愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ハリケーン・リリーフ


ニューオリンズは出張で1度だけ行ったことがある。まだ5月だというのにムシムシしている上に、ジャズやマルディ・グラというお祭りで有名なフレンチ・クォーターというふるいエリアは、建物も古いが下水などのインフラもさらに古い感じで、ドブの水のにおいが道にむぉーっと立ち込めて、そこをスーツを着こんで歩かないといけなくて、辟易した。今人が沢山避難しているコンベンションセンターでの会議に3日間ぐらい一人で行った。こういう都市だったら、若い女の子が一人で入っても大丈夫そうなカジュアルなお食事場所がたいていはあるのだけれど、ニューオリンズでは荒っぽい酒場系のところが多くてどうも入れず、仕方なく「高級レストラン・フルコース一人ごはん」に初めて挑んだのもここだった(笑)。道端ではコドモがタップダンスをしたり、ぞうきんのようによれた爺さんがトランペットを吹いていたり、朝から酔っ払いが小銭をせびり、ブードゥー教がかったタクシーの運転手の歯無しおばちゃんにはぼられそうになったりと、ジャズと酒の南部の街は、なんとなくアメリカのほかの都市より生生しく、荒っぽい感じだった。少なくとも「街角にスターバックスというセーフティー・ゾーン」がある街、というのではなかった。


5月であの蒸し暑さだったのだから、今ごろはもっとスゴイことになっているのだろうし、そこに周囲の汚染された水が流れ込んでいるのだとしたら、それだけで切れてしまいそうだ。こういうときに使うはずの州兵は人が足らんといってイラクに送っちゃってるし、どんな最先端のITを入れて何だかんだといっても、水につかちゃったらどうにもならん。津波のニュースを見ているときには、遠い国の出来事でその惨状がぴんと来なかったのに、国内で似たようなことが起きて、テレビで略奪や、ドームに人が無造作に詰め込まれてどうしようもなくなっているのを見ると、急にそこに感情的なつながりがうまれるのか、その混乱の様子を見るのがとてもいたたまれない気持ちになってしまった。どこで惨状が起きてもその悲惨さは同じなのに、なんともご都合主義な考えなんだろうけど・・・。


ある大学のウェブサイトを見たら、もう新学期の授業は出来ないから、学生を他の大学に送ることを考えないといけない、と途中で文章が切れた短い声明だけ出ていた。この災害が一段落着いたとしても、政府の援助だ保護だというのをどうやって受けていいかなんてわからない人も多いだろうし、支援といっても全ての人に手が届くわけもなく、多分「戦後の混乱で路頭に迷う」感じの人が増えるんだろうな。それも現代のアメリカで、というのがなんともいえない。でも結局人間が作れる対応の枠組みって、今まで色々考えてきたけど、そんなもんなのか。