愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子連れコペンハーゲン①鍵がない!

夏休み中のバンクホリデーにコペンハーゲンに飛びました。

世界一のレストランNOMAがあり、食のレベルもここのところ高く、日本でもおそらくヒュッゲ、ヒュッゲと紹介されているように、国民の幸福度も高く、しかし同時に物価も税金も高い国デンマーク。観光地としての人気も随分あるようです。

私が子供の頃はデンマークというとなんとなく人魚像と酪農の国、というイメージしかなかったけれどなあ・・(っていつの話だ)

ここ最近、旅行前に下調べする時間もあまりないまま、休みになるたびにどこかに行って観光名所をさらっと回る、というあまり面白くない旅行の仕方をしていたけれど、今回は2週間ほど考える時間があったので、楽しみな予定も事前に色々入れてみたりいつもより準備万端で向かいました。

ロンドンからコペンハーゲンは飛行機で2時間もするかどうか。東京から大阪に飛ぶ感覚で、時差もほとんどないまま外国に行けるのは本当に嬉しい。

ヨーロッパにやってきた熱波で、コペンハーゲンの気温もずいぶんと高く、日差しもずいぶん強かったです。まさか北欧で暑い思いをするとは・・。ロンドンと比べても空気がきれいだからか、光の感じが、ベイエリアに似ている気もしました。

中心地までは地下鉄一本、三十分以内で到達する便利さ。空港からはスウェーデン行きの電車も出ていて、やはり島国の住人としては不思議な感覚です。

地下鉄は3両編成の自動運転。座席は少なめで、自転車や荷物、乳母車用のスペースが大きく取ってあります。そして電車の中から聞こえてくるのはアメリカ英語と中国語ばかり。

宿は観光地からは少し外れた、Islands Bryggeという街の南側にとりました。何せ物価が高いコペンハーゲン、ホテルの値段もずいぶん高い!Airbnbの物件もそれほどお安くはありませんでした。

そんな中で今回泊まったのは、旅行で留守にする間にフラットを貸し出したいという若いカップルのお宅。今までAirbnb経由で予約したことのある物件は、どこも「民泊ビジネス」専用の部屋を貸しているところばかりでしたが、普段本当に人が住んでいるところを借りるのは初めてでした。

以前住んでいたフラットも旅行や出張中に貸し出していたそうで、その時のレビューはたくさんありましたが、今回このフラットを貸すのは初めてとのこと。

私達が到着する前日に旅行に出るとのことで、鍵の受け渡しはShareboxという電子ロッカー経由でやり取りすることになりました。これ、それこそAirbnb用に、無人で鍵のやり取りができるサービスみたい。

こんな感じのが、フラットの近くにあるコンビニに置いてあります。こういうのが置いてあるということは、ここらへんで部屋を貸してる人が随分いるってことなのかな。

ホストがここに鍵をいれ、私の携帯に暗証番号が送られて来ます。この暗証暗号と、ロッカーのID番号を指定の電話番号にSMSで送ると、扉が開いて鍵を受け取れるという仕組み。

こりゃー携帯が壊れたり電池が切れたりしたらオオゴトだな・・と思いながらも、無事ロッカーも見つけ、その場で暗証番号とID番号をテキスト送信。ロッカーがひとつパカっと開きました。

が・・

・・・・?


!!!空っぽやないかーい!!!!!鍵、無いやないかーい!!!!


