愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子連れウィーン旅⑤ウィーンの甘味の園へ

せっかくウィーンに来ているからには、お決まりの「ザッハトルテ」を食べてみようじゃないかと言うことになりました。

ウィーン経験者の友人が、「デメル」や「ホテルザッハ」など、日本で食べられるものもあるし、老舗より美味しいところもある、と色々別のところを紹介してくれたのですが、まず日本に滅多に帰らないし、ザッハトルテをまず食べたことがないので、とりあえずは基本のところを押さえてみようじゃないか、と言うことに。

まずはデメルです。

ここは遅い朝食を食べた店の近くにあり、通りがかったついでに、空いていたのでせっかくだから入ってしまおうと早めのおやつの時間に。ほんの少しだけ待ちましたが、2階の喫茶室のようなところに通してもらいました。待っている間には厨房をのぞくこともできました。

立派なシャンデリアがぶら下がった、ちょっと古い感じの喫茶室での初ザッハトルテ。上のチョコレートは三角で、アプリコットジャムはチョココーティングのすぐ下にあります。思いのほかスポンジがパサっとしていて、ふーん、こんな感じなのね。隣の席には、ずいぶん年配の日本人のご夫婦が来ていました。長時間飛行機に乗って日本から来たんだろうと思うと、すごいなぁ。

続きまして〜、ザッハホテルです。ここはKちゃんNTKおじちゃん夫妻も一緒に、5人でケーキをつつきました。

ザッハトルテデメルかザッハホテル、どちらが元祖かで裁判沙汰になるほどもめた話は有名ですが、こちらは丸いチョコ&スポンジの真ん中にジャムが挟んであります。こちらのケーキのほうがしっとりしていて、個人的にはザッハホテルの優勝!しかし〜、どっちも言うたらチョコレートケーキ。そして甘い。

実は数年前に、本場の味を知らないまま、パパの誕生日に見よう見まねでザッハトルテを作ったことがあったのですが、今回味の「答え合わせ」ができてなかなか満足でした。

でも手作りだと砂糖の調節ができた&友達の家で取れたアプリコットで作った自家製ジャムを使ったりしたせいか、「ママが作ったあの時のザッハトルテのほうが美味しかった」と、ザッハトルテ・バトル、なんと軍配は私に?!やったー優勝!

とはいえ、あの時のジャムはもう無いし、それから2度と作っていないので、あれはもう幻のザッハトルテです。

ザッハホテルでは、アップルシュトゥルーデルも頼みましたが、控えめな甘さといい、こっちの方が気に入ったかもしれません。

これは、また食べたいな〜。

色々なお茶がある中で、「煎茶センパイ」と言う謎メニューも。先輩?千杯?

続きまして〜、こちらも老舗のGerstnerと言うお店にて。歌劇場の隣にあり、窓から劇場がよく見えます。

ここで注文したのは、確か左がリンザートルテ(結構スパイスの効いたパウンドケーキ的なものの上にジャム)、エスターハージートルテ(アーモンドと卵白、バニラクリームやフォンダンのケーキ)。一言、甘い!

ドイツ・オーストリア菓子の本を持っているのですが、フランス系のケーキが軽いスポンジやムースなどを組み合わせる&材料の数が意外と少ないのに対し、ドイツ・ウィーン菓子は結構ドカンとヘビー&意外に組み合わせが複雑で、材料のリストがものすごい長いのがいつも印象的でした。

オーストリアのお菓子、まだまだ知らないものが多い!ただもっと色々試してみたいかというと、かなり甘いので、うーんもういいかな、と言う感じも・・。イギリスで売っているケーキの方が、ずいぶん甘さ控えめです。

このお店は、結構夜遅めに行ったのですが、お店のお姉ちゃんが派手にコップを割ったりしていました。そして食べ終わってお店を出ようとした時、今度は棚に紅茶だかクッキーだかの缶を陳列しようとしてこれまた派手にドンガラガッシャーンと床に落としていました。どんだけおっちょこちょいw

ウィーンのお菓子は甘い!ならもうその辺でやめとけばよかったのに、お友達にお勧めしてもらったお店を試したい・・・と、最終日にOberlaaと言う店でケーキをテイクアウト。マンゴームースのケーキと、トッペンシュトゥルーデルと言うチーズが入ったシュトゥルーデルを買いました。

ここのお店はもっとモダンな感じで、すごく仏頂面のおばちゃんが対応してくれました。ここのケーキは他店と比べて甘さ控えめで美味しかった!!

