愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

今はお金を出す位しか

大陸ではないものの、ヨーロッパに住むようになり、この「島国」イギリスでさえ、日本やアメリカと比べると、近隣国への近さを感じる。色んな国がひしめき合っているところに住んでいる感覚がある。

また同時に、街のあちこちに残る様々な時代の戦争の傷跡、そして戦争の記憶そのものも、昔住んでいた場所に比べてまだまだ生生しいものがあることを感じる。第二次大戦、色々な植民地戦争、そして冷戦にまつわる様々のみならず、日本やアメリカではすっかり歴史の教科書的事象である第一次大戦戦没者も、今でも普通に追悼される。

あちこちにモニュメントやメモリアルが残っているし、ドイツ軍の空襲で焼けた場所が今だに空き地になっているところもある。子供も小学校の時はイギリスでもあった学童疎開について学び、様々な防空壕の種類について覚え、疎開児童の扮装をして登校したりしていた。なんだか戦争の記憶が、近い気がする。そういう歴史の延長線上に今があり、生活している感が、特にアメリカにいるときに比べると、随分あるように思える。

今回のロシアのウクライナ侵略は、「他にも世界には紛争地帯や戦争が起きているところは沢山あるのに」とは言うものの、同じヨーロッパの中で大国ロシアがここまでのことをした、ということのインパクトがすごく、気にしないではいられない。私の周囲にも家族がロシアウクライナ双方にいる人、キーウ(キエフはロシア語読みだそうで、今回のことであっという間にウクライナ語読みのほうが定着した)から脱出した家族と連絡が取れない人、そういう人達の不安と怒りが、Facebookのタイムラインを埋め尽くしている。そう、Facebook空爆や戦闘や避難の様子も、周囲の人達の叫びも、全部オンラインを通じて聞こえてくる。

自分達が生活しているのとそれほど変わらないヨーロッパの都市や人々の日常が一瞬で非日常に変わっていく様子が携帯を通じて文字や映像で記録されているのをスクリーンで見るのは脳の深いところにグサグサというよりじわじわと来てしんどくなる。他所で起きている悲劇も沢山あるがやはりどうしても近いものに感情を重ねてしまうのは人の常だろう。

非日常の場と日常の場がネットで簡単に繋がり、精神的に消耗してしまうほど寄り添えてしまう面もある一方、そうはいっても自分達は何も心配しないで良い、居心地のいい部屋で一時的にそれを見聞しているにすぎず、生きるか死ぬかの中にいる人達と温度差が生まれるのは当然。色々な事情でウクライナに残っている日本人の人達のツイートを見ていても、そういう場所からの声掛けに、段々苛立ちを感じているのが良くわかる。ウクライナ国外にいて状況を見守るしかなく歯がゆい思いをしているウクライナの人達もまた同様に。

ふと、レベルは違えど、震災の時の周囲のアメリカ人にかけられた色々な言葉を思い出した。家族は大丈夫だったかと声はかけてくれるものの、無事だと聞くと安心した顔をして去っていき、心配はそこで終わる。深い深い不安と何もできない苛立ち(そして子供がまだ1歳にもなってなかったのでホルモンの色々もあり)、お祈りしてますと言われても薄っぺらにしか聞こえず、かなり精神的に一人で暗闇に落ちて行った時だったな。

そんな時のことを思い出しながら、実際自分がどうすることもできない事象に直面した時どうしたらいいのだろうと考える。コンピューターの前に座っていてもまずとりあえずできることは色々な義援金寄付金を送ることかなと4団体ぐらい探してきてお金を送った。国連機関、赤十字、難民支援のNGO、そしてシェフ、ホセアンドレアスが設立した、世界で何か困ったことが起こると、そこに飛んで行って炊き出しをする団体。ウクライナ国内でもレストランのキッチンを使って炊き出しを始めているそうだ。

wck.org

ポルトガルは良い②:リスボンでゴア

リスボンでの最初のランチはポルトガル料理と思いきやインド料理。

Netflixで見る事ができる旅番組Somebody Feed Philで紹介されていたお店、子供がぜひ行ってみたいというのと宿からとても近かったので寄ることにした。

www.netflix.com

お店の名前はJesus é Goês、ゴアのジーザスという意味。インドの中でもゴアの料理を出すお店です。

www.facebook.com

なんでポルトガルでインド料理やねん、という感じもするかもしれないけれど、ゴアは長年ポルトガル支配下にあったところで、関係がとても深い。それこそ東インド会社云々の時代だけの話かと思いきや、ポルトガルは結構最近までゴアを始め「ポルトガル領インド」の主権をめぐってごねていたらしい。そんなこんなで、ゴアには今でもポルトガル語を話す人が一定数おり、クリスチャンも多く、豚肉も食べる。インド料理では辛いので有名なヴィンダルーというカレーももともとはポルトガル料理の豚肉の煮込みが元だったりもする。あとゴアは海沿いの都市でもあるので、魚介料理もイケている・・となればポルトガルでゴア料理を食べても全然おかしくはないのだった。

