愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

クリスマスの古い映画2本

赤鼻のトナカイ

クリスマス、飲茶以外に我が家の伝統になりつつあるのが、テレビでやっている「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」を見ること。1960年代に作られたストップモーション・アニメなのだけれど、今でもキャラクターグッズが出たりと人気があって子供が毎年見たがる。

しかしこれ、酷い話だな。鼻が赤いという身体的特徴を持って生まれたルドルフを見てサンタ、大きくなっても橇は引かせないと速攻メンバーから除外宣言。まず差別いじめの発端を作ったのがこのクソサンタ↓

Rudolph the Red-Nosed Reindeer

Rudolph the Red-Nosed Reindeer


両親は、周囲に鼻が赤いことがバレないようにとルドルフの鼻に黒いカバーをかけて生活させる。しかし不幸にも赤い鼻がバレると周囲からは嘲笑され、仲間はずれにされ、そしてルドルフは群れを去る。

その後はまあワチャワチャあって、最後はめでたしめでたしなのだが、吹雪の時に赤い鼻が便利じゃなかったら一体・・・。なんだか社会のイヤな縮図を見るような話なのであった。

サンタクロース・ザ・ムービー

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1985年、私が今の小さいさん位の年齢の時に劇場で見たクリスマス映画を、子供と一緒に見た。

子供におもちゃを作ってクリスマスに配るのが好きなクラウスというおじさんが、クリスマスの日に奥さんとともに吹雪で遭難。エルフに助けられそのまま北極に連れていかれ、永遠の命をもらってサンタクロースとなる。

サンタのワークショップは、長年エルフにより木工玩具がマニュアル生産されていたが、ある日イノベーティブなエルフ、パッチが、木製ではあるがパーツの色塗りからおもちゃの組み立てまでを全て自動で行う新しい生産システムを開発、導入する。

一見オペレーションは成功に見えたが、設備保全、品質管理というプロセスが入っていなかったため、出来上がったおもちゃはすぐに壊れてしまう粗悪品ばかり。クリスマス翌日にはサンタの前に未だかつてない返品の山が築かれた。

サンタを喜ばせようとオートメーション化を図ったものの失敗してしまったパッチは、失意のうちに北極を後にし、なぜか80年代のニューヨークに現れる。そこには金儲けのために粗悪どころか中に砂やら釘やらが入っている超危険なおもちゃを製造するビジネスマンB.Zがおり、騙されたパッチは彼とタッグを組み、なめると空を飛べるキャンディーの開発に従事してしまう。

そんなこんなで、悪の手にはまってしまったパッチを助けようと、サンタ、そしてサンタが知り合いになったストリートキッズの男の子、そして両親がなくなり、B.Z.に養われている姪っ子とともに橇で救出に向かう・・・という話。

普段映画館になど連れて行ってもらったことはなく、東映まんが祭りも遠い世界の出来事だったのだが、なぜかこの映画は劇場で見た。実は公開時アメリカでの評判は散々だったらしいが、ネットも無い当時は、全米ナンバーワン!全米が感動した!などと言われればおおそうか、と言われるがままに見に行ったり立派なパンフレットを買ったりしていたのかもしれない。

子供の目には色とりどりの巨大なサンタのワークショップ、そして木製なのにハイテクなおもちゃ製造マシンなどのセットに心奪われ、そしてニューヨークという街に登場するアメリカの子役がすごく特別に見えたものだった。なぜかこの子役の女の子にもすごく憧れた。

そしてこれを初めて見た32年後、再びこの映画を自分の子供と見て、意外と出番も演技もあっさりした子役達にあれぇ?となったり、80年代のニューヨークを見てうははとなったり、当時字幕で見たはずなのに意外と色々覚えていることにへぇぇとなったり、今は思い立ったらストリーミングで意外と気軽に見れることにいいねぇと思ったりしたのであった。

悪役が若い頃のジョン・リスゴーなのだが髪型のせいか今とあまり変わらなかったり、パッチ役がダドリー・ムーアという実は有名なコメディアンで、メインキャラクターは実はサンタクロースじゃなくてパッチだったらしいことも今頃知った。

