愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子連れスペイン旅② チュロスにはまる

スペインにはご存知の通り美味しいものが色々あるけれど、陳家がなぜかはまったのは「チュロス」。

メキシコにもあって、ベイエリアでは道端や野球場なんかでもメキシコ系のチュロスが売っていたけれど、学校給食でみんなが大フィーバーしていた揚げパンが大嫌いだった私は、シナモンと砂糖がガンガンにかかっている揚げ物チュロスにも食指が動かず・・・。

でもスペインで食べてみたら、とてもとてもはまってしまった。

マドリードでの最初の朝、地元のカフェに入ってみたところで頼んでみたのがこれ。

住宅街の中にある店、地元の人達でごった返している。初めての国でちょっと戸惑うのが、お店でのちょっとした動き。テーブルに案内してもらうまで待つのか、勝手に座っていいのかも最初はなかなかわからない(マドリードのこういうお店はだいたい勝手に座るタイプだった)。

言葉もわかんないしなんとなく挙動不審なアジア人一家だが、隣の席に一人座っているおじさんと目があったのでニッコリしたら、「ここの店はチュロスがこの界隈では一番おいしいんだよ」とコソッと教えてくれた。

実際店の奥にはガラス張りのキッチンがあって、そこで丸々としたお腹のおじさんがガンガンチュロスを揚げている。

チュロスと、太目のポラスを注文。お店の人に3、と言ったのだが、いやトータル8のほうがいいとスペイン語でがーっと言われ、なんだかよくわかんないけどそれでと言ってどーんとやって来たのがコレ。一本は2-30円ぐらいだったか。

太いやつは、なんだか中華の油條みたい。スペインポルトガルとアジアの交易の歴史を考えると、つながっていたとしても不思議じゃない。

どちらも甘くなくて良い。ボラスのほうは、もう触ると油がじゅーっと出る。こんなに食べられるのかちょっと心配になる。

子供にはホットチョコレート、私達はカフェ・コン・レッチェエスプレッソに、温めたミルクをだーっと注いでくれる。

ホットチョコレートは、今まで飲んだことのあるホットチョコレートよりもドロッとしていて、これにチュロスなどをディップして食べる。ホットチョコレートそのものもそこまで甘くなくてちょうどいい。

他のお客さんたちも、チュロス以外にも、朝ごはんのパンを自分のコーヒーにちょっと浸して食べている人が多かった。

そしてこんなに食べられるのかとの心配はどこへやら、奪い合うようにしてあっという間に完食。

チュロスの甘すぎず、カリッとした美味しさが忘れられなくなってしまい、後日有名店を通りがかったので入ってみた。

ここはもうガイドブックなどでも絶対おなじみのところだと思う。創業も1894年と古い。なんと昔渋谷に出店してたこともあるんだとか?!日本どんだけー。

狭い路地にものすごい量の観光客が並んで道をふさいでいたが、お待ちの方はこちらでもどうぞ~と団体客の一部はテイクアウト専門の道向かいの二号店に誘導されてごそっといなくなった。

ここは観光客慣れしているので日本語メニューさえある、英語も通じる。レジで注文してレシートをもらい、それをウェイターに渡して適当に席に着くと持ってきてくれる。何しろメニューがだいたいチュロスホットチョコレートなので、回転は驚くほどいい。

そして地下、外にも席があるのにウェイターはどうやって把握しているのか、てきぱきと注文の品を持ってきてくれる。それこそ蕎麦の出前のものすごく重ねたやつを運ぶ出前の人みたいに、ホットチョコレートカップをお盆に山積みにして持ってくる。それこそテクノロジーは何も駆使しない、昔ながらの技術みたいな感じがして良い。

この店のチュロスはまっすぐ系。輪っか状になっているのはマドリード風とどこかで読んだ。

混雑にうんざりしたのもあるかもしれないが、最初に行ったお店ほどの感動はなく。

というわけでさらに後日、最初に行った店に舞い戻った。

お店の人もどうやらこの一家を覚えていたようで、前と同じでいいわねー、と言うのでいや今回は・・とポラスはパスして、チュロス大会に。

ここのお店のほうが揚げたてだからかカリッとしてて、とても好みだった。

前回パパがコーヒーの2杯目を注文したことも覚えられていて、もう一杯持ってきてくれようとするのも断らないといけなかったw ここあと2回位通ったら、黙ってても「いつもの」が出てくる店になっていたかもしれない。

