愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

愉快な一家のコミュニケーション


天気がおかしなせいでなんだか調子悪いです。のどが痛い。


結婚式の後、ダンナのパパママがうちの両親に中国語で手紙を書いて送ったらしい。その返事をうちの両親は漢字たっぷりの日本語で送ったらしい。しかし漢字パワーにも限度があるらしく、パパママが日本語がよくわからないから訳してと我が家にその手紙を送ってきた。うちの父は結婚式の前々日、めちゃくちゃな広東語作文を作ってスピーチを一席やり、うけを取ることには成功したものの(大阪人やししゃーない)、やはり明治の文人のようには漢文は綴れなかったらしい。


パパは私の中国語能力を異様に過大評価していて、電話もほとんど北京語でやられる。北京語でわーっとしゃべって、最後に「憧不憧(わかった?)」といわれてそれしかわからんこともしばしば・・・でも、子供たちの中で一番漢字がわかるのは私。ダンナの兄弟はみんなノン・チャイニーズと結婚したし、みんな適当に広東語とかはしゃべれても漢字はほとんど駄目。でも私はパパママと一緒に新聞も読める!だいたい中国語のTV番組は字幕がついているので、どうしようもない香港昼メロドラマを一緒に見ることも出来る!ので、結構かわいがられているのだ(ちなみに最近では韓国ドラマの中国語吹き替え版がはやっています)。


ダンナの両親はアメリカに住んでもう40年近くなるのに、特にパパは英語があんまりしゃべれない。やっぱりアメリカに住めばしゃべれるようになる、というものでもないらしい。仕事を通じて英語を学ぶチャンスもなかったし、チャイニーズコミュニティの中に住んでいれば、英語なんか知らなくても全て事足りてしまう。特にシリコンバレーに近いFremont地域は中国人がいっぱい住んでいるので、ショッピングモールの中に並ぶお店も、全部そのまんま中国。バーチャルチャイナなのだ。


こんな家族のコミュニケーションはなかなか面白くて、英語・広東語・北京語が飛び交っている。両親はおもに広東語で話す。子供はそれに広東語で返すこともあるけど、英語で返すこともある。ママのほうが英語が話せるので、込み入った話は英語で、ママが受け付ける。ダンナは大学で北京語をちょっと勉強して、しゃべれるようになったので、話を補強するときには北京語を使うこともある。パパも若いとき台湾にいたことがあるので、北京語で話すと喜ぶ。それぞれの言葉をぐちゃぐちゃに混ぜて話すというよりは、会話の一塊が広東語、次の一塊が英語になったりする。大体、実家に帰ってこんな家庭環境に1週間もいると、耳がわんわん、頭ががんがんするのだけれど、次第になんとなく何を言っているのかわかるようになってくるのが不思議。


ダンナは、そんな両親が、もっと英語を話して積極的にアメリカ社会に溶け込んでほしいとは願っているのだけれど、なかなかそうもいかない。やれ保険だ、クレジットカードだ、とややこしい手続きはアメリカ生まれ、アメリカ育ちの子供達が世話をしてあげる、という立場の逆転も見られる。まあ、広東ママのおばちゃんパワーというのは本来ものすごいのだけれど、子供達が外の世界とのインターフェイスになってくれている以上、子供に頭があがらない、という点で、多少そのパワーが抑えられているという抑止効果はあるのかもしれないけど。両親の仕事が忙しくて、かなりほっとかれて育っただんなやその兄弟だけど、ちゃんと成長して、親を大事にしてるのを見ると、偉いなあ、と思ったりする。もちろんウルサイ親戚とか、大家族ならではの頭痛とか、エイミー・タンの小説に出てきそうなエピソードは、中国系移民の家庭ならどこでも普通に見られることとしてあったりはするけれども。でも傍から見ていると、ダンナの家族は本当に愉快な一家。もちろん私も嫁なので、その一部になっちゃってるわけだけど、広東語を100%理解しないかぎりは、まだ面白い部分だけを楽しめる余裕があるので良い。


とにかく、今回の結婚式で、ダンナの両親も、うちの両親と英語で一生懸命コミュニケーションをとろうと努力してたので、そういう意味では進歩かも。私の両親からの手紙も、「中国語じゃなくて英語に訳してくれればいいからね」とのことであった・・・