愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

id:KEN_NAITO氏経由で


KENさん経由でちはるさん、の留学の話を読みました。



私も2年間留学生生活を送っていたので、ちはるさんの気持ちよくわかります。多分ね、「ただ勉強しに来て、終わったらとっとと帰るのみ」と割り切っている人でなければ、「せっかく留学しているのだからその国の人と知り合ったり、その国のコトバをうまくしゃべたりしたい」って思う気持ちと、それがなかなかうまくいかないフラストレーションは、留学生だったら多かれ少なかれ持つでしょうね。KENさんも書いてましたけど、ちはるさんのそんな希望と、現実のギャップをお友達からがつんと指摘されて、ちはるさんが泣いちゃいながらもがんばろーと思ったのはエライ。がむばっておくれ!


ではここから色々読んで考えたことをば↓
この話を、キャンパスの学生の傾向だけに限って考えると、まず「アメリカ人は留学生や他のグループのことを気にしない」というのは、そりゃそうでしょう、と思いました。「気にしてない」というと無視してる、みたいな感じになっちゃうのかもしれないけど、やっぱり何人であっても、コトバが通じないとか、何を考えているかわからないとか、共通のものがないとか、何かコミュニケーションを取るのが難しそうな要素を持つ相手って、アプローチしにくいし、それだったら自分が一緒にいて気持ちいい相手とつるんじゃうのは人間としてしょうがないかなぁ、と。特に自分が積極的に興味を持って理解したい!と考えているわけでもない相手だったら、留学生だろうがなんだろうが、わざわざ自分から近寄って一生懸命コミュニケーションを取ろうというエネルギーを使おうとは思わないですもん。だから、ちはるさんの指摘はある意味事実を述べているという点では正しい。ただ、アメリカ人のこういう部分が悪い、アメリカ人はもっと聖人君子になって、もっと留学生をかまうべきだ、という意味で言ったのであれば、それはちょっと「アメリカ人」にばかりいい子になれといってるみたいで厳しいかなぁ、という気もしたのです。


一方でお友達が「It’s your fault」と指摘したのは、多分ちはるさんの「アメリカ人は英語が流暢に話せない人は頭も悪いと思っている」という部分もちょと被害妄想はいってると思ったからいったんじゃなかろーか。確かに「英語話せない=バカ」と考える無知なアメリカ人もおる。でももしも、英語がうまく通じないたびに「アメリカ人は私のことバカだと思ってる!」と考えるようになってしまえば、それはちょいとアナタの考え方が間違ってる、ということになるかもしれないしね。コトバが足りなかったから誤解をよんだところもあったのかもしれないけど、そのお友達は自分に優越感を持って、「無知なアメリカ人もいる、私は違う」って意味でそういうことを言ったというよりは、そこらへんをちゃんと考えて分析して指摘してくれたのかなーと。ちはるさんいい友達持ってるじゃん!と思いましたですよ。


おかしな話ですが、留学生として同じような経験をしたのにも関わらず、最近は逆に留学生や外国人と話しづらく、ついついアメリカ人と話すほうが気分的に楽と思うようになっている今日この頃。でもこれは、じゃあなんで「アメリカ人は留学生や他のグループのことを気にしないのか」をより近い視点で分析できるチャンスかも、と思いちょっと考えてみたのですが・・・


ちょっと「アメリカ人学生の弁護」をすると、やっぱりアメリカ人にとっても、コトバはおかしいですが外国人はコワイというか、Intimidatingなんですな。アメリカは多文化で、色々な文化の人と隣り合って生活しているとはいえ、やっぱり日常レベルで自分と異質なものを受け入れるには勇気がいるんです。特に留学生の人たち、同じ文化の友達とは、自分達の言葉でワイワイ楽しそうにやってるんですよ。そこで見る個人はすごくいきいきして楽しそうだけど、何を言ってるのかわかんないし、ものすっごい壁を感じる。といって別にその文化や言葉をすごく知りたいわけでもないし、わざわざその中に入りたいわけでもない。自分達にも一緒にいて楽ちんなアメリカ人の友達がおるからね。それに相手も別にそこに入れてくれなさそう。そうすると、ただ、なんかわけのわからん集団がそこにいて、何かやってんな、ぐらいにしか見えなくなる。そして個別に留学生と話すと、自分はアメリカのことしか知らないし、話をしようにも間がもたない。あちらも何を聞いてくるでもないし、さっきのいきいきしていた相手とは打って変わって、なんか相手がフィルターかかってしまったように見えたりすることもあるんですよ。それに、これはちょっとキツイ言い方かもしれないけど、やっぱりうまくコトバが通じない相手にずっとかかわっていると、誰でも疲れちゃう。例えば、日本語勉強している外国人のグループと会話しようとしても、相手のボキャブラリーが足りなかったりすると、自分の国の言葉で会話してるのに、こっちが気を使ってしまって、疲れてしまい、結局話しの流れがコトバのより通じる人たちのほうへ、話があう人たちのほうへといっちゃうことってあるように、やっぱりよっぽど根気のある人じゃないと、外国人と会話するのは気を使ってしまい、時にAwkwardに感じてしまうこともあるんです。


というわけで、アメリカ人(白人?)は別に留学生を「意識的に」バカにしたり避けたり無視しているということは無いというのが私の考え。ただ、やっぱりコミュニケーションの取りやすい人、自分が理解できる人、エネルギーをあまり使わないでも話が通じる人のほうへほうへと行ってしまうのが人間の性であり、やはり自分の経験したことの無いものや異質なものには、少し引いてしまうというのは動物の本能としてしょうがないんじゃなかろうか。ここではこれがたまたま留学生VSアメリカ人、みたいな形で出ちゃっただけなんだと思いますよ。そう考えると、白人であれなんであれ、おんなし人間っす。ある意味びびっていて、どう対応していいかわかんないだけなんです。関わりたければこっちからどんどんいって、「あなた」が中心の世界に相手を取り込むことです。それでも相手にしてくれないような人だったら、それはそっちの問題だから。がんばってね!


ちょっと話は変わりますが、Ain_edさんが共通意識があればコミュニケーションがうまれる、とのことをかかれていましたが、確かにそうかも。自分のことを振り返ってみると、最初の2年間は「アメリカ生活」というよりは、「大学院というエアーポケットの中にある、留学生コミュニティという異質な空間」で留学生同士でつるむ生活。英語はしゃべってましたが、みんなが英語を第二言語とする、なんとなく人工的な不思議な、全てが翻訳された世界。その後アメリカで就職し、本当の意味でアメリカ社会の一員になったことで、コミュニケーションに必要な共通意識の世界はどんどん拡大していったという感じでした。学問や仕事といったトピックもそうなのですが、なんだかんだいって、アメリカの新聞本を読み、テレビや映画を見、自分の趣味を始め、住人として地元の政治や物価に気を使い・・・という、些細な日常での共通事項が増えてきたことが、人と話しやすくなったことでしょうか。そのうち自分の意識の中に、自分は経験したことが無い癖に、「バーチャルなアメリカ特有の過去の共通の思い出」までうまれるようになりました。例えば日本だったら「部活の時夏は凍った麦茶を持っていく」とか「卒業式で呼びかけをする」とか、この世代だったら必ず見た漫画、といった共通の思い出があったりするじゃないですか。不思議なことに、アメリカで子供時代を送ったわけでもないのに、だんだんそういうものが自分の中に蓄積され始めているんです。で、それがさらに人とのコミュニケーションを助長する・・・と。不思議ですね。テレビの見すぎなのか?