愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

食べ損ねた朝食

食べ物のことばかり考えているブログのほうで、魯山人の「錦木」を作った話を書いた。

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京都のお茶屋で芸者遊びなんかをしてそのまま泊まり込み、朝になったら錦木でままおあがり、と出される、言うたら高級猫まんま

夜通し遊んで翌朝酒も残った体に流し込む、二日酔いの日の朝の朝食。

メキシコ料理だったらメヌードと言う臓物スープだったり、学生時代フランスに行った時は、二日酔いで学校に現れた男の子に、フランス人学生達がみんなで寄ってたかって塩入りのコーヒーを飲ませたりしていた(これがフランスでは通常なのかは謎w)

そして夜遊びした日の翌朝の朝食、と言って思い出すのは、ネットはあっても携帯で自由に持ち運べる時代ではなかった学生時代、友達と思いつきで繰り出したレイヴパーティーのこと。

東海岸の大学院に行く前に、UCバークレーのサマースクールに通っていた私だが、たいした授業もとっておらず、どちらかというと夕方起きてきて夜になると同じ寮で仲良くなった色んな人達と飲み歩くというどうしようもない生活をしていた。

キャンパス周辺をウロウロして、そこらへんでやっているハウスパーティーを見つけて乱入したりしていたからどうしようもない。

おかげで当時の思い出は全てなんだか暗がりの中である。しかしおかげで英語は短期間でものすごく上達したと言って良いw

そんなある日、ドイツ軍で救急車の運転手だったと言う男の子が、サンフランシスコの倉庫街かどこかで、巨大レイヴパーティーがあると言う情報を仕入れてきた。なんでも朝までずっとやっていて、終わると朝食まで出されるという。

なぜかその朝ごはんが出る、と言うところが妙に気になって、おお行こう行こうとみんなでBART(地下鉄)に乗り込んだ。

でも今考えてもおかしいのだけれど、そのパーティーがどこで行われているのか、誰も確かな情報を持ち合わせていなかったのである。そんな大きなパーティーなら、まあ行けば誰かが知っているだろう、と言う超適当、超楽観的思考のもと、今となっては一体どの駅で降りたのかさえ記憶がない。

今でもぼんやり覚えているのは、本当に何もないだだっ広く暗い先に高速道路の高架があって、とにかくそこらへんをウロウロみんなで歩いていたこと。高速の高架と言うことは、もしかしたら今のSOMAとかSouth Beachあたりだったのかなあ。90年代後半、今みたいにコンドやビルが立っている場所ではなかったし、安全でもなかったかもしれないが、とにかく何もなくて誰もいなかった。

次に覚えているのはみんなでぎゅうぎゅう詰めになってタクシーに乗ったこと。なぜか知らない兄ちゃんも一緒で、多分途中で道端で声をかけた人だったと思う(!)。多分だけど、こんなパーティーがあるって聞いたんだけど知らんか、と誰かが聞いて、知らないけどそういうのを探しているならこのエリアに行ったらいい、という話になってなんだか一緒にそのエリアまでタクシーに乗ったのだと思う。

連れて行かれたエリアは一体どこだったんだろう。今となっては全くわからないが、結局そんなざっくりした情報だけではパーティーを探し当てることはできず(当たり前だ)、次に覚えているのは、いかにもサンフランシスコらしい、歩道に面した建物の一部が奥に凹んでおり、そこにテーブルが置いてあるようなピザ屋で、ピザをむさぼり食べたこと。

あのちょっと黒っぽい窓枠、狭い間口、サンフランシスコらしい、ビクトリア風の建築、また同じ場所を通りかかったらきっとここだと思い出せると思うが、今となってはあの店がどこだったのかも、今もあるのかもわからない。あれはカストロだったかノースビーチだったのか。

その後いつまでそこにいたのか、どうやって帰ったのかも全く記憶が無い。

今だったらパッとスマホでパーティーの情報も見つけて、ネットで地図をみながらもしかしたらUberにでも乗ってみんなで間違うこともなくパーティーにたどり着いたかもしれない。今の時代では、逆にこういう状況に陥りにくいかも知れない。

広いサンフランシスコで、とりあえず行ったらどこだかわかるだろうというのも今思えばずいぶん乱暴な話で、道行く人をつかまえては質問しまくり、地図も持たず知らないところをウロウロ歩き、今考えたらアホだったなぁとは思うし、特に危ない目にもあわずに今までやってこれたのはラッキーだったのかも知れないが、若いっていうのはそういうことなんだろう。

自分の娘が大きくなってそういうことをしているのを想像するのは、親としては心配しか無いけれどw、親の知らないところでこっそり色々やって無事になんでも切り抜けて欲しい。

それにしても、そのレイヴパーティーは本当にあったんだろうか。そしてそこで供される朝食は一体どんなものだったんだろうか。今でも時々食べられなかった朝食のことを考える。