愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子連れウィーン旅⑩街のこと観察雑感

ウィーンでの細かいこと色々観察雑感集その1。

水のボトルキャップがこんな感じになっていた。このリングに指をひっかけたりして持ち運びできる。合理的と感心。まあそろそろ、ペットボトルを買って水を持ち歩くことへの見直しを迫られてはいますが。

地下鉄はボックス席になっていて、吊り広告ではなく吊り雑誌がぶら下がっていた。そういえばロンドンの地下鉄にも広告はあるが、のれんのように大量に広告がぶら下がっているのは、今のところ日本でしか見たことがない。雑誌はちょっとボロッとなっていて、手に取らなかったがタウン誌っぽい感じのよう。

地球温暖化抑制に取り組むサミットが滞在中にあったようだ。ゲストスピーカーはシュワちゃん。思えば彼はオーストリア人の出世頭。この団体のウェブサイトを見てみたら、毎年イベントを開催しているらしく2020年にまた「We'll be back」とのことだった。

宿はセセッションや歌劇場などすべて歩いて10分もしないで行けるアパートメントホテルにとった。上階2階が宿泊施設で、あとは一般のアパートやオフィスになっている。入口のタッチパネルでチェックインするシステムだった。モダンに改装してあるが、建物自体はとても古く、昔の彫刻が残った中庭があったり、恐らく奥まで馬車で乗り入れたんだろうと思われる大きな扉があったりする。

雨もよく降ったが、窓の向こうにはどこかの教会のとがった屋根が見え、雨が窓に打ち付けられるのはとても風情があって良かった。同じ通りにスパー(日本でもコンビニとしていくつかあったような)というスーパーがあるので、朝食やちょっとしたものはそこで調達してとても便利だった。

今回もまたロンドンにいるより、ああまさに今ヨーロッパにいる・・という感慨が強かった。もちろん観光客が行くようなところばかりウロウロしたから余計そう感じるのかもしれないが、文化と歴史、芸術まさにここにあり、という感じがすごい。

ちょっと道を歩くとこんな風景に当たるのだから、ニヤニヤうひゃうやしてしまう。

しかし同時に、昔はここにナチスの旗がはためいていたのだろうな、と想像すると複雑な気持ちでもある。ナチスに併合された形のオーストリアだが、ヒトラーは熱狂的に迎え入れられたというし、ユダヤ人の排斥も焼き討ちもすごかった話は良く聞く。公園沿いでも、ホロコーストを生き延びた人達のポートレートを並べた展示があったりした。

ハプスブルグの歴史文化的観点のオーストリアは好きなのだが、自分が持つ現代のオーストリアに対するイメージは今までかなり微妙であった。

学生時代インターン先で一緒だったオーストリア人の女の子が、台湾人とのハーフということで、偏見差別でずいぶん辛い思いをして育ってきたという話を、えんえん聞かされたのがオーストリアとの初めての接点だったからというのもある。極右政党台頭のニュースなど、見るたびに彼女のことを思い出していた。観光客として訪れるのは素敵でも、住んで社会に溶け込もうとなると見えてくるものも随分違う、こればっかりは。

とはいえ、ナッシュマルクトの周辺などは中華食品店が随分あるのに驚いた。あちこちに寿司屋も随分あった。ロンドンの我が家の周辺よりもアジア系の食べ物は充実していたかもしれない。寿司と中華とタイ料理をいっしょくたに出すようなところもあったけれど。

ゴシック様式の美しいシュテファン大聖堂。しかしサムソンの広告がしれっと貼ってある。中にも入ったが、前世が悪魔だったのかどうか、キリスト教美術や教会に長時間触れているとムズムズ落ち着かなくなるため、ここもそそくさと出てきてしまった。

子連れウィーン旅⑨美術史美術館

閉館1時間半ほど前に、美術史美術館に駆け込んだ。

1891年、ハプスブルグ家所有の美術品保管と一般への展示のために開かれた美術館。単なる美術館でなく、「美術史」美術館というからには、ここにある展示物で世界の美術史が語れてしまうということか。

しかし展示もさることながら、この美術館はその建物自体が美しい。

そしてインスタ映え映えもいいところの、世界一美しいともいわれるカフェもある。

本当ならば、あわただしく展示物を見るよりも、こういう雰囲気にゆっくり浸りたいものであるが、そこはもう、ワチャワチャした夫と8歳児(当時)連れの旅となるとなかなかそうもいかない。

