愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ヘイスティングスの城と息苦しい洞窟

夏の小旅行話の続き。

滞在も後半になって気持ちよいお天気に。ああ、空が広い、そして雲がドラマチックなことよ。

f:id:Marichan:20200828111501j:plain

アメリカでも海の近くに住んでいたけれど、お天気の変わりやすいイギリスで見る空模様のほうが、とてもダイナミックで芸術的なものにも思える。

青い空とそこに無限に広がる色々な形の雲を見ていると、なんとなくシスティーナ礼拝堂の天井を思い出す。ちょっとここから神話の神様でもひょっこり出てきそうな雰囲気がある。

誰かがこんな景色を巨大な機械で投影しているんじゃないか、誰かが描いた雲の絵を空に張り付けてあるんじゃないか、なんだか自分の縮尺が良くわからなくなる。

もう、雲を見ているだけでも一日ぼーっと過ごせる気もする。もしそんなふうに1週間ぐらい過ごせるものなら過ごしてみたい。家ごもりと仕事と携帯をいじりすぎて悪くなった視力回復のためにも(苦笑)。

f:id:Marichan:20200828114817j:plain

海風に翻弄されまくった数日前とは打って変わって、家族で機嫌よく海辺を歩き、貝殻を拾い、それこそ子供が好きなポワロさんの時代には、もっと着飾った人達が歩いたであろうプロムナードから昔はもっと煌びやかだったろう建物を眺めつつ

f:id:Marichan:20200828130443j:plain

この崖の頂上を目指して歩いていく。

f:id:Marichan:20200828131428j:plain

この素敵な高低差。海の街の高低差はやはり格別。

f:id:Marichan:20200828132207j:plain

階段を上って着いた先は、ジブリの世界。丘の上から見下ろす海辺の街、遊園地の観覧車や豆粒のような人達が古い町並みの間を行きかっていたり、漁船が沢山停留しているのも見える。あー気持ちいい!

この丘の切っ先にあるのが、ヘイスティングス城。1066年、おフランスから船でどわーっとやってきて、ヘイスティングスの戦いでイギリス王になったウィリアムさんがここに建てたお城、の跡が残っている。

f:id:Marichan:20200828135221j:plain

荒城の月でも似合いそうなたたずまいであるが、10歳児はここでいきなりBee GeesのStayin Aliveのミュージックビデオのモノマネを始めた・・(爆)確かに廃墟で歌ってはいたけれどw

この石造りの城も、ウィリアムさんの後で何回か建て直しされたものの残りもの。ノルマン王朝も最初はイングランド平定などのために、あちこちにこういうお城を建て、王様はロンドンではなくあちこち色んなところに逗留していたみたい。

その後、13世紀ごろに海岸線を大きく変えてしまうような嵐が何度もやってきて、前日に訪れたライの街などは港町として機能しなくなってしまったそうなのだが、このヘイスティング城などは、その時の嵐で崖もろともだいぶ崩れ落ちちゃったんだとか(!)

f:id:Marichan:20200828141844j:plain

その後もわちゃわちゃあってどんどん廃墟となっていった城が発掘されたのは1800年代になってからだそうで、その後はバラ園を作り、そこでお茶ができるようなちょっとした観光スポットになったこともあったそう。

今ではこんなだだっ広い石組みだけが残る場所で、入口にある掘っ立て小屋にいるジャックブラックのようなもっさりした兄ちゃんに現金で入場料を支払い、廃墟の敷地内にある小さなコンクリでできたオーディオルームで、受付の兄ちゃんが時間になるとふらっとやってきてビデオ再生してくれる短いドキュメンタリーを見るのと、なぜか兄ちゃんが掘っ立て小屋に連れてきたらしい飼い猫を見るぐらいのアトラクションしかない。

しかし昔はここに権力者が集い、教会で祈り、宴を繰り広げたりしたのかなと思うと、イギリス版春高楼の花の宴もあながち間違いではないのかも。

f:id:Marichan:20200828144040j:plain
(この丘の上には、ケーブルカーでも行ける)

