愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

トイレ話1:ハンドドライヤーのデザイン

今回カリフォルニアに里帰りして、そういえばイギリスのトイレにはアメリカみたいに、ペーパータオルがないよな、と改めて気が付いた。だいたいトイレで手を洗った後は、温風ドライヤーでぐわーっと乾かす。

吹き出し口が下を向いているドライヤー(アメリカ製のことが多い)か、上から手を突っ込んで強風で乾かすダイソンのドライヤーなことが多いけれど、古い建物の狭いトイレに後から無理やりつけたようなドライヤーの場合は特に、床から周囲からびっちょびちょになっていたりして逆にキタナイよなぁ・・何かもう少し良いデザインは無いものだろうか・・とちょっと気になっていた。

最初におお、グッドデザイン!と思ったのはヒースロー空港のトイレ。シンクの上、鏡の下にスペースがあって、そこに個別にドライヤーの吹き出し口が付いているので、そこに手を突っ込む。これだとドライヤーで手を乾かすのに移動しなくていいのと、水がたれても多分シンクのほうに行くので床に水分がぶちまけられることは無さそう(写真が無いので説明が難しい)。

これは先日行ったデザイン博物館のトイレ。空港トイレの類似・変形版。これは一瞬さすがデザイン博物館だけある!と思ったが、水が随分高いところから落ちてくる割に、シンクが異様に浅いため、手を洗っている時点で水しぶきがすごいことになり、床がずぶ濡れになった。むー、デザイン重視の罠。

ちなみにここの便座は真四角でお尻のフィット感も微妙。

今のところ優勝候補はアメリカの映画館で見かけたこれ。蛇口に直接ドライヤーがくっついているデザイン。掃除の点からすると、これが一番理にかなっているんじゃないだろうか。しかしハンドドライヤーって随分昔からあるけれど、ここまで来るまで意外と時間がかかったのが不思議でもある。

しかしドライヤーで手を乾かすのは、ばい菌を空中にまき散らすので実は逆に良くない、という調査結果が出ているのはいろんなところで話題になっている。

手に着いた水滴をあちこちに飛散させるのもそうだし、トイレの空気中に漂っているいろんな菌を、ドライヤーの温風でさらに拡散させてしまうのだとか。ハンドドライヤーを使うのと使わないので、空気中の菌を培養したら、使わない場合はコロニー1個だったのに対して、使った場合は254のコロニーが育っちゃったそう。

トイレの空気中ってそんなにばい菌漂ってるんだ!と驚いたが、トイレを流すときに水流にあわせてぶわっと広がるらしい。蓋をしていないトイレを流すと、大体6メートル四方に飛び散るんだそうです。ヒー。まずは蓋をしよう。

トイレのゴミ箱いっぱいにペーパータオルが積みあがっているのを見ると、環境問題・・!と思ってしまうけれど、実際のところはペーパータオルのほうが衛生上は理にかなっているのだそう。

じゃあハンカチはどうだろう。これはあくまで毎日取り換える、トイレで手を拭く以外の用途に使わない(欧州名物、ハンカチで鼻をかむとか。それで口を押えるとか)ことを徹底しないと余計たちが悪そうでもある。

とは言え、至って健康体であるならば、そこまで気にする必要もないのかもしれないが、やはり病気などで抵抗力が落ちている人にとっては危険もあるので病院ではドライヤー使わないのが推奨されているそう。

びちょびちょで放置されているドライヤーを見て掃除の便宜性のことばかり考えてしまったが、デザイン的にも機能的にも環境的にも理にかないつつ、「いかにトイレの後清潔を保つか」という点については、人類まだまだ考える余地はあるのかも。

カリフォルニア里帰り

イースターの休みを利用して、約9か月ぶりにカリフォルニアに里帰りした。

数か月離れただけのカリフォルニア、空が広い。何もかもがだだっ広い。空気がいい。280はガラ空き素晴らしい。久しぶりの運転は最初びびったがすぐ慣れた。

入れ違いに旅行に行くお友達の家のハウスシッティングをしつつ、シリコンバレーからイーストベイの北のほうまで、毎日縦横無尽に移動する。ちょっと友達に会いに、ランチをしに、ロンドンからケンブリッジ以上の距離もぐんぐん運転する。車があるとフリーダム度が増すなあ。

と思いきや、ベイエリアのものすごい渋滞のことをすっかり忘れていたり、ちょっとの値段でものすごい量のごはんが来ることをすっかり忘れていて、注文してからびっくりこいたり。20年近く住んでたのに数か月離れただけでいろんなことをこうも忘れるもんか。