そして私が憧れた子役の女の子はその後役者業は辞め、弁護士になり、今は作家を目指しているらしい。実は東京生まれだというのも初めて知った。


Santa Claus: The Movie (1985) Trailer

愉快的陳家のクリスマス2017

2017年もぼやぼやしているうちに終わりが近づいてしまった、今年は本当にぼーっとしている間に過ぎてしまった気がする。と言っても全く何もしていなかったわけでは無いみたいなので、覚えてないだけみたい…このブログも含め、どこかに書きつけて置かないとすぐ忘れてしまう。

2017年のクリスマスも相変わらず食い倒れて過ぎて行く。

イブの前に、島の友人達と食い倒れ。こういう時でないとなかなか作るチャンスがないロールケーキを作っていった。

結構活用している福田和子さんの和のスイーツ本より、今回は抹茶スフレロールケーキ。

 クリームに抹茶を入れず、ラズベリーを入れてみたけれどちょっとラズベリーの味が浮いてしまった。次はちゃんと抹茶を入れてパンチをきかせよう。

和スイーツの本 (マイライフシリーズ 728 特集版)

和スイーツの本 (マイライフシリーズ 728 特集版)

 

腹を抱えて笑って食べて楽しかった。が、家に帰ったら一体何の話をしてあんなに笑っていたのか思い出ない…!(笑)

 島の日系教会でのお餅つき。

 毎年この教会に通うお友達に呼んで頂き、ちょっとお手伝いもしつつお餅を分けてもらっている。教会メンバーの高齢化が進んでいることもあり、こういう場ではよく働くパパは結構あてにされていたらしく、今年もあの人来るの?と言われていたそう…(笑) 

https://www.instagram.com/p/BdD8sJcgcN8/

見渡す限りの餅餅餅。

この島、戦争前はとても大きな日系コミュニティがあったのです。またその話はいつか詳しく。

翌朝の朝食にはもう早速つきたてお餅。 

クリスマスのブランチは相変わらずの、家族飲茶。毎年何が嬉しくて、1時間も待って大混雑の中飲茶を食べるのかは謎ですが、やらないならやらないでちょっと寂しいこの儀式。

クリスマスで街が静寂の中、中華料理屋の前だけは飲茶待ちのチャイニーズ一家で大混雑するのがお約束。中には白人だけのグループもあったりして、クリスマスと言ってもトラディションは一つだけでは無い、家族それぞれ。

我が家は家族10人でわあきゃあ言いながら、迫り来るカートからいつも通り餃子や焼売やピックアップしては喰らい付き、最後にはカートにあったマンゴープリンを全て争奪。

そして午後は午後で友人宅でまたもやクリスマスのご馳走三昧。

 

 

#glühwein #mulledwine #グリューワイン Christmas feast number 2 砂糖の塊燃えてます

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燃えさかる砂糖の塊が入ったグリューワインを飲みながら食べ物の写真を撮る暇なぞなくまた飲んで喋って、また一体何の話をしてたっけ?

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子供達はジュースやらひっくり返し、大人はいつも通り寝始めるものあり、酔っ払うものあり、なんだか遅くまでよく飲み食べたクリスマス。もう翌日の静寂が、少し寂しい。

モスクワバレエのくるみ割り人形

クリスマスといえばくるみ割り人形

バレエ音楽を演奏することはあってもバレエそのものはあまり馴染みがなかったが、やはり娘が生まれ、バレエ教室に通うようになってからは見る機会が増えた。とはいってもだいたい冬にくるみ割り人形、なんですが。

アメリカでクリスマスにくるみ割り人形を初演したのは実は地元、サンフランシスコ・バレエなんだそう。一度見に行ったが、やはりこの時期ぐん!とチケットがお高くなるので、子供とはもっぱら地元のバレエ団やら子供のバレエ教室のくるみ割り人形を見るに止まっている(本人は踊るのは好きでも舞台に上がるのは嫌なんだそうで、出演経験はナシ)。

地元の踊りを見るのも良いけれど、今年は「モスクワ・バレエ」の公演もあるというので、友人Tと私、子供と女子3人で、見に行った。小さいさん、初のプロバレエ団鑑賞はまさかのロシヤ!

