愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子連れスペイン旅⑧ マドリードいろいろ覚書き

だいぶ記憶が薄れつつある、マドリードの旅、あれやこれや小さなことの覚え書き。

  • スペインに行く、と言うと家族を含め日本人に口々に言われたのが、スリに注意して、ということ。実際スリの被害は結構あるみたいだけれど、今回も我が家は無事だった。観光地に行ってもあまり客引き的なものに声をかけられない我が家。ただ、タパスのマーケットで一瞬私と子供、パパとで別行動を取った時、「ちょっとちょっと・・!」と注意をそらす感じで声をかけてきた怪しいスペイン人のおじさんがいた。完無視して行ったけど、もしかして今まで無事だったのは、アジア人だけど下手をすると現地の人より頭一つ抜き出て背丈のある大きいちゃんのおかげなのかもしれない。むむ・・
  • 泊まったホテルはキッチン付きの綺麗なところだったが、不思議なことに廊下とエレベーターではいつも中華米の匂いがしていた。部屋から出るたびにスペインなのに両親の家にいるような感じに(笑)
  • ロンドンもだけれど、ここもストリートミュージシャンの質、高し。フラメンコギターをかき鳴らして、手拍子に合わせて歌う若者たちもあり。若くてもジプシーキング的な独特のだみ声。

  • バッタモンのミッキーマウスなど、被り物をして観光地でウロウロしている人多数。子供狙いで一緒に写真をとると多分お金をせびられる。


  • おととしだったか、カタルーニャ独立の国民投票があったりと色々わちゃわちゃあったけれど、マドリードでちょうどその裁判が始まっていた。選挙も始まるらしく、駅前でビラを配っている人も。これはスペイン人民共産党。

  • スペイン語がまぢでわからない。が、こっちがポカーンとしていても、現地の人はかまわず同じスピードで、同じ長さで何度でも話しかけてくる。ゆっくりとか、わかりやすく砕いてしゃべってくれないので「???」のままだったこともしばしば(笑)
  • 食事の時間が遅い、というのは把握していたが、外食する時のタイミングが本当によくわからなかった。遅めに行っても人がほとんど入っていないお店は、開店したばかりなのか、閉店準備をしているのか、流行ってないだけなのかもわからず。一度はネットで夜の開店時間に併せて行った店が、実は店じまいしようとしているところで、それを知らずに入り、お互いコミュニケーションもままならないまま、店のまかないみたいなものを出してもらったこともあった(爆)
  • マドリードが本場ではないが、やはりスペインだし・・と、本場のフラメンコショーを見れたのがとても良かった。本来こういうショーも、夜遅くに始まるものだけれど、ここは夕方6時から何度か入れ替え制で見ることができるお店。子供に見せたかったので、これはとてもありがたかった。アメリカでも何度かプロのショーは見たことがあったけれど、迫力から何から、ぜーんぜん違った。子供もすごい、と身を乗り出して観賞。実は大昔に少しだけフラメンコをかじっていた私。でも引越の時に、もう全然触らないし・・と靴も何も処分しちゃったみたい。フラメンコはとても好きだが、カンテの歌詞がわからないので本当に感覚でしか理解できないのが残念なり。外国に行くたび、ああ言葉がわかりたいと思ってしまう。翻訳こんにゃく・・。


  • ひとりゲルニカを見に行く。スペインが平和になったら国に持って帰ってほしいということで長年この絵はニューヨークにあったそう。知っている絵ではあるけれど、15分ぐらいじっと見入ってしまった。よく見ると牛の表情が最初は違ったこと、そして写真で見るゲルニカでは気付きにくい、アヒルのような鳥が描かれていることに初めて気が付いた。よく知っているはずの作品、これだけデフォルメされているのに色々な表情や感情が浮き上がってくる。とにかくじろじろじろじろ眺めてしまった。
  • アメリカ人観光客がとても多い。
  • ヘミングウェイが立ち寄らなかった店」という看板をだしているレストランがあった(笑)
  • どん底」「イチコロ」「見習い」という名前の日本料理屋が並んでいた。すごいネーミング!と思ったら「どん底」は新宿3丁目にある文化人が集まるので有名な古い居酒屋さんのマドリード支店だとか。へー!そう思うとこの店名の並びも、昭和の文芸界っぽい感じに思えてくる。
  • 首都だけどかなりコンパクトな街。同僚Tちゃんは結構どこにでも歩いていったりしているそう。数マイル先に行くのにロンドンの交通機関だとずいぶん時間がかかるので驚いていた。