チュロスにつけるホットチョコレートがドロッとしているのは、コーンスターチでも入れてとろみをつけてるのかねぇ、と冗談で言ったら実際そうらしい。これだと冷たくなりにくかったりするらしい。チュロスにもよく絡んで良かった。

それにしても朝から揚げ物ばかり食べてて太るなあと思ったが、何しろ毎日10キロぐらいは歩き回っていたので、それほど心配は無用であった。

子連れスペイン旅①:マドリードへGo!

イギリスの学校は休みが多い。学期の中間に中休みみたいな感じでちょこちょことある。ありすぎてちょっと困ってしまうのだが、2月にも1週間の休みがあったので、マドリードに行ってきた。

格安の飛行機に乗って2時間もかからずに着いてしまう。宿もマイルで取ったのでタダ同然だった。海外旅行と考えると贅沢にも聞こえるが、多分日本で新幹線に乗って国内旅行した方が出費はずいぶん重なりそうではある。

夜のマドリード、とても暖かい。そして空港から街までもタクシーで15分ちょっとととても近い。

タクシーの運転手はコロンビア出身のおじちゃんであった。

曰く、コロンビアのスペイン語は、本場スペインのスペイン語よりもわかりやすく綺麗なのだと。

それに比べて、ガリシア地方のスペイン語はほとんどポルトガル語っぽいし、グラナダスペイン語なんかは二度聞きしないとわかんないそうだ。

だからちゃんとしたスペイン語を学びたい人はコロンビアに行くべしとのことであった。

スペインのスペイン語ではこう言うけど、コロンビアのスペイン語では・・と色々説明してくれたが、どっちもよくわからなかったw どうもスペインのスペイン語は時制を変な風に重ねたりするっぽい。

キューバは小さい島なのに方言が3種類あるとか、植民地だったところの方が昔ながらの言葉が残りがちだの、言語学談義的に話は広がっていったが、とりあえずマドリードのことでわかったのは、マドリードの水道水は飲める、ということだけだったw

宿は銀ダラ・・ではなくてギンダレラという、どちらかというと住宅街的な場所にあるアパートホテルをとった。

スペインというと、晩御飯の時間が遅くて、みんな真夜中までご飯を食べている、というイメージだけれど、周辺の店はもうどこも閉まっていて静か〜なものだった。

というわけで、マドリード到着初日の夜の晩御飯は、パパがトルコ人パキスタン人がやっているケバブ屋を見つけて買ってきたケバブを夜の10時すぎにホテルでいただいたw

テレビではスペイン語吹き替えのドラえもん。何を言っているのかわからないものの、ドラえもんひみつ道具を出してくれる前に起こる様々なトラブルを見て「ドラえもん怖い」と半泣きになった小さいさんであった。

というわけで、今度はマドリード旅が始まります。

とってもたまらん郵便博物館

先日郵便ポスト巡りをした勢いで、ロンドンのポスタルミュージアムに行ってきたらすごく楽しかった。実は子供の時になりたい職業の一つが郵便屋さんだった。

誰かが紙に書いたメッセージが、どんなに遠くからでも届くというロマン、貼ってある切手の楽しさ。子供の頃は文通やら、もちろん切手収集もしていた。

そして何より小学校低学年の私がはまったのは、毎年100枚単位で父親に届く年賀状を、郵便番号、都道府県、名前やハガキの種類など、いろんなカテゴリー別に分類して統計を取るという作業…w

持っていた図鑑の中に、郵便列車というのがあって、中で電車に揺られながら郵便物の仕分けをする人たちの写真があり、なぜかそれにものすごく憧れたこともあった。流通物流運輸輸送全般が、どうも好きのようだ。

