愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

我が家の餃子について


我が家の愛読雑誌あこがれのフード・トラベルマガジンSAVEUR(愛読、といってもその写真を眺めてため息をつくばかりなのですが)。この雑誌で紹介されるレシピはかなり正統派で、写真もスタジオでキレイな照明を使って撮影されたもの、というよりは、現地のマーケットや家庭の食卓、レストランなんかでそのまま撮られた「素顔の」料理のスナップ写真が多い。日本料理の紹介も、ある時は「一番だし」「二番だし」の取り方が詳しく紹介されていたり、なぜか「むかご飯」のレシピが載っていたり(むかごなんてどこで調達するねん!)。読むのはたのしいのですが、この雑誌から日々のメニューを組み立てようと思うと無理があることもしばしばです(よってこの雑誌を元に料理したことはほとんど全くない・・)


といいつつ、この雑誌が料理本を出すとついつい買ってしまう。まいにちの料理には使えない雑誌といいつつ、このイタリア料理のレシピは我が家でだいぶヘビロテされています。

Saveur Cooks Authentic Italian: Savoring the Recipes and Traditions of the World's Favorite Cuisine

Saveur Cooks Authentic Italian: Savoring the Recipes and Traditions of the World's Favorite Cuisine


そしてつい最近、また新しい料理本が出たのをついつい買ってしまいました。

Saveur: The New Comfort Food: Home Cooking from Around the World

Saveur: The New Comfort Food: Home Cooking from Around the World


何料理、というジャンルを超えて、食べるとほっとする料理、「Comfort Food」という切り口でレシピを集めた料理本です。表紙にあるのは見ての通りポテトグラタン。この他にもイタリアのミートソースパスタ、アメリカのコーンチャウダー、インドのチキンカレー、イスラエルのシャクシューカなどなど、世界中のおふくろの味的な、ハーティーな料理が色々と集まっています。


キムチパンケーキ(チヂミ?)とか、トムヤンクンとか、中国の焼きそば、っていうのも入っていたけれど、ちと気になったのがアジアのレシピが少ないということ。しかも日本のものに至ってはひとつも紹介されてないっ!まあ二番だし使えとかムカゴ拾ってこいとか言われたら、ちっともほっとしない料理ばかりになりそうですが・・・。


で、自分にとっての「日本のコンフォートフード」って何だろうとふと考えた。日本に帰って日本で食べる料理は和食でなくてもほっとする気がするし、みんながよく言う「お母さんの作ったカレー」のように、必ずしも和食というわけでもない。色々考えたら自分のコンフォートフード、かなり長いリストができてしまったけれど、その中のひとつが「餃子」でした。かならずしもほっとする食事の「ナンバーワン」ではないけれど、よく作るし、小さいさん出産前には大量につくって冷凍もしたりしていた。


日本で餃子というと、「焼き餃子」が多いとどこかで聞いた覚えがあるけれど、私が実家で食べて育った餃子は、水餃子である場合が多かった。でもその食べ方がちょっと変わっていて、普段味噌汁に使うお椀の中に、茹で汁も一緒になってサーブされていた。といってもスープ餃子というわけではなく、お椀の半分ぐらいまで茹で汁が入っていて、そこに餃子がぷかぷかと浮いている。そこに醤油とお酢をかけてつるっと食べる。食べ終わると酢醤油の味がついた汁が残るのでそれも飲んでいた。そんな感じだから、餃子は湯切りされておらず、茹で汁とともに鍋の中に入ったまま。なので売れ残りの餃子は、鍋の底で無残にもバラバラにふやけていたことも多々あった。


当時はそんな食べ方が当たり前だと疑いもしなかったが、大人になってあまりそんな話も周囲では聞かず、広東系の旦那に至ってはそんな食べ方アリエネエと言うので不思議に思って母に聞いたところ、これはどうやら母方の祖父から受け継いだ食べ方らしい。大連で育った祖父は週末には自分で餃子を皮から作ったりしていたらしく、茹で汁も栄養があるんじゃと言って一緒に飲んでいたらしい。これってもしかしたら中国東北部の食べ方なんだろうか。私が知る祖父は料理なんか全くしなかったので、今となっては皮から作る餃子、ちょっと食べてみたかった。


