愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ドメスティックな

同僚が日本の文庫本を色々貸してくれて、ちょこちょこ読んでいる。なぜか韓国映画の「二重スパイ」の小説とか。思えば日本でこれだけ韓国が流行するとは、なんとも感慨深い。


韓国ブームソウルオリンピックの時にもちょっとあって、結構ミーハーなうちの父親が韓国語講座のテキストを買ってきたのを、中学生の私が拾ってかってに勉強をはじめたのがきっかけで、韓国に興味を持ち始めたのが80年代終わり、90年代のはじめぐらい。当時K-Popなんか聞く人、いなかったよな〜。当時は韓国の知り合いからテープを送ってもらったりして、音質の悪いやつを一生懸命聞いていた。いまだにチョー・ジュンヒュンの「クアプンカジ・サラハンゴヤ」とかはカラオケでも歌えたりします。うひょ。


で、借りてきた本の中になぜかピーコが書いた本(片目を失って見えてきたもの、とかそういうタイトルだった)があったのだけれど、自叙伝風エッセイの中で彼が自分の母親について、「お金に困っていてもそれを絶対に見せず、心は豊かに育ててくれた」というくだりがあった。曰く、「つぎの当たった靴下を履いていることを恥じてはいけない。本当に恥ずかしいのは、つぎの当たっていない穴の開いた靴下を平気ではくようになってしまうこと」だと。なぜか色々ある話の中でそこばかりが気になってしまい、ついつい、彼の穴あき靴下の穴を全部ふさぎました。こんなドメスティックなことしたのは久しぶりだったけど、意外と達成感があるものね。