愉快的陳家@阿拉米達島

ちょっと雑だが愉快な暮らし。サンフランシスコ・ベイエリア日記

生ハルキ


春樹さんとの出会いは、小学生ぐらいの頃。実家のトイレの前にある本棚に「ノルウェイの森」が置いてあったのに手を伸ばしたところ、親に「子供が読むものではありません」と禁書処分にされてしまった(出会いでも何でもないか)。しかし本当に子供だったため、隠れて読んでやろうとも何とも思わず、親も禁書にしておきながらも本を隠すこともせず、妙にビビッドな赤と緑の装丁の本はそこに放置され続けていた。初めて春樹さんの本を読んだのはアメリカに来た大学院生時代。小説ではなく「うずまき猫の見つけ方」というエッセイが最初だったように思う。


アジア研究がさかんな学校に通っていたため、山奥にあるアメリカの学校とはいえ、日本関連の本がとても充実していたので(宮沢りえの写真集もあった。漫画もカムイ伝からポーの一族からこち亀から、山ほどあった)、勉学からの現実逃避には最適で、図書館にあった村上朝日堂を読み漁り、そして彼の小説も読んでみた(ノルウェイと、ねじまき鳥)。そしてとても驚いた。エッセイはこんなに面白いのに、なんでこんな小説を書くんだろう・・・と思ったのだった。


読んだ小説の筋をだいぶん忘れてしまったので、何にそんなに腹を立てたのか、あまり覚えていないけれど、人とのコミュニケーションがあまり上手とはいえない、孤独を感じている主人公が、急に彼のことを理解してくれるような他人に出会ったり、大して言葉を発しないままお互いわかりあってしまったりするのが、どうも許せなかったみたいだ。小説と現実をごっちゃにして腹を立ててもいかんよ、と今は思うし、話の内容を覚えていないので、今読んだらたぶん違う感想を持つのかもしれないけど。


しかし春樹さんの小説は英語でも手に入りやすいので、腹を立てながらも本屋に行っては何冊か立ち読みで読破し、腹を立てながらもエッセイは好きだったので、彼のノンフィクション系の本だけは結構持っていて、何だかんだいって、私が一番読んでいる日本の小説家はハルキさんなのだった。彼のエッセイを読んでいると、規則正しい生活をして、部屋の掃除をしたくなる。そして日常の中に小確幸を見つけて、そしてなんだかそのことについてつらつらと文章を書きたくなったりもする。


そんなハルキさんが、UCバークレーで講演をするという。外国に住んでいて何がうれしいかって、日本ではお目にかかれないような方達の生の声を聞く機会が意外とあることかもしれない。そして生ハルキの話を聞く権利は、20ドルちょっとで手に入るのだ(UCバークレーでは文化人の講演シリーズみたいなのがあって、以前はモンティ・パイソンジョン・クリースの話をこれまた20ドルちょっとできいた)。


生ハルキを見に行ったベイエリア在住日本人は結構な数いたようで、いろんなブログにハルキさんのことが書いてある。知り合いの方々も何人か行っていたようで、何を話したとか、細かいところは割愛するけれど、最初、どうも本を読んでいる限りではシャイっぽいハルキさんが、こんな大勢の前でどんな話をするんだろう・・・「Fill it up」がどうしても発音できないらしいけれど、英語で話すんだろうか?講演が始まるまえ、「ではパフォーマンスをお楽しみください」なんてアナウンスがあったけど(多分録音)、春樹さんが何かパフォーマンスをするのか・・?大丈夫か?などと色々勝手に心配してしまった。


ステージに出てきた春樹さんは、洗いざらしたようなジャケットを着て、やっぱり足元はスニーカーで、ああやっぱり永遠の男の子~という感じがした。そのたたずまいも、話し方も、なんだかシリコンバレーの日本人エンジニアか、どっかの大学院で研究している、日本人留学生のようでもあり。遠目には40代に限りなく近い30代に見えなくもない(席がすごーく後ろだったからそう見えた?)。でも後から考えたらハルキさんは御年59歳なんだそうだ。私の父親より1歳若いだけ・・!!そして想像もつかなかった春樹さんの声は、思ったよりとてもとても低かった。そしてその声を聞いて、ああやっぱりこの人はシリコンバレーの日本人エンジニアや留学生ではなくて、小説を書いている特別な人なんだという感じがしたのだった。