Palace of Fine Arts内の劇場は小さめで、かなり後ろの席だったがそれでも22列目ぐらい。天井桟敷のような席から豆粒のようなダンサーをようやく見ていたサンフランシスコ・バレエと比べるともう至近距離もいいところ。踊っているダンサーの足音もちょっと聞こえるくらいだった。

オーケストラはさすがに入らず録音だったが、普段見慣れている演出とはやはり色々違うのが面白い。登場人物の名前がクララではなくてマーシャだったり、くるみ割り人形を持ってくるドロッセルマイヤーおじさんが結構本気で踊ったり。

シュガープラムフェアリーの踊りなども、フェアリーでは無く、クララ(じゃなくてマーシャ)と王子が、色々な踊りを見せてもらったお礼に自分達も踊っちゃう、という設定になっていたり、他の登場人物が踊っている間、椅子にじーっと座って一緒に鑑賞する、という演出もなかった。

くるみ割り人形で個人的に一番楽しみにしているロシアの踊りは、さすがにロシアのバレエ団なのでちゃんとコサック風なアレンジになっていて良かったが、それよりアラブの踊りがほぼ雑技団のようなものすごい曲芸で、一番拍手を集めていた。

それにしても特に男性ダンサー、あんなに跳躍しながら回転できたら気持ちいいだろうな〜。そしてあんな振り付けを全部覚えられるのがすごい。群舞なんて1人間違えれば台無しだと思うとそれだけで滑ってコケてしまいそうだ。アメリカ中ツアーをして、冬場の体調管理もしてコンディションを整えて・・バレエの世界はストイックなアスリートの世界だな。なぜかそんなことばかり考えながら観てしまった。

子供は平日の夜だったので最後少しぐったりしていたが、ちょっと長かった、と言いつつ面白かった模様。バレエも「やりたい」と1年ほど言い続けたのでレッスンを始めてもう3年ほどになるが、練習のルーティーンがこういう表現につながる、というところまではまだピンときてないと思う。自由に踊らせると習ったことを取り入れてそれなりの動きをするのに、練習中や教えられた振り付けになると途端に体操みたいになる小さいさん。あとどれくらい続くかな・・・。

さてこのバレエ団、モスクワ・バレエという伝統のバレエ団があるのかと思ったら、北米を中心にツアーを専門にやっているところらしい。もともとは、1980年代、ゴルビーペレストロイカの時代に「グラスノスチ・フェスティバル」という、いわばソ連の文化紹介イベントみたいなものをきっかけに作られたようで、ボリショイだマリンスキーだ、他のソビエトブロックのバレエ団に所属していた人達の選抜チームみたいな形でアメリカを回ったのが始まりのよう。

今の時期などは同じ日に違う都市で2公演ずつやったりしていて、いくつかチームがあるみたい。よく見るとウェブサイトもナットクラッカー・ドットコムだったり、地元の子供がオーディションを受けて地元開催の舞台に一緒に立てるワークショップもやっていたりと、なかなか商魂たくましい!

モスクワに行っても観られない、モスクワ・バレエというわけだったのでした。



ちなみにサンフランシスコ・バレエのくるみ割り人形で一番好きなのは「中国の踊り」。モスクワ・バレエも含め、他のバレエ団がかなり偏見に満ちた「中国人」の描写をするのに対し、ドラゴンが出てきたりしてさすがサンフランシスコという感じでとても良い。

www.youtube.com


私が見に行った時には山本帆介さんという日本人のソリストが踊っていてそれもとても良かった。

読書記録まとめて

2017年、地元の図書館にある日本語の本を読み漁るシリーズを始めました。図書館から適当に掴み取ると存在さえ知らなかった作家の作品が読めるのはなかなか楽しいです。なぜかインスタグラムのほうに読書記録を一部アップデートしていたので、それをこちらにも。

つまをめとらば

つまをめとらば

初めて読んだ。なかなか良かった。

この本に限らず、平和な時代の武士が出て来る小説は読んでいて何となく、枠の形は今のサラリーマンに相通ずるものもありそうな、なさそうな。どっちかというと昭和のサラリーマンかしらん?

