愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

【本棚総ざらい1】Woman in Black

図書館や本屋にある本を全部読みたい、料理本に載っているレシピを全部試したい、と絶対実現不可能な衝動に駆られることが多々あるのだが、今は家にある活字という活字を全部読み尽くしたいという衝動に駆られている。それくらいなら時間をかければできるかもしれない。

夫がsci-fiやホラー系のBook Exchange(不要になった本を交換する会的なもの)に行っておススメだと貰って来た本。薄いので思わず掴んだ。

夫は最近英語版の横溝正史を初めて読み、どの文化にも田舎のダークな秘密的な話があるのだなあ、と言っていたが、この話はまさに、イギリスにおける横溝正史チックな世界の話。といっても、こちらは探偵ものではなく、ホラーというか、ゴーストストーリー。

舞台は日本でいったら大正時代。ロンドンの若い弁護士が、上司に言われて、ある土地で亡くなった老女の遺産整理に行く。

その老女は潮が引かないと到達できないような、周囲を沼地に囲まれた場所にぽつんと建つお屋敷に一人で住んでいた。他に身寄りもない。しかしその町の人に話を聞こうとしてもその老女の名前を言うと、皆一斉に口をつぐんでしまう。何とか村の祟りジャーみたいな感じじゃないか!

さらに老女を埋葬した真昼間の教会で、不気味な黒い服を着た女の姿を見る主人公。しかしそのことを口にすると、さらに周囲の反応は・・・。

という訳でこの若者はひとり、お屋敷に滞在し、遺産整理に必要な書類を探し、整理しないといけない。けれど、屋敷の内外で色々不穏なことが起こり始める~でも逃げようにも周囲はズブズブの沼地、おまけに霧が立ち込めて何にも見えない・・ギヤァァァ~スケキヨ~(違)

うすら寒い吹きっさらしの土地、外の世界へのアクセスが無い不気味なお屋敷・・はなんとなくアガサクリスティの「そして誰もいなくなった」も思い出す。やはりイギリスに住んでから読むと、空気感や青グレーな色彩も簡単に想像できる気がする。

話としては、非常に正攻法なゴーストストーリーという感じであり(そんなに色々知っているわけではないが)なんとなくこうなるんだろうな~と顛末は見えるような気はするものの、じわーりじわーりと主人公が追い詰められていく感覚を一緒になぞって怖いな~怖いな~と感覚を楽しんだ。

感想としては、実際に主人公が幽霊に悩まされているシーンより、最後の数ページが一番怖い。あと幽霊にロジックを求めちゃあいけないんだろうが、恨みを晴らす線引き、どないすんねん、と思った。成仏っていう概念が西洋にないからか、質が悪い気もする。そういう点では日本の幽霊は義理堅いというかなんとなく幽霊としてもちゃんと貞節を守っている人(?)が多い気がした。

個人的には家の中で起こる怖いことより、屋外で起こる怖いことのほうが怖い。自然に囲まれて右も左も分からず、手も足も出ない感覚は、幽霊が関わっていようがいまいが怖いのはちょっと経験済みなので、それを思い出して静かに恐怖しつつ読んだ。

この小説じたいは1983年に出版されたそうで、中高の「国語」でも読まれることがあるらしい。舞台となっている時代も反映して、ゴシック小説と呼ばれるジャンルだそうな、思えばこういうの初めて読んだかもしれない。そういえば子供の英語の先生に、子供が書く文章がゴシック小説っぽくてなかなか良いと褒められたことがあったのだが、結構ダークなトーンで書いてるという事なのかいな・・

2度映画化されており、最近のやつはダニエル・ラドクリフが主演していた。ネットフリックスにあったので見てみよう。ウェストエンドでもう25年ほど舞台化もされているそう、しかももうすぐ打ち切りらしい。どうしよう、せっかくだから観に行こうか。

日本語翻訳本もあり

ミラノ1:双子との再会

ヴェローナ滞在後、陳家は電車に乗ってミラノへ。ミラノまでは電車で2時間弱ぐらい。

中距離列車なので、イギリスの感覚で駅に行ってチケット買えばいいや、と思って向かったものの、いざ券売機でチケットを買おうとすると、3時間先の電車まで席が無いと出て一瞬あせる。

駅員さんが色々英語で助けてくれようとするが、「もっと早くミラノに行きたい」というのが通じないので、ここでGoogle翻訳登場!すると別会社の券売機に行けとのこと。

駅には、赤い色の券売機(ターミナルのようなもの)がいくつか置いてあるんだけれど、色は同じでもよく見るとそれぞれ違う鉄道会社のチケットが売られていた。この駅からは3社の路線が出ており、鈍行列車が別会社から出ていたので、そっちを買った。わかりにくくて、ややこしい。

