愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

2022日本里帰り日記⑫:京都キチキチでパッカーンなオムライス

京都で子供が行きたいと思っていたところ、それはオムライスで有名なキチキチ。もう何年も前に子供がBuzzFeedのビデオで見つけてきた、愉快なマスターが作るオムライス。海外からの取材も多いし日本でもメディアに結構出ているとのことなので、知っている人も多いのかも。日本に行く前に、イギリスからネットで予約して行った。

小さな店内は完全予約制、全員の注文を取ったところでタイムトライアルのごとく、だーっと調理開始。だいたいみんなオムライスを注文するので、オムライス作るところを立て板に水の口上で色々説明してくれる。キチキチガールズと呼ばれるバイトの女の子達が補佐しているんだけれど、みんな楽しそうに働いているところも良い。一人は京大の学生さんだそう。時々何分経過!と声がかかる。時間入れ替え制なので、時間以内に効率的に動いて注文をさばいていくのを見るのも面白い。

ビデオのごとく、オムライスをひとつひとつパッカーンする度に説明してくれ、ビデオに撮って面白いようにポーズしてくれたりもする。とにかくここのマスター、英語もちょいちょい話すし、SNSの時代の魅せ方をよくわかていらっしゃる!

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子供が見つけてきたのはもう4年前、このビデオ。日本で色んな値段の卵料理を比べてみる回。

サラダも注文。

実はオムライスもだけれど、私はここのお店のタンシチューをすごく食べてみたかったのだった。というのも、BuzzFeedでこのお店を訪れたアンドリューさんがコロナでロックダウン中、このお店で食べたタンシチューを4日かけて再現したのを見てすっごいおいしそうだったから。

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このタンシチューも激ウマ!!こういう文章を旅の直後ではなく数ヶ月後に書こうとすると、特に味の感覚について細かいことを忘れてしまうのが難なのだが、同じ色をしているからといって、タンシチューとオムライスにかかっているソースの味も大分違う。今でも覚えているのは、よく日本でハンバーグにかかっているようなデミグラスと違って、ソースの深みが違う、あとちょっといい感じに苦味がある。

いずれこちらの旅日記も書きたいと思うのだが、夏にジュネーブのフランス料理屋で食べた料理にかかっていたソースがまさにこんな感じだった。一口食べて、キチキチの味と一緒だ!と子供と顔を見合わせた。つまりはちゃんとしたフランス料理でも通用するようなソースだった!ということ。お値段は決して安くない、でもかなり満足して帰ってきた。

最後には気軽に記念撮影にもしてくれる。オムライス用のご飯を作ったりするのは随分大きなフライパンをふっているし、かなり体力仕事だなあと思うのだが、細いマスターはとってもエネルギッシュでいらっしゃった。BuzzFeedの中でも食べ物を売るんじゃない夢を売っているといっていたけれど、本当にそんな感じで見て楽しい食べて美味しい時間でした。

2022日本里帰り日記⑪:猿山でうわぁぁぁ!

2022年4月、子供とふたり日本里帰り日記。

京都滞在中、私が生まれた大阪の街にも足をのばした。

祖父母に連れられてよく散歩した滝道、遊んだ谷川など子供と歩く。ちょっと日差しが強めで、4月だったけれどそれなりに暑かった。覚えていたよりも滝までの距離があって、子供の頃これを普通に登ってたんだと思うと少し驚いた。

昔は滝道にずらーっと並んでいたお土産屋さんは、どこも店先でもみじの天ぷらを揚げていた。スパーガーデンの前からは馬車も走っていたり、結構人出があって盛況だった思い出だが、今では駅前もひっそりしていて、季節柄かお土産屋さんも大概しまっており、随分静かだった。今は中心が千里中央とかあっちのほうに行ったらしい。昔行った駅前スーパーも市場も、ヒロタのお店もタカラブネも無い。

と思えば昭和の香りが残ったままの駅前喫茶店は2軒ともまだ健在で、覗いてみると記憶にあるインテリアもそのままだったりする。まだ残っているお土産屋さんの古い古い店先にも、それこそ私が3-4歳の頃から見覚えがあるディスプレイがそのまま残っている。40年ほどたって11歳の子供と一緒にこの風景を見る。

