている感じだし、腰や肩に良くない気がする。

シーツも、大きいチャンが寝がえりを打ったりして一定方向のほうにより強い動きが生じると、あっという間にマットレスからはだけてしまう。これ、他のご家庭ではどうなんだろうか。我が家ではもう何年も気が付けばシーツがマットレスからあっという間に外れる問題がはびこっていたのだった(深くマットレスを包み込むシーツを買っても効果無し)。

あとやはり年を取ると睡眠が浅くなるのか、お互いの動きで睡眠が妨げられることがしばしば。

これはどちらかというと大きいチャンのほうだけれど、ちょっと私が寝がえり打ったりするともうダメ。本人は盛大ないびきをかくのに、私の「寝息が大きかった」だけでもうダメ。で、睡眠が足りないと機嫌がとても悪くなる。

私はもともと長く寝られない+出産後睡眠が足りなくてもなんとかなってしまう体質(?)になったせいか、睡眠が足りなくてもそこまで響かないので、ウルサイなあ・・と思っていたけれど、夫の睡眠が足りないと血圧も上がりがちなのが分かったので、健康面からも対処が必要となったのだった。

そんな時、ベイエリアで泊めてもらったお友達のベッドが、シングルベッドとマットレスを二つくっつけて寝る方法で、非常に快適だったので真似をすることにしたら、あらまあ、なんでこれを速くやらなかったのかしら!というくらいすごく良い。

イギリスのベッドのサイズはアメリカのものよりもともと小さいので、クイーンサイズを買ってもなんとなく窮屈だったのだが、以前より寝るスペースが広くなった。どれだけ寝返りをうっても相手に響かない!なんとなくお互いの存在がわからない感覚もあるが、まあよく眠れるようになった。

日本だったら夫婦で寝室別とか、布団だからあんまり関係ないとか、シングルベッド2個使いとか、もっと昔から一般的な気もする。でもこっちでは夫婦は一緒に寝るものだという固定概念が意外とあって、一緒に寝ない=愛情が無いのか?!みたいな感じにもなりがち。

でも睡眠の質向上という点から、一緒に寝ない選択をすることを"sleep divorce"と呼んで、悪いことじゃないよ、とおすすめする動きはよく目にします。最初に見たときはまだ若かったので、えーっと思ったけれど、こればっかりはやはり年と共に変わりゆくものだということも気がついた。

若いころはどんな狭いベッドで一緒に寝ていても平気だったけれど、もう年をとったら快適さと健康第一!

(こういうので隙間を埋めたり、マットレスをずれないように固定したりしてます)

2年前のフランス旅行話③:ストラスブールの美味しいもの

2年前の旅日記のはずが、年をまたいでしまったのですでに3年前の旅日記になってしまったが見なかったことにして続ける。

今読んでいる本でナポレオンの頃の時代、チーズは今のようにデリカシーではなくて貧乏人が肉の代わりに食べるようなものだった、とあってへぇぇと驚いている。

まだコロナで色々規制があったころで、レストランに入るのにアプリの証明書を見せたりしなくてはいけなかった。アプリを読み取るための相手のアプリが正しくアップデートされていないので、うまく読み取れずお店や施設に入れない、という面倒な不具合もたびたびあった記憶。

まあテイクアウトも充実していたし、キッチン付きの部屋を借りていたのでスーパーでめぼしいものを買って自炊もしたりしていた。

ストラスブールはフランスといってもドイツ国境の街なので、食べ物は基本、芋ハムソーセージなどドイツ風であった。

よく食べたのはアルザス地方のピザ、タルト・フランベまたはフラムクーへ。ベースはクレームフレッシュやチーズ、そこにラードンや玉ねぎのトッピング。生地が薄いのでパリッとしていて美味しい。

街中を歩いているとフラムクーへを出す店が山ほどある。ちょっと他のものも食べたいよな、と思うがストラスブールを目指してやってくる観光客向けなのか、結構メニューはどこも似た感じであった。

泊まったアパートは中心から少し離れていたが、近くにあるアルザス料理の店は通りかかったらまだ準備中。しかし出てきたのは台湾人の人だった。なんでもフランス料理を学びにやってきて、もうずっとここに住んでいるそうな。

主に夫と中国語で話が盛り上がっていたが、なんとなく聞き取れる部分は私もふむふむと聞き、英語で私は茶々を入れるという構図になった。思えば日本人でもフランスで料理修行をして現地でお店を出している人がいるわけだから、驚くべきことではないのだけれど、ちょっとだけ不思議な気持ちになった。

marichan.hatenablog.com

ピラネージ・中華街・ハルキさん

2月の読書記録。

2月は長いフライトに乗る機会があったり、仕事の忙しさが少し緩んだりしたので、多少本を読む時間が取れた。

Piranesiは、迷宮のような、広大で当てのない、一部廃墟になり波が押し寄せ、鳥が住み着き、各部屋に彫刻がある不思議な建物に住むピラネージと呼ばれる男の人の話。しばらく彼の日記が続くのだが、この人が一体誰なのか、時代はいつなのか、全くのファンタジーの世界の話なのだがわからないまま日記が続く。