お約束の家族飯も、久しぶりに食べると美味い。

ちょっと行けばあるダイソーや日系スーパー。車だから重い荷物を持ってウロウロする心配をしなくてもよい。こんな便利な環境に数か月前までいたことなんてすっかり忘れていた。無いならないで困らないけど、あったらあったでやはり感動する。

シリコンバレーにはやよい軒もあるのだ。ひつまむし。普通に美味しい。

子供が通っていた小学校、放課後に2日連続で顔を出した。久しぶりの再会にわーきゃー大騒ぎの子供達。この年齢だからかアメリカ人だからか、男の子も女の子も小さいさんを囲みハグしまくり、校庭で遅くまでみんなで遊んだ。私も子供もロンドンではありえない日焼け。懐かしいアラメダだが、もうここに自分の家がないのが悲しい。

引越の時って、家具がぜんぶ運ばれた後がらーんとした部屋の中で、カウチも無いので座る場所もなくて、でもお尻が勝手にそっちのほうについ向いてしまう・・という落ち着かない感覚があるけれど、それをまるで全身でやっているような変な気持ちになる。まるでロンドンになど引っ越さなかったのように、すっと昔の感覚に戻れるのに。

友達がリクエストに応えて食べたいものを色々用意してくれる、有難い。今はネットもあるしそんなに離れた感覚もないけれど、じゃあ来週も会おう、というのができないのもやっぱりちょっと悲しい。

地元に戻ったわけなので特に観光することもなく、今回はサンフランシスコなどには一歩も足を踏み入れなかった。毎日運転しては誰かに会い、食べ、運転しては食べの繰り返し。万歩計は1日2000歩弱にしかならず。こりゃー太る。実際体が重い・・・!

そんなこんなで10日間だけアメリカにワープして、また飛行機に乗ってあっという間にロンドンに帰ってきた。こっちもまた、10日間留守にしていたとは感じない、自分の日常の場になっている。飛行機の旅ってやっぱりすごいなあ。1日もかからないであっという間にまったく違う場所の違う環境に行けてしまう。そしてまたその空間と感覚に合わせて生活が続く。ってまあすごく普通で当たり前のことを書いているけれど、やっぱりなんだか不思議な感覚だ。

2019積読解消:シャーロックホームズ

シャーロック・ホームズ大全

シャーロック・ホームズ大全

せっかくロンドンにいるからと、年末年始にかけてシャーロックホームズの話をぜんぶ読んだ。実家から送られてきた電話帳ぐらいの厚さがあるシャーロックホームズ大全。中学生ぐらいの時から家にあったけれど、ホームズが最後に死んじゃうんだと思って、最後まで読むのが怖くなりそのまま放置してあった(ちなみに名探偵ポワロの最後の本もその理由で読んでない)。

やはり面白かったのは話の中から垣間見えるビクトリア時代のロンドンの様子。よく読むと結構架空の場所が舞台の場合も多いが、身近になったロンドンの色々なエリアをホームズが駆け回る。街の建物の雰囲気も思えば今も大して変わらなかったり電車の路線は同じだったりするので、想像がますます膨らむ。

どんなに的確な推理をしても、馬車や列車しか移動手段がないから現場にかけつけるのに時間がかかったり、連絡手段も電報だったり。手紙やメッセージを送るにしても郵便というよりは、誰かに小銭を渡して託すほうが早かった時代。ちゃんと相手に届くかの保証があるとは限らなかっただろうけど、ガジェットは無くても、当時の出来る限りの手法を駆使しているんだろうなと想像するのも面白い。

あと男女ともすぐ失神して、だいたいブランデーやコーヒーで復活するのも読めば読むほど興味深い。もちろんこういうのは知識としては知っているが、実際そういうしぐさが生活の中に普通にあった世界のことを想像すると、なんだか不思議な気がする。今じゃ精神的ショックはコーヒーぐらいじゃどうにもならないからなあ。

BBCのドラマ「シャーロック」の現代版シャーロックホームズのインテンスな推理とアクションに慣れてしまった後だからか、オリジナルのホームズの話は意外とシンプルに見えてしまった。もちろん鋭い観察力はあるのだけれど、意外と状況証拠で色々と決めつけてたり、当時の社会的ものさしで、犯人の動機を短絡的に推測する部分もあった気がする。

今回読んだ中で一番好きだったエピソードは「黄色い顔」。再婚した妻の様子がおかしいと調査を依頼されたホームズの推理がはずれる話なのだけれど、珍しく子供がかかわるハートウォーミングな話。当時にしてもかなりリベラルな結末となる話で、それだけにやはり奥さんの不審な行動については、ホームズの推測も当時のバイアスからは逃れられなかったかな、意外と科学的じゃないじゃーん、なんて思ったりもした。