城のすぐ近くには、「密輸アドベンチャー」というアトラクションもある。数百年前、貿易関税がめちゃくちゃ高かった時代、フランスに近いこの辺りの街では、密輸が横行していたらしく、ここではその時の様子が展示されている。

セント・クレメンス洞窟という、結構な長さのある細長い洞窟の中に、当時密輸された品物やら帳簿やら、そしてボタンを押すとライトが付き音声が流れだす、当時の様子を模したハリボテ人形の数々が設置されている。

行ったことはないけれど佐渡金山とかああいうところにありそうな感じの展示。実際この洞窟に、密輸したものを隠したり、そしてここで密輸の罪を犯したものの処刑もされたこともあったらしい。

とにかく薄暗く、空気は悪く、そこにB級ハリボテが大量に設置されているので不気味なこと極まりない。ボタンを押すと牢屋に閉じ込められた人形がドアをガチャガチャやって助けてくれぇーなんて声が流れてくる。ヒ~

そんないかにも地方の観光アトラクション的アトラクションを、先客カップルとソーシャルディスタンスを保ちつつ進んでいくのだが、展示は思ったより長いし、マスクをしているので息苦しいしで、出口の明かりが見えたときには随分ホッとした。

戦争中はこの洞窟は防空壕として使われたり、戦後はここが洞窟の中のオサレなダンスホールとして使われていたこともあったとか。

ロックダウンの疲れをいやすため、のんびりしたいとやってきたヘイスティングスであったが、結局一日10キロぐらい歩いてなんだかちょっと、だいぶ疲れた。

おフランスドラマの沼

最近色々な沼にはまっては抜けるを繰り返しているような気がしますが、韓流の沼に続いてハマったのが、おフランスドラマの沼。

コロナ渦の気晴らしと実用を兼ねて、今年のはじめからフランス語の勉強を始めたこともあり、耳慣らしにと思ってNetflixで見始めたのがこちら

www.youtube.com

英語のタイトルは「Call my agent」、フランス語のタイトルは「Dix per cent」、そして日本語のタイトルは「エージェント物語」。フランスの芸能エージェンシーが舞台のドラマです。

英語のタイトルはいかにも高飛車な女優が、監督と揉めて「誰か!私のエージェントを呼んでちょうだい!」って言ってる感じ。フランス語のオリジナルタイトルは、芸能エージェンシーが受け取るコミッションがギャラの10% (Dix per cent = 10%)ってところから来ているらしい。そして日本語のタイトルは・・・そのまんまですね(笑)

舞台となるのは、パリにあるASKという名前の芸能エージェンシー。

普段はスポットライトを浴びることのない、芸能エージェントとそのアシスタント達、日本の芸能界で言ったら多分「マネージャーさん」達が主人公なのですが、このドラマを特に面白くしているのは、この芸能エージェンシー所属という設定で、毎回いろんなフランスの有名な俳優さん達が本人役で出演していること。

といっても、現在シーズン3まであるこのドラマ、随分色んな俳優さん達が登場しているけれど、フランスの芸能界のことをほとんど知らないので、見てもほぼ知らない人達ばっかりだったのですが・・(苦笑)

それでも、ある映画監督に恨みを買われているイザベル・アジャーニー、カンヌ映画祭の司会になり、ドレスやスピーチでてんやわんやになるジュリエット・ビノシュ、ごく普通の男性とデートしたいとお忍びでハウスパーティーに行くモニカ・ベルーチ・・と私でも知っている大物女優も出演していました。

その他にも、年齢がひっかかってタランティーノの映画から降ろされちゃったセシル・ドゥ・フランス、とにかく仕事を詰め込み過ぎて、契約不履行を起こしそうになるイザベル・ユペールなどなど、結構皆さん自己パロディを演じているようなので、フランス映画やドラマを知っている人はもっともっと楽しめるんじゃないかと思います。