旅をするって、普段からここで暮らしている人だとわかるちょっとしたことがわからない、ということがちょこちょこある。例えば、スーパーでも無人チェックアウトで支払いを済ませて支払いエリアから出ようとすると、その前のゲートが開かなくて困ったことがあった。無理やりこじ開けて出てしまったのだけれど、レシートについているバーコードをかざさないとゲートが開かないということに、他のお客さんがやっているところをみてようやく気が付いたり(こじ開けて出たのは特に咎められずw)。

何はともあれ、出発まで少し待ったものの、鈍行列車で無事ミラノへ。途中ガルダ湖というちょっとリゾート地も通り、ゴルゴンゾーラという街も通った。時々中国人の若い女の子達が乗ってきたりしていた。学生や観光客だろうか。

到着したのはミラノ中央駅。ゆったりしたヴェローナからミラノに来るとその都会っぷり、混雑っぷりに圧倒されてイヤー!!って感じになる。地下鉄も何もかも人が多い!!



ミラノに行くのは、もう13年ぶりぐらい。宿も以前泊まったホテルに近い場所に取った。今回はホテルではなくAirBnBである。当時はそんなものなかった。時代は変わったものだ。しかし近くを走る路面電車は変わらないし、あそこに大きなスーパーがあったよな、とぼんやり覚えている感覚で行ったら本当にあったのは、なぜかすごくうれしかった。

13年前にイタリアに行ったのはイタリア人の友人Bの結婚式に参列するためであった。ミラノ在住の彼女であるが、結婚式はトッレ・ペリーチェという山奥村で執り行われ、私はそこの教会でフルートを吹いたり、激しく美味しいピエモンテの郷土料理を食べ彼女の親戚や友人と大騒ぎして、本当に心に残る楽しい経験をしたのだった(長年書いているブログなのでその時のことも探せば出てくる)。

友人Bとはもう24年ぐらいの付き合いである。ニューヨークの某機関に丁稚として一緒に同じ部署に配属され、不思議とウマが合ってとても仲良くなった。あまりに一心同体なので同僚から悪魔の双子と呼ばれたぐらいで、それからそれが私達の呼称となっている。

お互いの結婚式に出席したり、新婚旅行にアメリカに来たBだったが、その後私も彼女も出産したりで、イタリアとアメリカと離れて会う機会はなかった。ただ、何しろ双子なのでテレパシーのような感じでお互いの気持ちが通じる部分があり、あまり話さなくても分かり合える部分がある不思議な友人であることには変わりなかった。そんなBの家にも寄ることができたのが、今回の旅の一番のハイライト。

ヴェローナから帰るより、帰路はミラノから飛んだほうが安かったので夫がそういうチケットを取り、月・火曜日をミラノで過ごしてからロンドンに帰る、というスケジュールになったのだが、平日だし大丈夫かなと思いつつ連絡をしたら、奇しくもその日はイタリアは諸聖人の日という連休にあたっていた。

学校も休みだったので、Bはどこか旅行に出かけることも考えたらしいのだが、私からのメッセージを目にする数時間前にやっぱりミラノに残ろう、と気が変わったのだそうだ。テレパシー、まだ健在みたいだねと。嬉しい。



Bの家でキッチンで料理の邪魔をしながら話し込み、夕飯の後はワインを飲みながらチーズをつまみ。

2歳差の子供達、Bの子のほうが年下ではあるのだが、学校で英語を勉強しているとのことで、カタコトで一生懸命話してくれた。あとはGoogle Translateがあるし、ほっておいても2人でわーきゃーと遊んでいた。なんて便利な世の中。

お互いちょっと歳をとったかな、昔の2人の写真を見返すと、若くて無知で先の事なんかわからずに手探りで、でも臆せず色々やっていた時代を思い出す。でも昔の思い出話はそこそこに、今のこと、先の事を色々話せたのが今回はとても良かった。今度はもっと長い休みを一緒に過ごそう。

バチカン・ガール

Netflixには結構面白いドキュメンタリーも色々あって、家族でそれを見ることも多い。子供は犯罪ものが特に気に入っていて、美術品盗難、マネーロンダリング汚職系の話が特に好きらしい。変わった12歳児である。この間はカルロスゴーンの話を一生懸命見ていた。そして最近見たのはこれ。

www.youtube.com
https://www.imdb.com/title/tt22746676/


さて4回もののシリーズになっているこのドキュメンタリー「バチカン・ガール」は、80年代に行方不明になり、いまだに見つかっていないバチカン在住の15歳の少女、エマニュエラ・オルランディの話である。

ローマの中にある小さな国家バチカン市国の市民である彼女が、音楽のレッスンに行くと言って家を出たまま戻ってこなかった事件は、当時のイタリアではかなり注目された事件だったらしい、が未だに事件は未解決のまま。