子連れスペイン旅⑦ マドリードで食べたものを淡々と羅列するよ2

マドリードで食べたものを色々羅列する第二弾。

インスタ蠅のケーキ屋さん

歩き疲れたマドリードでどこに行けばいいのかわからなくなって、女子高生風にインスタで良さげなところを探している時に見つけたお店。

うおおおおおお、チョコレートクロワッサンって、こういうことだっけ・・・?

マリービスケットが乗ったタルト。普通に美味しかったです。インスタ映えで集客戦略の勝利!

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大混雑の老舗ケーキ屋さん

歩きツアーのガイドさんと待ち合わせした、プエルタデルソルの広場で、朝ごはんの場所を探している時に見つけたケーキ屋さん。見つけたと言っても広場の一等地にどーんと建っているので、いやでも目に付きます。創業1894年。

こういう昔ながらのケーキ屋さんが作るケーキって、不思議と見た目も味も、綺麗だけど大雑把な感じがする不思議。なんというか、粉をふらずにざっくり混ぜた感(ふらないとそうなるかはわからないけどw)。

この店は1階のカウンターは立ったまま食べたりもできるけれど、ぎうぎうに恐ろしく混雑しています。我々は二階のテーブル席に上がって注文。

二階には4−50人ぐらい座れるぐらいのテーブルがあるんですが、ウェイターはたったの2人。でもその2人が恐ろしくキビキビと動き回っていて、それほど待たされる感じではありません。

頼んだのはこれ!

「エンサイマーダ」というスペインの菓子パンに、ハムと目玉焼きを挟んだもの。エンサイマーダは、生地をロープ状にして、くるくる渦巻き状に巻いて焼いてあります。菓子パンなので、ほんのり甘いんです。そこに塩気のものを挟むのですが、この組み合わせがたまらない!

ウェイターのおじさん結構年配の方だったのですが、階段を上下何往復もして給仕をし、テーブルの会計も暗算で全部やってくれます。運動量が半端ない。キビキビしすぎるあまり、ひとつひとつの動作に力が入りすぎるので、逆に疲れるばかりでタイムロスなんじゃないだろうかと、見ていてちょっとだけ心配になります。

上品風な内装にしてあるけれど、一階も二階も人がごった返してワチャワチャした感じ、お店の人がせっせか動いている感じ・・、そうだ、これ、飲茶の店にそっくりだ!とパパ。言われてみれば確かにそうかも・・・!

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マドリード名物イカサンド

歩きツアーのガイドのお姉さんがオススメしてくれたところ。イカリングのサンドイッチ屋さんです。

海辺の街からマドリードに出稼ぎにきた女性たちが、自分たちの地元で安く手に入る材料を使って、カラマリのフライをパンに挟んで売り始めたのが始まりだとか。食べるならここのお店が一番とのお墨付きでした。

お値段たったの3ユーロ。ランチの時間には店に長蛇の列ができますが、効率よくどんどんはけていきます。数字は忘れましたが1日にこれが数千個単位で売れるらしく、回転めちゃくちゃ早い。ご覧の通り本当に揚げたイカリングが挟んであるだけですが、あげたてサクサクのイカ、特に何もソースもかけずにシンプルにいただくのが美味しかったです。マドリードB級グルメといったところ。

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知ってるのとは違うトルティー

アメリカでトルティーヤと言うと、メキシコのコーンや小麦粉で作ったクレープみたいなものを指しましたが、スペインでトルティーヤと言うと、スパニッシュオムレツのこと。同じテンプラでも天麩羅と甜不辣で違うぐらい違います。