エージェントの皆さんも、そんな大物俳優とガンガンに渡り合う、かなりクセのあるキャラクターぞろい。俳優達を時になだめすかし、時にコントロールし、時に監督や配給先を口八丁で丸め込んでは仕事を取り、スケジュール調整に走り回り・・、そして社内不倫あり、ライバル同士のドロドロあり、結構みんな嘘つくし、男女関係なくみんなすぐ誰かと寝るし、怒鳴るわわめくわ、結構なかなか感情的というか情熱的というか、仕事に対しても人生に対しても熱量がすごい。

やってることはえげつないことも多いんですが、ドラマシリーズというのはやはりそれぞれのキャラクターの色々な面を見ることができるので、この芸能エージェンシーの仲間達にどんどん親近感を覚え、その世界にはまっていく・・というのは、どの国のドラマであってもおこる沼現象のようです。

シーズン4ももうすぐ始まるみたい。シーズン4のゲスト俳優のリストを見ても知らん人がほとんどだったけれど、ジャン・レノも出るようです。

このドラマ、日本でもリメイクしたら面白そう・・。既にトルコ版があるのは確認済み。イギリス、イタリア、中国版なども作る話があるらしい。どれも見てみたいー!

www.france.tv


おまけ:

外国のドラマの楽しいところは、そこからその国の人々の普段の生活の様子や雰囲気も伝わること。住環境やインテリア、食べているものやファッション、そしてそのドラマの主題ではないけれど、ふとしたところから見えてくる社会のことなど。このドラマで気になったことなどの覚え書き。

  • みんな煙草吸い過ぎ!酷いのは屋上で煙草スパスパすって、吸い終わったら火も消さずに下に投げ落としてたw それも一度だけでなく、何回も!そりゃノートルダムも、燃えるわな(苦笑)。
  • 日本や韓ドラと比べるとラブシーンはガチなのに自然。あと同性愛などのセクシャリティについても、特にそれを取り上げることで社会的なんとかを投げかける感じもなく、そのキャラクターの設定として普通に出てくる。
  • 数週間コトを致していないと、もうそれはオオゴト、数か月数年のブランクはショッキングなレベルの模様。学生時代1ヶ月だけフランスに逗留したことがあるのだが、友達にクラブに連れて行ってもらった時「男が寄ってきても、その気がない場合は決して目を合わせてはいけない、目を合わせたらもうそれは合意したことになってしまうから絶対気を付けるように」とまるでサファリで野生動物に遭遇した時のような注意を受けたことがあったのを思い出した・・。
  • フランス語の耳慣らしにと見始めたけれど、まあ皆さんものすごい早口で、単語1-2個聞き取れたら嬉しいレベル。これがわかるようになる日は本当に来るのだろうかwしかしオフィスでの怒鳴りあいの声のトーンや、炸裂するPワードの響きなどは、確かにパリ近郊に逗留中お世話になったフランス人の子を思い出させるものがあった。


ボリスヴィアンなどとも親交があったそうな。

俳優などのクライアントとレストランで会食シーンはあるが、たいてい席についてお酒を飲み始めるところで何か起こるので食事まで到達しないw

ライ

夏休み旅行記の続き。

ヘイスティングスからも電車でほど近い、ライという街にも足をのばしました。

ライまでは電車で30分弱。パパはあさイチでライの港でウィンドサーフィンをしに先に行ったので、私達は後で合流しました。

ライはロンドンから日帰りでさっといける可愛くて小さな町なので、ガイドブックにもよく載っているかもしれない。街が小さく道が狭い上に、駅前には蚤の市のようなものも立っていて、さらにバス停にもバスを待つ人がいたりと、特に駅前は結構な人混みで、一瞬ウっとなりました。あわててマスクをつけるなど・・。

f:id:Marichan:20200827123530j:plain

中世のたたずまいが残ったこの街は、アンティークでも有名らしいですが、あまり興味のない陳家はそこらへんはスルー。それでも小さな小路に素敵なアートギャラリーやら、チョコレートや雑貨のお店やらが並んでいて、これまた久しぶりにそんなお店を出たり入ったりして楽しみました。どのお店も入口に消毒液が設置してあって、入るたびに手を消毒するので、なんだか手が消毒液でぬるぬるに(笑)

