愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ニヤニヤ室内楽


今週は気分的にも何だかしんどい一週間だったが、それを察してかダンナがコンサートへお誘いくださった。といってもコンサートホールではなくて、市内の教会のコンサート。バイオリン、ヴィオラ、チェロにピアノの室内楽だ。滅茶苦茶くねくねしたお兄ちゃんがオネエ言葉としぐさで仕切りの挨拶をして、最初はベートーベンの弦楽三重奏。実は入場料15ドルのこの格安のコンサート、SFシンフォニーのコンサートマスターなどなど一流の演奏者によるものだった。決して内装もキレイとはいえない教会だったけれど、音響は最高で、弦の音はもうとろけそう。仕事の疲れから静かにハイになっていたので、そんなうつくしい調べに自分の顔もとろけんばかりにニタニタしてしまった。マッスル君のバイオリンは、ついつい彼が演奏する姿ばかりを拝んでにやけてしまうが、彼の奏でる音は多少ガキゴキしていたので、生ストリングスがこんなに美しいものだということをすっかり忘れていた・・・。至福のひととき。


400人は入るかという教会だったけれど、お客さんは40人いたかどうか。入場料は15ドルだけれど、割引がきく年寄りばかりだったし、2時間ほど超一流の演奏家4人が演奏しても収入は単純計算でも600ドルかそれ以下か・・・。コンサートを仕切っている教会の人達はボランティアだとしても、全収入を演奏家4人で割って一人150ドル、時給は7000円ちょっとといったところ、でも実際は電気代とか税金とか色々引くとそれ以下か・・・とにやけた頭でもついつい考えてしまった。昔ワシントンで通っていた音楽学校は施設もものすごく立派で、レッスン料も決してお安くは無かったのだけれど、先生が1ヶ月に学校からいくらもらっているかを後で聞いてその爆発的な安さにかなりショックを受けたことがあって、それ以来、いくら楽しんで音楽をやっているとはいえ、音楽家稼業の大変さについ目がいってしまう。今までの学費やレッスン代、交通費もかかるし楽器代や練習の時間やを考えると、ものすごい投資の割りに「金銭面での」リターンという意味ではコストパフォーマンスはどんなものなんだろう。でもその分、音楽は演奏しているものにしか味わえない究極の至福感、一体感があるから辞められないのだけれど。


ベートーベンの次は1980年代後半に書かれた近代曲。ピアノや他の弦がかちゃかちゃ、がちゃがちゃと小刻みにリズムを刻み、そこにバイオリンやチェロがシルクロード的な、悠久のメロディーを奏でるという、何かNHKの科学番組か宇宙番組のBGMに使えそうな感じの曲。近代曲をあまり聴きなれていないダンナは曲の合間に一言「コワイ・・・」。


私達の前には、男も女もみな同じような髪型をした、樽のようなロシア人のおぢさんおばさんが4人どかんどかんとお座りになっていた。教会の椅子はたてつけの悪いベンチなので、樽がゆらゆらと動くとベンチも一緒にぎしぎしと音を立てる。おじさんにいたっては、何か苦しいのか、演奏の間中前のベンチの手すりにしっかりとつかまり、前かがみのままもだえるように靴を床に擦り付けてキュッキュいわせたりしているので、いつ何かの発作が起きるのではないかと気になってしょうがなかった。と、一瞬の静寂の後で4人の演奏家が唐突に第3楽章を「バン!」と奏で始めたので、びっくりしたおばちゃんが軽くベンチから飛び上がり、ベンチがミシミシミシッ!!と揺れたのにはついつい笑ってしまった。


締めはガブリエル・フォーレ。フルートではなよなよした曲ばかり書く人だと思っていたので、こんな情熱的な曲を書いていたなんて、知らなかった。そして樽のロシア人一団は感動してスタンディングオベーション室内楽ではなく、これはExtreme室内楽、これだけで小さなオーケストラのような演奏だった。何しろその音で体の毒素が全部洗い流されるような感じだった。出がけにロシア人のおばちゃんが、なよなよした仕切りお兄ちゃんに「私は本当に悲しいわ。こんなすばらしい演奏会なのに、いつも席が埋まっていないなんて!」と倒置法で嘆いていたけれど、でもこんな一流のものがすぐ手の届くところにあるのはすばらしい。