愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

マレーシア14:マラッカで出会った素敵なこと

観光の街マラッカでは、こんな人力車によくお目にかかります。


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こうやってカップルで乗ったり、家族でのったり。団体で着ている観光客の中には、一人一台調達して、大名行列みたいにすごいことになっているのもあったりして。



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あんまり観光客観光客したことをするのは好きではないのですが、暑いし疲れたし、ちょっと乗ってみようということに。マラッカの夜の街を、人力車で回ってもらいました。


自転車をこぐのは、インド系の人たち。夜になると人力車についた電飾がキレイです。ステレオを積んでいて、インド音楽をがんがんかけながら運転する人も。旧市街は大体自分達の足で回ってしまったので、他のところに連れて行って、とお願いして、住宅街や、新しく建てられたショッピングモール近辺を回ってもらいました。案内してくれたおじさん、よーく聞くと御歳58歳だとか。えーうちの父親とあまり変わらない。この暑い中、私達二人を乗せて自転車をこいでもらって、なんだか申し訳ない気持ちに・・・


でもおじさん、多少汗はかきながらも、息をあげることなく色々と話をしてくれました。


「もうリタイアして年金で生活しているんだけれどね、これもやって生活費の足しにしてるんだよ」
「生まれも育ちもマラッカだよ。両親はインドから来たけれど、兄弟はみんなここで生まれ育ったよ。」
「兄弟は亡くなったものもあるが、クアラルンプールに住んでいるものもあるよ。でもあんな都会に住んで何がいいのかね。せかせかしている上にごみごみしているしね。ここは昔と変わらずにとてもいいところだよ。おじさんはマラッカが大好きだね」
「おじさんはこの学校に通っていたよ。昔に比べるとずいぶん立派になった」


ひょろっと背の高いおじさん、聞くとタミル系ではなくて、パンジャブ系なのだとか。パンジャブの人、ここには多いの?ときくと、やはり少数派らしい。街はちょうど、ヒンズー教のお祭り、ディーパヴァリの真っ最中だけれど、ターバンは巻いてはいないけれど、おじさんはシーク教徒(パンジャブ系の人に多い)。おじさんも通っているマラッカに唯一あるシーク寺院のことをきくと、ぜひ来なさい、日曜日の朝行くのが一番いいから来なさい、とのこと。


で、早速翌朝の日曜日、シーク寺院へ。よく日本で「インド人」というとターバンを巻いてる人を連想しますが、あれが一般的なインド人というわけではなくて、あれはシーク教徒の格好。今まで、イスラム教のモスクに行くときには、ベールをかぶって、肌の露出を避けて・・それでも入れてくれるかな?どきどき・・・とさんざんびびっていたのですが、同じようにシーク寺院でも、女の人はベールをかぶらないといけないらしいので、やっぱり入りづらそう・・戒律厳しそう・・本当に入れてくれるのかな?とやっぱりどきどき。おそるおそる入ると、入り口に「忘れた人用」のターバンやベールが箱の中に山と積んであり、「これかぶって入ってね」。ちょっと汗くさーいにおいがぷーんとするベールはより分けて、ピンクの薄地のベールをお借りしました。Tシャツにチノパンとはあまりに不釣合いだったけれど、まあいいか。イスラムのようにがっちり髪の毛を隠さないといけないわけでもなく、ふわっとベールをかけるだけでOK。女の子でも、短いバンダナを頭につけている人もいました。男でも女でも、頭頂が隠れていればいいみたい?


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靴を脱ぎ、水道で足を洗ったあとに中に入ると、祭壇の真ん中から右は女子〜、左は男子〜、って感じで分かれて座ります。祭壇には立派なターバンとおひげのお坊さん?が本を見ながらうんにゃらーかんにゃらーはらひれはれー、と歌のような、お経のようなものを唱え、他の人も一緒になって歌っています。本を持って歌う人もあれば、全部諳んじている人も。私は何を言っているのかわからんし、しばらくぼけーっ。たまに立ってお祈りしたと思うと、みんなで床にひれ伏したりします。私も見よう見真似でやってみましたが、おそらくお寺や神社で何をしていいかよくわからず、回りにあわせてひょこひょこお辞儀をする変な外人みたいに見えたに違いない・・・。


お坊さんはみんなが歌ってくれるので、たまにお経をさぼりながら、神主さんが持っている榊みたいなのをみんなに向けてしゃっ、しゃっと適当に振り回したりします。こんな感じで単調なお経がしばらく続きます。うーん、面白い。面白い・・けど飽きてきたぞ・・と思ったところでミュージシャン登場!祭壇の横にシタールやふいごみたいな楽器、そしてコンガのようなものをセットして、チューニング開始。なるほど・・インド楽器はAとDでチューニングするらしい。