ライの街はもともと貿易港として栄えたようですが、13世紀ごろに地形が変わるほどのものすごい嵐が何度かあり、それですっかり川の流れも変わってしまい、またやってくる船のサイズも大きくなるにつれて港が使いにくくなったりと色々あって、没落していった模様です。でも一方そのおかげで、今もまだ中世の趣が残っているようでもあります。

f:id:Marichan:20200827145534j:plain

どんどん奥に進んでいくと、ちょっと小雨が降りだしたのもあり、人もまばらになった街並みはこんな感じ。中世の家は背が低めで、ちょっと背が高い人だと天井で頭を打つんじゃないかと思う位。今もぱっと扉があいて、中世の人が出てくるんじゃないかという趣です。

f:id:Marichan:20200827145555j:plain

この右側の建物は、宿屋マーメード・イン。1420年に「再建」とあるぞ・・!1420年は日本だと応永27年、室町時代だそうですよ。なんとこの宿屋、もともとの創業は1156年。日本ではこれまた室町時代、ちょうど保元の乱が起きた年・・ってそれなんだっけ?今でもセラーは当時のものが残っているようです。

ここはまだホテルとして機能していて泊まれるんですが、ウェブサイトを見ると「曲がった天井、ギシギシとなる床や沢山の階段」などが特徴と書いてある・・(苦笑)。そして600年の歴史があるこの宿は、オバケが出るのも有名です!とこれまた嬉しそうに、部屋にでた幽霊の話をするスタッフの人のビデオが載っていました。わはは。

とにかく建物が古い。わざわざ建てられた年代が書かれています。

f:id:Marichan:20200827150137j:plain

そしてこの家はなぜか、「玄関が二つある家」

f:id:Marichan:20200827145848j:plain

この建物もホリデーレンタルで部屋を借りれるようです。ここに写真が載っているけど、もうあんまり古い家には泊まりたくないなぁ。

石で舗装された道は足つぼを刺激する以上にボコボコで歩きにくく、そんな中にあるこんなお宅は普通の住宅なのかな、こういう場所で生まれて育つって、どういう気持ちだろうと想像してみたり(自分の住環境と全く違う場所にくるといつも考えてしまう)

f:id:Marichan:20200827150217j:plain

f:id:Marichan:20200827135819j:plain

教会の横にある古い古いティールームでお茶をしてみたり(これもまた久しぶり)、

f:id:Marichan:20200827133837j:plain

f:id:Marichan:20200827134027j:plain

結構ダイナミックな高低差のあるライ、これはやはり浸食の跡だろうかここは昔は海だったのだろうか云々と思いを巡らせてみたり、また子供はここにあった公園でこれまた久しぶりに遊具で遊んでみたり。

f:id:Marichan:20200827151933j:plain

帰りには駅前のスーパーをひやかして、地元でとれた野菜を見て見たり。ミニトマトは、イギリス国内産のものが、アメリカや他のヨーロッパの国で取れるものよりもずいぶん美味しい気がします。

リモートワークあれこれ

リモートワークを始めて既に半年が過ぎました。最後にオフィスに行ったの、2月だったかな・・・。上司にもらったドイツのビールの一升瓶が、デスクに置きっぱなしになったままなんだけど、どうなったかな・・・。

9月に学校が再開したのと同時に、オフィスも開いたところも多く、私の職場も一応アセスメントをして、4人までならオフィスに来ても安全、ということになったらしい。消毒液やらペーパータオルなども色々用意もして、来たい人は来るスケジュールを教えてね、とのことだったけれど、近くに住んでるボス以外は誰も行く気配無し。

皆さん結構電車で1時間ぐらいかけて通ってきていたので、もう今更電車に乗りたくない・・・というのが本音のようです。私もキックスクーターで40分ぐらいの距離に住んではいるんですが、普段からオフィスに行っても、必ずしも同じロケーションにいる人と仕事をしていなかったので(世界中に人が散らばっているため)、わざわざ通勤する理由がわからないこともしばしば(笑)。そんなこともあって、もともと週に何日かは在宅仕事にしていました。