・・続く

子供とシェークスピア

ロンドンに越してきてから、イギリスの古典や歴史に親しむようになった小さいさん。ジェーン・オースティンに続いてはまったのはやはりシェークスピア

シェークスピアの戯曲の内容をそれぞれ4ページぐらいにうまくまとめた子供用の本を何度も読み返している。挿絵もいい感じで、登場人物の説明もあったりして、この本はなかなかオススメです。

その中でも好きな話は「十二夜」だという小さいさん。せっかくの夏休みだし、ちょうど数日間だけ「十二夜」を上演していたのを見つけたので、グローブ座で初のシェークスピア観劇ときめこんだ。

ギリギリ取れたチケットはステージの横。シェークスピアの時代と同じデザインで建てられたこの劇場、グローブ座がもともとあった場所から数メートル離れたところに、10年ほど前に新しく建てられたんだとか。

全て木造なので、座席・・というかベンチに座ると、木の香りがぷーんとする。ステージ周辺は全て立ち見。小さい子供はステージによじ登って、前の方の人たちもステージに手をかけて鑑賞する。

シェークスピアの時代には、客が野次を飛ばしたり、立ち見の客と舞台上の役者がやり取りする、なんてことは日常茶飯事だったらしい。それに比べると、現代のお客さんは、ずいぶん静かなのかもしれない。この公演では、最初に舞台上の役者が立ち見のお客さんの携帯を借りて、舞台上でセルフィー撮影しちゃう・・というぐらいのインタラクションは、あったけれど。

雨が降っても雨天決行してしまうこの劇場。この日は暑くも寒くもなく、時々爽やかな風が入って来てとても気持ちが良かった。そして上空でヘリコプターが飛び交う音が時々する。どこかからか鳩も舞い込んできたりする。何かとても有機的な空間で、16世紀に書かれた世界が繰り広げられる。


十二夜」の話の筋は、前日に子供に促されてあらすじを読むまで全く知らなかった。考えたら、「ロミオとジュリエット」と、「真夏の夜の夢」をガラスの仮面で読んだ位しか、シェークスピア作品の内容ちゃんと知らないかも・・。ざっとこんな話:

双子の兄と船に乗ったヴィオラ。しかし船は難破し、ヴィオラだけが取り残される。生き延びるため、ヴィオラは男装してシザーリオと名乗り、オーシーオ公爵の小姓になる。

このオーシーオ公爵、オリビアという女性にぞっこんで、シザーリオを愛のメッセンジャーとしてオリビアの所に送り込み、なんとか口説こうとするのだけれど、オリビアは逆にシザーリオ(実はヴィオラ)に一目惚れ。って、男装した女性なんですけど!

でも実はヴィオラは、自分が小姓として仕えているオーシーオ公爵のことが好き。さらにオリビアには別に求婚を迫る男性がいて、シザーリオ(実はヴィオラ)は恋敵!と決闘を申し込んできたり、オリビアに仕える執事までもが、オリビアが自分に気があると勘違いしてハチャメチャな行動に出たりと、もうてんやわんやの大騒ぎ。

そして最後には死んだと思っていたヴィオラの双子の兄が現れたからさあ大変。男装のヴィオラと瓜二つなのでさらに大混乱!!

・・・というドタバタ劇。

今回の上演では、「男装した女性」という設定のヴィオラの役は、短髪のお兄ちゃんが。そしてヴィオラが恋するオーシーオ公爵の役は、シュッとしたゼンデイヤ似の女優さんが演じていたり、さらにモテモテのオリビア役はこれまた背の高い兄ちゃんが顔を白塗りにして登場。他の役柄も、実際の役柄と性別は合っていたりいなかったりと、かなり自由な配役になっていたのが興味深かった。

瓜二つ、ということになっている双子の兄役に至っては、人種も違う女優さんで、2人並んでギャーそっくり!とみんな驚くけれど実際のところは似ても似つかなかったり(さすがに衣装は合わせてあったけれど)。


シェークスピアの時代は、セットや大道具もなく、話は全て役者のセリフで進むようになっていたそう。だから役者の性別が違おうが、見た目が違おうが、これはもう元の本がしっかりあって、見る方も演る方もセリフで状況や設定を全て把握して話が展開していく感じになる。

また当時は、女性が舞台に立つことはなかったんだそうで、女性役も男性が担当していたのだそう。ヴィオラという役柄はそんな中、男性が演じる女性が男装するという設定になっているのも面白い。なんだか、色々性別とか見た目を超えて、役者さんたちがそれぞれの役柄を表現する、面白い出来になっていた。