ガイドのお姉さんと歩いていた時にパパがたまたまトイレを借りた店が、このトルティーヤで有名な店でした。ここのトルティーヤは、ちょっと半熟の「ウェットタイプ」。でもそれが良いのだと。

そんな話をお姉さんとしていたら、小さなバーがあるだけの狭い店の中で待っていた地元の女の子が「そうなのよここのはトルティーヤが美味しいのよ、私もそれ目当てでここに来てる」と横からさらにお墨付きをくれたので、ツアーが終わった後で寄ってみました。

お墨付きをくれた女の子はちょうど食べ終わって出てくるところで、あ、食べに来たのね、楽しんでねと声かけてくれました。

そして出てきたのがこれ。そしてこれ美味しかったです。トルティーヤ、中にはジャガイモがはいっています。作る時には大きなフライパンで作るのですが、ひっくり返す時には一度お皿にとって、それをえいやっとひっくり返してフライパンに戻します。ロンドンに戻ってから自分でもやってみたのですが、これなかなか大変。

ここのお店はフードツアーのルートにもなってるみたいで、そうこうしている間にもアメリカ人のグループがトルティーヤを作るところを見に来たりしていました。

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レストランで食事するときも、突き出し風にトルティーヤを出してくれたりします。作り置きしてあるトルティーヤが、ガラスの蓋をしたお皿の上に乗っているお店が結構ありました。

これはしっかり焼いてある、ちょっと卵焼き風。シンプルだけど、こういうのをちょびちょび食べて食事を済ますの、いいなぁ。家でタパス風な食生活をやろうとすると逆に手間かかりますけれどね。


シーフード

この時期、ガリシア料理のお店では、山盛りのエビやカニやシーフードが食べられる季節らしいですが、お目当てのお店に行ってみたらなんと予想外に閉まってた!ので、急遽はいった別のお店。ちょっと古い感じの高級路線で、英語しゃべってる年配の人ばかり来ていました。むむ

野菜のグリル。

子供リクエストのタコのグリル。

スペインにいる間に一度は食べておこうということで、パエリア。

トレド名物マジパン

マジパンというと、ケーキの上にマジパンでできた動物とかサンタクロースとかが乗っていて、食べると単に甘ったるーい塊・・というイメージでしたが、トレド名物だというマジパンは、甘さぐっと控えめで、和菓子にもありそうな感じな触感でもありました。

こちらはサントメという有名どころのもの。ここでお土産用のマジパンを買いました。

子供が怖がった別のお店のディスプレイ。

フラッと入った地元のお店

ホテルが中心から少し離れていたので、日中出かけたあと一度ホテルに戻ると、また晩御飯のために夜遅くに外に出るのが億劫になります。調べてみたよさげなお店も地下鉄にまた乗らないといけないと思うと・・とずいぶん行くのをあきらめ、適当なお店にえいやっと入ってみたりもしました。

ここのお店はタパスバーで随分混んでいましたが、裏にテーブル席が4つほどありそこに通してくれました。お店の人も英語はあまり通じませんでしたが、いい感じ。映画ラブ・アクチュアリーコリン・ファースが恋してしまうポルトガル人のメイドさんみたいな、すっきりとした態度の人でした。というかもしかしたら、ああいう感じのたたずまいの人、この地域ではよくあるタイプなのかもしれない・・とマドリードにいたとき時々思ったw

一応メニューに英語があるよと持ってきてくれて頼んだのがこれ。

子供自ら野菜が足りないと「ロシアンサラダ」というのを頼んでみました。ほぼポテトサラダw

これはソーセージと、パンを一緒に炒めたもの。これも子供セレクト。値段からしてももっとタパス的な小さなお皿で来るとおもったのに、結構どーん!ときておののく。

スペインのお肉美味しかったです。付け合わせここでもまたポテトー!!メニューがよくわからないとこうなりますw

地元の人達が仕事帰りなどに友達と集まってわいわいやっている感じのお店でした。裏のテーブル席、最初は私達だけでしたがその後2組来ましたが、かならずオラ~って先に座っていた私達に挨拶してくれました。そういうものなのかな?