郵便博物館はキングスクロスまたはラッセルスクエアからちょっと歩いたところにある。隣には巨大な郵便局・配送センターもあって、巨大な郵便トレーラーが出入りしていて、こういうのが好きなお子様(大人も)にはたまらないロケーションでもある。

Mail Railに乗れてたまらん

この博物館の目玉は、ロンドンの地下を走っていた郵便用の地下鉄、Mail Railに乗れること。

今に限らずロンドンの渋滞は昔からすごかったので、郵便物を運ぶにもずいぶん時間がかかったらしい。そこで地下トンネルを作り、郵便物輸送専用の地下鉄を引いたのだそう。

1927年から2003年まで使われていたこの路線。今は運転手さんがいるが、当時は電気で走る無人列車だったそう。また郵便物や小包を載せる程度の大きさなので、列車はカプセルに乗ってるみたいにものすごく小さい。閉所恐怖症の人はかなり無理かもしれない(無理な人用に、別に様子を映像で見れるコーナーもちゃんと用意されている)。

パディントンからホワイトチャペルまで、地下路線は10キロちょっと。閉鎖後は、自転車専用道路にするとか、マッシュルーム栽培の場所にするなどの案もあったみたい。自転車の案はいいなと思ったけど、実際トンネルの中、防空壕並みに狭いし、何かあった時の非常口や通気口もないしちょっと無理かな〜残念。

電車に乗るのは正味15分ぐらい。実際にこの列車の運行に関わっていた人が解説してくれる音声ガイドがあり、途中集配所だったところなどに止まって、白い壁にプロジェクションする形で色々な説明があるのを、車内から見る。

ロンドンの博物館は、どこもプレゼンテーションが工夫されていていいなぁと思うのだが、ここもかなり良かった。

そして列車を降りた後にある展示も良い!!なんとこれ・・私が憧れていた郵便列車!!中に入ると実際の電車のようにガタガタと揺れる。揺れた状態で、実際に郵便物の仕分けをする。たまらん!!3回ぐらいやってしまった。

もちろん今はこういう仕事はバーコードだ何だで機械化されている。コンピューターが人間の仕事を奪う云々なんていうけれど、3回ぐらいやるのは楽しいが、やはりこういう仕事を人間が電車に揺られて一日中やってた時代があったのかと思うと、それもゲンナリである。

ふた昔前のウルトラマンとかに出てきそうな、レバーやスイッチを押して電車を操作する司令塔のシュミレーションなどもある。その時々の技術で、効率的に荷物を郵送することを考えたエンジニアリングの世界が色々垣間見れて、もうたまらん。

いろんなポストが見れてたまらん

ロンドンの道端に立っているとつい確認してしまうようになった郵便ポストだが、ここでもいろんな異形・レアなポストを見ることができる。

郵便制度が始まったのはビクトリア時代。最初のポストは赤ではなく緑だったらしい。見つけづらかったり何だったりで、のちに赤に塗り替えられたんだそう。

戦争と郵便の展示もある。郵便局員も動員され、前線で戦った人達もいる。また街が爆撃にあっても、インフラだけは保守しようと、被害を受けた郵便ポストに投函された手紙を救出したり、道端に急作りのテントの郵便局を開設したり、という地道な努力が行われていたそうだ。爆撃を受けた後も、何時間以内に復旧する、というガイドラインというか目標があったらしい。

郵便の他に、電信系も郵便局の管轄だったので、そちらも同様とのこと。

第一次大戦はもう少し「のんびり」していて、郵便で前線の家族に焼いたケーキを送ったり、色々している。それも1−2日で着くようになっていたという。

郵便、電信電話、鉄道といったインフラは戦争災害があってもライフラインとして継続させないといけない、そういえば私の祖母も戦争中交換手(の教官)なんかをやっていたそうだ。原爆があったあとも電車が動いていたというのも思い出した。どちら側だったにせよ、そうやってインフラを守っている人達がいるということなんだよな。