しかし、ここまでしてこんなにケーキを食べる必要があったのか。多分なかったかもしれない。旅行中、その他にもウィーンのヘヴィな食べ物も色々いただいたので、もちろん肥えて帰ってきました。そして3ヶ月たった今も、まだ回復しきっていません・・・(ガーン)。

おまけ:街で見かけたバウムクーヘンの看板。知ってるのとちょっと違う!どっちかというとチムニーケーキ風。

アメリカからイギリスの運転免許に切り替え(中間報告)

アメリカを出るときに国際免許を作ってきたが、とうとうそれも期限が切れてしまった。イギリスに住んでいるのだから、いよいよイギリスの免許を取らなければならない。

日本の免許を持っている場合は、実技などの試験は免除でイギリスの免許に切り替えができるらしい。やはり数少ない右ハンドルの国同士で融通が利くのだろうか。

しかしアメリカの免許ではそうもいかない。もう過去に免許を持っていた栄光は忘れ、イギリスでは新人ドライバーとして、一から免許を取り直さないといけないのであった。

この手続きがちょっと面白かった。まずアメリカでも日本でも、まず仮免をもらうためには最初に何か試験があったはず(日本だったら教習所内での実技があったような)。

でもイギリスは「仮免ちょうだい」と試験もなにもなく仮免を申請できる。

それもウェブサイトに情報をちょいちょいと入力して、クレジットカードで支払いを済ませて終了。もしイギリス人であれば、パスポート番号を入力すれば、本人確認もあっちで勝手にやってくれる。写真も署名もパスポートのデータベースにあるものを使うので、何も送る必要がないらしい。

外国人の私の場合はそうも行かないので、オンライン申請のあと追加でフォームが郵送されて来た。

そのフォームに写真を貼り、署名をし、本人確認ができるもの(パスポートやBRPカード)を同封して送り返す。

…そう、身分証明書を物理的にスワンジーにある免許センター的な場所に送らないといけないのであった!!

大事な身分証明書を郵送するのは、心理的な抵抗が多少あったが、仕方ない。日本の免許からの切り替えの場合は、特別措置だとかで、BRPカードの両面コピーを送れば良いらしい。DVLAには日本人向けアカウントマネジャーまでいるらしい。10年前に日本の免許失効させなければ良かったかなあ。

心配な人は、トラッキング可能で翌日配達してくれるサービスがあるので、郵便局で専用の封筒を買って、それを返信用封筒として同封しろとあったのでそうした。先方に送る時もそのサービスを使った。

さて、私の場合、ちょっとトラブったのは身分証明書の郵送ではなく、フォームにサインするときに「このボックスからはみ出さずに署名してください」とあったのに、勢いで思い切りはみ出して書いてしまったことであった。

さらにそれをごまかそうと修正液を塗って上から書き直してみたら、表面がボコボコになり明らかに怪しい感じに。

これは送ってもリジェクトされるだろうと(そもそもフォームに修正液を使ってはいけない)再度フォームを送ってもらえるか問い合わせる必要があった。

アメリカの役所の仕事ぶりしか経験したことがなかったので、ここでも問合せの電話が繋がらない、繋がってもたらい回しで何度も説明させられる羽目になるのではと暗澹たる気持ちになったが、蓋を開けてみればオンラインチャットサービスでものの10分ほどで解決してしまった。

さらに担当者の人は、フォームを送り直すのに1週間ほどかかるので、申請期限に間に合わなくなるかもしれないから、期限も延長しておきました、とめちゃくちゃ気がきくではないか。

・・・ここ、アメリカじゃなかった!!イギリス最高!!

1週間もしないうちにフォームも送られてきて、その後あっという間に無事仮免到着。BRPカードも返信用封筒を使って無事に戻ってきた。

そしてこの仮免の有効期限は、なんと10年。

よくDeliverlooなどの出前サービスでオートバイのってるにいちゃん達、Lマークをつけて走っている人がとても多いけれど、あれは仮免のままずっと仕事してるということなのだろうか?

