愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ギルドホールのギャラリー

サラリーマンが行き交う金融街にあるバンク駅。

地下鉄の駅を出ると、歴史も質感も重厚な石造りの建物、銅像の数々。白い背景の街を行き交うビジネスマンは皆ダークスーツ。

シャープで格好良く見えるけど、オフィスの窓から見えるデスクはコンピューターのモニターがぎうぎう、そしてデスクの上に置いてあるのはコーンフレークの箱。やれやれお疲れ様です。

ちょっと自由時間があるうちにと、行きたい所に目星をつけてここにやってきたけれど、ふらふらと歩いていたら、ふと目に入った建物に吸い込まれてしまいました。

ギルドホール。

ギルド、歴史の授業で習った、中世の同業組合。日本で言ったら農協とか漁協とかのもっとすごいやつ・・ってちょっとだいぶ違うか。1411年に建てられたというから、日本でいうと室町時代

やっぱり古い建物は、雰囲気が違う(全部が当時の建物ではありませんが)。色々なものをくぐり抜けてきた、凄みがあるというか。そしてこの空間の感じが、なんとも言えません。

ギルドホール、王室の支配とはまた別に、ロンドンの経済、そして政治を牛耳っていたギルドの力の象徴、権力の中心地だったと言えるのかな。これまた歴史で習った宗教改革が起きた時は、王室関係者の裁判もここでしたそうです。

ロイヤルファミリーに反逆罪で死刑!などと判決を下したこの場所、現在はイベント会場にもなっていて、色々なパーティーや会合に使われています。なんかすごいんですけど!私が行った時も、ケータリングのトラックが色々搬入中でした。

そして建物の一部はアートギャラリーになっています。太っ腹のロンドン、ここも入場は無料です。

建物の中に恐る恐る入ると、赤いカーペットのちょっと古臭い内装のフロアに、ラファエル前派、ヴィクトリア朝時代の絵画が並んでいます。

実はラファエル前派と言われても詳しくは知らなかったのですが、ここではヴィクトリア時代の人々の生活、変わりつつある世相など、テーマ別に絵が並べてあり(例えば当時のデートの仕方とか)、当時のイギリスの人々の日常や風俗を知るという点でも興味深いです。

静かなフロアには小学生のグループが遠足でやってきて、学芸員の説明を足をプランプランさせながら聞いています。本当にそれくらいしか人がいなくて寂しい・・

と思ったらこのギャラリー、地階がすごいことになっていました。ここからは、もう個人の勝手な興味で気になったところだけを。

絵というより空間が気に入って撮った写真。なので角度が微妙ですが、一番右側にかかっている赤いガウンの絵は、私が勝手に「火事場判事」と名付けた人の肖像画です。

1666年、ロンドン大火と呼ばれる大火事がありました。今はレンガ石造りの建物ばかりのロンドンですが、当時は木造の建物ばかり。犠牲者は少なかったらしいですが、街の4分の1が焼けるなど、建物への被害は甚大だったそう。今でも子供たちはこの時の火事のことを歌った童謡を学校で習ってきます。

そんな火事のあとの補償調停をするために、専門の法廷が作られ、22人の裁判官が任命されたそう。この変な角度で写っている赤いガウンの人はそのうちの1人です。22人全員分の肖像画が描かれたのが、ギルドホールのアートコレクションの始まりなんだとか。

22人の裁判官の肖像画はギルドホールに長年飾られていたそうですが、戦争中ドイツの空襲で焼けてしまい、今では2人分しか残っていないんだそうです。

1700年代のコベントガーデンを描いた絵の前では、二人連れのおばちゃんが「見て!この建物の2階今の私のオフィスよ!」と大フィーバー。今ではオペラハウス、レストランやお店が立ち並び観光客でごった返す場所ですが、その頃は市場。野菜や果物を売っている屋台が描かれていました。

「今ここら辺にアップルストアがあって」などと盛り上がる2人の会話、後ろから「今も昔もここではいろんなタイプのりんごが買えまんねんな」と突っ込みたくなりましたが、できなかった・・

火事で焼け出されたり、空襲にあったりと大変だったギルドホールですが、ロンドンの街は大戦中、数多くの空襲で大きな被害を受けました。ドイツからの空襲のことはこちらではブリッツ、と呼ばれています。