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小ぎれいなベーカリーカフェ

これもホテル近くのお店。さすがに3日連続朝ごはんにチュロスは飽きた。子供はドーナツ、パパはパイ、私はパルミエのチョコがけ。パルミエ、これはミニサイズですが、マドリードでは私の手のひら以上に大きなものもよく売られていて、それにたっぷりチョコレートがコーティングされているの、すごくおいしそうでした。でも大きいのは無理そうだったので、小さいので。

ここはお店は2店舗あるほか、グルテンフリーのものもたくさん置いてあります。それが売りでもあるみたい。注文して、お皿に出してもらって、でも食べ終わってからお会計をするシステム。お店のお姉さんは仏頂面でしたが、商品を他にも卸しているらしく、それを取りに来たお兄さんには満面の笑顔でしたww

laceliacoteca.com

同僚とタパスランチ

今の仕事、マドリードにも同僚がいます。仕事の合間に、スペイン人の同僚Tちゃんと待ち合わせして、さくっとランチ。待ち合わせの前にパパと子供は公園でボート、私は一人で美術館に行ったので、みんな現地集合で、サン・アントン市場へ。ここは1階にスーパーやお店、2階がタパスなど色々なお食事処が入っています。

ここらへんのエリアは、SOHOといってLGBTのエリアなんだそう。一人でフラフラ歩いて来ましたが、特にレインボーフラッグを見かけたりもせず、言われなければわからない感じでした。でもなにせカトリックの国ですから、その背景はまたアメリカなどとは違いそうです。

コロッケだ何だとみんなでオーダーしてシェアしました。お寿司屋さんもあり、耐えきれなくなった子供は握りずしセットを・・w

最近の職場環境あるあるだとは思いますが、普段一緒に仕事しているといっても、違う場所にいるので、いつも話しているのに会うのは初めて・・っていうことはよくあります。Tちゃんはこれで2回目でしたが、ちょっと仕事の話もしたりして。帰り道には、ちょうど今クライアントになっているスペイン企業の建物の前を通りがかり、うおー、と写真を撮って会社のみんなに送ったりもしました。

ごちそうさまでした!

子連れスペイン旅⑥ 美しトレド

アトーチャ駅から30分新幹線に乗って、古都トレドへ。

アトーチャ駅、スペインに行く前に読んだ小説のタイトルになった場所だが、その感慨に浸る間も無く、慌ただしく電車に乗り込んだ。乗る前に金属探知機チェックがあったのは、やはりテロの余波だろうか。

乗客にアメリカ人が結構いる。窓の外の景色が、なんと無くベイエリアと似ている。スペインの入植者はカリフォルニアに多少は故郷と似た景色を見たりしたんだろうか、とふと思う。

よく考えたら(考えなくても)カリフォルニアは最初スペイン領メキシコ領だったりしたので地名は面白いくらいスペイン語だ。景色と聞こえてくる言葉、ふとアメリカに戻った気分に一瞬なった。

トレドは駅からして美しい。駅に着いた直後から観光客は激写である。

一方私は「ヨルタモリ」以来終点の車止めが気になる。

高台にある要塞都市トレド、西ゴート王国の時代に首都となった。日本だったら古墳時代ですってよ!