実際とりあえずは身分証明になるものも出来てしまったので、なんだか急に安心してしまい、マニュアル右ハンドルの練習をやり直すためドライビングインストラクターを探すという次のステップにまだ移れていない。

日本でマニュアルで免許取ったのに、日本では完全にペーパードライバー、アメリカでの左ハンドル右通行での運転経験しかないため、本当に反対側で運転できるのかあまり自信がない。左側通行、と車内のどこかに張り紙をしておかないと混乱してしまいそうだ。

免許取得最終報告はいつになるやら。

子連れウィーン旅④音楽の館でウィーンフィルにどやされる・モーツァルトお宅訪問

旅行するたびに、なぜそんなに博物館に行って博物ばかり見ることになるんだろう・・普段それほど博物のことばかり気にして生活しているわけではないのに。と思うこともままありますが、今回ちょっと楽しみにしていたのはやはり音楽関係の展示を見ることでした。

なにせ街を歩けばモーツアルトにあたる!

街を歩けば、スタンウェイにあたる!(アメリカのメーカーだけど!)

ついでにゲーテも偉そうに座っている!

ミュージシャンじゃないけど、クラシック界の阿久悠(ちと違うw)。

街をフラフラ歩いていると、突然のんびりしたフォークミュージックとともに、爺さん婆さんが踊りだす!

コンサートホールだけでなく、街のいたるところにある教会などで、室内楽や声楽や、色々なコンサートも開かれていて、一日中コンサートのはしごをすることもできそう。

ハウスデアムジー

そんな音楽に満ち溢れた街で、子供を「ハウスデアムジーク」に連れて行ってみました。言うたら「音楽の館」。クラシック音楽の歴史など、インタラクティブな展示が楽しい博物館です。

ここは会社の若い同僚が「子供の時に行って楽しかった」とお墨付きをくれたのですが、ここが開いたのは2000年。そうか、当時まだ子供だったか・・・

Haus der Musik – Entdecke die Welt der Klänge

細かいことはガイドブックにある通りだけれど、歩くと音のなる階段から始まり、まずはウィーンフィルの歴史の展示に感動。

説明をじっくり読みたいのに、こういうところは子供がばーーーーっと走り去ってしまうので、「ちょ、ちょっと待て!」となってしまうんですが(苦笑)

歴代指揮者の指揮棒。意外とバリエーションがある。こうやってみるとカラヤンの指揮棒はずいぶん短めです。

こういう作曲家直筆の楽譜を見るのも初めて・・・。

作曲家の直筆の手紙や、私物も色々置いてある・・

ブラームスマーラーのメガネなどなど・・うわ〜〜〜。

思えば作曲家って本当に音楽でしか知らない、子供の時からピアノ弾いたりフルート吹いたりしてたけど、伝記ぐらいは読んだけど、本当に印刷した楽譜を通じてしか知らない、遠い存在というか、実在さえも自分にはよくわからないほどの存在だった・・のに、こういったものが形を成して目の前に現れると、ヒョーーーーーウヒョーーーーとなってしまう。

これが作家や画家だったらここまで変な気持ちにはならないのに、不思議だなあ。

この他にも、作曲家ごとに、子供も楽しめるインタラクティブな展示や、作曲家の人生やイメージに合わせてデコレーションされた部屋があります。耳が聞こえなくなったベートーベンの筆談の跡からわかるベートーベンの好きな食べ物、なんていうのもありました。当時はなかなかエキゾチックだった、マカロニがお好きだったようで、それにチーズかけて食べてたんですって!

音そのものの「展示」もあります。周波数の組み合わせや音階が不思議な感じでループする展示、色々な国や場所の音が聞こえる展示などなど。

どこだったか東京のどこかの駅の喧騒音もありました。音は少し加工してあるので、一つ一つの音をはっきり識別できるわけではなく、行き交う人の話し声も、プラットフォームの駅員さんのアナウンスもはっきり何を言っているのかはわからないのですが、それでもああ、これ、日本の音・・・とわかるのも面白い。

そしてここで絶対やって欲しいのが、「バーチャル・ウィーンフィルの指揮者体験」!