このドキュメンタリーでは当時から明らかになっていた情報なども交えて、この誘拐と当時のローマ法王ヨハネパウロ2世暗殺未遂事件との関係、バチカンとマフィアの関係、今となっては明るみになりつつあるが、当時はまだまだ表にも出ていなかった聖職者の性犯罪との関係など、様々なセオリーと証言がどんどんと出てくる。

彼女が誘拐された後、法王が毎週日曜日にサンピエトロ広場に出て行っている「正午の祈り」で彼女に言及した時の不思議な言い回し。今の法王フランシスコさんが、彼女の家族に言った一言。

バチカンが何か関わっているのは確かであるのに、その権威と歴史の重みでずっしりと閉ざされた扉はビクともしない。それでも時がたつにつれて、少しずつポロポロと情報が出てくるところが興味深い。

彼女の誘拐の他にも語られる周辺の様々な事件も、まるで本当にダン・ブラウンの小説でも読んでいるようである。特定の言葉や行動にシンボルや意味を持たせるというのは、カトリックの世界ではやはりあるあるなのだろうか。

時に彼女を誘拐したと称する人物と、エマニュエラの兄をテレビ番組で対峙させるなど、なんというか下世話というかセンセーショナルな扱いもあるものの、色々なジャーナリストが法王庁やマフィアの真相に少しでも迫ろうとがんばったり、イタリアのマスコミは(某国と比べて?)しっかり調査をするというジャーナリズムの役割をまだまだちゃんと担っている部分もあるのかな、とも思った(特にイタリアの警察はそれほど優秀でもなさそうに見えたから余計)。

それにしても、バチカンやばい。聖職者が思うほど聖人君子じゃないのはどの宗教でもそうかもしれないが、なんといってもキリスト教の総本山である、その規模と根の深さの半端なさが恐ろしい。

そんな中、2012年にバチカン内から大量の文書が盗まれその内容がリークされたスキャンダルなど、バチカン内での権力闘争が明るみにでた話など興味深かった。

個人が対峙したところで、あっという間に飲み込まれて闇に葬られてしまいそうな、得体のしれない巨人のような存在にも感じるバチカンだけれど、そこに切り込もうとしている人達が(特にイタリア国内でも)ちゃんといる、という点は、当たり前かもしれないけれど、ちょっとホッとしたところでもある。

もう30年以上も経過している事件の話なので、その周辺では色々なことが起き、その色んな側面をカバーする必要があったからかもしれないが、このドキュメンタリーでは色々なセオリーや、事件に関係しそうな色々な要素がこれでもかこれでもかと登場する。目が離せなくなり、4回のシリーズを家族で一気見してしまったのだが、一方でなんとなく、ものごとを複雑にややこしくしがちなイタリア、という、私の中のイタリアに対するステレオタイプにしっくりはまってしまう流れだな、とも思ってしまった(いや、実際仕事でも色々あるもので・・・苦笑)。

そういった点では、1960年代にミラノで起きた爆破テロ事件、フォンターナ広場爆破事件も思い出す。ずっと前に読んだ本で、この事件も時がたっても色々なセオリーや証言が出てきて、2000年代になっても審議が続いていた事件だった。

Twitterをみるとやはりイタリアからの反応が大きかった。これが少しでも事件を動かすことになるんだろうか。

ヴェローナ10:ヴェローナの美味しいもの集3

3日目の朝に食べた面白い形のパン。



コッピア・フェラレーゼと言うらしい。後で調べてみたら、フェラレーゼという街で作られているパンだそう。味は取り立てて他のパンと変らない気もするのだが、ぐるぐる生地を巻いて焼いてあるからか、何か忘れられない食感になる。そしてやはりこの形がユニーク。

さらに、EUの原産地名称保護制度の対象になっているそうで、フェラレーゼで作られていないとこの名前で呼ぶことはできないそう(シャンパンと同じこと)。

ヴェローナからは100キロぐらい離れているけれど、焼きたてを朝持ってきたりしているんだろうか?パパがパン屋で買ってきたので、実際のところちょっとハッキリしなかったが、もしかしたらヴェローナで作って「十字パン」とか別名称で売っていたらそれはそれでオッケーなのかもしれない。

このパンを食べてからマッフェイさん家の美術館に行ったのだが、ここで同じパンに出会った!

デ・キリーコが1916年に描いた「遠い友人からの挨拶」という絵。ギリシャ生まれのイタリア人の彼は、第一次大戦中フェッラーラに住んでいたそうで、地元のパンや、ユダヤ人ゲットーの店先で見たビスケットなどをモチーフにした絵を描いたんだそうだ。

朝食べたものに絵画で出会うとはなかなか面白い経験だった。そして今激しくこの絵が欲しいなと思っているのだけれど、個人コレクションだからか、複製ポスターさえ売っていない・・(悲)将来金持ちになったら買い取ってやるー!