昔は箕面名物といえば、もみじの天ぷらにもんちゃんせんべいだったが、なぜか今は柚子の名産地ということになっていて、色々な柚子の製品が売られている。箕面ビールという地ビールもある。もみじの天ぷらも、代替わりしてお土産屋さんを新しく建て替えたようなところは、色んなフレーバーを付けて売り出したりもしている。何も変わらずそのまま枯れたようになっている場所もあれば、そんな中から新芽が出て若い葉っぱも生えているような感がある。

  

このYuzuyaさんというお店、昔旅館だったところで営業している。その前に行ったときは、カフェだったよなあ。ここで買ったスイーツが結構美味しかった、そしてこの柚子胡椒はロンドンで愛用している。使い切った時のことを考えるとちょっと不安。

それなりに傾斜のある滝道を、ジョギングで昇り降りしている人達も結構見かけた。日本でジョギングする人を見かけていつも不思議に思うのは、皆さんストライドが驚くほど短いというか、ほぼ小走りなようなフォームの人が多いことなのだが、なぜだろう。しかしもう何年も走ってない私より随分偉いことには変わりない。

ここで昔冷やしあめを買ってもらったな

懐かしい滝は周辺を工事中で、すこしごちゃごちゃっとしていた。天候のせいか、水量も少なかったが、懐かしいことには変わりない。

滝の横のお店ではフィリピン料理も食べられるようになっていた。迷う位色んな味のソフトクリームもある。あまり濃厚でないのが暑い季節には美味しい。部活で上まで上がってきた高校生ぐらいの男子たちが、現金ないけどペイペイで払えたと喜んで買っている。時代の流れは確実に山の上のほうにも届いている(大げさ)


(この写真に後に登場するおっちゃんが映り込んでいます)

さて箕面といえば野生の猿である。昔は猿が町に降りてきて屋根瓦をはがしたりと悪さをすることもあった。週末というコンセプトを理解していて、週末に行楽客が来るとゴミ箱を漁ったり食べ物を直接奪いに来ることも。子供時代、祖母と滝道を歩いていて知り合いにばったり会ったりすると、「奥さん出ましたよ」「出ましたか」と猿の名をまるでヴォルデモートのように出さずに話し合ってたのがおかしかった思い出がある。

そんな猿と人間の攻防は今も脈々と続いているようだ。滝を見ながら子供とソフトクリームを食べていたら、ちょっと上のほうにある木を見ながら、おばちゃん2人組が「いやっ」「ほんまやわー」を100回ぐらい繰り返している。本当に「ほんまやわ」ばかり言うので何かと思ってみると、木の上に大きな猿がいて下の人間を伺っている。と思ったらピクニックテーブルで買ってきた弁当を広げようとしていた老夫婦の所に悠然と降りていき、おお、と思ってみていたらテーブルの上に置かれていたビニール袋に入ったままの弁当を一つ小脇に抱えて持っていてしまった。

俊敏な動きというよりは、何か人間のどんくささを見透かしたような、ゆっくりとした物腰での略奪。取られた老夫婦は事態を飲み込むのにちょっと時間がかかったのだろう、猿が弁当を奪った約10秒後、弁当を持った猿がもう木に登りついたところでおじいさんが「うわぁぁぁぁ!」と驚いた大きな声を出したのが、山に響き渡った。猿が弁当を取って逃げたという視覚からの情報が脳に到達して処理され、その反応として多少のタイムラグがあってから声が出たという状況が、ゆっくりと手に取るように分かったような現象であった。

丁度私達の近くに立っていて一部始終を見ていた公園だか工事の警備のおっちゃんが、あの猿はここらへんで一番古い猿やと教えてくれた。老夫婦は仕方なく一つだけ残った弁当を開けていたが、警備のおっちゃんに、また猿が来て取らないように食べてる間見張っててーな、と弁当の警備を依頼していた。こんなやりとりを流石大阪、と言っていいのかわからないけど、そういえば日本にいる間に知らない人達とワイワイ話したのはこの時だけだったな。猿そのものよりも、おっちゃんがうわぁぁぁと時間差で叫んだのと、その後みんなで色々コメントしあったのが妙におかしく楽しかったので、今でも子供と思い出しては笑っている。


