愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

春休み、大人も楽しい会社見学

将来建築家になりたいと言う小さいさん。

学校では将来空飛ぶ車を開発したいと言う友達からは空港、ポップスターになりたい友達からはレコーディングスタジオ、ゲーム開発をしたいという友達からはプログラミングスタジオの建築案件をすでに受注しているらしい。

まあ口ばっかりだろうかな、と思ってはいたものの、建築関係をやっている友達の家に転がっていたブループリントをかなりガン見するなどそれなりにちゃんと興味はあるらしい。

そこで春休み、建築関係の会社に勤めるお友達にお願いして、会社訪問ツアーをさせてもらった。

建物の個々のデザインだけでなく、都市の一部の開発デザインをするというこの会社は、いわばシムシティを現実でやっているような場所だった。

オフィスに入ると、とにかく驚くのが、オフィス中にだーっと並んでいる模型。そして、手を動かして大きなボードに何か絵を描いている人、そこらへんに転がっている色々な建築資材。

シリコンバレーでずっと画面だけとにらめっこして仕事をしてきたこの10年間、思えば職場でプリンターに何かを印刷したりすることさえほとんどなかったが、ここには3Dプリンターもある、模型を作るために発泡スチロールを切ったりする機械、レーザープリンター、ありとあらゆる工作機械があるのが私の目にも新鮮。

会社にもよるかもしれないが、シリコンバレーの会社などでは「子供を会社に連れてこようDay」というのがあって、会社が遊園地のようになる日があったり、子供の学校が休みの時などちょっと子供を連れてきてオフィスに放し飼いにしつつ仕事したり、なんてことは時々ある。

子供も私の職場には何度も来たことはあったが、何だかみんながコンピューターをカチャカチャやっているばかりで、あとはご飯が食べ放題の場所ぐらいのぼんやりしたイメージしかないようだったが、ここはもうみんなが手を動かして何かをデザインしているので、インパクトは大だった模様。CADも触らせてもらってご満悦であった。

建築と言っても、コンセプトからデザイン、実際の建築と色々な分野があり、特にアーバンプラニングの部分が私はとても面白いと思ったけれど、その他にもデザインを実際建築可能にするための計算やら、街路樹や公園にはどんな木を植えたらいいかという植物の知識から、新しい素材の開発、内装やロゴのデザイン、そしてそのプランがその国や街の法律にあっているかの調整まで。いろんな分野があるのだなーというのも私的には面白かった。

まあ7歳児にはそこまではわからなかったと思うが、実際に手を動かすところを見て子供なりに色々心に残った模様。早速家に帰り、折り紙で家を作りストリートを作り、自分の部屋のドアに貼って小さなアーバンプラニングが始まった。

将来実際になるかどうかは別として、何か作ることは好きみたいだし、自分が好きなことが発展するとこういう世界にも繋がる、と言う実例は、学校の勉強だけではなかなかわからないし、小さい時から大人の世界も見て欲しいなと思ったのでとても良い経験になった。

これはまあ、学校の世界がほとんど全てだった自分が、子供の時に経験したかったなあということでもあるんだけれど・・w もしそれを知っていたら、もう少し数学を頑張る気にもなったかもしれない(もし中学高校の自分に今言いたいことがあるとすれば、「数学ちゃんとやっておけ」!!文系であっても、確率統計は絶対やっておいたほうがいい。そして関数なんて実際の生活に使わないし・・って言うけど使う世界もあるんだよ!ってことを教えてあげたい)。

子供には、勉強と思わせないで好きなことをどんどん学んでいってほしいし、何かそういうものを見つけるにはやっぱり学校の外の世界にもどんどん飛び出していってほしいなあと思いつつ。

時間をとってくれたKちゃん、ふぇいちゃんぐあんしぇ(非常感謝)

ホームシック

桜の季節もあっという間に過ぎたけれど、先日までTwitterFacebookも日本からの満開の桜の写真で埋まっていた。

そして誰かがリツイしたこんなツイートも上がってきた。

うんうん、そうだよね・・と思いたいところだったが、ふと気がついた、最近和食も恋しくなければ、桜を見ても春は花粉症が酷かったせいか、写真を見ただけで鼻がムズムズするばかりでたいして感慨もない不思議。

こ、これはもしかしてまだまだ若い頃を振り返って心地よくなる年齢じゃあないってことなのかしらん・・・!!今まさに青春真っ最中でぶいぶい言わせてるってことなのかしらん・・・!!