実際にこの時代の人が今の時代小説読んだらどう思うのかしらん。やっぱり現代と共通する思いの割合が多いのか、当時は実は無い感覚がここには書かれているのか。そう思うと、数百年後に今この時代を舞台に書かれる小説がどんなものかも、興味ある。

煙の殺意 (創元推理文庫)

煙の殺意 (創元推理文庫)

火曜サスペンスとか土曜ワイド劇場とか母が好んで見てたけどなんで人は殺人事件がそんなに好きなんでしょう…!ありとあらゆる方法、形で人が殺されるエピソードがこんなに巷にあふれる不思議。

泡坂妻夫は状況証拠さえない警察の単なる空想妄想で犯人決めるのはコワイコワイ!本来は犯人逮捕でめでたしめでたしではなくて、ちゃんと起訴裁判判決まで持ち込めての事件解決。その点アメリカのテレビドラマ「Law and Order」刑事・司法すべて網羅してて良い番組だ、日本でもそういうのあればいいのに。

綾辻行人は登場人物が漫画のキャラクター風でした。

姫椿 (文春文庫)

姫椿 (文春文庫)

浅田次郎も何冊か読んでみた、どれを読んでも何となく雰囲気は覚えてるんだが、翌日には何故か後にあまり何も残らない。高倉健が駅員の格好してぼーっと立ってるのは覚えてるけど、内容なんだっけ?みたいな。どの話もテーマとしてはみんな人生色々、みたいな感じであってますか…

不信のとき〈下〉 (新潮文庫)

不信のとき〈下〉 (新潮文庫)

不信のとき(上)

不信のとき(上)

不倫は文化と言って叩かれてた素足のおっさんいたけど、色んな小説読んだり日本の友達の話きいてるとあながち間違ってないというか、文化というか長くから日本に続く習慣(悪習)で合ってるでしょうと思ってまう。この本もそういう話かーいと思っていたら最後に急に当時の社会の変化最先端を使ったそういうどんでん返しかーい!それにしても色々あー怖おー怖、嘘の上塗りキモっ!

恍惚の人 (新潮文庫)

恍惚の人 (新潮文庫)

子供の頃、これを下敷きにしたテレビドラマの予告編を見てものすごい衝撃というかショックだった記憶が(調べてみたら多分大滝秀治さんがやってたバージョン)。 それ以来見るのも読むのもなんだか怖くて触らなかったのだけど、とうとう読んだ。他に読んだ作品は、戦中、戦後を通じて代わりゆく価値観や時代の中で生きる女性、というテーマが多かったけれど、この痴呆老人と介護の話は、1972年の作品だというのに、現代に置き換えてもほとんど違和感がない。

生きていくという形は時代によって色々なのに、老い死んでいくというのはいつになっても同じような形をとるんだろうか。両親も終活だなんだとやっているが、終わり方だけは願ったようには必ずしもならないし、周囲の家族もどのタイミングでどういう状況になるのか・・。自分も歳を重ねるにつれて、ずんずんずんずん重くなるトピック。


有吉佐和子の本は図書館にたくさんあって他にも色々読みました。図書館の本って時々こういう書き込みがあるから面白いw

まだ続く。

最後の秘境東京芸大

友人がなぜか貸してくれたこの本。

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

入試倍率は東大の3倍!
卒業後は行方不明多数!!
「芸術界の東大」の型破りな日常。

才能勝負の難関入試を突破した天才たちは、やはり只者ではなかった。
口笛で合格した世界チャンプがいると思えば、
ブラジャーを仮面に、ハートのニップレス姿で究極の美を追究する者あり。
お隣の上野動物園からペンギンを釣り上げたという伝説の猛者は実在するのか?
「芸術家の卵」たちの楽園に潜入、
全学科を完全踏破した前人未到の探訪記。