(この写真のどこかに猿が映り込んでいます)

山を下りてもう一件子供を連れて行きたかった場所は「モンキーヒル」、私が子供の頃からあるレストランというか喫茶店

よく祖父に「モンキー行こう」といって連れて行ってもらった店は、内装もなにもまっっったく変わっていなかった。今では珍しく喫煙OKの店内、記憶には残っていないけれど子供の頃もこんな感じの匂いの中にいたんだろう。メニューもハンバーグとかスパゲッティ、クリームソーダにパフェと昔のまんまである。

そして昔のまんまの味のハンバーグを食べた。美味とかそういう次元とはまた別のところにある、もう何十年も食べていなかった懐かしい美味しさだった。

煙モクモクの店内で隣に座ったのはヤンキーカップル。清水寺でなかなか香ばしいカップルの痴話喧嘩に遭遇したので、このふたりはどんな会話をするんだろうとワクワクしながら耳をそばだてていたけれど、予想に反して2人ともお店の人に礼儀ただしくちゃんとお礼は言うし、真面目に学校の話とかしているしで、感心した。見た目で判断してゴメンなあ。次に行った時もまだここにそのままいて欲しい、モンキーヒル

箕面ミスド一号店もある。昔はそれだけハイカラな街だったのだろうか(モンキーヒルの隣にはいかりスーパーもある)。ここで一服して、もう取り壊されて土地も売り、新しい家が建ってしまった祖父母の家の前を通って思い出に浸った後、阪急電車で東京じゃなくて京都に帰京。

大好きな阪急箕面線。いつも先頭に乗って運転手の動きや線路を見るのが好きだった。

今回ちょっと残念だったのは、ずっとマスクをしていたので阪急電車内のあの独特の匂いを思う存分嗅ぐことができなかったこと。音楽や匂いで急に記憶が蘇るように、思い出や経験の中に占める匂いって結構重要だと思う。どんなにバーチャル旅行が発達しても、これがないと経験は半減してしまうと思う。

2022日本里帰り日記⑩:京都ブラブラ歩き

京都に着いた午後は特に何も決めずブラブラ四条から清水寺に向かって歩いた。

伊藤久右衛門でさくら抹茶スイーツのプレート。桜餅フレーバーは子供には不評

ピンボケ残念な久右衛門パフェ、伊右衛門パフェと言いまつがっているお客さん多し

老舗中華料理屋東華菜館、中には日本最古のエレベーターがあるそうだ。ネットで見てみたら欧州では今でも現役でよく使われている感じのものだった。この建物も欧州味がある。

実は小さい時京都にも住んでいたことがある、七五三で着物を着て歩いていたら「七五三どすか」と言われたのを思い出す。あのままずっと京都で育ってたらどんなだっただろう。

インスタ映えしすぎる 八坂庚申堂のくくり猿。着物を着た若い人で大盛況だった。

夕方四時半の清水寺までの参道、まだまだそれなりに人がいるなあと思ったけど、一連の写真を見た友達は空いている!って。浅草もだけど、コロナ前の京都の混雑、いかほどだったのか。

京都は御寺巡りが楽しいけれど、子供がそこまで日本の歴史に詳しくないのであまり色々回ってもピンとこないだろうなあと思っていたのだけれど、清水寺のことはお気に入りのアニメーターYouTuberが紹介していたらしく、ここは行ってみたいと。こういう知識のつけ方もあるのね・・。

KiyomizuのPlatformから下を見下ろし、お守りも一生懸命物色した。

関西で生まれたけど長い事関東平野で育った、その割になかなか関東を自分の地元と思えないのは、近くに山がないからという気もしないでもない。日本の緑深い山々を見るとなんともいえない感情がいつもこみあげてくる。

下に降りる道すがら痴話げんかしながら歩いている子連れカップルに遭遇。「〇〇ちゃんご、ごめんね、言ってくれなかったから気持ちがわかんなかったよ、気づかなくてごめんね、もう一回上に戻って一緒にチェキ撮ろうよ」とオロオロ謝る彼に対して「もうおっせえんだよー、てめえのそういうところが信用ならねえんだよ!(怒)」小学生ぐらいの女の子2人を連れたこの2人の関係が全く不明でついつい耳ダンボ、後ろをピッタリついて歩こうとしたが良識ある我が子に止められてしまった。残念。