・・と偉そうに思ったが、まさかそういうわけでもなく、どうも自分の郷愁感度が著しく低いだけのようである。アメリカ在住20年になるが、実はホームシックにかかったことが1度も無いことに気がついた。特に日本に対して思い入れが無い、という訳では無く、過去に対する思い入れ自体が少ないみたいである。

長年住んだワシントンから西海岸に引っ越して来た時も何の感慨もなく引っ越してきたし、あれだけ大好きだと思っていたニューヨークのことも今ではすっかりケロッと忘れてしまって、ほとんど足を運ばなくなってしまった。何だかんだ言って、どこに行っても住めば都のようである。そういうところが鈍感だからずっとヘラヘラと外国暮らしが続いているのかもしれない。

・・・と偉そうに思ったが、結局のところ、日本も東海岸も、実際にしょっちゅう行くかどうかは別として、「行こうと思えばいつでも行ける」場所だから、悲壮感漂うほどの郷愁も何もこみ上げてこないのかもしれない。亭主元気で留守がいい、的な。これで日本が鎖国しちゃったとか戦争が始まって渡航できなくなったとかでアクセス不可能になった時はさすがにホームシックになるかもしれない。

食べ物に関してもどうやらそのようだ。米と味噌汁はあればそれは嬉しいが、なければ無いであまり気にもならない。

・・・と偉そうに思ったが、それもまた、流通と食文化の多様性があるこの場所にいて、日本食は「手に入れようと思えばいつでも入る」ものだから、安心してつい他の国の料理ばかり作ったり食べたりしているのかもしれない。

以前はちょっとした海外旅行にもインスタントの米や味噌汁を持ち歩く人を、どんだけ堪え性無いねん、と多少冷ややかな目で見ていたものである。しかし昨年ギリシャに行き、右を見ても左を見ても手に入るのはギリシャ料理だけ、気分を変えたきゃイタリアン・・という環境の中で風邪を引いた時、生まれて初めて「誰か、米・・・米と醤油を・・」と日本食シックに陥ってしまい、自分でも愕然としてしまった。

もうそうなると寝ても覚めても考えるのはほかほか白ご飯、そしてUMAMIたっぷりの醤油の塩気のことばかり。しかし街に溢れているのはオレガノとレモンとオリーブオイルの香りばかりでげんなりする。市場ツアーに行って売っている野菜や肉の調理方法を聞いても、「たっぷりのオリーブオイルにオレガノをちょっとかける」「レモンとオリーブオイルだね」「オレガノをまぶして焼くといい」。売っているポテトチップさえオレガノ味・・ああ・・・。

魚の照り焼き(醤油)、ほうれん草のおひたし(醤油)、冷奴(醤油)が一気に出てきても全部違う味だと認識するのに、レモンとオリーブオイルとオレガノで調理した様々なギリシャ料理がどんどん単調で同じようなものに思えてきた時、ああ、自分は単に多様性と選択の自由がある贅沢な環境の中で安心して生活していただけだったのかもな、とふと思ったのであった。

特にここサンフランシスコ・ベイエリアなぞは、日本のものもかなり手に入りやすく、シリコンバレーだ何だという土地柄か面白い日本人の友達もいて、ある意味日本社会の嫌なところを排除した日本の生活も楽しめる環境も整っているときたものだ。あんまりホームシックになる要素が無いといえば無いのかもしれない。

さていずれは自分もこういった現在や過去に郷愁を感じる時が来るのであろうか。風邪を引いた時に日本食シックになったことを考えると、元気なうちは大丈夫なのかもしれない。でも年をとって色々弱気になった時、その時浮かぶ風景は一体どこになるのやら・・・。