指揮棒を降ると、それに合わせてウィーンフィルが演奏してくれます!ただし、本当に指揮に合わせてくれるのでしっかりテンポを刻まないと、でろでろに遅くなったり、ものすごい早送りになったり。

小さいさんはなかなか難しいハンガリー舞曲5番に挑戦。って難しすぎて、当然ぐちゃぐちゃに。あまり長い間ぐちゃぐちゃに振っていると、途中でオケのメンバーが演奏をやめてザワザワ抗議を始めます(爆笑)そしてコンマスが立ち上がり、テンポってものがわかってないんですかあなたは!ブラームス聴いたことないの?!こんなへっぽこ指揮でやってられっかー!!!みたいなことを、結構悪態つきながら言ってきます(大爆笑)

この撮影、ウィーンフィルのみなさんずいぶん楽しかったのでは(笑)

パパも小さいさんも散々楽団員にどやされましたが、私は無事クリア。普通に指揮するとセンサーが多分ちゃんと読み取ってくれないので、ただテンポに合わせて棒を上下させるのがいいようです・・。

モーツァルトハウス

モーツァルトがウィーンに住んでいた住居の中で唯一現存するお宅も拝見。

www.mozarthausvienna.at

今このウェブサイトを見てみたら、ドイツ語・英語・中国語バージョンがありました。もうだいたい海外旅行にきているアジア人の多くが日本人観光客、という時代は本当に過ぎ去った感。

写真は一切ないのですが、1700年代のこの建物のうちモーツァルトが住んだフロアが公開されています。彼の人生の中でも全盛期の頃の家らしく、オペラフィガロの結婚もここで書かれたそう。

どの部屋がどの目的で使われていたのかは、今となっては推測するしかないようですが、小さめの部屋がたくさんある感じでした。でも当時彼が着ていた服のデザインなどを見ても、かなり贅沢な暮らしをしていたのがわかります。というか、モーツァルトが本当にいた場所にいるんだ・・この空間のこの天井を見たり、この窓から外を見ていたりしたんだ・・と想像すると、これまたシュールな気持ちに。

ウィーンにはこの他にも、ベートーベンやハイドンシューベルトブラームス・・・と足を伸ばせば色々な作曲家の博物館があった・・んですが、何しろ事前リサーチ時間ゼロ、さらに腰痛に耐えながらの旅になってしまったので、後になってあそこも行きたかった、あれも見たかった・・・と色々ふつふつと出てきます。いつかまた、リベンジ旅行しなければ!

子連れウィーン旅③シュニッツェルにソーセージ

ウィーンで食べたもの集その1。

ウィーン到着後、お昼ご飯を求め、宿から歩いてナッシュマルクトへ。レストランや食料品店が並ぶ市場です。大きめの道路2本に挟まれる形で長〜く伸びている細長い場所にあり、歩いても歩いても店が続きます。

到着した日はお天気もよく暑いくらい。さらに市場は観光客も多くてかなり混雑していました。腰痛でなんとなく体が歪んで内蔵の座りも悪く気持ち悪く、強い日差しと喧騒の中を歩いていたらさらにしんどくなってしまい、普段はわーきゃー楽しく冷やかして歩く市場も、食べ物なんぞ、もうどうでもいいわ!と投げやりな気分になる一方。

そしてウィーン、意外とアジア料理の店があちこちにあったんですが、この市場にも「寿司と中華とタイ料理」を全部まとめて出すような危険臭ただよう店があったりして、旅先だからその土地の料理を食べよう、などという考えは全く無い小学3年生を激しく誘惑してくる・・・。

それだけはダメ、絶対!と、衰える判断力を振り絞り、その向かい側の店に入りました。が、そこはそこで、ウェイターが道行く人々をうざいくらい客引きしている、いかにも観光客向けのイタリア料理店。しまったぁ・・!

それでもなんとかウィーン的なものを・・と

ソーセージと

ウィンナーシュニッツェルを。

ウィンナーシュニッツェルは、やはり村上春樹のエッセイでロンメル将軍が食堂車で食べているシーンのことを読んでから、時々食べたくなる一品ではあります。出てきた付け合わせは、エッセイで引用されていたサウンドオブミュージックの歌詞にあるヌードルではなく芋、でしたが。

レモンを絞ると、たいていの揚げ物は救済されるような気もします。

ご飯をお腹におさめて少し元気も出たところで、ちょっと気になる地元の食べ物を見てみたり

これはいわゆるフルーツバーみたいなもののよう。Kaspressknödelというのは、チーズやパンなどをこねて焼いたお団子のような・・お焼きのようなもの。アルペン地方の食べ物のようです。この他にも結構スパイス屋さんやケバブ屋なども。魚屋、肉屋もあり、隣接のレストランもありました。そういうところに入ればよかった。

店がひしめき合っている市場も、最後尾のほうにいくとテントが立ち並ぶこんな感じになります。入口付近は観光客向け風なところも多かったですが、ここまでくるともう少し地元風?