カフェもちらっと見ただけで、「ハプスブルグ家の黄金キラキラコレクション見に行こうぜ!」とキラキラというよりギラギラな皿や容器を見るのに随分時間を取られてしまった。

・・・やっぱり次回、ウィーンはひとりか女子旅でまた来たいところだ。

やはり気になるハプスブルグ家の顎問題。

近親婚の結果でこうなったという説と、ちょっと実はそれだけじゃないという説と、色々あるようです

短い時間の間にやはり見ておきたかったのはブリューゲル

有名なバベルの塔もだけれど・・

貴族の肖像画や宗教画より、当時の庶民の暮らしや感情が見て取れる絵は楽しくてずっと見ていたくなる。

そしてよく見ると・・下のほうに、木の棒でう〇こをツンツンしている子供・・?

Wikipediaにはちゃんとそれぞれの子供の遊び方解説図(この表の27番)まであり、それによると、やはりドクタースランプ的な遊びだったよう。まさか鳥山明ブリューゲルにヒントを得て・・?(違)

テーブルに置かれたパン、天板に並べて焼いて膨らんで、パン同士がくっついてこうなるのは昔も一緒、などと本当にどうでも良いところばかりをずっと楽しく見ていた。そして確かに当時はフォークはなく、ナイフだけで肉を食べていたのも良くわかる。

エジプト文化も大好きな娘、ミイラが怖い夫、娘のリクエストで頑張ってエジプトコーナーにも足を踏み入れて終了。閉館前なのでどんどん人がいなくなり、閑散とした中余計怖かったらしい。

私は本来の展示よりも、こういうものばかり見つけては喜んでいた。昔の人、展示物べたべた触りすぎ。

この他にもこの美術館にはフェルメールなど、世界でも有数のコレクションがたくさんある。随分駆け足だったのでだいぶ見逃してしまったし、見るのに夢中で写真を撮らないことも多かったが、ヨーロッパに住むようになってから、ぱっと簡単に本物のアートを見ることができる環境になり、逆に本物疲れ(?!)した中で妙に印象に残ったのが、半地下にあるトイレ近くに展示してあった、子供が美術ワークショップで描いたらしいこんな作品

これが

こうなる!

壁からも剥がれかけているような絵だったが、このデフォルメ感の妙。踏んづけられている人もだし、踏んづけている天使もオリジナルとはだいぶ違うがなんだかすごくいい。一瞬、これ大人がふざけてヘタウマ的に描いたのか?と思う位だが、なぜかぎゅっとつかまれてしまった。子供ってすごいなw

閉館した後は、何かイベントがあるらしく、フォーマルドレスを着た人たちがぞろぞろと入ってきた。着物の日本人もちらと見かけた。

子連れウィーン旅⑧ウィーンの美味しいもの集

ウィーンでソーセージしか食べなかった、という旅には絶対しないぞ!と少しは頑張った、ウィーンで食べたもの集。

黒いラク

おされエリアをふらふら歩いているときに見つけて入ったお店。恐らくガイドブックにも載っていそう。1618年創業だという「黒いラクダ」という名前のお店です。創業元和4年。江戸幕府が出来てからそんなにたってない頃か。ちょうど東照宮が建てられた翌年に、このお店も開きました(なぜ比べる)。

テラス席で皆さん優雅にコーヒーやワインを楽しんでいますが、私達が色めき立ったのはこのカナッペ!カウンターの素敵なおば様が、これがおいしいわよー、などと色々おすすめも教えてくれて(どれだかは忘れてしまった)頼んだのがこちら。

手前は納豆のようにも見せますが単なる豆です。ハムやスモークした魚、カレーマヨのコーンなどなど。1個1ユーロちょいとお手頃。これをテラス席でいただきました。

この時はお天気も良く、白いブレザーを着たウェイターさんが給仕してくれるテラス席に座り、石畳と石造りの建物に囲まれてインスタ映えなカナッペをいただく・・ああこれこそヨーロッパ、といった感じで完璧なシチュエーションでした。

ここで特に良かったなあと思ったのはコーヒー。普段は目覚ましにアメリカーノやラテなどそれなりに量のあるコーヒーをマグカップでがぼがぼ飲む・・という節操のないコーヒーの飲み方をしてきました。でもここで頼んだエスプレッソが非常に美味しくて、ああ本来コーヒーってこういう風に少量をゆっくりいただいても十分満足できるものだった、というのを実感しました。さすがにウィーンといえばカフェ文化、なだけはある。