話しているのは古典英語だし、動きがあまりなく会話が延々続く場面もあったりしたけれど(何か色々な部分が歌舞伎っぽくもありますね)、それでも子供は結構楽しく見れたよう。わかりにくい所は、つい舞台の上についている電光掲示の字幕を見たりしたけれど、役者さんもよくこんなセリフが頭に入っているなあ。実は高校演劇部だった私、本番ギリギリなのにセリフが頭に全く入っておらず、台本開けたら全部草書体の古文で書いてあった、という悪夢を見ていたのを思い出したりもした(苦笑)

でもやっぱり舞台っていいもんですね。ライブだと、ちょっとしたことでも笑ってしまったり、画面を通じるより直接伝わるものが多い。子供のおかげで楽しい経験が出来ました。

marichan.hatenablog.com

以前、グローブ座のツアーに参加した時の話はこちら

子連れウィーン旅⑫ ウィーン観察雑感その2

公園の隅っこにたたずむおじさん。誰かと思えば、フランツ・ヨーセフ皇帝。

塚本哲也さんのハプスブルグエッセイ本にも、

「ややうつむき加減に、いつもの軍服を着て軍帽をかぶり、たった一人でなにか物思いに耽っているよう」

「あ、こんな所にいたのかという思いがけなさとともに、一人立つ姿は孤影悄然という言葉がぴったり・・」と書かれていた銅像

携帯のズームを使って撮ったが、ちょうどこの時周辺でちょっと工事をしていたので、銅像がある芝生には立ち入り禁止の柵があり、余計に公園の隅で小さく、寂しく孤立しているようにも見えた。それが逆に妙に気になった。旅から帰ってエッセイを読み返し、あ、この銅像のことだったかと再確認した。

エリザベートやマリアテレジア、ヨハンシュトラウスモーツァルトなど、街のあちこちに堂々と、大きく建つ銅像に比べ、「同じ王宮公園でも目立たない一隅の、うっかりすると見逃してしまうような寂しい場所に建てられている。大ハプスブルグ帝国の末期に六十八年も君臨した皇帝とも思えないほど、地味な寂寥感のただよう銅像で、いかにも滅びてしまった帝国の哀れさを感じさせる」

後世の私達が勝手にそんなイメージを持っているだけなのかもしれないが、実際すごくぽつねんとしているのが気になって、つい写真を撮ってしまった。

分離派の皆さんの楽しそうな写真。これを見て、つい最初に頭をよぎったのは「おじさんばっかりだな」だったけれど(苦笑)保守的硬直的だったというフランツヨーセフだが、文化に関しては「豪華絢爛たる世紀末文化が花開いた時代」であり「人々が勝手に自分の意見を述べられる百花斉放の時代」だったという。

確かにシュンペーターとかハイエクだと、ウィーンというと芸術音楽の他にも、哲学やら経済やらの巨人が生み出された場所というイメージは強い。でもその時代のオーストリアと、今現在のオーストリアはまたベツモノの世界、というイメージもある。いずれハイテク先進国日本、というイメージも、こんな感じで過去のものになっちゃうのだろうか・・とふと思った。

キンダーミュージアムという子供向けに色々インタラクティブなアクティビティができるところにも行った。顕微鏡で虫を見るとか、工作お絵かきしたりできるようなところで、地元の学校からも子供達が遠足みたいな感じで沢山来ていた。

団体で来た子供達の荷物は、こんな感じで預かってくれる。こーれーはー盗難紛失防げてとても良い!