Paget Holmes Yellow Face child.jpg

子供への愛情、という他のエピソードではあまり見られなかった感情が見えたのが良かった。推理がはずれたホームズも子供を前にちょっと顔がほっこりほころび系な挿絵も良いw

外国文学を日本語翻訳で読むと、時々翻訳調の日本語が気持ち悪く感じることが多いけれど、この全集の翻訳はとても良かった。今でこそ、翻訳をするにあたっての調べものもネットでしやすくなったと思うけれど、ネット以前の時代に翻訳されたこの本、翻訳者個人がイギリスの歴史文化に深い深い理解があったり、並々ならぬ調査をしたのだろうかと思うと、なんだか重みも最近の翻訳本とは違ってくる気がする。

と、この翻訳をした鮎川信夫という人のことは知らなかったのだが、今Wikipediaを見てみたら戦後の詩壇で需要人物とされる詩人だったらしい。そして1986年に「甥の家族とスーパーマリオブラザーズに興じている最中に脳出血で倒れ」66歳で亡くなったそうだ。

台湾式午後茶

イギリスの母の日、ソーホー近くの台湾料理屋さんで台湾式午後茶。

このお店の内装は1920年代中華ノスタルジック風。かかっている音楽も、昼のプレゼントのオープニング的な、金管楽器がぷわっぷわっしているレトロな感じです。

カーテンを引くと個室になる風なテーブルに案内されましたが、テーブルは、各サイドに引き出しが付いた雀卓。ここ、予約すると麻雀もできるみたい。いいねぇいいねぇ。

蓮の葉の冷たいお茶がまずは出ました。

お茶は、子供も一緒なのであまり強くないものを・・とリクエストしたら、「オリエンタルビューティー」となんちゃらウーロン茶の2種類をお勧めされました。

台湾式のお茶の淹れ方。いや、台湾式なのかな?中華式?普段家族で行くような飲茶の店では、湯飲みも投げるように渡され、お湯がなみなみ入ったお茶のポットをドン!と置かれるだけなのでよくわかりません・・w

でも学生時代、台湾に遊びに行ったときに地元のお友達にこういう感じでお茶を出すところに連れて行ってもらった記憶がうっすらと。


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小さな急須、お湯のみ、そして淹れたお茶を入れておく容器、お湯をかけて温めておきます


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お茶は銘柄によって、1杯目は1分半、2杯目は2分待つ、など淹れる時間が細かく決まっています。

子供、中国茶を飲むの初めてだったかもしれない(家族飲茶の時は子供は水だったので)。でも角のないまろやかなお茶、おいしい!と分かったよう。

そして小吃の数々。まずはおかず系のもの。

左は茶わん蒸し。かなりしょうゆ味の濃いソースがかかっています。ちょっと濃すぎたかもしれない。

上は、サトイモの晶餃。モッチモチでした。一人2個しか食べられないのが悲しい!!

右はサクサクのマッシュルームパイ。普段食べる飲茶の品々と比べて、なんて繊細で上品なことよ・・・・!!!

こういう時って、味わってゆっくり食べたいけれど、家族3人だとそこまで会話が盛り上がるわけでもなく(笑)、普段のごはんの延長みたいになりそうでちともったいない。普段通りのペースで食べてたら、数秒でなくなっちゃうこの量!

おかず系が終わると、2種類選んだ次のお茶を淹れてくれます。

そしてやってきた甘味系、ドーン!!!!

写真が下手すぎる・・・

が、見てください、このまるでお供えのような美しい品々を。

桃の形の餡まん。黒糖蒸しパン。砂糖とシナモンの揚げ餅。白いのは、杏仁豆腐的な、でももっと固いやつ。そしてパイナップルケーキにフルーツのゼリー。

パイナップルケーキはよく台湾土産でいただきますが、外はパサパサ、中は甘々、のものもある中、これはお店で作ってるんでしょうか、皮は上品なショートブレッドのよう、そして中も甘すぎず、煮過ぎず、フルーツの食感が少し残った感じでとてもおいしかった。

この素敵なお菓子の数々が、どんどんなくなっていくのが悲しくなった位・・って食べるからだ!