おまけ。日本人旅行者と米醤油問題については、以前こんな記事をnoteに書きました。

note.mu

グローバルエントリー、すぐ取れた&空港ちょっと探検

里帰り以外にも、アメリカ国外に遊びに行くことがここ数年何度かあって、やはり子連れで疲れるのが空港セキュリティや入国審査の長い列。

飛行機から降りて時差ぼけも疲労もピークな時に20分でも並んでいるのはやっぱり嫌〜。それでも今までサンフランシスコ空港ではそこまでひどい目に合わなかったのですが、前回ギリシャからの帰国便がJFKでの乗り換えだったのが運の尽き。

フライト中映画に夢中でほとんど寝なかった小さいさん、入国審査の列に並ぶ前からゲロ。列に並び、しばらく進んだ後に今度はトイレに行きたいと。泣く泣く列を外れ、振り出しに戻る。結局イミグレに1時間かかり、乗り継ぎターミナルに走れば今度は再度の荷物チェックの列でさらに40分。長蛇の列にイライラしながら並び、もういっぱいいっぱいになった小さいさんはまたゲロ。結局フライトは逃して一泊し、なんとか翌日帰ってきた体たらくでした。

今後も何度か飛ぶ予定が入っているので、もういい加減とっておこうと、グローバルエントリーに申し込みました。

グローバルエントリーとは

これに申し込んでおくと、アメリカ入国の時並ぶことなく、専用レーンにさっと行って、そこの専用キオスクで手続きをすることができるというもの。

さらにグローバルエントリーに申し込むと、おまけでTSA Preもついてくる!これは空港のゲートに行く前の荷物審査の優先ライン。ここもかーなり並ぶんですよね。子供がいると、早めに通してくれたりすることもありますが、そうでなくてもイラチな私にはありがたいシステム(そう、人生で一番嫌いなのが待たされること)。これがあると荷物も開けなくて良くなるし、必要以上に早めに空港に行く必要もなくなります。

申し込み費用は100ドルで、5年間有効。

日本国籍保持者はグローバルエントリー申し込めない、という情報もどこかに出ていましたが、永住権保持者は大丈夫でした。多分日本から旅行や出張で来る人などはできないのかな?要確認。

オンラインで申し込み

ESTAを取るにしても、検索すると上位に公式サイトじゃなくて取得代行サービスのサイトが出てきちゃって、間違えて高い値段払って取ってもらった・・、という罠もあるらしく、グローバルエントリーもカタカナで検索したら業者のサイトがトップに出てきていたけど、グローバルエントリーの公式サイトはこちらです。
www.cbp.gov

ここからアカウントを作って、申し込みは全部自分でオンラインでできます。
ttp.cbp.dhs.gov

過去5年間住んだ場所、渡航記録(行った国名だけ)職場の情報など色々入力しました。

家族1人が取得すれば全員に適用される・・というものではないので、家族全員、子供の分も申し込みました。総額300ドルチ〜ン・・でも5年持つし楽になるならかまへんかまへん。

3月の頭に申し込み、後半にはあっという間に仮承認の連絡がきました。

面接予約の裏ワザ

仮承認の連絡が来たら、次は面接の予約をオンラインでします。空港にあるオフィスに出向いて、顔写真や指紋を取ったりするのですが、これがなかなか混んでいて数ヶ月待ち、ということが多い。実際次に取れた予約は5月が1件、でも家族分の予約が必要なのに、その次は6月後半。その頃には飛ぶ予定があるから困るなぁ〜。

そんな時、これは友達から教えてもらった裏ワザ?なのですが、とりあえずオンラインでは空いてる日にちで予約をとりあえず押さえておいて、オフィスに予約なしでウォークインする方法もあるとのこと。平日昼間に行くと結構空いているとのことだったので、子供も一緒にいける春休みに空港に行ってみました。

面接は10分もせず

行ってみると私たちの前に待っていたのは2人だけ。オフィスの扉はしまっていますが時々おじちゃんが誰が待っているか確認しに出てくるので、その時にウォークインでーす、と言って名前をリストに書かせてもらいます。多分待つこと10分ぐらい、私たちより前に待っていた人もいたのに、なぜか私たちを先に通してくれました。