コロナの前からそうなのか、しっかり殺菌装置付き。

晩ご飯は先斗町をウロウロして見つけたお蕎麦屋さんに。この写真もだけど、京都のあちこちの道端で撮った写真、後で親が見てここは何々町だ、何々通りだと、全部言い当てて驚いた。



歌舞練場の裏にあるこのお店、支度前の踊りの師匠かどっかの女将風な人が入って来て、仕事前に盛りそばとビールをやりながら携帯を見つつ、携帯に向かって「いやっ」って関西おばちゃん特有の感嘆詞を一人で吐いていた。

コロナにかかった日記

この2年間、うまくやり過ごしていたものの、7月に入ってとうとうコロナにかかったので、どんな感じだったか書いておく。

  • まず夫発症。会社にも行ったりイベントにも顔を出していたのでそこらへんで貰ったのは間違いない。空咳からの発熱がちょっと(7度台)。仕事を数日休んだものの、テレビを見たり本を読んだりする余裕はあった模様。ただ、むせるような咳が出ていた。
  • 3日後私発症。仕事をしながら隔離中の夫にあれこれ持って行ったり、買い物だなんだと右往左往、気分的にもテンパっていたらどっと疲れが。あとちょっと喉が少し変だな、といったところ。と思ったら夜中に気持ち悪くなって嘔吐。からの吐き下し。でだんだんしんどくなってきて、調べてみたらハッキリ陽性。
  • 症状は主に頭痛と、えもいわれぬ不快感。それだけでベッドの上をのたうち回りたくなる感じだった。咳は少しでる程度だが、2-3日目に喉が痛くなった。ただ朝痛くなっていて、どんどんその後痛みが引いていくという感じ。その後、痰も少し出た。
  • 熱は7度後半~8度前半ぐらいだったか。パラセタモール(痛み止め+熱さまし)が切れると寒気が来たり、不快感と頭痛が襲うので、最初の数日間はずっと飲んでいた。
  • ずっと寝ているからか体がすごい痛かった。日が経つにつれて、今度はものすごい鼻づまりと、蓄膿みたいな感じで、鼻水の臭い感覚と、目の後ろが痛くなったり頭が重ーく感じたりした。昔から耳鼻科系が弱いのだが、熱が出たりするとすぐこういう感じになる。
  • 5日目ぐらいでようやくスッキリ感が出てきて、寝ていても体は痛くなくなっていた。
  • 起きて色々できるようになってきた時、食べ物の味がよくわからないことに気付く。これは味覚が消失というより、鼻の奥深くが詰まっていて、嗅覚が死んでいる感じ。甘いとかしょっぱいとかはわかるけど、風味が分からない。特にコーヒーは、炒った大豆のお湯みたいな風味がした。これは今も時々味がわかりづらいなと感じることがある。食べるのが面白くなくなった。ただこの感覚はコロナが初めてというわけでもなく、昔から熱を出したらあるような気もする。
  • 子供も私の発症3日後に発症。ちょっと頭がいたかったとか、鼻が詰まっていたとか後で言っていたけれど、ほぼ無症状。しかしそれで行くはずだった林間学校に行けなくなって泣いた。
  • 家族でそれぞれ症状が全く違った。私が一番重くてしんどかった。全くの推測だけれど、それぞれのもともと弱い部分の症状が出たような気がする(夫は気管支系、私は耳鼻科や胃腸系)。実際、今回かかったコロナの症状は、幼稚園や小学校の頃に良く熱を出して学校を休んでいた時の症状とほぼ同じような感じだった。特にお腹の不快感から来るところなど。しばらくお腹もずっと下っていた、この症状はあんまり一般的なコロナの症状としては書かれていないけど、こういう感覚は本当に子供の頃以来だったかもしれない。
  • しかし何より、今回の発症は精神的なダメージが大きかった。まず家族が全員かかってしまったことで、特に学年末ということもあり色々あった予定を6件もキャンセルしなければいけなくなってしまった。そういう事に関するフラストレーションや怒り、病気でしんどい事から発生する様々なネガティブ思考、あとは本当に病気の症状から来る表現し難い不快感・不安感。これ、子供の時に感じていた感覚と同じ。ああ、こういうことだったんだな、と思った。そして症状が多少和らいで、少し気分が上向きになってきたと思ったところで子供が陽性になり、林間学校に行けなくなったことが自分の中で一番起爆剤になって、ちょっとメンタルがやばいことになった。
  • 実はコロナの症状や後遺症のひとつに、不安症や鬱も含まれるらしい。そうなのか何なのか、回復後も仕事が大変になったりと色々積み重なってしまったのもあるけれど、回復してもう2週間以上たつけれど、どうも気分が落ちることがあったり、無気力だったりという自覚があり、困惑している。普段ならそんな気分になっても、朝起きるとたいていスッキリしているのに、今回は朝起きてもなんとなく元気がないというかバイタリティが無いと自覚がある。ウィルスやバクテリアは太古の昔から生物の体に入り込んで共存して、その一部になり、そういうものが精神や行動に影響を及ぼすことがあるような話も読んだことがあるけれど、それなのか?!どうなのか?!1ヶ月過ぎてもこんな感じだったら、とうとう医者に行こうとは思う。