エアメール用のポストは青。あとポストによっては、上にこうやってサインみたいなのがついているのもある。郵便局はこっちです、という矢印だったり。

こちらは変わり種、切手販売機とポストが一緒になっているもの。

横から見るとこんな感じ。

郵便ポストが建てられた時代は、ロイヤル・サイファというその当時の王様女王様の印で見分けることができるけれど、スコットランドのポストは、エリザベス2世のマークが E II R となっていないんだそう。

これはなぜかというと、イギリスではエリザベスは2世だけれど、1558年から1603年まで在位したエリザベス1世スコットランドは統治していないため、スコットランドにとっては今のエリザベス女王が、初めてのエリザベスだから・・・なんだそう。

そんなこんなで、スコットランドではEIIRのマークがついている郵便ポストの破壊が続いたので、スコットランドの王冠のデザインに変えたんだとか。ヒー。

郵便ポスト一つにしても色々ありますねぇ。このくだりはWikipediaのエントリーにもなっていた。

en.wikipedia.org

そしてこれ・・・!在位が1年に満たなかったため、存在そのものがレアアイテムなエドワード8世の郵便ポスト。ちょっとズルだけどここで見られたぞー!

シンプソン夫人との「王冠をかけた恋」なんてもてはやされた話については、まあそんなキレイなお話でもなかったことについては、こちらもどうぞ⬇︎

marichan.hatenablog.com

こちらは黄金のポスト。ロンドンオリンピックで金メダルをとった選手の地元のポストが金色に塗られている。

さらに変わり種として、外に設置されている、電話ボックスと郵便ポスト、切手販売機が一緒になったもの。実際のところ郵便ポストとしてはキャパが小さすぎ、電話する時に切手販売機がガチャガチャうるさいなど色々問題あり広まらなかったみたい。

他にもたまらん

写真は郵便ポストの部分ばかり撮ってしまったが、他にも良展示がたくさんあった。

郵便が始まる以前の民間による郵便サービスや、ハイウェイマンと呼ばれる盗賊の話、ロイヤルメールのロゴデザインやブランディングの話、PR (Public Relations)という概念の導入の話。ターバンを巻いているため、制帽がかぶれないという理由から最初は採用されなかったシーク教徒の話。

カプセルに手紙を入れて、空気圧で反対側に送ってメッセージをやりとりする昔のシステム(あれなんて呼ぶんだっけ?)もあって、子供は多分そこに20分ぐらいは止まっていたと思う。反対側にいる知らない子たちとメッセージのやりとりを延々やっていた。そりゃ面白いよねw

そして、植民地時代のインドから送られてきた手紙の数々。兵士として駐屯して、日々のことを家族に報告するものもあれば、昇進を口約束していた上司が国に帰ってしまい、自分のキャリアが絶たれたことを延々恨みがましくその上司に伝える手紙など・・・。こういうのも、メールやメッセンジャーの時代になって、将来どういう形で保存展示されるようになるんだろうか。

この博物館、開館してまだそれほど経っていない比較的新しい博物館。無料の博物館も多いロンドンで、有料の博物館ではあるけれど、個人的にはとても気に入った。そして何より、久しぶりにちゃんと切手のデザインからレターセットから選んで、誰かにお手紙を書いて送りたくなった。

www.postalmuseum.org

ロンドンの馴れ馴れしい鳥達

ロンドンにも色々な鳥がいます。意識してあまり撮っていないとはいえ、Google Photosで[birds]と入れて自分のアルバムを検索してみたら、それなりにありました。

「なー、なんかよこせやー。なー。なーて。」

バッキンガム宮殿に隣接するセントジェームスパークにて。ここら辺の鳥は、観光客慣れしすぎているのか、人を見ると一目散にやってきました。

こちらも同じ種類ですね。調べたら灰色雁(ハイイロガン)のようです。こちらはリージェンツパークにいました。

カササギ?バタシーパークにウロウロしていました。

ウィンブルドン・コモンにいた白鳥。白鳥も綺麗ですが人慣れしすぎていて、ちとふてぶてしい。食べ物をもらうのに慣れすぎている感はありありですw

ハイドパークの白鳥はもうその最たるもので、じりじりじりじり視線を合わせて寄ってきます。

ハイドパークにいるエジプシャン・ギース、エジプト雁。その名の通りエジプト原産だそうで、イギリスには連れてこられた系。アメリカでは動物園で見たなあ。

ハイドパークには野生のオウムもいます。特定の木のところにいて、人の手からご飯をもらいます。だいたい観光客が木の周りに集まっていて、手を差し出しながら上を見ているので、場所がわかりますw 