その後北アフリカからやってきたイスラム帝国ウマイヤ朝に支配されたが、「スペイン半島をキリスト教徒の手に取り戻そう!」キャンペーンであるところのレコンキスタキリスト教王国の支配下に戻ったりと、色々忙しかった場所。

どの名前も高校の世界史で覚えたなあ。教室で紙の上の文字でしか見たことがなかった世界が、目の前に広がって頭の中でカチッとようやくつながる。

そんな宗教の拮抗を物語るかのように、モスクだったところを塗り替えて教会にしたところ、そしてシナゴーグだったところを塗り替えて教会にしたところが残っている。

荘厳なキリスト教アートがとても苦手で逃げ出したくなるほどなのだけれど、まるで敦煌の洞窟のようにハゲかかった原始的な宗教画を見るのはとても好きだ。できた当時はキンキラキンだったのかもしれないが、これくらい寂れたほうがちょうど良い。

特にうっすら残っている天使の絵は、どの宗教のものでも異様に心惹かれる。

もともとスペインに住んでいたユダヤ人をセファラディ系ユダヤ人と呼ぶ。彼らは15世紀、イベリア半島ではキリスト教以外は全部お断りだ!と追い出され、世界各地へと散っていった。

スペインでは、イースターのお祭りの時に、飲み物にアルコールを混ぜて飲むことを「ユダヤ人を殺す」と表現する地域があったり、そのまんま「ユダヤ殺し」って言うのが地名になってるところもあるんだそうで、迫害の歴史がスペイン語にそういう形で残っているのもなんともはや。

トレドに残るユダヤ人居住区の名残と、セファラディ系ユダヤ人の博物館。

中庭では、イスラエルからの観光客だろうか、ヤマカをつけてヘブライ語で会話している人達が何か儀式をしていた。彼らももともとはここが故郷なのかもしれない。

今でもイスタンブールにあるセファラディ系のコミュニティでは、スペイン語をベースに、ヘブライ語、あとトルコ語などが混じった独特の言葉が残っているらしい。

さっきのスペイン語もそうだが、歴史の名残が、建築物や博物館に並べられているモノだけでなくて、実際に今生きている人達の中にも脈々と残っているのがなんともすごい。

いつも知らない土地に来ると、ここで育ったらどんな気持ちだっただろうと想像してしまう。不便と隣り合わせながらも歴史の上に住む生活は、魅力的ではある。部屋の日当たりは悪そうだけれど。

坂の途中に立っている大学からは、お昼休みにわーっと学生達が出てきた。

あそこも行った、あれも見た、これも食べた、トレドではこれがオススメ!などと・・とつい書きたくなるが、しばし都会の喧騒から離れ、広大な風景が目下に広がり、鐘の音が聞こえる高台の公園で子供を遊ばせつつベンチで夢心地にぼんやりとしてみたり、路地に迷い込んでみたりとのんびりと過ごした、美しトレド。

アトーチャ駅を出て

Leaving the Atocha Station

Leaving the Atocha Station

マドリードに行く前に、せめてマドリードが舞台の本を一冊でも読んでおこうと思い、図書館で借りた小説。

英語の旅専門ブログ的なサイトを色々みていると、日本語同様「マドリードで行くべき場所10選」みたいな記事がたくさんあり、同様に「マドリードに行く前に読んでおくべき本10冊」という記事も色々出てきた。

どの記事も似たような感じだったが、だいたいおすすめとして挙げられていたのがヘミングウェイ、そしてスペイン内戦が舞台となった歴史小説の色々。やはりスペインの内戦(ピカソゲルニカが有名な)の傷跡とインパクトはとても大きかったから、内戦の時代が舞台の小説もたくさんあるみたい。

でももう少し最近のスペインの話を読みたいよなあと思ってリストの中から掴んだのがこれ。

アメリカ人が書いたこの小説の主人公は、財団から資金をもらい、マドリッドに滞在しているアメリカ人。彼は学校に所属している学者とも留学生ともちょっと違う「詩人」で、スペイン内戦をテーマにした詩を創作する、というプロジェクトのためにマドリードにいる。

とは言え、彼は自分のスペイン語に自信が無いし、プロジェクトも進まず、毎日日課のようにプラド美術館に通って同じ絵を見つめ、現実逃避のようになぜか部屋にこもってトルストイを読むという日々。あとはネット。精神安定剤も飲んでいる。