イギリスは今年に入ってからもう生活は普通になっており、会社でも周辺でもコロナにかかったんで休みます~、なんて感じで、風邪やインフルと同様な感じになっている。今回は家に以前貰っていたキットの残りがあったから勝手にテストして、ああ陽性ということで自宅療養していたが、特に別に医者に行くとかそういうのも無し。実は陰性になった確認もしていない。今のルールでは熱が下がって何日か経ってたらまだ陽性でも普通に出勤とかしていい感じになっている。夫がコロナでよく寝れないと医者に電話したら、勝手に睡眠導入剤を処方してくれた程度。

ただ最近周囲で感染した人は、無症状では済まず熱が出たりそれなりにしっかり症状は出ていて、しんどい人はそれなりにしんどい思いをした人も増えている感覚はある。以前のようにみんなが定期的にテストしなくなったから、症状が出ないとテストしないという状況になっているのと関係もあるとは思うが。いずれにせよ、今ではコロナにかかってない人のほうが珍しいんじゃないだろうか。

ただやっぱりかからないで済むならかからないほうがいい。症状がしんどいのとかもそうだけれど、とにかく色々なことが狂う。日本に行った時、周囲と話をしていて逆にテストを嫌がる人を結構見受けたのは、結局色々予定が狂うとか周囲に迷惑がかかるとか(仕事とかで)が理由だったけど、1週間寝込んだだけで本当に色々なことが潰れてしまい、そっちのダメージが自分には大きかったかも。これでしばらく免疫ついて、元気に過ごせればいいんですけれどもね。

2022日本里帰り日記⑨:新幹線で京都へGo

4月、子供とふたり、6年ぶりの日本里帰り日記。

浅草に次いで、京都に向かった。

こうやって見ると本当に文字情報多すぎ。ルール細かすぎてわからん!

新幹線では、ゆっくり景色を楽しんだり駅弁を満喫しようと思ったが、ちょっと携帯見てちょっとうたた寝したと思ったら、もう京都に着いてしまった。新幹線、早すぎる。

新幹線は空いていた。向こう隣には、部屋か組かどっちかに所属しているに違いない、腕に数珠を巻いたガタイのいいおじちゃんが座っていて、東京を出発とともに複数の弁当を食べた後名古屋で降りて行った。

昔のようにワサビ漬けや安倍川餅は売りに来ないが、あまり強そうでもない警備のおじちゃんが何度も往復していた。昔と比べて色々変わったなあ。

マスク着用な上に窓も開いているので聞き取りが難しいタクシーの運転手のおじちゃんの京都うんちくトークをBGMに、宿へ。

子供は鴨川沿いの景色がいたく気に入ったようで、日本に住むなら京都に住んでみたいとのこと。京大行くか?

まあ、夏暑く、冬寒いけどな。