愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

大きなお世話から考えたこと


たまに仕事で日本から来たおじさんたちとミーティングをしたりすることがあるのだけれど、アメリカに来て何年?(えー、すでに5年以上になってしまった)という社交辞令的質問に続いて必ずといっていいほど言われるのが、ほう、その割りにはちゃんと最近の日本人ぽいね、アメリカに長く住んでいる女性というのは、概して目が釣りあがり、言葉がきつくなり、態度がアメリカ人になるものなのだよ・・・というおじさんのぼやきに近いコメントだったりします。


この間インド会議に来たおぢさんの場合は、これに加えて「国際結婚してるのか。いや、こういっちゃなんだけど、こくさいけっこんというものは、価値観の違いなどがあってなかなか簡単にはいかないよ」とのお言葉が。


うう、また大きなお世話を・・・と思いつつも「日本人らしく」え〜、そうですか〜、などと話を聞いてみると、おぢさんのお姉さんという人が、ドイツで知り合ったアメリカ人と結婚、コロラドスプリングスに長年住んでいたとか。おそらくドイツ⇒コロラドスプリングスだと空軍関係者だと思われるのだけれども、「だんなさんが働かずに、学校に通ってばかりな時期があった」というのがこのおじさまの不満とするところだったらしい。状況はよくわからないけれど、酒飲んで暴れるならともかく、勉学にはげむのはいいんじゃないの?とも思うけれど、「大の男が家計を助けず学校に行く」というのがこのおじさんの(お姉さんはどう思ったのかはしらないけれど)価値観からすれば許せないことだったのかもしれません。


息子は成長し、弁護士になり、だんなさんはだいぶ前に亡くなってしまったので、お姉さんは日本に帰ってお母さんと住んでいるのだそうで、息子も立派に育ったし、お母さんと日本で一緒に楽しく住めるんだったらそれもいいんじゃないのかなあー、とは思ったけれど、彼にとっては、「嫁に行った身で日本に戻ってくる」ことが「負けて帰ってきた」ようにも思えるみたいで、「いや、だから国際結婚は大変だ」という結論に行き着いたようでした。


このおじさまは50代前半といった年齢だったけれど、そのお姉さんとなると、当時の国際結婚はまた今とは違って周囲の反対などもすごかったのではないかな。しかも軍人さんとなると、余計大変だったかも。 このおじさんが私の結婚についてまでも、はなから失敗すると決めてかかったような言い方をするのにはむっとしたものの、価値観云々は日本人の間でも起こりうることだし、価値観が違ったところで、お互いがコミュニケーションして、じっくり話し合って合意に至ることのほうが大事だと思っているし、このおぢさんがこういうことをいう背景もわかったので、あえて「うーん、そうですね〜」と答えて流しておきました。


ただ、「もし一人身になってしまったとき、アメリカに残るかどうか」については、どうなんだろう、私も少し考えてしまった。年をとったらどこに住むかは、まだちょっとわからない。私たちのスタンスとしては、「人生一度だし、若いうちは世界をもっと見よう」というのがあり、動けるのならどこでも行きたいという気持ちがある。でも落ち着く場所は、多分環境より、周りにどれだけ近しい人やコミュニティがあるか、で決まるんじゃないかなあとも思う。どんなに素敵な場所でも、やっぱり最後はどんな人に囲まれるのかがポイントなのかもしれないと思う。このお姉さんの場合は、コロラドスプリングスにそういう人の絆ができていなかったのだろうね。


DCにはもう4年近くもすんでしまったけど、あまりコミュニティがあるという感じはしない。もちろん、郊外に家を買って、子供ができたら別だろうし、そういう人たちの生活ぶりも見る機会もあるので、それはそれで良さそうではあるけれども、私たちの住む地域は、どちらかというと政権が変わるごとに人が入れ替わり立ち代りやってくるような場所で、会ったら挨拶することはあっても、お隣同士で味噌の貸し借りをできる感じではない。知り合いのアパートでは、若い女性の孤独死もあったそうな。


そういえば、去年の春、大雪が続いた時期があり、うちの周りの道路のあちこちで、雪を知らないDCドライバーがシャベルも何もなしで運転、深みに埋まって立ち往生する場面がたくさんあった。それを、DCの通行人は笑って見過ごすんですね〜。冷たい。うちのだんなさんは、結構ホームレスの人にお金をあげたり、迷ってる人は捕まえてでも道を教えてあげるような出来たお方なので、その日は半日外にでて、埋もれている車を見つけては一緒に掘ってあげたりした。そうすると、誰かが始めると人がわらわら集まってきて、一緒に手伝いを始めてくれたりする。雪に埋もれた張本人のあるおばちゃんは、それに痛く感激して、「DCにもコミュニティがあったのね!みんなありがとう!私の名前は○○っていうのよ、これからもよろしくね!」・・・だって。でも雪が解けると同時に、そのようなコミュニティがあるという幻想も、あっというまに溶解してしまったのだけれど。


DCにいつまでいるのかはわからないけど、多分持ってあと数年だし、老後は住まないだろうな、と思う。もともとアメリカに来たのは学校のためだったし、就職もアメリカじゃなくてもいいと思っていたし、たまたまこの間結婚した相手がアメリカ人だったわけだけれど、ダンナさまも非常にフレキシブルなお方だし、多分私たちは世界のどこかで淡々と老後を過ごすでしょう。そういえば日本の知り合いのおばあちゃんは、70過ぎで一人、オーストラリアに移住していったそうだし、また一人になったら、アメリカに単身来たとき同様、どっかに単身乗り込むのもいいし、一番居心地がよいと思う場所にいけばいいだけでしょう。