しかしカナッペ(お店ではサンドイッチと呼ばれていた)は少量をゆっくりいただいても満足しなかった食いしん坊の陳家、再度お代わりに立って追加注文してしまいました。

こういうの、家で作りたいなあと思うんですが、できても2-3種類が関の山。やっぱり家庭だとここまで色々作るのは難しい。

なぜ店名が「黒いラクダ」なのかというと、創業者の名前がCameelさんだったからで、そこからラクダ(Kameel)がつく名前にしたんだそうです、って江戸時代のウィーンのダジャレだったんかーい!創業当初は輸入食品やスパイスを売る店だったんだとか。

Zum Schwarzen Kameel

シーフードのファストフードチェーン

全般的にヘヴィな食べ物が多かったウィーン、合流したKちゃんとNTKおじちゃんとのディナーも、お互い昼に食べたものがまだ腹にたまっている状態だったので、なんかもう軽いものか適当なもんでいいよね・・と入ったのが、あちこちに店舗があるNordseeというシーフードのチェーン店。

もともとはドイツの漁業会社が展開したレストランらしく、ドイツやオーストリア、スイスやハンガリーなどにも店があります。ニッスイとかカネテツがレストラン事業するみたいなもんか(知らんけど)。

カウンターではそれこそフィッシュ&チップス的なものや、フィッシュサンドなどが買えますが、もちろん旅先だろうが山の中だろうが、どこにいても寿司を食べたい小さいさんが、ここに並んでいたパックの寿司を見逃さなかったのが、主な選択の理由ではありました(苦笑)

グラム単位で買えるアンティパスト的な料理もあったので、大人はこういうのを頼みながらワインをちびりちびりやりました。

地元っぽいカジュアルな店

宿の近くにあったオーストリア料理のカフェダイニングみたいなお店。我が家が泊まっていた場所は、それこそ博物館や歌劇場にも近い、観光地ど真ん中的な場所だったけれど、そんな中で地元の人がPCで何か作業していたり、友達とわいわいご飯を食べていたりするお店でした。

色々な国の国旗の色に塗ってあるこんなピッチャーも棚に並んでいます。ここからコップに水を注ぐとガボガボすごい音がする。このピッチャーはお店で売っていました。

子供が頼んだのは、またまたシュニッツェル。

宮沢賢治の「オツベルと象」には「六寸ぐらいのビフテキ」が出てきましたが、これは六寸どころではないシュニッツェル。どちらかというと「雑巾ぐらいの」シュニッツェル。っていってもお肉を叩いて薄く伸ばしたものではありますが。

食べてみたかった、グラーシュ。牛肉のパプリカ煮込みシチュー的なものです。もともとハンガリーの料理らしいですが、重いながらに美味しかった。

でも一番ホッとしたのは、パパが頼んだこのコンソメスープかも。昔は日本の洋食店なんかでもこういう感じのスープが良く出てきた気がするんですが、最近はどうなんでしょう。アメリカ暮らしでは(イギリスでも?)今までお目にかかることのなかったクラシックなスープ。マギーブイヨンではない、本当にちゃんとしたスープ。これは懐かしくてパパのですがだいぶ横取りしてしまいました。

Burg.Ring 1

季節のアスパラと海原雄山思い出のスープ

5月のウィーンはちょうどアスパラガスの季節。何かドイツ語圏の人達にとって、この時期にとれるホワイトアスパラって、春のタケノコみたいな感じのスペシャル感があるらしいです。

季節もんだし、これは食べない手はない!と、今度はアスパラガスがメニューにあったお店に行ってみました。伝統的な感じのレストランに、KちゃんNTKおじちゃんも一緒に帰国前のディナー。

当然のごとく、パンとビール。

そしてこちらが、季節限定ホワイトアスパラ!ホワイトアスパラって、日本では缶詰か瓶に入ったぐにゃっとした歯ごたえのものしか食べたことが無かったので、あまり好きではない野菜でしたが、これはさすがに硬すぎず、柔らかすぎずいい感じに調理されていました。これに、オランデーズソースをかけていただきました。

これを食べると春の訪れを感じるようですが、この日は雨がザンザン降り。

臓物好きなパパは仔牛のレバー。

子供はホワイトアスパラが載ったパスタをいただきました。

前回パパが頼んだコンソメスープが美味しかったので、またあれば頼みたいなあと思ったらありました。しかもこのスープ、パンケーキ入り!そう、「美味しんぼ」を読んだ人なら知っているかもしれない、海原雄山が昔弱った時に奥さんが作ってくれたという、愛情と滋養溢れるパンケーキ入りのスープ・・・このことだったのか!