そして最後はロビンちゃん。これはワンズワース・コモンの公園で子供が遊んでいる間にパパと芝生に座っていた時に寄ってきたもの。パパのカバンの上に乗っかり、こちらをジーーーーッと見つめていたかと思うと・・

こんなに近くまでにじり寄ってきました。この後も20分ぐらい、私たちの周りをウロウロ(毛並みがボサボサに見えるのは、この日は結構風があったため、風になびいている)。

ずっと地面にいて、私たちの周りをぐるぐる回るので、怪我でもしてるんじゃないだろうか?と心配になりましたが、パパが何か買ってくるから待っといで、と買い物に行ったらしばらくして飛んでいってしまいました。なんだったんだろう・・・

こうやって見るとロンドンの鳥はずいぶん馴れ馴れしい。って、多分寄ってきた鳥の写真しかとってないからだw

他にもフィンチみたいな小さな鳥が家の周りの木にいたりするので、へぼい携帯カメラでどれだけ撮れるかわからないけど、見つけたら撮ってみよう。というわけで id:Tpong さん、現地からのレポートは以上です。

伴天連タイン2019

毎年恒例、伴天連タイン。ロンドンでも、駅前に即席の花屋ができてピンクや赤の花ばかりだーっと並べて売っていたり、花や風船持って家路につく男性陣をたくさん見かけるなど、アメリカとあまり変わらない光景が繰り広げられておりました。

仕事の帰り道、電車を待っていたらカリビアン系の駅員さんが、マイクでぼそぼそアナウンスを始め、何かと思えば

「みなさん・・・今日はなんの日だか知っていますか・・・そう・・恋人たちの日です・・・男性のみなさん・・・・女性を大事にしましょう・・・自分のことも大事にしないといけませんが、女性も大事にしないといけません・・・・女性を特別扱いしてください・・・料理ができない人は、ディナーに連れて行くのです・・・特別扱いするんですよ・・・」

と本当に「聞こえますか・・」ネタみたいな感じに語っていましたwww

あまりに熱弁しすぎて、電車がきてもそれは続き、電車が出発する段になって「あ、この電車は○○行きです」

今年のバレンタインは平日だったので、特にどこにも行きませんでしたが、パパはこんなものを持って帰ってきてくれました

仕事の合間に買いに行ったらしいんですが、これ持ってオフィスに戻ってきたら同僚(男)が「わ〜これ僕に〜?」「ごめん君はいいやつだが俺のタイプじゃない」と言う会話が繰り広げられたとかw

あとはゴディバのチョコ(みんなでつまみ済みの写真)

こういうのを買うのに並んでいると、男性陣の間に連帯感が生まれるらしく、「今朝起きて今日はバレンタインだと気づいた、奥さん寝ている間に家を出たので気づいてないことがばれないで良かった」「俺も今日ギリギリ」みたいな会話があちこちであったそうな。って、こんなにいろんなところでバレンタインのもの売り出してるのに、みんな気づかなかったか!w

子供は数日前からクラスのお友達用にハート型の折り紙を作りまくり、当日学校で配ったのですが、そんなことをしたのはうちの子だけだった模様。

アメリカでは「バレンタインを配る」と言う変な呼び方でこういう風習があったんですが、イギリスの学校ではやらないみたい。子供が同級生に聞いたところ、「この学校は100年以上続いているけど、そういう風習はない」って言われたってw

アメリカの小学校での「バレンタイン」はこんな感じでした。ユーチューバーになりたかった小さいさんの折り紙インストラクションビデオ、今見ると可愛いなあ・・⬇️

marichan.hatenablog.com