そんな日々の中でも、彼の詩作に興味を持つスペイン人と知り合ったり、なんだかんだ言ってスペイン人の女の子とも関係を持ったりする。そんな「現地の知り合い」のつてで、彼らのパーティーに呼ばれたり、輪の中に入っていくのだけれど、彼らのスペイン語での会話はわかるようなわからないような。主人公はあてずっぽうで状況を理解したり、相手が何言ってるかわからないから適当に笑っていたら実は深刻な話をしていたので、相手から殴られたりもする。

とにかく主人公はスペイン語が得意ではない意識が強くて、あまり多くを語らないというか語れない。また語ろうにも自分は薄っぺらな人間なのがバレてしまうのが怖いので、逆にそれを逆手に使って、まるで自分ではない、深淵で謎めいたアメリカ人みたいなキャラクターを演じる。母が死んだとか、父が暴君だなどと嘘をついて、全く違う自分を演じたりする。

・・・と話自体はスペインが云々というわけではなく、スペインに短期滞在しているアメリカ人という異邦人が、創作できない、ある意味リア充ではない、先が見えない、自信がない、いろんな不安や言語に対する劣等感みたいなのがごっちゃになって、とにかく不安定な色々な心模様が描かれた話になっている。

でもなんとなく、外国に住んだことがある人ならああ・・とわかる部分も結構ある。

相手の言っていることを自分が100%本当に理解しているのかなんてわからない。自分の想像や推測で補完したり理解することもある。そしてそういうやりとりは、結局相手とのコミュニケーションというより、他人との会話なのに結局自分の内面が反映される、自分との対話になってしまう。本当に相手がそう言っているのかどうかは、どうでも良くなってくる。

人に囲まれているのに、結局自分の内面とばかり向き合う感じになってしまうから、そりゃしんどくなったりもするわな。

本のタイトルになっているアトーチャ駅は、マドリードにあるターミナル駅で、2004年にアルカイダのテロ事件が起き、200人近くが亡くなっている。この小説でも、主人公が他人を通して自分の内面とばかり向き合っている時に、この事件が起きる。知り合いのスペイン人たちに引っ張られるように、一緒に抗議のデモに参加する主人公。でも結局これも自分のイッシューとも感じられない。

自分の生活も感情も行動も何もかもの中から、当事者意識みたいなのがなくなって気持ちがふわふわしてしまう、というのも外国生活ではなきにしもあらず。色々読みながら、まだるっこしい奴めと思いながらも、全く理解できないわけでもないのでああ・・と思いながら読んだ。

これだけ自分の内面では色々起きていつつも、自分は詐欺なんじゃないかと悩みつつも、結局彼の創作は評価されてなんだかんだ言って最後はうまくいく。

実はこの小説を書いた作者自身、詩人であり、この話と同時期にフルブライトからフェローシップをもらいマドリードに滞在していた。自分のことを書いてたのかな。

作者ご本人は発表する詩作では色々な賞を取り、この小説の評判も良く、大学で教えたりと、成功しているように見える。側からは成功していると見えても、やはり心の中では自分は詐欺だ・・と悩んだりしているのだろうか。

そういえば、シリコンの谷で働いていた時、社内のセミナーみたいなので自分の不安をぶちまけるセッションみたいなのがあったのだが、どれだけ優秀な人でも「周りの人は優秀だがそんな中にいる自分は詐欺、フェイクなのではないか」と悩んでる人は結構いた。周囲には自信満々に見えるかもしれないが、アメリカ人の心の中だってそんなものなのだよな、人間だもの。ということも思い出した。

この本は翻訳はされていないみたいだけれど、彼の2作目の小説は翻訳版が出ているらしい。「前年発表した処女小説で思いもよらぬ評価を受けた詩人の”僕”」が主人公とのことなので、またちょっと本人にかぶる設定で書かれた小説っぽい。

10:04 (エクス・リブリス)

10:04 (エクス・リブリス)

「アトーチャ駅を出て」特にスペインのことをよく知るための本ではないし、読み終わった時は人の内面ばかり見せつけられて少し疲れもし、「あーあ」と思いながら図書館に返してしまったけれど、マドリードの旅行から戻ってきた今、あの街の雰囲気の中でどう心が動いていたのかもう一度想像しながら読みたくなり、もう一回借りてみる?などとも思っている不思議。