パンケーキといっても、ふわっふわのホットケーキがはいっているわけではなく、クレープ状のものを細く切ってスープに入れてあります。スープだけよりは、確かにお腹にたまります。そしてほおっておくと、この「パンケーキ」がスープを盛大に吸って、中でぶわーと膨張してしまうので、スープを堪能したい場合は早めにパンケーキのほうを処理したほうが良さそうです。

正直なところ、スープがとても美味しかったので、パンケーキは邪魔な気もしましたが、思いがけないところで、長年いったいどんな味なんだろう・・と疑問に思っていたスープを試すことができてラッキーでした。オーストリアのドイツ語ではFrittatensuppeと言うらしいです。

ホテルの一階に入っていたこのレストランもなかなか良かったです。ウェイターもおしゃべりで陽気なおじちゃんでした。帰るときにはなぜかみんなでこのおっちゃんと握手w

https://www.schick-hotels.com/en/restaurant-wiener-wirtschaft/philosophy-restaurant-vienna.htmlwww.schick-hotels.com

子連れウィーン旅⑦シェーンブルン宮殿

電車にちょっと乗り、ハプスブルグ家夏の離宮シェーンブルン宮殿を訪れた。

駅を降りて少し歩くと広大な庭園の広がる宮殿にたどり着く。付近には大道芸人に並んで、ここでもモーツァルト的コスプレをしたおじちゃんが、宮殿で開かれるクラシックコンサートのチケットを売っている。

選ばれたものだけが住み、歴史に残るようなあれやこれやが繰り広げられていた場所も、時代が過ぎれば庶民がわらわらとやってきて、建物の中から調度品からじろじろと見まわしていく場所になっていく。

マリアテレジアがここで権勢をふるい、マリーアントワネットがこの庭を走り回り、皇妃エリザベートがメランコリックな日々を過ごした場所。色々な人々が入れ代わり立ち代わり、国を回し王朝を維持するためにここでワチャワチャやっていたんだろうが、今となってはもう、豪華な内装や家具だけが残された、賑わってはいるけれど本来の目的とはかけはなれた、ちょっとポカンとした空気感。できるものならタイムマシンにのって当時の空気を感じてみたいもんだ。

城や宮殿に行くと、昔ここに住んでいた王様や貴族たちは、まさか数百年後にこんな形で人々がやってくる場所になってるとは、思わなんだろうなあ・・王朝の興亡、民主主義の興隆、次にこんな場所になるのは、どこだろう?などとどうでもいいことを考えたり。

ハプスブルグ家の面々、オーストリアについては、我が家の本棚にあるこの本を何度も読み返している。

皇妃エリザベートについてはミュージカルになったりしているぐらい有名だけれど、初めて知って興味を持ったのはやはり塚本さんの著作から。

シシィと呼ばれ、今も美貌と悲劇の皇妃として愛されているエリザベートの姿はこの宮殿のあちこちでも街中でも、冷蔵庫にくっつけるマグネットや、マグカップスマホケースや、そしてチョコレートのパッケージになって並んでいる。ウィーンでの生活を嫌い、逃げるように各地を放浪していた彼女、きっとこの場所でも鬱々とした日々を過ごしていたのではと思うが、そんな場所で自分の姿がこんなふうに使われているのを見たら、いやな顔をするだろうか、クスっと笑うだろうか。

とはいえ、黄金の代わりに黄色く塗られたというこの宮殿、ゴテゴテしておらず、富と権勢をこれでもかと顕示して来るものを威圧するでもなく、威厳と豪華さの中にも安心感もあったような。さすがハプスブルグさんちは趣味がいい。

ハプスブルグ家の子供達が過ごした部屋や、当時の子供の暮らしぶりもわかる子供博物館にも入ってみた。壁一面にジャングルのような壁画が描かれた楽しい部屋。子供達をわくわくさせようとしたんだろうなー、と微笑ましい。

なるべくプライベートな家族の時間が取れるようにと、召使いもあまり入れずに自分たちだけで食事ができるような仕掛けとして、階下から食事のテーブルが舞台装置のようにせりあがってくるようにしてあるダイニングルーム、なんていうのもあった。贅沢で恵まれた子供時代を過ごせるといっても、将来は政治を担い、自由もそれほどきかず、厳しい教育も。そんな中でのちょっと無邪気で幸せな家族の団らんがあったのかも。

今の時代の庶民として、好きな時にこういうところに来て、自由にこういうのを見学できる側だというのは、なんぼ気楽なことかw

5月のウィーン、天気は崩れがちで、この日も雨が降ったりやんだり。そんな中、歩きたくないとぐずる子供をアイスクリームとポケモンGoでつりながら丘を登ったり、腰が痛いといいつつ良く歩いた。特別な庭園や、宮殿に入らないのであれば、敷地の中には自由に入れるようなので、ジョギングしている人もちらほら。高低差もあるからトレーニングにはもってこい、なんて贅沢なコース!