実はこの日、交通機関に乱れがあり、予約より30分遅れてものすごく焦りました。というのもこのお店2時間コースと但し書きがあったので。しかしお店に入ったら、注文取りに来るまで5分まち、冷たいお茶が来るまで20分待ち。忘れられてたのか、途中休憩で出てきた厨房の人に声かけて確認してもらわなかったら、誰も来なかった・・ところがマイナス30点でした。

まあ時間的にはぜんぜん余裕でした。女子会だったら絶対時間足りないけどなw

でも久しぶりにとても質の良いものをいただきました。やっぱりこういうちまちましたものを、ありがたく少しずついただくって、家ではなかなかできない経験。家でもこういうの作ってみたい!と思っちゃうけれど、どーん!とでっかい餃子作ってみんなでかぶりついてしまいそうだ・・。

そして小ぶりのお茶碗のなめらかで手にしっくりくること。手の中に隠れてしまいそうなお茶碗でお茶を飲みながら、本当はキセルでも吸いながら、ちょっと斜にかまえてビジネスや政治の取引をしたり、昔はしてたんでしょうかね。

もっとおかず系のものも食べてみたかったなー、こんなきれいなものばっかりカートで山盛りにして持ってきてくれないかなあ。

このお店の普通の食事メニューも試してみたくなりました。

こういう小ぎれいで高級で小ぎれいな料理をだす中華料理屋って、ベイエリアではほんとに数えるほどしか無い。やっぱり金持ちチャイニーズはロンドンに流れるんでしょうかねぇ。というより、中華=高級、特別な、というイメージはまだまだヨーロッパのほうが強く残っているのかもしれません?

あと面白かったのは、こういうお店、つい厨房にいるのは台湾料理だろうが四川料理だろうが、広東人の料理スタッフ・・とベイエリアでは思ってしまうんですが、ロンドンでは何人だかわからないけど、白人系とアフリカ系の人が裏で働いてました。

こういう人たちが、中華の技術を覚えて将来新しいものを作り上げたりするんだろうか。料理の世界のグローバル化も面白いなあ。

お店はこちら。

https://xulondon.comxulondon.com

たまの日記

ロンドンに来てから月1で風邪を引いているような気がする。特に冬場は酷かった。やはりカリフォルニアとは比べようのない寒さと日照時間の短さ、そして何年ぶりかのバス・地下鉄通勤。アメリカでは咳やくしゃみを手ではなく肘でカバーするというのを学校でも教えられるのだが、まだまだイギリス人は手で抑えてはゴホゴホゲホゲホやっている。その手で手すりやいろんなところを触るし日本ほどではないにしろ満員電車に揺られるわけだから、バイキンシャワーも浴びやすい。先日は盛大なくしゃみを手でカバーした女の人が、その手で手すりを触り、さらにその手で一緒にいたボーイフレンドの頭から顔からナデナデしてバイキンを顔になすりつけていた。

先週は久しぶりに熱を出して1日寝込んだ。久しぶりの高熱は、在宅仕事さえしなくて良い口実になるし逆に清々い。仕事も家事もせずに1日過ごすと、驚くほど実にゆっくりと時間が流れていく。時計を見てもまだ昼にもなっていない。病欠の昼間に学校に行かずテレビを見ている背徳感を思い出す。同時に平日の午後2時3時が自分の中で一番嫌いな時間だったことも思い出す。芸能人の誰が死んだとレポートするワイドショー、日本文化センターのコマーシャル、テレビドラマの再放送がだらだら流れるやるせない時間。家に1人ぼんやりと炊飯器を開けて残ったご飯を見つめてはまた閉める。

普段は特に何を食べても元気でいられるが、吐き下しもあったので何も食べる気が起きず、だしパックを煮出してお茶のようにごくごく飲んだら元気が出た。病気で気が弱くなると故郷のものが食べたくなる・・味噌汁飲んでホッとしてああ私はやっぱり日本人、となるのもあまりにベタだなあと思いつつ、後輩が2年前にくれた茅乃舎だしのいいやつを取っておいて良かった。

やはり熱が出ると頭が少しパッカーンとなるのだろう、病欠をいいことに日本のテレビ番組をあれやこれやの手を使ってみていたら、小堺一機がホストで昔のテレビ番組やら紹介している番組を見てしまい、ロンドンにいながら頭が日本の昭和の平日の午後にトリップしてしまい、時空も認識も歪んで大変なことになった。思えば日本を離れてもう20年、自分の頭の中で時々思い出されては蠢いている日本の街の景色も、自分の頭の中にしか存在しないバーチャルな世界になってしまった。懐かしいのか戻ってみたいのかわからないが、時が経つのは本当に一瞬、自分も歳をとったものだという陳腐な感想しか出てこずにがっかりした。小学生の時、部屋にかかっているスヌーピーの時計を見つめながら、今こうやって時が進んでいるのを見ているけれど、次に瞬きをした瞬間、あっという間に自分は何歳になってこの時のことを思い出すんだろうか、という考えを起こしていたことも思い出した。そしてまた20年後に今この時のことを思い出して同じような感想を持つのだろうか。それもまた陳腐であることよ。(所要時間15分)