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お店のご主人の名前が、ジーザスさん。ゴア出身の人で、ちょっとタレントのウガンダに似ている。これば旅番組で話していたんだけれど、彼のミドルネームはリーだそうで、キリスト教徒でありブルースリーのファンだった親に、ジーザス・リーと名付けられたんだとか(爆)

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実際自分のジーザスという名前を最大限にネタにしている感じで、「ジーザスの血」という名前の自家製ワインもボトルで売っている。壁のアートも、ヒンズーとキリスト教が融和したような面白い感じ。

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ここでのおススメは、なんといってもエビのサモサ。サモサはたいてい中は肉と芋だが、これはポルトガルとインドの融合だそうで、ぷりぷりのエビが入っていた。そしてワサビに見えるのは、ココナッツとコリアンダーのチャツネ。かなり水分が無くペーストのようなのだが、ココナッツの甘さと、後から来る唐辛子のカラさはあまり食べたことの無いような感じで、ものすごくはまった。

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フレンドリーなキッチン担当兄ちゃんが持ってきてくれる、豚肉のカレー。内臓とかも入ってる。

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そして魚のカレー。

テレビでは饒舌だったジーザスさんだけれど、実際の感じはとてもドライである。実はシェフのキャラが全面に押し出されているレストラン、私は苦手で美味しいものさえ食べられればいいのに、シェフにおべっか使ったり交流するのは逆に嫌だな、と思っていたので、丁度良かった。

外の席には声のでかいアメリカ人の若者数組。女子2人組と男子一人が隣同士に座ったところからおしゃべりが始まっていた。ポルトガルはデジタルノマドを受け入れたりしているので、こういう感じでポルトガルからリモートワークしている人が結構いるようで、アメリカ人も良く見かけた。あとは時々地元のお年寄りだろうか、ジーザス氏とおしゃべりをしにお店に立ち寄る人もちらほら。

キャッシュオンリーです。

ポルトガルは良い、その1

去年の旅日記もまだ終わっていないが、2月のハーフターム、ポルトガルに4日間飛んだ旅の記録。

リスボンには以前出張で行ったことがあるけれど、その時はAirBnBと会議場を行ったり来たりするだけでほとんど街を楽しむことはできなかった。それでも気候はいいしご飯は美味しかったことがすごく印象に残っていたので、今回家族で行ってみたのだが、結論から言ってすんごく良かった。

美味しいという点ではコペンハーゲンも良かったけれど、ポルトガルのほうが、なんだか全体的にすごく良い気分で帰ってきて、今でも随分余韻に浸っている。あーもう今すぐまた行きたい。ということで、今回は時系列にまとめてみます。

金曜日、子供の学校が終わってから空港に直行。格安航空会社の便で、ロンドンからリスボンまでは3時間弱。ヨーロッパに来てからは旅慣れた?のと、洗濯もできるAirbに泊まることが多いので、大き目のバッグひとつに3人分の着替えをちょっと詰め、あとはほとんど近場に出かける感覚で身軽に出発。

2022年2月現在、ポルトガルに飛ぶにもロンドンに戻るにも、コロナ検査は必要無し。ワクチン証明と、ロケーターフォームの記入だけ。これらの書類は携帯に入っているのを係の人がちょっと目視して終わり(今はもうヨーロッパはどの国でもそんな感じ。別にそこについているバーコードをスキャンするでも無し)。

ほぼ真夜中の到着だったので、チェックインの便宜を考えて、今回はAirBnBではなくアパートメントホテルに泊まった。

www.altishotels.com

プール付きの高級風ホテルが、すぐ横でアパート版の部屋も提供している。チェックインはホテルでする。地中海の古い建物のお約束で、ちょっと祖父母の家の応接間のような古い匂いがするのがちょっとアレだけれど、慣れるもんでしばらくするとそんな匂いもわからなくなった(笑)

翌朝、パパがジョギング中に子供と近所を散歩。寒いロンドンを引きずって、冬服ばかりをパッキングしてしまった子供だが、リスボンの温かいこと、夜、空港について既に大汗。ということで私の服を貸してやる羽目に・・。