子連れウィーン旅⑥屋根にチョコボール美術館

滞在先から数分のところに、旧正月になると中華系家族の間で激しく流通するチョコボールのようなものが屋根に乗った美術館がある。


我が家では勝手にフェレロ・ロシェの建物、と呼んでいたが、正解はウィーン分離派のアートが展示されている「セセッション館」。

Ferrero Rocher.png

(ちなみにヘーゼルナッツクリームが入ったこのイタリアのチョコボールは美味しい上に、黄金なところが好まれて、縁起物として少なくとも在米華僑の間では、人気の商品である。旧正月などの祝い事になると中華スーパーに山積みになり、我が家でも必ず親がどーんとくれる)

分離派と言うからには何かに反抗したグループであることは明らかで、オーストリアの芸術家組合を離脱した、古くさいアートの世界はまっぴらだぜ!といった感じの芸術家のみなさんの集団である。

有名どころで言うと、このおじちゃん

クリムトってこんな人だったんだ。100年前の芸術家も猫をモフっていたと思うと微笑ましい。写真をとる間に猫が逃げないように羽交い締めにしているようにも見えなくはない。分離派の初代会長でもある。

展示フロアそれほど広くはないので、さっと見て回れてしまう。

特に解説などが書かれているわけでもないので、これなんだろうね、これどういうことだろうね・・と子供と一つ一つ見て回った。それはそれでまた面白い。

と言っても深い芸術の話をするわけでもなく「なんでライオンが街角にいるんだろうね」的な話だったりするが(笑

地下に行くとクリムトの「ベートーベンフリーズ」と言う壁画が常設展示されている。タイトルにベートーベンが入っているだけでテンションが上がる。

クリムトさんは有名な「接吻」ぐらいしかあまり作品を知らず、この作品の背景についても後から知ったぐらいだけれど、逆に先入観なく見ることができたのは良かったかもしれない。

第九がモチーフになっているというこの壁画、第九のどの部分だろう、やはり描くときには蓄音機で第九のレコードガンガン流しながら描いたりしていたのだろうか・・などとぼんやりと眺めた。

音楽を聞きながらそれに受けた印象を絵にする、というのはちょうど子供も小学校の授業でやったらしい。第九と言う音楽が芸術家によってこう解釈されてこういう作品になった、という過程を想像したり、ベートーベンの音楽を頭の中で流してみるのもまた面白く。

2階部分はまた時期によって違う展示がされている。狭いフロアでの展示だが、この時は確かアメリカの現代アーティストの作品が展示されていた。

妙に印象に残ったのは、本当にこれはアートの展示なの?と一瞬思うような、壁に沿って設置されている、ベニヤで作ってペンキを塗ったような、文化祭の大道具にも見えるようなただのからっぽの棚。

最初はここは物置なのかとも思ってしまったが、実はこれはアーティストが働いていたか通っていたらしい、昔のレコードショップのレイアウトを簡単に再現したものだった。実際天井のスピーカーからは音楽が流れていた。

これもアートか〜とも思ったが、もう今ではそんなに見ることがないレコードショップ、それもアーティストの体験と記憶の中に残ってる場所が不思議なフォーマットで再現されていて、自分もその中にいる・・と考えたら何かちょっとわかったような気もした。

そしてなぜか今はもう無い、祖父母の家のことを思い出したりもした。適当な板や資材で祖父母の家の応接間や茶の間のレイアウトを再現したところを想像した。実在したものとは程遠いものでも、空間的なものを再現したらそこに何か投影されそうな気もした。

モダンアートってよくわからないことが多いが、作者も意図があったり、あるようでなかったりするものもあるだろうなあ。絵画でも音楽でも文章でも食事でも旅行でさえそうだと思うけれど、それをどう受け止めて処理するかは、受け手側の内面やその時の体調や状況も色々影響しそうだ。そんな中でわからん、とスルーするものもあったり、自分の心の中に残ったりするものもあったり。それもまた刻々と変わっていくから面白い。