彼の他に、そこにはOtherと呼ばれる人も住んでいるようなのだが、どうも彼は現実の世界とつながりがあるらしい。そんな中、第三の人物が現れて、なぜピラネージがここにいるのか、このOtherは誰なのか、色々な真実が明らかになっていく。

途中から謎が明らかになり始める段になってようやくぐいぐい引き込まれて一気に読んだ。ちょうど家族に不幸があり、アメリカで納骨堂的な所に初めて足を踏み入れる機会があったのだが、そこも迷宮のようにいくつもの広大な部屋がたくさんつながっているような場所で、このピラネージが住む世界(もっと廃墟っぽいけど)を連想させて不思議な気持ちになった。

ニュースやノンフィクション、仕事の文章などはどうしても情報を取りに行くために読んでしまうが、久しぶりにこういう本を読んで、ゆっくり文章やその世界を味わう楽しみを久しぶりに堪能した。

Interior Chinatownは小説なのだが、テレビドラマの脚本のような形で書かれている。チャイナタウンに住むウィルスはテレビドラマに出演する俳優のようなのだが、アメリカあるあるで、もらえる役はほぼセリフのない一般的なアジア人男性だったり、訛りのある英語を話す、ステレオタイプの役ばかりがまわってくる。

彼の両親も俳優だったようで、劇中劇では中華街の風呂などは共同の、混み合ったアパートに住み、中華料理店で働いているのだが、彼らのモノローグを読んでいると、これは本当に劇中劇なのか、アジア人として求められている「役柄」を、家族みんなが演じている話なのか、その境界線がだんだんなんだかよくわからなくなってくる。

日本で生まれて日本人として日本で育った自分にとっては、自分の物語ではないはずなのに、アメリカに移民して中華料理店を営んでいた陳家の一員になったせいか、やはり自分も外国に住むアジア人だからか、移民としてのアイデンティティステレオタイプ、他の人種との相対的な関係から自分の立ち位置が変わることなど、痛いほどよくわかる。と同時に、移民小説としてはもうこのテーマはあるあるすぎて変わり映えはしないよな、とも思ったりするなど。

しかしこの小説はそんなテーマをドラマの脚本として、時に非現実的なセリフやシチュエーションも交えて表現しているところが、フォーマットやフレーミングの妙なのかもしれない。

ちょっと舞台や劇中劇チックな設定が多いウェス・アンダーソン風の映画を、ファンタジー少な目にしてアジア人キャストでやるとこんな感じになるかな・・とこの脚本が実際に映像になったところを想像したりした。

どうやらHuluでドラマ化が進んでいるらしい。ってテレビシリーズにするほどの長さやクライマックスがある気もしないのだが、どうなるのかな。

春樹さんの薄いエッセイはこれくらい短い文章の方が今はイラッとしなくて読めるなと思った。中国語でも目にすることがある「小確幸」は彼の造語だが、引き出しあけると下着が揃っているのが気持ちが良いと言うのがここで挙げられていた小確幸の例だったのに気がついて少し笑ってしまった。

コワーキングからの歴史散歩

物理的なオフィスが閉鎖されてしまったので、時々同僚有志でコワーキングスペースに集まり一緒に仕事している。

在宅勤務は通勤がないぶん楽だけれど、やっぱり煮詰まるし、同僚達がどういう状態で仕事をしているのかわからないので、全くお互いの顔を見たりちょっとおしゃべりする機会が無いリモートワークというのも、チーム的にあまり良くないよなと思う。

これについては人それぞれだとは思うけれど、自分は実は文化祭ののりでみんなでワイワイする感じで仕事するのが実は好きなのかもな、ということにここ数年気が付いたのだった。

先日は普段集まるのとは別の場所を試してみようということで、ファリンドン近くのコワーキングスペースで仕事をした。朝のセントラルラインは東京の通勤ラッシュなみの混雑で、到着した地下鉄はもう人が乗り込む隙が無いくらい人でぎっしりしている。

そんな通勤もそれほど苦に思わないのは、これが毎日のことではないのと、乗ると言っても2-3駅で済むのと、ここがロンドンだという変な特別感からくる高揚感(笑)がまだ続いているおかげだろう。

