愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

女王逝去

ここ数年、いつ来るか来るかという感じであったが、エリザベス女王がとうとう亡くなった。

健康に懸念があるというニュースを職場で見たあと帰宅、その後もテレビニュースでは速報を流していたが、各地から中継しているレポーターもニュースキャスターも既に喪服っぽい服装だったので、もう今日がXデーだというのはわかっていたのかもしれない。6時頃だったかキャスターが静かに女王逝去の短いニュースを読んで、国家が流れた。とても静かに淡々とした感じだった。

女王が亡くなった後の色々な手配は、「ロンドンブリッジ作戦」というコードネームのもと前々から決まっているそうで(他のロイヤルファミリー用のコードネームも色々ある)そこらへんの準備は抜かりなかったとは思うが、その翌日からはもう驚くほどの手際の良さで、物事が進んでいく。

街中にある電光掲示板は、どれもエリザベス女王の写真になった。地下鉄など乗るとこんな感じ。ハロッズなどは早速翌日お店を閉めていたらしい。店頭に女王の大きな写真とお悔やみのメッセージを貼り出している店もボチボチある。いつのまにこんなバナーを用意できたんだ、ってその対応の速さにこれまたビックリである。

王室との距離のはかり方がいまいちわからないアメリカ人の我が家のパパは、週末運動がてらバッキンガム宮殿まで自転車で行き、花を手向け、沢山の騎馬兵隊の行進を見てきたらしい。

君主といえば女王様しか知らないのにこれからどうすれば!的な感想が一般的なイギリス人の感想のひとつとしてあったようだが、思えば私は皇室というものがある国の出身。下血や血圧や呼吸数の速報や、大喪の礼周辺の自粛騒ぎやらの記憶があるし、さらに女王様がひとりがんばっている間に既に3代世代交代を経験しているわけなので、そういうところはま、そういうもんなんじゃない?と淡々と様子を見ている感じ。しかしテレビ中継される数々の儀式は、何百年も続く歴史と儀礼の真骨頂という感じですごい。やはり歴史的な瞬間を(テレビで)見ているんだなあという感慨がある。

テレビで見るだけにとどめるつもりではあったものの、週末出かけたついでにバッキンガム宮殿近くにも足を延ばしてみた。既に国葬の色々の準備が始まっているようで、宮殿周辺はフェンスがあちこちに建てられ、イベントトラックが大量に来ていて、様々な設営が始まっていた。こういうのも、ずっと前にベンダーの入札や契約をし終えていて、すぐ駆けつけて準備できるようにしてあるんだろうけど、すごいなあ。

宮殿に向かいたかったがそこは既に封鎖されていて、お花は宮殿横にあるグリーンパークに手向ける場所が用意されていた(手ぶらでいったが)。行くまでにも道端で花を売る商魂たくましい人もいたり、各国のTVクルーやYouTuberと思しき人がテレビカメラや携帯に向かって色々話している。ちゃんと喪服っぽく黒い服装で来ている人、家族連れでやってきている人で思ったよりも混雑していた。


これはテレムンドの取材

お花を置くエリアもフェンスで囲まれていたけれど、そこに入る時に花束のプラスチックのラッピングは取って下さいと指示があり、はさみを持ったパークレンジャーっぽい人がラッピングを取る手伝いをしてくれる。最初はプラスチックがついたまま花束は置かれていたようだけれど、自然と来た人が取るのを手伝ってこういう形になったようだ。なるほど、こうすれば後でコンポストとしてどん!と処理できるし。

花やメッセージは、公園の地面に色んな形にアレンジして置かれていて、かなり壮観。中には「今頃天国でお父さんやお母さん、旦那さん、ダイアナ妃にも再会できていますね」という無邪気な子供からのメッセージもあったけど(笑)

興味深く見たのは、香港チャイニーズの人達からのメッセージ。

そしてタイの人が作ったという西瓜をくりぬいた細工。

少なくとも私が行った時は、悲しみを大きく表現している人はいなかったが、皆さん静かに粛々と花を手向け、書かれたメッセージを読み、セルフィーや家族写真を笑顔で撮っていた。