私たちより先に待っていた人は、自分は予約してあるんだけど・・、とごにょごにょ言っていたのですが、係員のおじさん、私たちを先に案内して扉を閉めてから、「子供が待ってるっていうのに、子供がかわいそうだと思わないのかね、本当に同情心のない人だ」だって。2人分ぐらい待っても良かったんですが、意外と子供に優しい・・・。

ブースで指紋とって写真撮って、申込書の内容確認されておしまい。今何年生?どこの学校言ってるの?と子供の相手もしてくれました。

面接はウォークインの他にも、次回どこかからアメリカに戻ってくる時、入国審査官にその旨伝えると手続きしてくれるという方法もあるそうです。まあ、その時はグローバルエントリー使えないですが。

ついでに空港探検

空港って、もうとにかくそそくさとチェックインしてゲートに行って・・・とターミナルそのものをじっくり堪能する時間はなかなかないもの。実は駅とか空港とか港とか、人やものが到着したり出発したりする場所が結構好きな私。

一度できたら空港で働いてみたいという夢もあるのですが(本当は飛行機にしゃもじみたいなのを振って誘導するのとかをやってみたい)、せっかくなので少し時間を取って、グローバルエントリーのオフィスがある国際ターミナルもウロウロしてみました。

実はここには小さいけれど博物館もある!

これはターミナル内にあるいろんな展示。あんまり飛行機とは関係ない瓶内アートとか。

昔の飛行機のエンジンもあります。

そしてBARTのり口の近くにひっそりとあるのがこの博物館。

チャイナ・クリッパーの展示が色々ありました。

我が島アラメダには昔々パンナム航空などの施設があり、そこから香港やハワイ便も発着していたんです。

やっぱり気になる当時のメニュー。当時のフライト、どんな感じだったんだろう。

二階は図書室になっていて、立派なミーティングルームもありましたが、図書閲覧は予約制だそうです。リサーチ用ですね。

インスタは無くてもインスタ映え的昔の広告。1991年まで運航していたブラニフ航空。昔はもっといろんな航空会社があったものね。

サンフランシスコ空港に入っているお店は、チェーンでは無く結構地元の有名店だったりするので、チェックする価値はあり。このコーヒー屋さんは、焙煎マシンが設置してあって豆の量り売りもしているようです。まあどこも空港プライスではあるんですが・・・。

時間があったら、AirTranに乗っていろんなターミナル間をぐるぐるしたり飛行機をみたりもしたかったけど、今回は時間切れ。来年には空港に展望デッキもできるらしいです。

ここにも自分でできる空港ツアー情報が出ているので参考までに!

Traveling with Kids | San Francisco International Airport

カード到着!

空港に遊びがてら行ったのが月曜日。そして次の月曜日にはあっという間にカードが届きました。これをオンラインでアクティベートして終了!次回の旅行の時、長い列をスキップできるのがめちゃくちゃ楽しみですw

大谷ベイエリアで初登板、どんなもんじゃい!!

日本ハムファイターズというチームに、投げるのも打つのもいけるオータニという選手がいる、という話はずいぶん前に現地のラジオで話題になっていて知った。そう、ハム・ファイターズなんですよ、と食肉加工食品会社がスポンサーになっている球団名もちょっとアメリカ人のツボに入ったようだ。ハムの闘士。

そんな大谷さんが気づけばエンジェルスに移籍して、オークランドで初マウンドを踏むという。普段は選手が豆粒ぐらいにしか見えない安い席しか取らないが、今回ばかりはそんなすごい選手、一体どんなものか見たれ、と友人に内野席を取ってもらって観戦してきた。

我が家からオークランド・アスレチックスの球場まで車で5分。オープン戦となればセレモニーに登場する軍用ヘリが頭上を飛び、アスレチックスが勝つと花火がドンバン鳴るのが聞こえるくらいの身近な存在ではある。

ワールドチャンピオンになったサンフランシスコ・ジャイアンツに比べると、いや比べなくてもずいぶん見劣りするアスレチックス。何せ最後に優勝したのは1989年。でも松井も少しだけ在籍したことがある。藪もいた。岡島もいた(みんなどこに住んでたのかちょっと気になる)。