レンガ建てのビルが多く町全体がなんとなく茶色系なロンドンと比べると、ウィーンはやはり建物がエレガント~な感じがして、より芸術文化の街、これぞヨーロッパ、という気分になります。

市場の横にも、こんなに装飾が美しい建物が・・・(右側の)

こちら、ウィーン分離派の中心人物でもあった建築家、オットー・ワーグナーさんによる「マジョリカハウス」。マジョリカ焼きのタイルが使われているそうで、なんと可愛い!中はアパートになってるらしいけれど、中はいったいどんななんだろう・・。

って検索してみたら、中も素敵や~~!

近づいたらもっときれいなタイルが見られたんですが、腰痛でそれどころではありませんでした(トホホ)。

市場を離れ、今度は博物館が並ぶエリアへ。ここにはワインなどのアルコールの試飲、地元で作られたかわいいデザインの雑貨などを売っているテントもありました。皆さん質問すると普通に英語で答えてくれて有難し。これはイタリアの食前酒アペロールのバー。オート三輪を面白い風に改造してあります。アメリカだとフードトラックがどーん!という感じでしたが、こういうサイズ感もヨーロッパ的。

さて前回ベルギーを旅行した時は、夫の意向に沿って食べ物を決めたところほとんどフリッツしか食べない旅になってしまった遺恨があったため、今回は絶対ソーセージしか食べない旅、にはさせない・・・!と固く決心して参りました。

で、初日のディナーはこちら

私だけお友達とコンサートに出かけたので、その前にさっと腹ごしらえ・・と思ったらやっぱりこうなった。道端にあったソーセージやケバブを売っているスタンドで注文した、中にチーズが入っているKäsekrainerというソーセージです。そういえば昔日本でもチーズ入りのウィンナー、売ってたな。たまに買ってくれて、お弁当に入ってたりすると嬉しかった記憶が。味もそんな感じの味でした。

パンは切らずに、ステンレスの棒みたいなのに突き刺して穴をあけ、そこにソーセージを押し込んであります。ウィーンの空港に着いた時、タラップを降りて空港入口までバスで移動したのですが、そのバスの窓から見えたのが、整備士さんだろうか、地上勤務の人が滑走路の近くでこれと同じものにかぶりついていた姿でした。つい凝視してしまいましたが、日本だったらおにぎり、ウィーンだったらこれ?

実際道端にこういうスタンドが良くあります。昔はよく自分でソーセージを作っていた腸詰めおじさんな旦那は、ソーセージとビールが大好物・・・(そういえば一時はビールも自分で醸造してたな・・)。やっぱりこういうのを目にするとフラフラと吸い寄せられていく・・・

黒パンがついてきた。っていうか、ソーセージばっかりの旅にはさせないぞ!ぞ!

朝食はだいたい、近所のスーパーやパン屋さんで買ってきたパンやフルーツで済ませていました。ウィーンのパンは、全然繊細な感じはないんですが、なんでしょう粉が違うんでしょうか、なんだかおいしくいただけました。このパン、どうもクロワッサンの元になったともいわれているらしい。

クロワッサンもこんな感じ。作りはかなり質実剛健

クロワッサンってトルコのウィーン包囲失敗を祝って作られたんじゃなかったっけ、と思ったらちょっとガセっぽいようです。もともと原型になるようなパンが色々あった模様。Wikipediaの英語版にそこらへんのことは色々書いてありましたが、日本語版のほうはそのごく一部の文章だけ翻訳して載せてあり、説明がちょっと不十分でした。というかWikipediaの情報もどれだけ信用できるかは気を付けないといけないので、参考程度に。

バースデーやっつけ日記

7月は大きいちゃん、小さいちゃんの誕生月。

大きいちゃんはアラフィフに、小さいちゃんは9歳になりました。40歳を過ぎると年齢を数えるのをやめてしまうので、夫のも自分の年齢も実は何歳かすぐに答えられませんw まあいいや。