これは空襲の被害をまとめた地図の一部。戦争が終わった後の復興計画の参考になるようにと、空襲があると調査員が行って被害を確認し、作ったのだそうです。ずいぶん先を見越していたんですね・・。建物の被害ごとに色分けがされています。

そういえば日本で空襲の被害の細かい記録ってつけられたんだろうか。ロンドンのはすごく細かく残っていて、Google Mapでも確認できるようにもなっています。これで家の近所を見てみると、実際比較的新しい建物が建っているところは、空襲受けた場所だったのがわかったりする・・。

ロンドン数学会の展示もありました。

ユークリッド幾何学の教科書だそうですが、19世紀にこの色使い、可愛い!

ここで気になったのが、女性数学者、エイダ・ラブレスという人のこと。ロンドン数学会の初代会長、オーガスタス・ド・モルガンに教えを受けた人物としてここでは紹介されていたのですが、詩人バイロンの娘で、当時別の数学者によって考案された「解析機関」、いわばコンピューターの前身的計算機の研究をしていた人だそう。

Ada Lovelace.jpg
By Margaret Sarah Carpenter - Art Work Details page.
Original upload was at English wikipedia at en:File:Ada_Lovelace.jpg, Public Domain, Link

この解析機関、実際作って動かすことは当時の技術では無理だったようですが、彼女の考えは計算の先を行く、コンピューター音楽やAIにつながるものだったそうです。

細かい説明は読んでもちんぷんかんぷんでしたが、そんな女性がいたのをまず知らなかった、19世紀にすでにそんなコンセプトを持っている人がいたのがすごい、そして彼女を世界初のプログラマーと呼ぶ人もいるそうです。世界初のプログラマーが女性!!しかもビクトリア朝の時代!!たまらん!

数学会の初代会長の息子さんはウィリアム・デ・モルガンと言って有名な陶芸デザイナーなんだそう。彼の展示もどーんとありました。

欲しい。

数学者の息子である彼も数学がとても得意だったそうで、彼のデザインは数学が生かされているんだそうです。二次関数なんて何に使うのかわかんなーい、人生で使うことなんてないしぃ、なんて言って数学を投げ出そうとしている中高生のみなさん!!

数学は人生で使います。思いもよらない世界が開けます。やっとけ!!

でも彼のデザインにどう数学が生かされているのか私には説明できない・・なぜなら文系受験と言って数学投げたからw 社会人になってからきちんとやっておけばよかったと後悔、今頃頑張ってますが苦労してまっせー

ウィリアム・デ・モルガン、その後陶芸、タイル制作がビジネスとして芳しくなくなると、文筆家としても才を表し小説を出版したりもしています。うーん、ルネッサーンス。

さらに驚くべきことに、このギルドホール、実はローマ時代の遺跡の上に建てられていることが、結構最近判明しました。

ローマ時代の円形劇場(ちょっとぶれました)!!地下に降りていくと、発掘した姿を見ることができます。

グラディエーターとか、映画でやってたようなあんなことやこんなことが、この場所で行われていたんですね・・。ここで実際にどれだけのことが行われていたかは確かじゃないみたいですが、ローマでは一度に数千人規模の人が死ぬような闘剣スペクタクルもあったんだとか・・・。

人々が闘剣に熱中したのは、今でいうとガチのプロレスみたいなもんだったんだろうか。そこには死を恐れぬ勇気を讃える面もあったとは言いますが、人が死ぬのを見るのがエンターテイメントだった時代って、嫌すぎる!!処刑なんかもこういうところで行われたとか。

それにしても、ローマ人って本当に遠くまで来たんですねぇ・・

そんないろんな人が入れ替わり立ち替わりやってきて作られたロンドン、現代でもいろんなところから人が入れ替わり立ち替わりやってきているわけで、実はそんな流れは昔から変わっていないのかもしれない。

ロンドンって、街の歴史からしてもう深くて複雑で面白くて、知れば知るほどはまってしまいます。もともと行くつもりではなかったギルドホール、フラッと入ってみたらなかなか面白いものが見れました。

ギルドホールの近くには、そんなロンドンの歴史そのものを知ることができる博物館もあります。また機会があればここにも入り浸りたい。

marichan.hatenablog.com

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