代々阪神ファンの家系なので、ジャイアンツとつくものはなんでも天敵というのもあるが、やはり地元なので我が家はずっとアスレチックスを応援している。金にものを言わせてオサレで豪華すぎるジャイアンツ球場とは対照的に、かなりガタが来ている感じの球場で、地元民がレッツゴーオークランドと叫び、駐車場ではワイワイと地元のヤンキー風家族がテールゲートパーティーをする、地元民に愛されている球団なのがとても良い。大谷が来たからとて、そこは変わらずきっちりA'sの旗持参で観戦である。

でも奥さん、大谷のピッチングは最初からこんなんでした

前日にはすでに指名打者で登場していた大谷、ピッチャーとしてはこの日が初登板。イースター当日ということもあり、実はそこまで球場は埋まっていなかったが、観客の日本人率の高かったこと・・。知り合いにも数人会ったし、私達の隣に座っていた人達はその知り合いの知り合いだった。そしてその前方に座っていた人達は、隣に座っていた知り合いの知り合いの知り合いだった。

それにしても大谷はでかかった。195センチあるらしい。マウンドに立った他のピッチャーと比べても、とにかくでかい。印象は何よりも「大谷でかい」に尽きた。ちなみに途中でてきたアスレチックスの投手Petitは大谷と比べてやっぱり名前の通り小柄だなぁ、なんて思っていたのだが、後で見たら185センチあるらしい。やっぱり大谷がでかい。


写真で見ると小さいが肉眼ではもっと近かった。

途中A'sに3点取られた時は、ほれ、そんなに甘ないで!と思ったものの、A'sのピッチャーがとにかくボロボロすぎた。さらにレフトの誰かさんが毎回ボールをポロポロ落としまくって、どんどん点を返され、気づけば勝利投手確定と同時に大谷さんはマウンドを降りていった。

9回裏にA'sは走者を2人出して2アウト、逆転のチャンスという盛り上がるシチュエーションになったものの、そこでも代打を出さずに9番に打たせて結局凡退というダメダメっぷりはさらに残念で、まさか大谷勝利に協力しているのかとまで思ってしまったが、大谷さんはLAに戻ってからも三試合連続ホームランを打ちまくる快進撃を続けている。ハムの兄ちゃんがどないなもんじゃいオラァ!と野次って見たかったが、有無を言わさぬ実力発揮にはハハァ〜とひれ伏すしかない感じである。

A'sが負けたのは残念だけれどなかなか良いものが見れた。日本のテレビ局のカメラもいっぱい来ていて、多分普段はあんまり野球見ていなそうな日本人もたくさん来ていたw

しかしイラッとしたのが日本にいる我が父で、娘と孫が今大谷の試合にいる!と嬉しそうにFacebookで他人に自慢してみたと思えば、A'sが負けたのを残念がる私達になぜか散々A'sをdisるLINEを送りつけて来たり、「勝ち負けで無い楽しみ方もしないとね、翔平ちゃん可愛いとか」などとわけのわからないメッセージを送ってきて、ミーハーおっさんまぢかなんわ・・まあそれほど日本中も湧いていた?んでしょうかね。

ちなみに娘のお気に入りの選手は、最近カーディナルズからトレードでやってきたピスコッティ。"Yummy Piscotty!"と、多分ビスコッティと間違えた応援をしていた。ちなみに彼は地元プレザントン出身で、スタンフォード卒。病気のお母さんの近くにいられるようにと温情トレードがあったらしい。ええ話や。

ずぶ濡れ色粉かけ祭り

愉快な陳家の春休み。今年は「うちはキリスト教徒ではありませんし」とイースターは華麗にスルーした。こんなの初めてかもしれない。でも卵に色つけたり草むらに隠したり、素敵なお料理作ったりは実のところ色々面倒臭い。

その代わりと言っては何だが今年もホーリー。インドの色粉かけ祭りには行ってきた。

本来は3月頃に2日間に渡ってやるお祭りらしいが、ベイエリアでは1ヶ月に渡ってありとあらゆる場所でこの祭りをやっている。以前はヒンズーの寺に行ったが、今年は行きそびれ3月の最終日、サニーベールの公園でやっている祭りに3家族連れ立って行って見た。

