愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

小さいさんと都会のどうぶつ


小さいさんが登場してあっという間に2ヶ月ほど経ってしまった。本日で8週目。友達の結婚式から数えてもう8週間、ちゃんと寝ていません(涙)ここ2週間は母が来て掃除から食事の用意からしてくれるので、日米または年代差または個人の子育てに関する意見の食い違いを多少は見せながらもかなり助かっております。


最初はひたすらおっぱいとオムツと寝るのループを繰り返していた小さいさんも、昼間は起きる時間も増え、周囲を見回しては色々なものに興味を示し始め、時には大口をあけてにかーっと笑うので、その笑顔見たさに大の大人が3人、小さいさんがふぎゃっと泣けばどんなに夜遅くてもがばっと飛び起き、おろおろばたばた、かいがいしくお世話をする様は涙ぐましい。


さて子供ができてから、絵本を頂く機会が多くなった。今日はその中から初めて、日本語のくまちゃんの絵本を小さいに見せたところ、色が鮮やかなのが良いのか、ページをめくるたびに本をじっと見つめてにこにこしているではないか。うちの子天才かもしれない。ついでに、今日は私の顔をじっと見つめて、私が舌を出すとそれを真似して一緒に舌を出すようになった。うちの子はやっぱり天才だ。そしてこんなことで褒められるなんて赤ちゃんのうちだけだ。


・・・と我が子の天才ぶりは良いとして、日本語・英語それぞれ子供用の本を沢山いただいてふと思ったことは、動物を題材にした絵本がいかに多いかということ。大体において、各ページでライオンやペンギンや色んな動物がいないいないばあをしたり、ハグをしたりチューしていたりして、最後にはお母さんと人間の赤ちゃんも同様の行為をするというパターン、主人公が動物園に赴き、各動物の特徴や習性を観察するパターン、それぞれの運子の大きさを説くパターンも多い。動物園に行ってあの人の鼻が長いやら、首が長いやら、挙句の果てには他人の排泄物について言いたい放題言っているあんたこそ口がバッテンのウサギやないかい!などと心の中で突っ込んでしまうこともしばしばである。


しかし人はなぜ、ここまでしてせいぜい動物園に通わなければ、普段の生活で見ることもない動物のことを必死に乳幼児に教え込もうとするのだろう。そういえば、農場にいる豚や牛や鶏の指人形が入った小屋セットもいただいたっけ。しかしサンフランシスコというアーバンジャングル、その中でも人の往来が結構ある環境にある我が家。動物園や農場にいる動物よりも、触れ合う機会が多くなるのは道を行き交う人間というどうぶつたち。こっちのほうがかなり特性があって面白いのに・・と寝不足で霞がかった頭でふと思った。


あそこにすわっているのは、ホームレスのおじさん。人からいつもおかねをもらっているけれど、なぜかいどうしゅだんはタクシーなの。夏が寒いサンフランシスコで、半袖短パンでふらふらしているのは、かんこうきゃく。ほら、ケーブルカーに必死にぶら下がっているでしょ。細いジーンズで、じてんしゃをいっしょうけんめいこいでいるのは、ひっぷすたー。ドロレスパークにたくさんあつまって、お昼寝をしにいくのよ。


ここまで考えて自分の脳にいかに酸素がいっていないかにはっと気が付き正気に戻ったが、実際小さいにとっては、お散歩のたびにホームレスのおじさんがいつもあの場所にいる、というのが普通の風景になるような環境でこれから育つことになるわけで、人を見分けるスキルも必要になるんだな、と思った次第。その前に、やはり環境のいい郊外に引越してしまうことになるのかな・・・