愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

バウンダリー・ワークショップ


東海岸から西海岸への引越しは、日本からアメリカに来たときよりも、カルチャーショックというか、色々な面での適応が必要だったような気がします。今までの引越しは、自分の学校や仕事が理由だったり、自分が主体だったことが多いのですが、今回の引越しはそうでなかった、というのも背景にあるのかもしれません。「自分」を待ち構えてくれている、確たる受け皿が無い場所で生活を確立していく、というのは、逆に自分の生活能力やサバイバル能力が試されることでもあるので、結構シンドイところもあります。最近、そんなこんなでちょっと疲れていたところもあったみたい。


この間、人ごみの中でちょっとぶつかっただけの親父に、いきなり滅茶苦茶罵られ、何か言い返せればよかったものの、あまりにも驚いて頭が真っ白、固まってしまったということがありました。頭のおかしいヒステリーオヤジだったのだけど、とにかく自分が固まってしまい、何も言い返すことができなかったのがとても悔しくて、後になってああいえばよかった、こういえばよかったと考えたり、アホなオヤジの罵り言葉を本気で受け止めてへこんでる自分に腹が立ったり、とにかくどよーんとした気分になってしまいました。


そんな時に、よしよしかわいそうに、で終わらないのがうちのダンナ。自信を取り戻せということで、バウンダリー・ワークショップというのを探してきて参加することになりました。


女性のための、自己防衛のクラスを教えている団体が地域にはいくつかあるのですが、そこでは知らない人に襲われた時にどのように物理的に対応するかという、ちょっとマーシャルアーツ的なことを教える一方で、知らない人、または家族や同僚、知り合いとの間で何か起きたときの言葉や態度での対処の仕方を考える「Boundary」のクラスがあります。


「Boundary」ってたぶん心理学の用語かと思いますが、境界とかそういう感じの意味なのかな?自分らしくあるため、相手に踏み越えてほしくない線引きの部分、みたいな感じでしょうか。人によっては、それをうまく主張できなくて、相手にずかずか踏み込まれてしまったり、引いたはずのBoundaryを否定されてしまうことで、怒ったり、悲しんだり、パニックになったり、自信がなくなったりしてしまうんだと。


生徒は私を除くと白人のおばちゃんばかり、4人だけのこぢんまりしたクラスでしたが、「ココロの変化に伴う体の変化のシグナル(怒ると頭に血が上るとか)」をみんなであげていって、表にしてみたり、ロールプレイングをして、こういうシチュエーションのときにはこういうオプションがあって、こういう対応ができる。というようなディスカッションを4時間ぐらいやりました。私の場合は、知らない人にいきなりヒドイことを言われて固まってしまい、何も言えなくなってしまうというのがとてもいやなのだけど、他の参加者の人たちは、家族とか同僚とか、もっと身近な人たちと、かなり複雑な問題を抱えていて、すっごくしんどそうでした。最後のほうはほとんど彼女達の人生相談みたいになってしまったし…。


道端で知らない人と、はたまた家族や友人、同僚など、人との交流のシチュエーションは違っても、色々な形で人との間には「Boundary」というのが存在するわけで、それを侵害されて自分が嫌な気持ちになる前に、その気持ちの変化に伴う体調の変化のシグナルをうまくキャッチしつつ、線引きを修復し、自分らしさを保っていく・・・こんなコンセプトがあること自体、初めての経験だったので、色々面白かったです。


私の場合は悩みがあまりに些細だったのと、インストラクターと色々おしゃべりをしているうちに、多分私がこんな気持ちになるのは、環境の変化によるストレスもあって、昔はもっとストリート・スマートでやっていけていた部分がしぼんじゃっているだけで、どうしていいか全くわからない、というわけでは無いんだということが解ったので、クラスが終わるころにはかなり気が楽になってすっきりしてしまいました。でも今まで、自信がなくなってしまったり、落ち込んだりするのは自分が弱いからとかナサケナイから、というだけで終わっていた気がするのだけれど、こういう気持ちをシステマティックに分析して、もっと積極的に修復できるんだー、ということがわかったのはすごく収穫だったなぁと思いました。もう、I won't take shit from anybody anymoreです。