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ポンパル侯爵駅前に立っているポンパル侯爵の銅像リスボンは1700年代に大地震津波で壊滅被害を受けており、それを再建した功績のある人。他にも良いことも悪いことも色々色々やったお方のようだけれど、詳しくはググって・・。

随分な中心エリアに滞在したので、行ったスーパーは小さめのところばかりだったけれど、スーパーで売ってる焼きたてパンも普通にうまい。オレンジジュースはパックのは売ってなくて、その場で絞る機械から出てくるものオンリーだった(そしてうまい)。朝ごはんを調達。

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レジ前にはバレンタイン前でお花とシャンペン、そしてマスクにコロナ検査キット(笑)こういう小さいパッケージで売ってるのは初めて見たので新鮮だった、そして検査キット不足はここでは起こってないみたいで良かった。

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閑静な住宅街やオフィス、ショッピング街、博物館などが並ぶエリア。

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リベルダーデ大通りには、アンティークの露天商も沢山出ていた。なんかポルトガルって建物や雰囲気が昭和っぽいものが残っていることも多くて、普段欲しいとも思わないものも、こういう所では良く見える・・・。

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サイモン・ボリビエーとかパパが言うので何かと思えばシモンボリバルさんじゃあーりませんか!

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高級ブティックやホテルも並ぶこの通り、連日パトカーと警官もたむろってて、さすがに高級エリアだからパトロールもしっかりしてるのかしら、と思ったら、あるホテルに謎のVIPがいたらしい。ある日の夜はさらにパトカーなどが増員されており、ちょっと野次馬も出来ていた。地元の人が警官に誰が来ているの?と聞いてもコンフィデンシャルといって教えてくれてなかったけど。まさかあまり人目のつかないリスボンウクライナ情勢の協議とかしてたんじゃあるまいねえ・・。いや、ただの地元の芸能人とかだったのかもしれないw

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一方こんなフォントで一体芸者の置屋があるのか何なのかギョッとする大きな看板もある。通りにはヤクザという名前の寿司屋もあるっぽい(笑)

ポルトガルの魅力のひとつはその高低差だと思う。あちこちに大小の坂があり、建物が重なりあって建っているように見えるのがとても良い。このエリアの坂は緩やかではあるけれど、こういう風景が見えるだけでウヒョーとなる。

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まだまだ続く。

夏の思い出2021、ダブリンの旅その6、ダブリン色々覚え書き

毎回恒例、旅でその他面白かった事や気になったことの箇条書き。

  • 空港からホテルまでタクシーで行ったのだが、運転手のおじちゃんのアイルランド訛りがまっっっったく理解できず。夫はわかったようで受け答えしていたが私にはフガフガとしか聞こえなかった・・(苦笑)
  • 概してアイルランドの皆さんは親切フレンドリーなのだが、何しろ訛りで良く聴きとれないことも多かった(スミマセン)・・。そういえば昔、前の仕事でアメリカからロンドンオフィスに行ったとき、アイルランド出身の同僚がダブリンではバスに隣に座ったら知らない人とでも普通に話し出す、それと同じことをロンドンでやって恥ずかしい思いをした、って言ってたな・・とはいえ、バスで特に話しかけられることは無かったのだが(その点、数年前にヨークに行ったときはめっちゃ地元の人と喋って面白かった記憶)。
  • イギリスに比べて出てくるご飯の量が多い!そこらへんはなんとなくアメリカっぽい。

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  • ヘンデルさんはドイツ生まれでイギリスに帰化したのだけれど、あの有名なメサイアアイルランド総督の依頼を受けて書かれたもので、初演はダブリンなんだそう。当時ミュージックホールがあったという場所に立っているビルに、その事が書かれているのと、街の電力スイッチボックス?みたいなところにこんな絵が描いてあるぐらいしか名残はないけれど・・。