職場への通勤は、環境を切り替える、とか、結局体を動かすことになるのでいい運動になる、とか、同僚とちょっとおしゃべりできる、というのは良かったんですけれど、といって仕事帰りに寄り道できるわけでもなく、毎日子供の学校のアフタースクールのことや送り迎えの時間、そしてあわてて晩御飯の用意・・・と日々時間に追われまくっている感覚は否めませんでした。

100%在宅勤務になって、こういった時間に追われる感覚からは、100%解放された!!

しかしその分、仕事の時間は長くなった気がします。通勤してた時のほうが、時間に追われていたから集中していたし、オンオフ切り替えはつきやすかったかも。それから外に出ないので、椅子に座ったまま動かず、ものっすごい運動不足になっている感覚はあり。体はガッチガチ!

仕事自体は、私はベッドルームにある仕事机に大きなモニターとラップトップを合わせて使い、パパはダイニングテーブルで、ラップトップだけで仕事しています。環境的には私のほうがいい感じ(笑)、パパはラップトップの画面を目線の高さまで上げられるような台も活用しています。

もともと仕事はリモートで散らばっている人達としていたので、それ以外のセットアップも普段と変わりは無しです。使っているシステムやツールもウェブベースのものばかりなので特に支障は無し。

今の会社は小さめで、シリコンの谷の大きな会社で働いていた時と大きく違うことといえば、マイクロソフト社製品が多用されていることでしょうか(爆)シリコン谷では3社で仕事しましたが、実はロンドンに来るまでマイクロソフトオフィス関係のもの(エクセルとかパワポとか)は、ほとんど触ったことありませんでした。ボタンの多さに最初は大混乱。

昔はそこまでドキュメントヘビーな仕事でなかったのもありますが、みんな大体G Suiteか、Dropbox Paperで全部済ませていました。

今もG Suiteは使ってるんですが、メールとカレンダーぐらいしか活用されてません。

社内でのコミュニケーションも、今まではG Suite内のツールかSlackだったのが、なんとSkypeです。時にファイルのやり取りまでSkypeで。あとちょっとした連絡やおしゃべりや、面白コンテンツの共有は、なぜかWhatsapp。チームミーティングやお客さんとのミーティングはさすがにZoom。

シリコン谷時代とまた違うのは、ビデオ会議機能を使ってミーティングをしても、誰も顔出ししないところ。これはロックダウン以前からそんな感じでした。だからリモートの同僚でもあんまり顔を覚えてない人、います(笑)今でも時々アメリカの人とやり取りがあるのですが、アメリカ人は比較的顔出しする人多い気がする。業界や会社によっても違うのかな、昔は声だけの参加なんて考えもしなかったので、ちょっと驚いたことだったんですが、どうでしょう。

リモートワークでちょっと気になるのが、やはりミーティングの時の家族の乱入(笑)ですが、もうみなさんちょっとやそっとの騒音は気にしないでスルーです。特にインドとのコールは、外から他所の子供がキャッキャ遊ぶ声、犬がわんわん吠える声、一度は夜鈴虫がリンリン鳴くような音まで聞こえてきて、なんとも風情が(笑)

一度クライアントとコールした時には、後ろで小さな子供2人がギャーギャーわめく声、そして一緒にお母さんもミーティング中えんえんと何か叫んでいる声が聞こえ、それに合わせてクライアントの声がだんだん声を潜めるようにぼそぼそと小さくなっていく・・というお気の毒な場面にも遭遇しました(苦笑)。あんまり好きなクライアントじゃなかったんですけど、憐憫の情が・・。

でも一番凄かったのは、100人ぐらいが世界中から参加しているウェビナーに遅れて参加して来て、自分のマイクをミュートし忘れたまま、「ママこれから仕事だからねぇ~Love you!!」って後ろでわーわー言ってる子供に叫んでいるお母さんの声が大音量で耳に入ってきたこと(笑)もうなんでもあり!みんな色々まわしながら頑張ってるってことで!!!