春樹さんはまず、ある日ふと思い立って小説家になろうと思ったらなれた、簡単だった、思いのほかね。というような話をして、それから自分は人とちょっと違うので、どうも日本では理解されなかったりいろいろ大変云々、と言った。昔はとても叩かれたみたいだけれど、日本でも村上春樹はもう村上春樹としてとてもとても確立した存在なんだろう(もう60歳近いし)と私は思っていたから、開口一番そういう話が出てきたのがちょっと意外だった。


ハルキさんはその後、「とんがり焼きの盛衰」という短編を日本語で朗読した。ある意味ハルキさんのパフォーマンス!日本語がわからない人にはお気の毒・・でも僕にも三舟敏郎が何を言っているのかわからないのですよと彼のモノマネまでしていた。笑。彼が日本語を発するのを聞くのはこの部分だけだったけれど、ほんのちょっとだけテンポがずれたような、ちょっともそっとしたような若者のような、でも素敵な声での朗読だった。彼が日本語で話すところをきいてみたいなあ。その後アジア研究の教授が英語で同じものを読んだ。春樹さんの小説は、英語で読んでもとても読みやすい。本に印刷されたタイプフェイスまでじっくり味わいたいような文章。この短編の翻訳もとてもよかったなぁ。


朗読の後は対談形式でのトーク。春樹さんは英語がぺらぺらというわけではないけれど、とんがり焼きの英語版を読んだ教授兼司会の質問に、ゆっくりぽつりぽつりと答えていた。質問によっては、あまりに答えが「ぽつり」で終わるので、司会が次の質問に行ったほうがいいのかな?んんん?と迷っていると、独特の間の後、いきなり元気になって急にオモシロイジョークを言ったりする。そして会場がわっと受けると、また畳み掛けるようにジョークを繰り広げていた。やっぱりなんだかんだいって関西人なのかもしれない。たたみかけすぎ!とか思ったところもあったが(笑)あー、ちゃんとジョークも言える人なんだ、とちょっと安心してしまった(笑)


春樹さんは暗いうちからおきてきて、朝数時間仕事をし、昼間にジョギングをして、午後は用事を済ませたりして、夜9時には寝てしまう。とりたて刺激がある生活ではないけれど、なんだか満ち足りていてうらやましい生活ぶりではある。今回もそんなライフスタイルのことと、走ることの話が本人の口からちょっとでもきけて、ハルキさんの生活ぶりファンとしてはうれしい限りだった。やっぱりバークレーに来ても外を走っていたらしい。そして講演の時間はとっくに9時を過ぎていたので、おねむの時間だったらしい(笑)。司会の人が、「読者とインターネットでやりとりしてるんですよね」と村上朝日堂の話もふってくれた。「イカに10本あるあれは足ですか、手ですか、というような質問が来て、なんで自分にそんなこときくんだろうとは思うけれど、結構こういうのに答えるのがすきで、手袋とソックスを置いてどっちをとるか観察しなさいと答えた」とな。笑。


会場では質問カードに質問を書いて、ハルキさんに直接答えてもらう・・というおまけもあったので、私も走ることについての質問を書いたのだけれどもちろん読まれず。どこかで読んだ話も多かったけれど、ハルキさんのあれやこれやについて、本人の口から聞くことができたのは、うまく表現できないのだけれど、とてもとても良かった。若かりしころ、春樹さんの小説には腹を立ててはいたものの、彼の描く孤独は、気持ちとしては共感するところがあったりもする。だから余計読みたくないのかもしれないけど。そしてこれから何百年もこの人の作品は残っていくのだろうな・・と思うと、長い歴史の中で一瞬だけ生きているこの生ハルキさんに遠くからでも会えたのは、なんて良かったんだろう、と思ったのだった。この講演の前に旦那に英語版のハルキ本を与えてみたら、思いのほかはまってくれているのも嬉しい。私ももう一度小説を読み直そうかな。


そういえばハルキさんはまた長編をひとつ書き終えたそうで、来年には日本で出版だとか。こちらは、アメリカで出版された「走ることについて語るときに僕の語ること」の翻訳本。翌日はサイン会があったけれど行けなかった。行けたら、「梅クラス以下のランナーまりちゃんへ」ってサインしてほしかったなぁ~~~。

What I Talk About When I Talk About Running

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