愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ロンドン散歩:門の外

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Aldgate Pumpの近くにある教会、聖ボトルフ教会です。

この教会、地図で見ると正式名称がSt Botolph without Aldgateとなっています。最初この「Without」の意味が良くわかんなかったのですが、

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600メートル離れたところにも、St Botolph without Bishopsgateという教会がありました。さらに西にいくと、もうひとつSt Botolph without Aldersgateという教会がある模様。

このWithoutという名前、この教会が全部昔あったロンドン・ウォールの「外側」にあったから、そう呼ばれていたらしい。そうか、Withoutというと、つい何かモノがない状態を想像してしまいましたが、Within, without the wall って意味で使われてたのか。

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この地図のオレンジや青の点が、昔の壁が残っている場所、そして~gateと呼ばれる門があったところ。教会はこの門の近く、そしてこの線に沿ってあった壁の外側にあった、というわけなんですね。

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ローマ時代の壁の残り、時々見かけます

ロンドンにいくつかある~Gateと呼ばれる地名、もうどこにも門は残っていないけれど、昔はこのローマ時代に建てられた壁の内側、外側を行き来するための門がいくつもあって、その名残だったんですねぇ。虎ノ門にもう門が無いのと同じか。

この他にも、St. Botolphと名付けられた教会はBillingsgateにもあったそう。でも1666年のロンドン大火で焼けてしまい、再建されなかったとか。

こうやって地図で見ると、昔のロンドンって本当に狭かったんだなと感じます。そんな中にいくつも教会が建てられた聖ボトルフさん、日本でいったら奈良時代ぐらいにイギリスにいた聖職者らしい。

Sufforkというロンドンよりずっと北にある場所に修道院を建てたり色々したらしいのですが、彼の死後300年ぐらいして、当時の王様が彼の遺体をバラバラにして運び、ロンドンを始め色々な場所に埋葬したんだそう。頭部はあっち、胴体はこっち・・・ヒ~

ロンドンではウエストミンスター寺院に運ばれたそうなのですが、ロンドンに運び込まれる時はさらに4つにバラバラにして、上記の4つの門からロンドンに入った・・・・ので、それにちなんで門の近くに教会が建てられた説があるらしい。

あと、彼は農業や旅の聖人とみなされているそうなので、旅人を見送ったり迎えたりする門の近くに教会がある、というのは頷けます。

さらにBostonという地名も、もともとはこの聖ボトルフにちなんだものなんだそうです。「Botolph's town」という意味なんだとか、あーーなるほど。

イギリスにあるボストンは、Sufforkよりももっと北のほうにある小さな町。

地図で見ると、街の中心にはちゃんと聖ボトルフの教会がありました。