どこまで母が祖父の作り方を受け継いだのかは不明だけれど、実家で作る餃子は至ってシンプルで合挽き肉にキャベツだか何か葉物と、ネギ・生姜も入っていたと思う。祖父の餃子は牛肉主流だったらしい。味付けは塩コショウのみ。皮は市販のもの。夕飯前に餃子を包むのは、結構好きで進んでやった数少ない手伝いのひとつだった。タネより皮が多く残ることが多かったので、餃子の皮を折り曲げずに、丸いまま2枚使って餡をどらやきみたいな感じで包み、UFO餃子を作ったりした。焼き餃子もたまにあったけれど、母の焼き方のせいか油でギトっとしていて結構重かった。焼き餃子が出る日は、これまた余った皮にプロセスチーズを包んで焼いたものがおまけで出てくきて、こっちのほうが楽しみな位だった。


母の餃子の包み方は、ただ餃子の皮の縁を合わせただけのもの。でもある時、珍しく大阪の実家に叔父一家も一緒に集合して餃子を作ったとき、手先の器用な叔母がヒダを作る方法を教えてくれ、それ以来私が包む我が家の餃子はキレイにヒダがつくようになった。叔父はその後叔母と離婚してしまったので、あれ以来叔母と会うこともなくなったが、今思うと小学生の時に教わった餃子の包み方だけが残っている。


その後アメリカに渡り、ニューヨークの学校で仲良くなった日本で育った台湾人と餃子を作ったとき、餡に直接味をつける方法を教わった。それから私が作る餃子のタネにはゴマ油と醤油が入るようになった。


そしてワシントンDCで今の旦那と会い、休みになると西海岸の陳家の両親のところに一緒に遊びにいくようになった。元料理人、広東料理至上主義者である両親の家では、なぜか6時間の長いフライトで夜遅くに着いた後なのに、そのまま台所に直行、みんながテーブルの周りに立ったまま、私と旦那でもくもくと餃子(というかワンタン)作りの手伝いをさせれたこともあった。食べ物を通じてコミュニケーションする家族なので、まあ悪い気はしなかった。当時両親は兄夫婦と同居していたため、子供たちがいつでもつまめるようにと大量にワンタンを作り、茹でて冷蔵庫にしまってあったりした。四角いワンタンをお箸を使ってラビオリみたいにくるっと丸めていく。白い、丸い餃子の皮ではなく、黄色く四角く、茹でた後湯切りしてお皿に載っているワンタンは、それこそ違う世界の家庭の味という感じがした。そして両親が作る餃子には、もっと色々なものが入っていて、特に茹でたクワイの歯ざわりは新鮮だった。


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というわけで、今私が作る「陳家餃子」は、私が生まれ育った味ともまた違う、果たして過去に出会った色々な人の記憶と味が混じったものになっている。決まった調合は特に無いけれど、基本は豚肉。近所のベトナム系の肉屋で買う。それを家で挽いたり、お店でひき肉にしてもらったりする。本当に気が向いた時だけ、年に1回ぐらい叩いたエビを入れる。にんにくは入れたり入れなかったり、生姜は絶対。ネギまたはニラをたっぷり。かさを増やしたい時はチンゲン菜でも白菜でも、青いものを入れる。これを全部フードプロセッサーにかける。最後にクワイ(water chestnut)の水煮缶を入れる。細かくし過ぎると歯ごたえがなくなるので、フードプロセッサーで簡単にざっと砕く。適当に醤油とオイスターソースとごま油と塩コショウで味付けする。電子レンジにちょっとタネを入れて火を通して味見しても良い。これを叔母の方法で包んで、たっぷりのお湯で茹でる。旦那と会ってからは湯切りして出すようになってしまった。旦那はここに醤油・酢・ごま油やチリペーストなど色々混ぜて食べるが、私はやっぱりさっぱりと酢と醤油だけ。で、湯切りしたとはいえ餃子から多少でる茹で汁と混ざったその酢醤油を最後にやっぱり飲んでしまう。まあ、とりたてて滅茶苦茶特別に美味しい餃子というわけではないが、これが今の我が家の家庭の味。