1066

お天気も回復した翌日、電車に乗ってこんな駅に向かいました。

f:id:Marichan:20200918022241j:plain

・・バトル!

さて、ここには何があるでしょうか?

・・ヒントはこちら。

f:id:Marichan:20200918022459j:plain

私の高校の世界史の教科書だか用語集だかのカバーが、まさしくこの図案だったんですが、


そう、ヘイスティングスの戦い!!!


1066年、海の向こうおフランスからやってきたノルマンディー公ウィリアムと、イングランド王ハロルドさんが、ここでチャンチャンバラバラと戦いを繰り広げた、いわゆる「古戦場」があります。

天下分け目のヘイスティングスの戦いに勝ったウィリアムさんが、ウィリアム征服王としてノルマン王朝を開いたのは世界史で習ってなんとなく覚えていたのですが、実はこの「ノルマン」って、バイキングのことだったんですねぇ。

単なるおフランス貴族だと思っていたウィリアムさん、実は生粋の「おフランス人」ではなく、それより150年ぐらい前に北欧から船に乗ってフランスにやってきて、フランス北部を征服した「ノルマン人」、つまりはバイキングの子孫だった!

ノルマン、というのも「北から来た人」みたいな意味だそうで、ノルマン人が支配した土地だからノルマンディーと呼ばれたんだそう。へーへーへー!

バイキングの皆さん、それこそ船とものすごい機動力でもって、それ以前にもイギリス北部を支配していたり、イタリアのほうまで行ってシチリアに王国をたてちゃったり、さらにはコロンブス以前に既にアメリカ大陸にも行っていたりと、随分と活躍していたんですねぇ。「ノルマン人」って歴史では用語として習ったのは覚えてたのに、そんなに重要で面白い部分が、全く記憶から抜け落ちてたよ!

もともとそれまでイングランドには、エドワード懺悔王というひょうきん族を思わせるような名前の王様がいたらしい。それ以前にも、サクソン系の王様は色々いたらしいけれど、懺悔王が即位する前は、デンマークのほうから来た別のバイキングの皆さんがイギリスを支配しちゃっていたりと、イングランドの王朝は結構ヨワヨワだったみたい。

懺悔王自身も、長いこと親戚のいるノルマンディーに亡命していて、おフランス暮らしが長かったそう。なんだかんだいって、イギリスとフランスは海を隔てているとはいえ、近いんですよね。懺悔王とウィリアムさんも実は親戚同士で、ウィリアムさんは懺悔王のいとこの子供なんだとか。つまりは、サザエさんにとっての、イクラちゃん・・・。

この懺悔王には子供がいなかったので、当然のことながら彼が亡くなった後、だれが後を継ぐかで揉めたのが、戦争のきっかけ。「ウィリアムが王様になるのをサポートするよん♥」と約束までしていた、懺悔王の義理兄ハロルドさんが、その約束を破って王様になっちゃったのに激おこしたウィリアムが、わざわざ海を渡って攻め込んできたのが、今から954年前のこと。

・・・とつい前振りが長くなってしまいましたが、バトルはこちらです。

ヘイスティングスの街からは10キロ内陸にあるんですねぇ、上陸して2時間ぐらいは歩くぐらいの距離です。船旅の後、さらに前進したとは、お疲れ様です。

からしばらく歩くと、目的地の古戦場に到着します。道すがら「バトル小学校」「〇〇バトル支店」とか看板が出ていました。「バトル」がそのまんまこの街の地名になってるんですねぇ。

f:id:Marichan:20200826152128j:plain

どーん。古戦場の跡には、大きな教会と修道院が建てられています。戦いに勝ったウィリアム征服王さん、イギリス征服するまでにいっぱい人を殺しちゃったのを償いなさい、とローマ法王に怒られたのもあり、供養のために建てたんだそう。

