愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

子連れスペイン旅⑥ 美しトレド

アトーチャ駅から30分新幹線に乗って、古都トレドへ。

アトーチャ駅、スペインに行く前に読んだ小説のタイトルになった場所だが、その感慨に浸る間も無く、慌ただしく電車に乗り込んだ。乗る前に金属探知機チェックがあったのは、やはりテロの余波だろうか。

乗客にアメリカ人が結構いる。窓の外の景色が、なんと無くベイエリアと似ている。スペインの入植者はカリフォルニアに多少は故郷と似た景色を見たりしたんだろうか、とふと思う。

よく考えたら(考えなくても)カリフォルニアは最初スペイン領メキシコ領だったりしたので地名は面白いくらいスペイン語だ。景色と聞こえてくる言葉、ふとアメリカに戻った気分に一瞬なった。

トレドは駅からして美しい。駅に着いた直後から観光客は激写である。

一方私は「ヨルタモリ」以来終点の車止めが気になる。

高台にある要塞都市トレド、西ゴート王国の時代に首都となった。日本だったら古墳時代ですってよ!

その後北アフリカからやってきたイスラム帝国ウマイヤ朝に支配されたが、「スペイン半島をキリスト教徒の手に取り戻そう!」キャンペーンであるところのレコンキスタキリスト教王国の支配下に戻ったりと、色々忙しかった場所。

どの名前も高校の世界史で覚えたなあ。教室で紙の上の文字でしか見たことがなかった世界が、目の前に広がって頭の中でカチッとようやくつながる。

そんな宗教の拮抗を物語るかのように、モスクだったところを塗り替えて教会にしたところ、そしてシナゴーグだったところを塗り替えて教会にしたところが残っている。

荘厳なキリスト教アートがとても苦手で逃げ出したくなるほどなのだけれど、まるで敦煌の洞窟のようにハゲかかった原始的な宗教画を見るのはとても好きだ。できた当時はキンキラキンだったのかもしれないが、これくらい寂れたほうがちょうど良い。

特にうっすら残っている天使の絵は、どの宗教のものでも異様に心惹かれる。

もともとスペインに住んでいたユダヤ人をセファラディ系ユダヤ人と呼ぶ。彼らは15世紀、イベリア半島ではキリスト教以外は全部お断りだ!と追い出され、世界各地へと散っていった。

スペインでは、イースターのお祭りの時に、飲み物にアルコールを混ぜて飲むことを「ユダヤ人を殺す」と表現する地域があったり、そのまんま「ユダヤ殺し」って言うのが地名になってるところもあるんだそうで、迫害の歴史がスペイン語にそういう形で残っているのもなんともはや。

トレドに残るユダヤ人居住区の名残と、セファラディ系ユダヤ人の博物館。

中庭では、イスラエルからの観光客だろうか、ヤマカをつけてヘブライ語で会話している人達が何か儀式をしていた。彼らももともとはここが故郷なのかもしれない。

今でもイスタンブールにあるセファラディ系のコミュニティでは、スペイン語をベースに、ヘブライ語、あとトルコ語などが混じった独特の言葉が残っているらしい。

さっきのスペイン語もそうだが、歴史の名残が、建築物や博物館に並べられているモノだけでなくて、実際に今生きている人達の中にも脈々と残っているのがなんともすごい。

いつも知らない土地に来ると、ここで育ったらどんな気持ちだっただろうと想像してしまう。不便と隣り合わせながらも歴史の上に住む生活は、魅力的ではある。部屋の日当たりは悪そうだけれど。

坂の途中に立っている大学からは、お昼休みにわーっと学生達が出てきた。

あそこも行った、あれも見た、これも食べた、トレドではこれがオススメ!などと・・とつい書きたくなるが、しばし都会の喧騒から離れ、広大な風景が目下に広がり、鐘の音が聞こえる高台の公園で子供を遊ばせつつベンチで夢心地にぼんやりとしてみたり、路地に迷い込んでみたりとのんびりと過ごした、美しトレド。