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  • ちょっとポケモンのアレを想像させるような椅子兼オブジェ
  • ダブリン空港からホテルに向かう路上、何かスポーツの試合を観戦しにいく観客の集団を見かけたのだが、これは「ゲーリックフットボール」というスポーツの試合だったらしい。テレビでも放送していて見たのだけれど、サッカーとバスケとラグビーがなんだか混じったようなすごく不思議な競技だった。バスケみたいにドリブルしてパスしたり、と思うとサッカーのゴールみたいなのに蹴り入れて得点したり、でもラグビーのポールみたいなのもあったり。最初見たときちょっと脳がバグった。

www.youtube.com

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  • なんとなく「メタの人」にも似た銅像(笑)ロバートエメットというアイルランド独立派指導者だった人。詳細は省きますが、彼の家族はアメリカの独立も推してたそうで、この銅像のレプリカ、ワシントンDCとサンフランシスコにもあるんですって。
  • アイルランドで一番驚いたことは、帰りの飛行機。ガトウィック空港に戻ったのだけれど、また12歳以下の子供と一緒だし、イミグレーションのゲートに並ぶのメンドクサイなあと思っていたら(12歳以上だとほとんど電車の自動改札並みのEゲートで入国できるが、小さな子供がいる場合は審査官と話さないといけない)、なんと入国審査がなかった!!飛行機降りたらもうそのまま空港ロビー。まるで国内線。ちょっとびっくり。EU離脱したとはいえ、経済的にも文化的にもつながりが強いイギリスとアイルランド、こういうところはまだちょっとゆるっとやっているようだった。
  • 今回はダブリンという首都しか行けなかったけど、アイルランドは田舎を訪れるのがまた良いらしいので、いずれはそういう所にも足を運んでみたい。

アメリカからイギリスの運転免許に切り替え(2年後のアップデート)

なんとイギリスで仮免を取ってから2年半も経ってしまった。

marichan.hatenablog.com

なんとイギリスの仮免は単に申請すればテストも無しで即発行してもらえる。そして有効期限は10年!

その後コロナだロックダウンだとなったし、特にイギリスでは運転しなくても困る生活ではないので、放置したままになっていたが、ようやく重い腰を上げて学科試験を受けて来た。

順番としては学科試験→路上で練習して、実技テスト、という流れ。

テスト勉強はDVSA(免許発行している機関)のウェブサイトにオンライン勉強ツールみたいなのがあるからそれを使って。

www.safedrivingforlife.info

アメリカで運転していたので、常識的にわかることが大半ではあったが、運転が左右反対なので脳がよじれる・・・!標識なども違ったりするのもあるが、一番面倒くさ+面白かったのは、いちいち運転用語がアメリカとイギリスで違うこと。

Level crossingが踏切とか、ハイウェイはモーターウェイ、車道はcarriage wayってまさに馬車道っぽい呼び方だったりするのは序の口で、なんだかまるで英語を学びなおしているような気分になった(笑)

街中の道路は、それこそ中世の時代から変わっていないんじゃないかと思うような道を車道にしていることも多く、狭いし自転車やオートバイも走っているし、信号無視して適当なところで渡ってくる人も多いし、色々注意しないといけない事が多い。だからか、学科はアメリカのより随分細かいと思う。

あとイギリスに来てから、道を渡ろうとしていたり、渡っている途中なのに、そこに右折や左折の車が突っ込んできて、こっちが悪いみたいな感じになることが多くて、イギリスは車優先社会なのかなあと思っていたのだけれど、学科を勉強したら実は全然そんなことはなくて、全てのところで歩行者優先渡らせろと書いてあった。結局ロンドンの運転者のマナーが激しく悪いだけということが良くわかった(苦笑)

田舎は田舎で、野良羊(笑)や馬にも注意。

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あとは運転中の車窓から見えるビデオクリップを見ながら、猫が飛び出してきたり、対向車がUターンしたり、こちらが対応しないといけないようなシチュエーションに遭遇しそうになったらすかさず画面をクリックする、という試験もあって、実際に運転する感覚や車窓からの風景がわかったりしてそれもなかなか楽しかった。

試験会場では、カンニング防止のために目の前で携帯オフ、荷物はロッカーに預け、マスクを取って裏を見せ(裏に答えを書く人がいるらしい・・)、手首足首もチェック(耳なし芳一的にここに書く人もいるらしい・・)、靴下もチェック(カンペを入れるらしい・・)そして耳の後ろもチェック(ブルートゥースで外部とやりとり・・?)となかなか厳しいが、なんだか受付の人も親切で優しくて、あっという間にコンピューターでカチカチ答えをクリックして試験終了。その場で結果をもらい、無事合格して帰ってきた。

会場には試験受けるのこれが初めてという結構なおばあちゃんもいて、この御年になって免許を取ろうとなった背景も気になったが、コンピューターを使った試験に緊張しているようで、受付のおばさんが落ちてもまた来たらいいからね、8回受けてようやく合格した人もいる、と励まして?おりました。

さて次は路上教習の予約を取らねば。左側通行、左側通行・・・と自分に言い聞かせないと逆車線に入りそうで怖い。