チャンスリー・レーンの駅を出るとチューダー風の建物が目に飛び込んできて一瞬びっくりする。ふと、そういえばロンドンの中心部なんて京都にいるようなもんだよなと変な納得をする。

駅からすぐにあるコワーキングスペースになっているビルも、ネオゴシックの建築で日本だったら明治初期の頃に建てられたものらしい。

外は滅茶苦茶クラシックだが、中はモダンに改装されていて気持ちよく仕事した

このビル、今は建築家の名前をとってウォーターハウス・スクエアと呼ばれているが、もともとはホルボーン・バーと呼ばれる建物だったそうで、金融会社プルデンシャルのために建てられたものだそうな。

この建物が建つ前、ここにはファーニヴァルズ・インというでかい寄宿施設が、日本だったら南北朝時代の頃からあったらしい。チャンスリー・コートと呼ばれる、中世の裁判所的な施設に関わる法曹関係者たちが逗留する場所だったらしい。

そしてそういう施設はここだけに限らず、このエリア一体にいくつもあり、それをまとめてインズ・オブ・チャンスリーと呼んでいたそうな。こういう施設はそのうち法律学校として使われたり、法曹関係者の住居になったり、法曹界の社交施設やレストランも入ったりと、長い歴史の中で色々な形で法律や金融関係者に使われていた模様。

実は駅を出て目の前に現れた古い建物は、そんなインズ・オブ・チャンスリーの中で唯一現存する建物だったらしい。写真を撮らなかったのが残念だが、Wikipediaの写真はこんな感じである

ステープル・インと呼ばれるこの建物は1585年、日本だったら天正13年、豊臣秀吉が関白宣言(違)した年に建てられたものだそう。まさしく京都やなあ。一階はカフェとか入っているが、今でもアクチュアリー(保険数理士)の団体のオフィスとか入っているらしい。

コワーキングの事を書こうと思ったのに結局歴史散歩的な話になってしまった。

帰り道は小雨のハットンガーデンの小路を通り抜ける。ここもまた昔から宝飾店街があるところである。ロンドンは古いところに行けば行くほど、通りの名前がそこにあったビジネス(魚とか絹とか)に関係していたりもして、職業ごとにエリアがわかれていたことがわかって面白い。

そしてエルサレム・パッセージという京都の先斗町と同じぐらいの小路にあるパブで皆で飲んだ。エルサレム・パッセージという意味ありげな名前の小路は、その昔その先に本当にエルサレム聖ヨハネ騎士団修道院があったから、らしい。

そしてこのパブの建物も1829年のものらしい。日本だったら文政12年、江戸大火があった年か(なぜか日本史と比べてしまう)

クワックというベルギービールを同僚が頼んだら聞き間違えたお店の人がコークゼロを持ってきて大爆笑。慌てて正しいビールを持ってきて「はい、こっちが本物のコークゼロね」

1月読書記録

今年は英語でも日本語でもいいから、1か月に本を最低2冊は読みたいなと思っているので、いつまで続くかわからないけれど、その記録。

1月はあまりに忙しすぎて本を手に取る暇というか余裕がなかったが、家にある古い本を再々*n 読した。

村上春樹のエッセイは、80年代村上さんが30代の時のものなので、今読むとやはり青臭く、そして80年代臭い部分が以前にもまして目についた。村上さんのエッセイは好きだったはずなのに、なんとなくイラっとしたのは、どちらかというと読み手である自分の年齢や時代の変化によるものであろう。

そういえば、村上さんに聞いてみよう、みたいな感じで読者が色んな質問をしたり、アドバイスを村上さんに求めるシリーズが以前あった。当時はふむふむなるほどなどと読んでいたが、本人が「なぜ僕に聞くんだろう」と言っていたように、このエッセイを読んだ後、ふとなぜ村上さんに正解を求めようとしてしていたのか自分でもよくわからなくなった。多分彼の周りに流されない、ある意味清廉潔白にも思える暮らしぶりのせいかもしれないけれど。

でも考えたら村上さんはうちの両親とほぼ同い年である。つまりはどうあがいてもそういう時代の人なのである。うちの親も30代の頃、こういう感じの世の中や感覚があるなかで生きていたんだな、と思うと、今の自分より若いころの先人たち(ってまだ生きてるけど!!)を想像してちょっとむずむずしてしまった。

米原さんのエッセイも毎回食べ物のエピソードなど読んでいて楽しいのだが、今回は読んでいてリサーチの方法や、最近の若者はコンビニ食ばかりでという、なんとなくお約束どおりの現状批判がちりばめられているのが今回は気になり、これまた書かれた時代の限界みたいなのを感じるなあ・・と、いつもと違う感想を覚えたのだった。