
関東で育ったが実家の文化は関西な我が家。両親の会話に出てくるのは、そう「明日のパン」

これ、関東の人は使わないって、ケンミンショーで取り上げられるまで知らなかった。

この日の朝もパン。駅地下にあるVie de Franceに行った。店では午前中からおばちゃん達がパンとコーヒーを囲みながら、これいくらやったと思う、と袋の中から柄モノのワンピースを出して安さ自慢をしていた。時代とともに若者文化は変わるのに、どの時代のおっちゃんもおばちゃんも、似たような仕上がりになるのはなぜだろう。
そんな疑問を心に残したまま、阪急梅田駅に向かう。色々な路線が乗り入れる梅田駅だが、阪急百貨店方面に行くと途端に雰囲気が変わる。ちょっと古いけれど急に端正になる気がする。ここから阪急電車に乗って、生まれ故郷の箕面に向かう。

子供の頃から変わらないこのホーム、この電車の色と内装。昔は行き先のプレートが車体についていて、そのミニチュア版を集めたりしたなあ。電車に揺られるだけで、なんだか懐かしさが溢れてきてしまう。
石橋(今では石橋阪大前)で、停車駅が4つしかない箕面線に乗り換える。終点の箕面駅には、温泉や箕面の滝で有名な、明治の森箕面国定公園があり、阪急の駅でも最古のうちのひとつ。

駅から出たすぐの所に、滝に向かう山道がある。昔は行楽客でもっともっと賑わっていたけれど、最近は中心が別の所に移ってしまい、随分と閑散としている・・のを毎回訪れるたびに感じてちょっと寂しい。

駅からすぐの所にあったみのおサンプラザも、取り壊されていた。子供の頃には、ここにスーパーやお肉屋さんや、ちょっとしたレストランやらが入っていた。それが少しずつ潰れ、最後には市民のコミュニティセンター的な場所なっていたみたいだが、それもとうとう閉鎖され、今後は宅地開発に回されるっぽい。
もう賑やかだったこのエリアの記憶は私の脳内にしか残っていない。取り壊された周辺には白い囲いが建てられていたが、建物がなくなってみると、こんな小さな土地だったのか、と驚き。
この道をまっすぐ進むと商店街。ミスタードーナツの日本1号店もここにある。そして私達が向かったのは、そのもっと先にある喫茶店「モンキーヒル」
私が子供の頃からずっとあり、祖父によく連れて行ってもらっていた店。前回子供を連れて久しぶりに行ったら、内装から何から全く変わっていなかった。私の記憶の中にしかもう残っていない、もうあれは夢だったんじゃないかと思うような箕面がまだ現実にあることが嬉しかった。子供も何故かとても気に入ったようで、また行きたい、とのことだったので、今回も再訪。
今回はアメリカから箕面に移住したお友達とも連絡がついたので、ここで10年ぶりの再会となった。

アメリカから家族を連れて別の国に住むことについて、子供の教育のことについて、色々語りつつ、50年間あまり変わっていない店の、あまり変わっていないメニュー。

友人と別れた後は、子供と箕面の滝道を歩く。
箕面名産、モンちゃんせんべい。そういえばあんまり食べたことないや。まだ売ってるのかな?昔はモンキーせんべいと呼ばれていた気もする。滝道周辺のお土産屋さんもだいたい閉まっていて、閑散としていた。

とはいえ、人が全くいないわけではない。子供の頃遊んだ谷川は家族連れや若者がワラワラしているし、外国人観光客も結構いた。

毎回ここに来ると書くことは同じである。祖父母に連れられて歩いた道、そこを子供と一緒に歩いている不思議な感覚。途中今まで寄った記憶のない弁財天をお参りしたり、私達の前を歩く若い女の子二人の会話を盗み聞きしたり。
いや、盗み聞きは聞こえが悪いが、声がでかいから勝手に耳に入って来ただけです!男性の「優しい」が単に「女々しい」ことに気づく瞬間、について語り合っていた。

滝は人でいっぱい。山道は整備されているし、たいして傾斜があるわけでもないから、おしゃれ靴でも歩けなくはないこともあって、コスプレっぽい感じの人たちも結構いるのに驚いた。そして知らない者同士でお互い写真を撮りあったりしていた。
次はいつ来れるかな、とこの場を去るタイミングをつい見失ってしまう。ただただ、じーっと滝を見つめていた。

前回来た時は滝の前で老夫婦が弁当を広げて猿に強奪されていたなあ・・。今回はこれだけ人がいるからか、猿は見かけず。

メディアの功罪。こんな看板を建てないといけないくらい、何か誤解が広まった?





帰りの阪急電車も名残惜しい。また箕面線に乗ると、大阪の別エリアから箕面を訪れたらしい地元の子が「やっぱり阪急は違う」「落ち着きがある」と言い合っていた。そう、帰りの梅田行もそれなりに混んでいたが、空気は全然殺伐としていないのが印象的であった。

梅田に戻ってからはヨドバシカメラの上の飲食店街で晩御飯。