実際インドのホーリーがどんなもんなのかよくわからないのが本当のところなのだが、少なくともここベイエリアでは、色のついた粉を掛け合ってわーきゃー言って喜ぶのがお約束。主催者はインド関係のみなさんで、今回行ったところはボリウッドダンス教室やミュージカルをやっているダンスカンパニー主催だった。

ダンスカンパニー主催ならではなのか、ここではみんなが踊ったり色の粉をかけあうエリアに「ハリウッドの降雨マシーン」を設置して会場に雨を降らせるという、いかにもボリウッドにありそうな設定がなされており、西洋の音楽とインドのビートをうまいことミックスさせたなかなかイケてるDJの音楽に合わせて、皆がいかにもボリウッド的な感じで踊っている。

ちょっとあまりのずぶ濡れさに、ジップロックに入れた携帯を取り出してまで写真をとる気力がわかず、水のかからない安全地帯に避難してから遠巻きに数枚撮ってみたが、色粉がかかったところに上から水がザーッと降ってくるので、色とりどりの・・・と言うよりは、色粉が水で流れ落ち図工の時間の終わり頃の絵の具の筆バケツ的な様相になっていたw

それでもやはりハリウッド(ボリウッドではないらしい)仕込みの降雨マシーンはすごくて、あ、夕立がきた?と言う感じに実際雨っぽい雨が降ってくる。そして時々それが止むので、その隙になんとか会場を横切り、色粉をもらいに行くのであった。

さてこの色粉であるが、こんな感じに100キロ単位で用意されていたようで、両手を出して色粉のお恵みを〜、と分けてもらう。これを人の顔やら頭やらにべったり塗ったり投げまくったりして色まみれになる。

子供達も最後はこの通り。大人はまるでアバターのキャラのようになった。

ここの会場は狭くて水も降ってくるしそこにひしめき合ってわーきゃー踊り狂っているので、色粉まみれになって識別不能になった中から自分の子供を探すのはちょっと大変。

人間、着ている服や肌や髪の色で人を認識している部分が意外に大きいのだなあと言うことに気づく瞬間でもある。次回はよっぽど変な髪型にするか、変なサングラスや被り物をしていった方が良いかもしれない。

子供達もずいぶん楽しんだようだが、後半、踊り狂うインド姉ちゃんのエルボーが娘の顔面を直撃して子供のテンションが一気にダダ下がると言う悲劇にも見舞われた。これで本場インドでは酒も入ったりするらしいので、これはかなり危険もあるやもしれぬ。

そのせいで水没の危険を押してようやく撮った子供の写真は表情がかなりドヨーンとしている。エルボー姉ちゃんは謝ったが、周囲の子供達の存在が眼中になかったこの姉ちゃんには「遠い将来子供が生まれたら思い切り育児に手こずるが良い・・」と心の中で呪いをかけておいた(私の呪いは意外と効く)。

さてこの色粉だが、これだけべったり自分についたら落とすのが大変そうなのだが、まずパンパン叩くと結構取れる。今回はそこに水も加わったのでなかなかそうも行かなかったが、それでも洗濯したらホーリーに行ったと言う証拠はびっくりするほど跡形もなく消え去ってしまった。

シミ一つ残さないこのインドのすごいテクノロジーは一体何なんだろう。

そして今回気がついたのだが、顔にかけられた色粉はほんのり何か匂いがする。花のような、何かお香のような。どうも色によっても匂いが違うようで、それが混ざると今度は時々どこかからほんのり運子のような香りとなって漂ってくる。うーん、オーガニック。

この粉、写真のパッケージを見て調べたところgulalと呼ばれるものらしいが、実際自然の原料を使っていたりするらしいので、匂いもそこから来ているらしい。色々ケミカルを使ったものもあるらしいが、最近では「エコフレンドリー」「オーガニック」で「バイオ」な原料を使ったものが増えているらしく、そういうのは水で洗ってもパッと取れるらしい。

インドのgulalメーカーのサイトもいくつか見てみたが、やはり原料などは企業秘密なのか、オーガニックだバイオだとは言っているものの、実際の原料が何かは結局わからず。

そんなこんなで、卵に色をつける代わりに自分たちが色まみれになった春の1日でありました。

前回のはこんな感じで

marichan.hatenablog.com