子連れスペイン旅⑤ 地元民と歩く

観光地観光地した場所をぼんやり回る観光旅行をするのがあまり好きではないけれど、ヨーロッパに住むことになって、せっかくの機会だからいろんなところに行ってやろう!と休みがあるとあちこち行く、という旅の仕方をするようになった。

ちょっと食べ放題で元を取ろうとしているのと似た感覚かもしれない。これどうかなぁ、と思うけれど、ヨーロッパに越してきた人の初年あるあるかもしれない。

アメリカにいた時は、有給もヨーロッパの会社よりずいぶん少なかったし、1−2週間の旅行が年に1回できればいいかな、という感じだったので、もう少し旅も濃い感じだったけれど、こっちに来てからは、ガイドブックさえほとんど見ずに出かけることもしばしば。

本当は自分の思い入れのある土地をじっくり旅する、というのがいいんですけれどもね。

せめて観光地や博物館ばかり行かずに、何かしら地元の人と接点が持てたらいいなあと思うのだけれど、最近はありがたいことにネットでいろんなローカルの人がテーマ別に案内してくれたり、自宅にお邪魔して料理を教えてくれたり・・という、観光ツアーともちょっと違うようなサービスを見つけることも簡単になった。

今回もそんな感じで、スペイン人のお姉ちゃんガイドさんと一緒に、子供も楽しめるマドリードの街歩きを一緒にお願いしたのが、とても良かった。

もともと市長と異名をとるほど社交的な小さいさん、マドリードでも地元の公園で英語をしゃべる観光客の子供を見つけては一緒に遊んだりしていたけれど、親以外の人達と旅先で交流できるとやっぱり楽しそう、途端におしゃべりに拍車がかかっていた。

「太陽の門」の地名の由来、マドリードの市章の由来など色々教えてもらったり(このクマの足を触ると幸運が訪れるらしく、足元がペッカペカになっていた)

お客さんの頭しらみを取るための銀の櫛が各部屋に置いてあったという、老舗ホテルその名も「くし」 いやだー

マドリードでは創業百何十年以上の店先には、こういうプラークがついているので、創業年を確認しながら回るのも楽しい。

これは1880年創業の時計屋さん。って明治18年、日本だったらこれくらいのお店はゴロゴロありそう?


ここはギネスブックにも載っている、1725年から閉まることなく営業を続けている世界最古のレストラン。享保10年ですってよ。レストランとしての営業が途切れたことがない、というのがポイントだそう。ここはアメリカの旅番組でも紹介していたような。

予約なしで入ってきて写真をとる人が多いので、ショーウィンドーに飾ってある店内のディスプレイ。レストランとしては、値段も張るし、世界で一番古いレストランで食べた!と言うミーハーな欲求を満たす意外には特におすすめしないそう(苦笑)

マドリードで一番古い薬局は創業1578年。日本だと天正6年、戦国時代まっただ中。この薬局は噂では、地下で王宮とつながっているとか。19世紀にはなぜかここにリベラルな政治家が集まったりもしていたらしい。

この他にもマイヨール広場の上はAirbnbだらけな話や、王宮まで歩いていき、女王さまと彫刻が落ちてくる悪夢の話など、少しブラタモリ的に街の歴史を色々、そしてランチで行くべき美味しいお店も教えてもらいながら、時間的には2時間ちょっとで、値段にしても3000円ちょっと。マドリードの中心地の基本的な場所を子供目線で色々見て回れたのは、なかなかよかった。

実は前日似たエリアはウロウロしていたのだけれど、その時は週末でそれこそどこも観光客でギュウギュウで、そんな細かい部分をじっくり見たり気づいたりすることもなく通り過ぎていたので、やっぱり地元のことを知っている人と一緒に歩くと色々わかって楽しかった。Airbnbやtripadvisorで調べるといろんなものが出てくると思うので、ぜひオススメ。