王室といえばイギリス王室、女王といえばエリザベス。長年の在位で、好き嫌い関係なくもういつもそこにいる、ある意味永遠にそこにいるのではと錯覚してしまうようなシンボル的な存在だった。王様、女王様だからそういう存在になるのは当たり前だ、と思いがちだけれど、実際そうではないのよね。現代の価値とはある意味そぐわない中世のシステムを、うまくうまく時代にあうよう補正を繰り返し、アップダウンはありながらこうやって一定の国民の支持を得て、ある意味力強くサバイブしているイギリス王室はやはりすごい。そしてこの先どうなるのかわからないけれど、国葬までの3日間、さらに王室の底力を見ることになるんだろうなと思う。

最近の消費コンテンツ

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どこかで良い評判を目にしたので飛行機の中で3エピソード見た。ジャーナリスト+司会者のリサ・リンがアメリカ各地のアジア系コミュニティの食文化を探訪する番組。といってもチャイナタウンとかベタなところには行かず、アメリカが独立する前からあるルイジアナ州のフィリピンコミュニティとか、サクラメントで4世代続く中華系農家とか、大陸からやって来て高学歴だけど中国人ってことで職を得れず中華料理屋を始めた自分の祖父母の話とか。この数年、アジア人というとインドなどの南アジア系を指すロンドンに来て、自分が「マジョリティ」で無くなってしまったショックとはいわないが軽いインパクトを経験した後での里帰りにこれを見たので、なんとなくアメリカのホーム感をじわっと感じる結果となった。

とうとう見た。これも飛行機で。この映画に出てくる金持の家の構造は、時々私が夢の中で見る変な間取りの家に似ている。自分の家なのに、他人の居住スペースと繋がっているというか、アクセスされやすい作りになっていていつもどこかが晒されている感じが。面白い(というと語弊があるが)話だったが、これは韓国の貧富の差を描きたかったんだろうか。なんかちょっと見終わって良く判らなくなった。ただ金持ちは純粋、というくだり、なんとなく自分の周りの成功している人、賢い人を見ていると、何かひねたところのない、面白いほど淡々とピュアな部分があるのは本当だなあとは思った(というとこれまた語弊があるが)。

1960年代の北アイルランドの家族の話。ケネス・ブラナーの自伝的作品とのことだがそんな遠い昔でもない時代にプロテスタントカトリックが宗派の違いでドンパチやってたりイギリスでもテロを起こしていたのは、今の世界を考えるとなんだかハァァと思ってしまう。そんな中で生活する家族の物語は、思ったよりも普通でそこに描かれる色々も葛藤もすごく普通といえば普通だった。ロンドンに行ったら誰も自分達の言葉を解ってくれない、異質扱いされる、との恐れ、イギリスに来るまでアイリッシュスコティッシュもイングリッシュもそんなに大きな違いを認識していなかったけれど、来てみて分かった心情の色々も思う。そして昔から移民として出て行くこと、そしてそれを見送ることに慣れているアイルランド人。アメリカで培ったコミュニティを置いてまた他国に出た自分の今の状況で観たので、普通だけれどグッとくる話ではあった。これもアメリカに行く飛行機で見たので余計。

村上春樹のエッセイは好きなのに、小説は読むたびになぜか腹が立つ。無口で淡々としている主人公、消えたりどこかに行ってしまった相手のこと淡々と考え続けたり、真実を知ったりする。その過程で現れる、口数少ない主人公の心情を、テレパシーのごとく理解したり寄り添ってくれたりする人物の登場、などなんとなくパターンはある気がする。そして毎回、主人公が何も言わなくても、コミュニケーションをとるための色々な努力をしなくても、全てを理解してくれる相手が出てくるのが都合がよすぎると腹が立つ。そういう世界観の話なのに現実的に見て腹を立てるらしい。今回もまあそんな感じだった気がするが、帰りの飛行機で観ながら途中で寝てしまった。セリフがあまりに平坦なのがいい感じに睡眠を誘ったらしい。しかしインフライトエンターテイメントなのにベッドシーンもばっちり見せているのが心配になった。それなのになぜかこの映画13歳以上向けと書いてあった気がする。周囲に子供が座ってなくて良かった。

子供がNetflixで好んで見ているアメリカのシットコム、の最後のシーズンのエピソードをいくつかこれまた飛行機で。去年放送が終わったとのことで、ちょうどコロナだ、警察不信やBLMなど、おバカなシットコムでもアドレスしないといけない問題が色々出てきていて、ううむなるほど・・・と思ってしまった。