遠足の子供達にはもちろんスタッフがドイツ語(オーストリアのドイツ語と言うべきか)でレクチャーしていたが、うちの子供ひとりのために英語でも別にやってくれた。後は自由に走り回ってアクティビティタイム。ひとり言葉が通じないところで大丈夫かなと思ったが、じゃ行ってくる、と一人でばーっと走って行ってしまった小さいさんであった。

土と種を混ぜて泥団子を作り、持ち帰って水をかけると野菜が育てられる!というものを作ったが、EUの法律でオッケーということで、イギリスにちゃんと持ち帰ることもできた。それにちゃんと水をかけてお世話をする、という点では至らず、あっという間に枯らしてしまったのだが・・(苦笑)


  • 「アイネクライネなんとかかんとか」って喋ってる人がいた。ナハトムジークじゃなかった。
  • ウィーンの緊急車両は「ラーレーラレラレラレラレー」と低↓高↑。でも時々ドーソードーソーと高↑低↓バージョンもある。
  • 帰りの空港、進んでも進んでもセキュリティチェックが無い。えええ?と思ったら、各ゲートごとに金属探知機がついていた。そこに6人ぐらい担当者がやってきて、搭乗前に荷物検査をする。これだとセキュリティが混雑していて飛行機に乗り遅れる、ということも無いし効率的ですごく良い。ゲートを通過すると待合室があり、トイレも各ゲートごとについていた。小ぶりの空港だからできることなのだろうか。
  • 下調べゼロ、腰痛で行ってしまったウィーン、本当はもっと芸術音楽を堪能したかった。次は自分の楽器も担いで、本当に一人でゆっくりのんびり回ってみたい。ヨーロッパで初めてまた訪れたいなと思った場所かもしれない。

子連れウィーン旅⑪アポテケ・急に困ったこと

旅行前に仕事が詰んでしまい、毎日長時間オフィスで座っていたら旅行前日にとうとう腰をやってしまった。最近は腰痛でもそこまで酷くなければ動いて治すのが良い、ということになっているらしい。寝返りをうつのもソロソロとしなければならない程だったが、どちらにしろ旅先なのでずっと寝ているわけにもいかず、腰痛の割には随分良く歩いた。

持参したイブプロフェンも使い切ってしまったので、「ドラッグストア」風の店に最初行ってみたが、そういうところではシャンプーや洗剤などはあるが薬はなかった。薬が欲しければ、アポテケと呼ばれる薬局にいかないといけない。

宿の近くのアポテケは創業1551年。フランシスコ・ザビエルが来日したり上杉武田がわちゃわちゃやり始めた時代からある・・!

アポテケはカウンターがあるのみで、薬剤師さんに症状を説明すると奥からゴソゴソ薬を持ってきてくれる。一緒に湿布もいかがですかと言うのでそれも買った。普通に英語が通じるのがありがたい。薬が効いたかどうかは微妙で、旅の間はずっと痛かった。結局腰痛が完治するのに3週間ぐらいかかった。

さらに腰痛に加えて、滞在中に予定よりも早く生理まで来てしまった。普段ならそこらへんのスーパーで生理用品を買えばいいのだが、ウィーンは日曜日となるともう店はどこも開いていない。さらに時間は夜7時。週末営業していそうな店でもとっくに閉まる時間で弱ってしまった。

幸い普段から頼めば生理用品もハイハイと買ってきてくれる旦那が、近くのホテルに相談に行き、ハウスキーピングの人から生理用品を分けてもらって来てくれた。我が家はサービスアパートに泊まっていたので、すぐに相談して助けてくれる現地のスタッフもおらず、宿泊していないホテルのレセプションに旦那が駆け込んだのだが、フロントの人が親切に助けてくれたそうである。掃除の人はフフフ・・といった感じで分けてくれたそうだが、同じ西ヨーロッパの国だからと、いつもの感覚でいてはいけないなと反省。

ある旅行者は、週末スーパーに生理用品を買いに行ったら、生理用品の他にオムツやティッシュが並んでいる棚の鍵が閉められていて、週末は法律で売れないことになっていると言われたそうな。そういう時は、週末開いているアポテケを探して買いに行くしかないようだ。アポテケもたいていは週末閉まっているけれど、緊急用に必ずどこか一つは空けているらしい。そういう「当直」アポテケはどこか、ウェブサイトに掲載されてはいるのだが、全部ドイツ語だし、遠い店しか開いていないこともある。