色んな学部に所属する東京芸大生にインタビューして、知られざる芸大生の日常をレポートしたもの。はてなでいくつか購読している書評ブログでも話題になっていて、心に残っていたので思いがけず手に取ることができてラッキーでした。

この本のことをネット上で目にするようになった時、「芸大は天才、変人の集まり、その実態が明らかになる!」みたいな感じが全面に押し出されていたのだけれど、これを読んで、「芸大は変なところで、芸大生は変だ」だけの感想で終わってしまうと少しもったいないなという気もした。

そこから見えてくるのは、ストイックに真摯に自分の好きなものに向き合う姿ばかり。

音楽系の学生はら商品価値としての自分を磨き身だしなみに気を使ったり、ネットワークを広げたり、そしてストイックな練習を続ける。楽器が体の一部になるので、骨格は歪む(私でさえ、フルートで体が歪んでいるので、ああみんなそうなんだ・・とちょっと嬉しく?なった)。

芸術系の人達はかなりガテン系、扱う材料は重かったり熱かったり手が荒れたり、そして工事現場で使うような機材をガンガン使って作品を作っていく。学校に毎日通って机に向かって・・というような分野ではないから、ほとんど学校に来ず音信不通風な人もいるし、ほぼ学校に泊まり込んでいる人達もいる。

時にその分野があまりにニッチでマニアックすぎたり、色々考えが嵩じて半裸のパフォーマンス的なことをする人が出てくると、イロモノ扱いされてその話ばかりが一人歩きしてしまうけれど、学生時代にここまで突き詰めて打ち込めるものがあるということに、自分はただただ羨ましいなぁと思ってしまった。

読んでいてこれがそこまで変わった世界だと言う印象を持たなかったのは、シリコンバレーのエンジニアだけでなく、それ以外にも自分の手で何かを創り上げる、いわゆるメイカー精神満載、職人的な人達の多いベイエリアに住んでいるからかもしれない。卒業後音信不通になってしまう人が多かったり、就職が決まっていない人の方が多いというのも、私の通っていた日本の大学も、卒業したらすぐ就職、が必ずしも当たり前という感じではなかったので(バカ山で転がっていた人はわかると思いますw)、まあそんなものかもなぁ・・と思うに止まった。

逆に読んでいて心に残ったことをいくつか。

  • 著者の奥さんが現役の芸大生で、拾ってきた材料で道具でも家具でも自分の手で作ってしまう。机に向かって勉強ばかりしていた身としては、自分の手でパッと何か作れる人の方が凄い、いいな、と思う。こういう人の方が生きていくスキルは強い。
  • 個人でも制作活動は出来るけれど、大学に行けば個人では絶対買ったり使うことができないような機材が使える、芸術を「教える」ことはできないけれど、そういう場を提供することで自分の可能性を広げられる大学という場の大切さ。
  • 音楽でも美術でも、パフォーマンスする側、創る側に情熱を傾ける人もいる一方で、途中から、そういうもののマネージメント、芸術を人々や社会と繋げたい、という方向に目覚める人もいる。「芸大生」のラインからすると、これはある意味脱落したことになってしまう面もあるのかもしれない。でも実はこうやって、二つの世界の橋渡しをして、芸術を社会や経済に還元する手助けをしてくれる人達がいることはすごおおおく、すごおおく大事なことだと思うし、そういう人達がどんどん活躍してくれる世界になるといいなと心から思った。
  • 先のことを考えずに今のこと、今の制作に全力投球。卒業時点で就職先がない「ダメ人間製造大学」。でも先の先のことばかり考えて将来設計をしているような人はやっぱり芸術家としては成功しないんだろうな。でもそうやって生きている人がいてもいいじゃないかと頑なに思ってしまうのは、音楽で食べていくことの大変さを散々吹き込まれて、音高受験を潰された私の小さな恨みからくるものかもしれない、というか絶対そう(笑)そしてそういう人達の累々とした屍の上に、一握りだけ、芸術家として成功する人が出てくる。でも屍の一つになっても、その時本当にやりたいことをやり切った感があれば、きっと後悔はないんじゃないだろうか。これは芸術だけでなく何に対してもそうかもな。