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映画館で観た。なんと原作は日本の小説なのね。登場人物もぜんぶもともと日本人らしいけれど、全部変えてある。舞台も東北新幹線から架空の東京→京都行きの新幹線的なものに変えてあり、セットもまあ色々現実と外国が思うフィクションな日本の混ぜ合わせ。エキストラの人や日本人の役の人がどう見ても日本人じゃないのもお約束。それがCultural appropriationかどうかはもう置いておいて、豪華なドタバタB級映画として楽しめた。ブラッドピットの軽さが良い。真田広之はハリウッドスターとして確立感、でもこれもタイプキャストでちょっとこういう役で観るのも飽きてきたかも。それにしても笑う部分が沢山ある映画なのに、イギリス人はこういう映画でも映画館では静寂を保つ。ウルフの最後のシーンなどは私だけぎゃははと笑う声を響かせてしまった。

カリフォルニア

所用でひとり、カリフォルニアに飛びました。

夏休み中人手不足や何やらで阿鼻叫喚だったヒースローも、夏も終わりに近づいてかなり空いていた。行きの乗客はたったの20人。帰りは逆にこの時期旅行する子連れではないアメリカ人で結構混んでた。なぜか一番安いチケット取ったのにエコノミープラスにアップグレードしてくれたけど、背の低い私はレッグルームがあってもあまり休まらず。床に足がつかないのが一番疲れるというのに今さら気づいた。ただいま絶賛時差ぼけ中。

今回はものすごく久しぶりにサンフランシスコ市内のお友達の家に泊めてもらい、久しぶりに昔住んでいたエリアをウロウロする機会もあり、懐かしさに泣きながら(嘘)あちこち歩きました。

ちょっとおしゃれにアップグレードした?Bob'sドーナツ。巨大ドーナツも健在。アメリカのドーナツを食べてからミスドに行くとミスドがぜんぜん美味しくなく感じる罠。何が違うんでしょうね~

って、やっぱり坂すごいな!約束の時間に間に合わないと一生懸命歩いても、どの道を歩くかで高低差がすごい違うので気を付けないといけない。最初住んでいたアパートなどはエレベーターも無ければ洗濯機もない坂の中腹の家で、会社に行くバスを追いかけて走ったり、コインランドリーに洗濯ものを担いで歩いたりと、ほんとよくやってたわ。

こちらは、ニューヨークタイムスでニューヨークのより美味しいとまで絶賛されたBoichik Bagel。ベーグルじたいは3ドル、このサンドイッチは16ドルもした!物価は確実にあがっている。しかし美味しいベーグルの無いロンドン、これは食べることができて良かった。

やはり大都会ロンドンと比べて、ベイエリアは人と話しやすいというか、結構レセプティブだなと再認識。あとUPSストアやTモバイルの店ではいわゆるGenZの若者が対応してくれたのだけれど、まあ仕事が早くてキチンとしていて感心してしまった。後で高評価のフィードバック送っちゃったぐらい。

一方安全面は、私がウロウロしている位ではあまり大きな変化は気付かなかったけど、昔住んでたエリアの商店街の店は一部安全のためにとウィンドウを全部板で覆っているところもあり。BARTも夜乗ってまあ大丈夫だったけど、同じ日にシューティングあったらしい。そういう心配はちょっとロンドンでは無いね。


イギリスではなかなか見かけない南部料理も堪能

数日間の滞在だったけど、沢山のお友達が会ってくれて、喋りまくり食べまくり。帰ることも話してなかったけどばったり会った人もあったり、フラフラ歩いてたらたまたま家の前を通りがかったので凸させてもらった友達もあり。この懐かしい居心地のいいコミュニティ感(涙)


郊外のお友達のところにもとめてもらった、こっちも空が青い空が広い。道行く人々がみんな挨拶する。

後ろ髪引かれる思いでロンドンに戻ってきたわけですが、ロンドンはロンドンでちょっと出かけるとこういう風景が広がりやっぱりテンションがあがる。どっちも捨てがたいホーム。

2022日本里帰り日記⑭:京都で食べたもの

京都で食べた美味しいもの。

剣道の後、平安神宮近くのお店で。濃いアイスクリームよりちょっと軽めのこういうのが最高。色んな味があるのも最高。これは抹茶とさくら味。八ツ橋刺刺さってた!隣の席でキャイキャイ写真撮りながらソフト食べてたおばちゃん集団、食べるときは無言やね〜と言いつつ、以前の旅行で車逆走させた話してて面白怖かった。