後で聞いたところ、インドからわざわざやってきた人たちだとか。シーク教は歌をたくさん歌うのだそうですが、最初長っ!飽きてきたなー、と思っていたお祈りも、彼らの登場と演奏によって、もうぐいぐい引き込まれていきました。長い曲を3曲は歌ったかな?下のビデオは私が勝手に「なーむーすんどーきあの歌」と名づけた歌。歌詞がずっと「なーむーすんどーきあー」だから。でも途中で転調して、今度は歌詞が「ばーれくるーばーれくるー」に変わったところです。歌詞を繰り返すので単調に聞こえるかもしれないのですが、よくよく聞くと、大事なところでは打楽器がうまく盛り上げていたりして、声もいいしアンサンブルがすごく素敵。もう聞いていて幸せ〜、ほわ〜っとしてしまいました。「ばーれくるー」としばらく歌った後にはまた「なーむすんどーきあー」に戻ります。



この寺院ではまた面白い出会いがありました。寺院にやってきた私達に色々と話しかけてくれた、年齢不詳のおじさん。見た目はとっても日焼けした東アジア人、でも頭にはバンダナを巻いていて、地元のシークコミュニティにも溶け込んでいる。インドにも、ネパール人みたいな見た目の人がいるから、そういう人なのかな?またはこんなところにきているから、インド人と中国人のハーフ?と思ったら、何と生粋の華人でした。でも中国のお寺に行くよりも、こっちのほうが楽しいので通いつめているのだそう。「色々な音楽が聴けるし、それにご飯も美味しいし」。


そう、シーク寺院には、裏にキッチンと食堂があって、こういうお祈りの後は必ずみんなでご飯を一緒に食べます。これは何でもカースト制度のあるヒンズー教への反発の気持ちもあるんだとか。カースト制度では、違う階級の人が一緒にご飯食べるなんてありえない。厳しいのだと、カーストが低い人が、その食べ物を「見た」だけで、カーストの高い人はそれを食べない・・なんてことがあるんだって。でもここではみんなが平等にご飯を分け合うというのがきまりのようです。結構お祈りのためというより、途中で退席して、裏でお茶飲んだりご飯たべたりしておしゃべりすることを楽しみに集まっている人も多いみたい。私達も、「裏にいらっしゃい」と誘ってもらってご一緒しました。・・・といっても朝ごはんをたんまり食べてしまったので、おなか一杯で一緒にインド料理が食べられなかったのが残念〜!でもチャイをもらってちょっと一服。


自分と似たような東洋人が来たからか、おじさんちょっとはしゃいで嬉しそうでした。マラッカでは、マレー人も華人もインド人も、おうおうお隣さん、みたいな感じで結構仲良くしている風景が見られたのですが、それでもシーク寺院に通いつめているこの華人おじさんはちょっと変り種なんだろうな。マラッカといえば、フランシスコザビエルも滞在していたことがあったり、アラブ人や中国人が貿易をしにきたりと、昔から本当に色々な文化が集まった地点だったはず。その昔々も、このおじさんみたいに、他の文化に異常な興味を持った変り種の人が、違う文化の架け橋になったり通訳になったりしたのではなかろうか。なんて思ったらすごくすごく不思議な気持ちになりました。またきくところによると、おじさんのお父さんは戦争中に日本軍に協力していたのだとか・・・まさかだけど、もしかしたらそんなことがまだ尾を引いて華人の中ではやっていきにくいのかもしれないね・・などと後で旦那と話し合ったりしたのでした。


ではそろそろおいとまを、と建物の外に出ると、シーク教徒のおば様達が、「ちゃんとご飯を食べていった?」「裏にキッチンがあるのよ、知っていた?」「ご飯たべていきなさい」と口々に言ってくれたのも、何かいい感じ。後で調べたらインド人じゃなくてもシーク教徒にはなれるらしいので、結構外の人にも寛容なのかもね。


朝早くからキレイな音楽を聴いて、美味しいお茶をもらって、地元の人に親切にしてもらって、ちょっとすがすがしい気持ちで外に出ると、こんな感じ。本当に、どの時代のどこにいるのかわからなくなる。


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この寺院、「ブキッチナ」と呼ばれるところの道路を挟んだところにあります。「ブキッ」は丘、「チナ」とはそのままチャイナのことで、明の時代、明のお姫様がマラッカの王朝にお輿入れしたときに、一緒にきたお付きの人たちがだーっと移民した場所らしい。今は中華墓地。ふと見ると、戦争中に抗日運動にかかわった人たち、日本軍と戦って死んだ華人の記念碑がたっていました。そこでぼーっとたたずんでいると、大半がお年寄りで構成されている、ひなびた感じの楽隊が、こんなひなびた音楽を演奏し始めました。しばしタイムスリップ・・・・。



ちょっとした人との出会いで、何か素敵なものに次々とぶつかっていく感じ。帰り道、私も旦那も「本当にいいところに来たね」と顔が満面にやにやしていました。