愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

イスラエル⑲ そして、テロの跡

19XX年、当時イスラエル警察があったこの場所で爆弾テロがあった云々」「イギリス軍本部があったこの場所にイスラエルが攻撃云々」・・・・


エルサレムの街を歩いていると、古いビルの入り口付近にこんな文言を打ち込んだ銅版がはめ込まれていることが沢山ありました。イスラエルに対する攻撃があった場所もあれば、逆にイスラエルを占領していたイギリス軍を攻撃したものなど、シチュエーションは色々。


テルアビブの海岸には、名前は忘れましたがイスラエルの英雄の一人を記念した小さな博物館がありましたが、奇しくもテロリスト集団と非難されているハマスは、攻撃の仕方は彼をはじめとする「イスラエルの英雄たち」の手法から学んだのだとも言います。


今は綺麗に整備されていて家族連れがにぎわうテルアビブのビーチですが、そんなビーチ沿いのホテルにはこんな大きなサインが出ていました。1975年3月、当時何もなかったテルアビブの海岸に8人のパレスチナ人がボートで上陸、警察に追われながら、ここだけ建物に明かりがついていたという理由でサボイ・ホテルを占拠して宿泊客を人質にしたのだそうです。イスラエル軍が突入して、宿泊客などにも犠牲者が出たそうで、ここにはそんな人達の名前や出身国が刻まれていました。


savoy hotel


私たちがこの国を訪れた直後から地域の情勢は急展開で悪化していきました。エジプトに出たときに丁度、海水浴に来ていたパレスチナ人家族への誤爆があり、その後あれよあれよという間に「戦争」が始まってしまいました。このことについてはあまりに根が深すぎて複雑すぎて、どっちがいいやら悪いやら私の頭ではよう言われません。ただ見た目は平穏で、人々が普通に日常生活を送っている場所ではあるけれど、これは問題の根源を壁やら塀やら作って排除した上での平穏であること、そしてその平穏のバランスはものすごいスピードであっという間に崩れ去ってしまうこと、そしてイスラエルでもレバノンでも、普通に買い物に行ったり生活している場所にミサイルが落ちてあっという間にそれがぐちゃぐちゃになってしまうこと、でも同時にぐちゃぐちゃになったり大勢の人が死んでも、生き残った人達はその横をとおりすぎながら、その上にまた新しいものを建てながら、また日常生活を構築していくこと。小さいときは、人間は成長するにつれて、そして近代化が進むにつれて、賢く理知的になっていくものなのだとばかり思っていたけれど、何千年たっても憎しみのループは断ち切られることはなく続いていること、そして人間なんてこうも簡単に死んでしまうんだということ・・・自分の住む日常では忘れていたそんな人間の性に気づくにつれて、「世界平和を強く祈りました」なんて小学生の作文みたいな綺麗な言葉では済まされない、なんともやるせない気持ちになるというものなのでした。


Dolphinarium