遅めのランチはせっかくだからピザを食べようと、AirBnBの人に教えてもらったおススメのところに行った。

cortefarina.it

お店の名前からしてピッツァリアなのかな、と思ったらパスタからラザニアから肉料理から全部網羅してる感じのお店。前菜にはカポナータ(ナスなどの野菜を甘酢トマトソースで)



さて今は特に飲食業界はどこも人手不足、この店も例外ではなく、2時過ぎに行ったけれど待っているお客さんも多い割に、スタッフが数人しかいなくててんてこまいという感じだった。私達も案内され、注文を取りに来るのを待ち、料理が来るのを待ち・・と結局料理が来るまで1時間ぐらいかかったかも。流石に途中でグッタリしてきたが、お店の人もなかなか大変そうだった・・。

でも出てきたピザは美味しかった。これはハムとブラータチーズ。チーズがかなり水分が多いので、ちょと生地がウェットになってしまっていたけれど、生地そのものも美味い。



ルッコラとプロシュート。イギリスではなぜルッコラのことをロケットというのだろう。



アンチョビとモッツァレラ、トマトのロマーナピザ。

そう、イタリアではたいていピザは頼むとき、一人一枚。あんまシェアしない。それを自分でフォークとナイフで切って食べる。

このお店、「メートル単位」でピザを頼むことも可能で、大人数でシェアするピザは50センチから頼むことができるそう。パスタやラザニアも美味しそうだった、もっと人手がある時にまた行ってみたいところ。


ヴェローナで通りがかった美味しそうなケーキ屋さん。ここで目に入った「トルタ・ルッサ(ロシアのケーキ)」、ヴェローナ名物らしい。非常に気になったので一つ買ってみた。

www.tripadvisor.jp


中にケーキの由来が書いた紙も入ってた。このお菓子、出来たのは戦後らしい。ヴェローナ出身のシェフが、ロシアの海で航海中に恋したロシア人女性のために焼いたからとも、ケーキの形がロシア人がかぶる毛皮の帽子に似ているからともいわれているそうな。

アーモンドプードルと、マカルーン(マカロンではなく)を砕いたケーキ生地を、パイ生地でくるんで焼いてある。中身はアーモンドのパウンドケーキみたいな感じなんだけれど、周りをパイ生地でくるんであるからか、すごくしっとりしている。

あとパウンドケーキよりは随分軽くて、甘すぎずにすごく美味しい。パイ生地そのものは食べなくてもいいかな、という感じだった。これはネットにレシピも色々出てたから一度作ってみたいなあ。

ヴェローナ9:古い図書館、ハーメルン未遂、低音ドラえもん

すっかり夕暮れになったヴェローナ、ドゥオーモの横には、今も機能している最古のものと言われている図書館がある。閉館間近だったがそこものぞいてみた。



ここにはビックリするようなどちゃくちゃ古い文書も沢山眠っている。

今ではこうやってみんなが色々好き勝手なことをオンラインに書いてはポストすることができる時代だけれど、読み書きがまだ限られた人々のもので、本といえば手書きで宗教や政治や法律のあれこれが書かれたものだった時代。



本や文字を通じた人間の知性の歴史を考えるとこの空間は、そんなメンバーズオンリーだった時代をぎゅっとタイムカプセルにして置き去りにしてあるようで、夕暮れの静かさも相まってなんとも不思議な感じがした



本当に私達しか見学者はいなかったのだが、建物のどこかから、誰かがうめくような声で何かモゴモゴ言っているのが聞こえてきた、そしてそれに続けて数人の人が何か言っているのも聞こえる。え、何?と思って聞いていると、それが何度も繰り返されている。

どうも何かチャントのような感じなのだが、それがイタリア語だったとしても言葉として聞き取り不能な感じの音なのである。ヒィーなんかこわいよ!と図書室の外にでると、なぜかその音はピッタリと止んでしまった。な、なんだったんだろう。

奥には美術の展示もあった。ここも新旧織り交ぜ宗教画でないものもあった(そこ大事)



しかし気になったのは勝手に聖痕アートと呼んでいるこれ



レーザービームみたいなものを受けて聖者がキリストと同じような聖痕を受けるモチーフである。これはカステルベッキオの博物館でも見たので、ある意味お決まりの構図のようだ。



しかし中世でもこうやって光が一直線にやって来る・・という認識があったのが面白いなと思った(そこまで中世の人を見下してはいけない)

そして宿に戻る途中、不思議な楽隊に遭遇した・・・!

ツイートにある通り、わーなんだなんだとついて行ったら太鼓叩きながら観光バスにみんな乗り込んだのでガクーッ!とんだハーメルンの笛吹きであった。

ついでにおまけ