大きいちゃんの誕生日当日は、まだ子供は夏休み前だったので、会社を休んで二人でロンドンをぶらぶらしました。自分の誕生日は会社休んだりバケーションに行ったりする人、多いです。

私はバッキンガム宮殿で衛兵の交代を見ながら、一個だけ電話会議。

この日は、この他にもグルカ兵というネパール人部隊のマーチングバンドも参加していました。色々ややこしいんだけど、イギリス軍に雇われているネパール国籍の人達らしい。植民地時代はそれこそ精鋭部隊として活躍してたんだとか・・。グルカ兵は引退すると、結構ボディーガードなどとしても引っ張りだこらしく、シンガポールとかで小さいけど強そうなドアマンとかがいたら、元グルカ兵かも、なんだそうです。へーへーへー

そして向かったのは、女王様のギャラリー。レオナルドダヴィンチの原画展を見てきました。

レオナルドダヴィンチが色々書き散らしたメモや下絵などが展示されています。これら数百点に渡る原画(原画と呼んでいいのだろうか、色々描いたもの)は、スクラップブックみたいな形にしてまとめて、1600年代ぐらいにイギリス王室のコレクションになったらしいですが、しばらく忘れられていたらしい・・・。

ヴィクトリア女王の時代になって、ちゃんと額装して綺麗に整理したようです。

子供の頃、上野の東京科学博物館だかで見たダヴィンチ展がすごく衝撃的で心に残っているのですが、なんぞこの細かさ。そして一枚の紙に、必ずしも同じトピックの内容が描かれているとは限らず、何かの絵の図案が描いてあると思えば、その横に建築のアイデアがあったり。

この終わりなき探求心。そしてこの絵はレダと白鳥の下絵なんだけれど、実際に絵では描かれなかったものすごい編み込みヘアスタイルの後ろ側のデザインも考えている・・・!

へーへーへー!とまた一通り関心したところで、凡人は腹がへる。以前も寄ったヴィクトリア駅前のフードホールでまた軽くランチ。

これはかなり薄く切ったなすびをグリル+オリーブオイルとチリまみれにしたもの。後で家でも作ってみましたがこれくらい薄くしてもいけますね。油が結構必要ですが・・。

そしてユーストン駅近くの名店Roti Kingが出しているインド系マレーシア料理のお店で、これまた久しぶりのロティチャナイ!チキンカレーと一緒にいただきました。

ロンドン在住になったけれど、なかなかこういう観光地っぽいところの写真は撮ったりしてないなあ、とパチリ

ディナーは大きいちゃんの所望で手巻き寿司。お刺身を買うために、初めて日本人がたくさん住んでいるというアクトンまで行ってきました。ウエストアクトン駅前にあるアタリヤでお刺身を色々と注文。これで40£なり。

そしてロンドンに来てからすっかり甘いもの好き&Netflixにあがっていた「サボリーマン飴谷甘太朗」のドラマを見てからさらに「スイーツ」にはまり始めた大きいちゃんの所望で、SOHOとチャイナタウンにお店あるKova Patisserieで事前に買ってあったケーキをいただきました。

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一方小さいちゃんは週末に学校のお友達を呼んで誕生日パーティー。ちょっとアートなアクティビティをするところを予約してお友達を呼んだのですが、予算の関係で友達全員はさすがに呼べないよ・・・と言っていたのに、市長な小さいさん、呼んでなかった子にも招待されていると話してしまい、前日にその子のお母さんからテキストが来る始末・・。

急遽人数増やして招待したりと多少てんやわんやありましたが、ふたを開けてみれば9歳女子のかしましトークが面白すぎて、ビデオに撮ってお母さん達とシェアしてみたり、みんなで楽しくワイワイすごして、親はそれなりに精気を吸い取られながらも、楽しく達成感のある(?)誕生日会となりました。いや、毎日こんなエネルギーのある子供達の相手をしている学校の先生ってすごい。

日本でいうところの幼稚園の年長の時からずっと持ち上がりで来ているこのクラスに編入して1年。小さいちゃんがベストフレンドと言ってくれるお友達もぼちぼちいたりして、あいかわらずその社交性の高さは親が羨ましくなるほどです。

やっつけ気味に書いた今年の誕生日については、以上です。しかし子供ももう9歳・・・早いなあ(涙)