今は国民遺産になっているこの場所、コロナの影響で入場は事前予約制になっていました。

f:id:Marichan:20200826150118j:plain

でもおかげで中は空いていて安全&快適。

f:id:Marichan:20200826150445j:plain

f:id:Marichan:20200826154240j:plain

修道院や教会といっても、もう廃墟みたいになっているのですが、屋上からの眺め。街並みも昔からあまり変わってないっぽい。

f:id:Marichan:20200826161036j:plain

ベネディクト会の修道院だったこの場所、周囲も修道院の領地として栄えたようですが、その後、イギリス国教会を作ったヘンリー8世宗教改革で解散となり、その後は廃墟になったり、お金もちのお屋敷として再利用されたりしたそう。うーん、栄枯盛衰・・。

f:id:Marichan:20200826164339j:plain

敷地内に、実際の戦場だったところが残っています。古戦場って、日本だったら落ち武者の霊が・・とか、アメリカの南北戦争の戦場跡でさえ、行くと凄惨な雰囲気を感じることがあるのに、こちらはただただ、だたっ広い牧羊地。羊がのーんびりと草をはんでいました。

ちょっとなだらかな高低差があるんですが、ここでサクソン軍とノルマン軍がぶつかり合い、右往左往していたのかと思うと・・・いや、全く想像がつきません。

戦闘中、一時はウィリアムが戦死したといううわさが立ち、動揺した「左側の列にいた兵士たち」がわーっと逃げてしまったので、「ちょ、死んでないし!生きてるよホラ!」とウィリアムがヘルメットから顔出ししてみんなを励まし、逃げたノルマン軍をわーっと追っかけてきたサクソン兵をメタクソにやっつけたとか、

その後も何回か逃げたふりをして、それを追いかけてきたサクソン軍を返討ちにし、最後はハロルドさんを槍やら剣やらで刺したり突いたりして討ち取り、勝利を収めたそう・・・。平家物語のごとく、昔の戦いにしては色々詳細情報が残っているのがヘイスティングスの戦いの特徴のようですが、そんな光景がこののんびりした場所で繰り広げられていたとは、まさに兵どもがなんとかの跡。

しかし討ち取られてしまったハロルドさん、そしてサクソン軍の皆さんもお気の毒で、ウィリアムがフランスからやって来る直前までは、ここから430キロ北のヨークという場所で北から襲ってきたバイキングと戦い、その後5日ほどかけて今度はウィリアムとの戦いに備えるべく、ロンドンまで戻ってきたというから、超疲れてたはず・・・。ちなみに東京から盛岡までが450キロぐらいだそうです。

日々コンピューターのスクリーンばかりを見続けて疲れ果てていた目には、目に緑・・・とばかりに、ただただベンチにすわり、遠くから聞こえる羊の鳴き声を聞きながら、1000年近く前にスプラッタが繰り広げられた現場をぼんやりと見つめつつ時間を過ごしました。

この修道院跡以外は、のんびりした鄙びた田舎なバトル。お店も午後には早々に閉まってしまい、特にすることもないので、電車でまた海風の強いヘイスティングスの街へと戻りました。

f:id:Marichan:20200826145921j:plain

おまけ、BBCの子供チャンネルで放送されている、面白歴史番組「Horrible Histories」。子供がすっかりはまってしまい、イギリスの歴史にとても詳しくなったのですが、その話はまた今度。今回はそこで放送されていたガンナムスタイルのパロディ、ノルマンスタイルをどうぞ。Sexy ladiesのところがSaxon ladiesになってるところがちょっとウケますが、パロディとはいえ、史実に基づいてるので、笑ってみた後で真面目な資料に当たってみると、おお本当だ・・・となる楽しい番組です。

この歌の他にも、ヘイスティングスの戦いをサッカーの試合みたいに中継するコントなんかもありましたw あと、戦いに勝ったあと、ノルマン軍は死体の山の中で「ピクニック」を楽しんだそうです・・。


Norman Style - Horrible Histories Song from George Sawyer on Vimeo.