ううむ、ということで、旅行の際にはとりあえずそこらへんの準備は、予定日でなくても念のため忘れないようにしたほうが良いようです。

子連れウィーン旅⑩街のこと観察雑感

ウィーンでの細かいこと色々観察雑感集その1。

水のボトルキャップがこんな感じになっていた。このリングに指をひっかけたりして持ち運びできる。合理的と感心。まあそろそろ、ペットボトルを買って水を持ち歩くことへの見直しを迫られてはいますが。

地下鉄はボックス席になっていて、吊り広告ではなく吊り雑誌がぶら下がっていた。そういえばロンドンの地下鉄にも広告はあるが、のれんのように大量に広告がぶら下がっているのは、今のところ日本でしか見たことがない。雑誌はちょっとボロッとなっていて、手に取らなかったがタウン誌っぽい感じのよう。

地球温暖化抑制に取り組むサミットが滞在中にあったようだ。ゲストスピーカーはシュワちゃん。思えば彼はオーストリア人の出世頭。この団体のウェブサイトを見てみたら、毎年イベントを開催しているらしく2020年にまた「We'll be back」とのことだった。

宿はセセッションや歌劇場などすべて歩いて10分もしないで行けるアパートメントホテルにとった。上階2階が宿泊施設で、あとは一般のアパートやオフィスになっている。入口のタッチパネルでチェックインするシステムだった。モダンに改装してあるが、建物自体はとても古く、昔の彫刻が残った中庭があったり、恐らく奥まで馬車で乗り入れたんだろうと思われる大きな扉があったりする。

雨もよく降ったが、窓の向こうにはどこかの教会のとがった屋根が見え、雨が窓に打ち付けられるのはとても風情があって良かった。同じ通りにスパー(日本でもコンビニとしていくつかあったような)というスーパーがあるので、朝食やちょっとしたものはそこで調達してとても便利だった。

今回もまたロンドンにいるより、ああまさに今ヨーロッパにいる・・という感慨が強かった。もちろん観光客が行くようなところばかりウロウロしたから余計そう感じるのかもしれないが、文化と歴史、芸術まさにここにあり、という感じがすごい。

ちょっと道を歩くとこんな風景に当たるのだから、ニヤニヤうひゃうやしてしまう。

しかし同時に、昔はここにナチスの旗がはためいていたのだろうな、と想像すると複雑な気持ちでもある。ナチスに併合された形のオーストリアだが、ヒトラーは熱狂的に迎え入れられたというし、ユダヤ人の排斥も焼き討ちもすごかった話は良く聞く。公園沿いでも、ホロコーストを生き延びた人達のポートレートを並べた展示があったりした。

ハプスブルグの歴史文化的観点のオーストリアは好きなのだが、自分が持つ現代のオーストリアに対するイメージは今までかなり微妙であった。

学生時代インターン先で一緒だったオーストリア人の女の子が、台湾人とのハーフということで、偏見差別でずいぶん辛い思いをして育ってきたという話を、えんえん聞かされたのがオーストリアとの初めての接点だったからというのもある。極右政党台頭のニュースなど、見るたびに彼女のことを思い出していた。観光客として訪れるのは素敵でも、住んで社会に溶け込もうとなると見えてくるものも随分違う、こればっかりは。

とはいえ、ナッシュマルクトの周辺などは中華食品店が随分あるのに驚いた。あちこちに寿司屋も随分あった。ロンドンの我が家の周辺よりもアジア系の食べ物は充実していたかもしれない。寿司と中華とタイ料理をいっしょくたに出すようなところもあったけれど。

ゴシック様式の美しいシュテファン大聖堂。しかしサムソンの広告がしれっと貼ってある。中にも入ったが、前世が悪魔だったのかどうか、キリスト教美術や教会に長時間触れているとムズムズ落ち着かなくなるため、ここもそそくさと出てきてしまった。