宿でいただいた晩御飯。なんとこれで3000円ぐらい。

魚国総本社って、給食事業の会社が出してるお食事なので、宿で全部下ごしらえから調理しているわけでは無いと思うけど、結構それでも十分美味しゅうございました。

桜餅みたいなのは、桜餅みたいな味を予想していたら全然そうではなくて、優しいお出汁にほわーんとしたお餅のようなご飯が入っていて美味しかった。

ものによっては、お皿が滅茶苦茶熱かったのだが、配膳のおばあちゃんが「熱いですからお気をつけください」と言いながら素手でそれを持ってくる。でちょっと食べるには微妙に遠い位置に置いてくれるので、自分のほうに引き寄せようとすると本当にびっくりするほど熱くて触れない。ラーメンの大将の親指がスープに浸かってるどころではなくて驚愕した(爆)

食事中はしずしずと2人で食べていたのだが、その後配膳のおばあちゃんとそれなりに世間話。子供の顔を見て「ハーフには見えませんなあ」というのには笑ったが、また会えるまでおばあちゃんここで頑張って働いてるから、また来てねと言ってお別れしたのでした。御馳走様でした。

京都では他に写真を撮らなかったけど、子供の希望でうどんも食べた。京都のうどん、びっくりする位こしがなくてふわっふわというかやわやわでビックリした。けど思い起こせば子供の時関西で食べてたおうどんってこんなんだったかなあ。コシのある固めのに慣れたは、冷凍のおうどんとか食べるようになってからかもしれない(今はそっちのほうが好き)。

2022日本里帰り日記⑬:京都でメーン!

4月に子供と6年ぶりの里帰り日記。

今回ははからずも、桜のいい季節に帰ることができたのがとても良かった。ましてや京都で桜を楽しめるとは思ってもみなかった。もうあちこちで咲いている桜が綺麗。つい立ち止って写真を撮ってしまう。

訪れた平安神宮でも写真を撮りまくったが、子供は桜はキレイだとは思うけれど、なぜそこまで私が桜に固執するのかはわからない様子。そういえば日本人の桜に対する思い入れ、なんなんでしょうね。そしてこういう感覚は、海外で生まれ育つとなかなかわかりづらいものであるのね・・。

平安神宮には橙と桃の木が対で植えてあったのだが、家にあるお雛様の飾りと同じだ!ということには気づいた模様。そこは逆にお母さん気づかなかったよ・・(苦笑)。

平安神宮の庭は駆け足で鑑賞して、向かったのは平安神宮の裏にある武徳殿。剣道のメッカ的なこの場所で、英語が話せる先生のもと剣道を教えてもらうという貴重な体験をしてきた。

実技だけでなく、それこそ武士の生まれた歴史背景から始まって、剣道がどうやってできたかの説明を詳しくしてくれたのも興味深かった。そういえば剣道って剣術とは違って流派、というものは無い。警察が剣道の発展に結構寄与しているという点も面白い。そしてなぜ剣道がオリンピックの種目にならないかという点についても。

竹刀をふるのは大学生の体育の授業以来だったが、なかなか楽しかった。腹から大きな声を出すことも、こういう機会がないとなかなか普段はないよな、という事にも気が付いた。子供にとっては声出しが結構難しかったみたい。

初めて面も着けて、打ち合いもした。面をつけると結構視界が遮られて、閉じ込められた感が出るのには最初ちょっとビックリ。さらにマスクを着けたままやったので初めのほうは少し苦しかった。相手の隙を突こうともみ合っていると、意外と息が上がる。足さばきも気を付けないといけないし、思ったよりも結構な運動量だった。

イギリスも結構剣道はさかんだそうで、いちばん強いのはケンブリッジだそう。コロナ前は、同志社の剣道部が稽古をつけに遠征に行ったりしていたそうだ。剣道をやっている知り合いにも、剣道はいいよ、と非常にお勧めされているのだが、特に剣道やってる人はいい人が多い(やっぱり規律とか、自己鍛錬とかに興味がある人達だし)とのこと。コミュニティとしても、集中力や胆力を養うという点でもいいかもしれない。子供もとても気に入った様子。

さて、剣道の先生とも、日本人の桜に対するオブセッションについて話をしたのだが、まさしく桜は「メメント・モリ」なのだよね、とのこと。桜のはかなさはラテン語でいうところの「死を忘れることなかれ」に繋がる。確かに。